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2022年3月

2022年3月31日 (木)

番画〈766〉〈767〉:亀の前事件 遣唐使は書物をたくさん持ち帰った

    

今日は令和4年3月31日。

   

令和3年1月1日に始めた「番画」も

この記事で最終回。

映像を見て、勉強して、授業に活かそうという魂胆でした。

  

〈766〉大河ドラマ「鎌倉殿の13人 12 亀の前事件」

  (2022年3月27日放映)

  

〇北条政子の嫉妬によって引き起こされた亀の前事件。

 三谷幸喜さんは楽しそうに描いていた。

 ここでも源義経が悪さをする。

 戦ができなくて鬱屈した気持ちが出ていた。

 このため込まれたエネルギーで、平家打倒に挑むことになるのであろう。

  

  

〈767〉「歴史探偵 遣唐使 極秘ミッション」

  (2021年12月1日放映)

  

〇今から1300年前の奈良時代、

 宇宙飛行士のように冒険をした人たちがいた。

 遣唐使

〇有名人として・・空海、阿倍仲麻呂、最澄

〇使命は唐から政治制度や文化を持ち帰ること。

〇平城宮跡にある遣唐使船 全長30メートル 復元したもの。

 これって昔、見に行ったよな。

 ※ここでも道草 日帰りで奈良へ6・・・遣唐使船(2010年8月10日投稿)

 12年前だった。

 大使、留学生、僧、船乗りなど、多い時には160人が乗った。

 ぎゅう詰めだった。

〇食料 ほしいい(糒) 一度乾燥させたお米

 飲料 長い航海の時は1人1日0.7リットル。

〇教科書では「しばしば遭難した」と書かれているが、

 意外に成功している。

 中国からの帰り 成功率は76%

 日本から中国に行くのは 成功率92%

〇いかに早く中国に行けるかを考えていた。

 風向きなどの条件で考えると8,9,10月がベスト。

 実際にその時に出かけている。当時の人たちはちゃんとわかっていた。

〇東シナ海の荒波に耐えるために、船底には隔壁が設けられた。

 中国の最先端の技術を学んで建造した。

〇唐の都の長安 平城京や平安京のモデルになった都市

〇唐の皇帝は、遣唐使に生活費を渡していた それは絹

 絹を金に替えていた。

〇遣唐使が唐から持ち帰ってきたもの

 ぶどう みかん なす 茶 豆腐 醤油のもとになった「ひしお」

〇遣唐使の留学生は20年、唐で勉強をした。

〇遣唐使は、最先端の知識を記した書物を持ち帰ることが大事なミッション。

 書物は高価だったので、書き写すことも行われた。

 資金繰りに行き詰る。

 どうやって解消したか。

 墓誌(亡くなった人の業績を記したもの)

 墓誌の文章を書くことをアルバイトで行って資金を得た。

 吉備真備が書いた墓誌

 吉備真備はとびぬけた筆さばき 注文が殺到した

 それが収入となり、書物を手に入れたり、生活費になった。

〇書物は日本の制度や文化を発達させた。

 大宝律令の制定 

 玄昉(げんぼう) 経典を持ち帰る 大仏建立

〇書物はまさに宝だった

 唐で出版された本の半分が日本にあった。

 大量の書物が運ばれたので、長安⇔日本は「ブックロード」と

 呼ばれる。それは初耳だ。

〇恋愛小説も持ち帰る 源氏物語、井原西鶴、近松門左衛門、

 高杉晋作にも影響を与える。

〇遣唐使や使節団は、疫病も日本に伝えた。奈良時代。天然痘。

 総人口の3割が死亡 パンデミック

 鬼の仕業と考えられていた 鬼を封じ込めるための土器が作られた。

〇吉備真備 中国の神をまつって疫病を封じ込めようとした。

 牛頭天王

〇吉備真備 国の復興 人材の育成 教科書はやっぱり唐からの書物。

 疫病ですさんだ国土を復興させるために墾田永年私財法。

 墾田永年私財法にそのような意味合いがあったことを知る。

  

   

以上、番画の最終回でした。

15カ月で767番画。

1カ月で51番組強。

遣唐使の頃の書物のように、日々放映されている番組・動画も

貴重な勉強の機会です。

番画シリーズは終了しますが、番組・動画から勉強することは、

継続していきたい。 

    

2022年3月30日 (水)

新聞に名前が載った/ケツメイシ「Hello」が明日のBGM

     

今日は令和4年3月30日。

   

新聞に名前が載りました。

◇・・退職・・◇の欄の、

他の先生たちの中に自分の名前がありました。

誤字もなく正確に書かれていました。

よかった。

  

ついにこの日を迎えたんだな。

何度も休んで、よれよれしていましたが、

それでもやり切ったんだな。

新聞の名前を褒めてあげたくなった。

よくがんばった。

  

◇・・退職・・◇の欄は

切り取って、ノートに貼っておこうと思います。

がんばった証です。

  

明日は辞令をもらいに教育委員会に行きます。

ここでも道草 最後の日は、生まれ変わったフォレスターで!(2022年3月20日投稿)

フォレスターに乗って行きます。

車内で聴いている生活のBGMは、

2月はじめから「ケツノポリス12」(ケツメイシ)です。

15曲のうち、最も印象に残っているこの曲を

リピートで聴いて行こうと決めています。


YouTube: Hello

 

ラップは「ラップで暗記 中学歴史」の

Co.慶応さんを思い出します。

ここでも道草 Co.慶応さんのラップで15人の将軍の名前を覚えさせたい(2022年1月17日投稿)

ここでも道草 本「ラップで暗記」入手/番画〈624〉〈633〉歴史のラップ10本入手(2022年1月23日投稿)

    

人生に分岐点で聴くと、ちょうどいい歌詞です。

ケツメイシ Hello 歌詞

   

♪ 自分を変えたいと思った今がチャンス

 それは一歩前進 明日も笑う

 もうその背中 小さくない ♪

  

4月から新しい自分にしていきたいと思っています。

  

♪ やる気待つより手を動かして

 書きだして 夢書き足して

 涙しても日々学びWanna be

 なりたい自分で上げる花火 ♪

  

勉強は大事なのです。勉強は怠りません。

 

♪ 世界はまだまだ広いぞ

 身軽に焦らず行こうHere we go

   あんな失敗 誰も見ていない

 言霊信じて言うんだぜ

 「変えられるのは自分だけ」 ♪

  

過去にくよくよする自分とはおさらば。

過去の自分は変えられないけど、

未来の自分は変えられます。

  

♪ 昨日までの自分とお別れ

 本当の夢 声に出せ出せ ♪

  

♪ 自分を変えたい 変わりたい

 どうせならバカみたいに上がりたい

 目標、夢なら口にする

 一度きり人生好きにする ♪

  

退職したんだから、今までと同じじゃいけないと思っています。

時間的余裕を十分生かして、自分を変化させていきたい。

自分の人生、好きにやらないとね。

  

♪ はじめの一歩が肝心さ 

 人生幕開け ライジングサン ♪

  

新しい人生の幕開け。令和4年4月1日は肝心です。

  

♪ その悩み癖 マジ引くぜ

 凄え無駄にすんな限りある時間

 今始めたら明日にはきっと

 実り始めるさ新しい一歩 ♪

   

もう心療内科に頼らない能動的な生き方をしていきたい。

   

2022年3月29日 (火)

2021年7月25日以降に出合えた本は49冊でした

    

今日は令和4年3月29日。

   

読んだ本を書き並べる企画は昨年の7月25日以来です。

ここでも道草 2021年1月9日以降に出合えた本は39冊でした(2021年7月25日投稿)

約8カ月でどれだけの本に出合えたかな。

前回同様、書き並べることで、過去が今になり、

読んだことが力になるような気になるのです。

   

「慎治」(今野敏著/中公文庫)

  

「維新前夜 スフィンクスと34人のサムライ」 (鈴木明著/小学館)

   

「ひきこもり国語辞典」(松田武己監修/時事通信社)

   

「『顔』の進化」(馬場悠男著/講談社ブルーバックス)

  

「天国の囚人」(カルロス・ルイス・サフォン著/木村裕美訳/ 集英社文庫)

   

「はざまのコドモ」(沖田×華漫画/君影草原作/ぶんか社)

   

「マゼランが来た」(本多勝一著/谷川明生写真/朝日新聞社)

   

「天空の星たちへ」(青山透子著/マガジンランド)

   

「日航123便墜落 遺物は真相を語る」(青山透子著/河出書房新社)

   

「日航123便 墜落の新事実」(青山透子著/河出書房新社)

  

「永遠に許されざる者」(小田周二著/文芸社)

   

「日航123便 墜落の波紋 そして法廷へ」 (青山透子著/河出書房新社)

   

「日航123便墜落 圧力隔壁説をくつがえす」 (青山透子著/河出書房新社)

   

「日本怪死人列伝」(安部譲二著/産経新聞社)

   

「落花」(澤田瞳子著/中央公論新社)

   

「泣くな道真 大宰府の詩」(澤田瞳子著/集英社文庫)

   

「平将門1」(海音寺潮五郎著/朝日新聞社)

   

「平将門2」(海音寺潮五郎著/朝日新聞社)

   

「平将門3」(海音寺潮五郎著/朝日新聞社)

   

「リニア新幹線と南海トラフ巨大地震」 (石橋克彦著/集英社新書)

    

「平将門4」(海音寺潮五郎著/朝日新聞社)

   

「おれは一万石 商武の絆」(千野隆司著/双葉文庫)

   

「線量計と奥の細道」(ドリアン助川著/集英社文庫)

   

「御巣鷹山と生きる 日航機墜落事故遺族の25年」 (美谷島邦子著/新潮社)

   

「けんちゃんのもみの木」(美谷島邦子・文/いせひでこ・絵/ BL出版)

   

「おれは一万石」(千野隆司著/双葉文庫)

   

「おれは一万石 塩の道」(千野隆司著/双葉文庫)

   

「『地球温暖化』狂騒曲 社会を壊す空騒ぎ」 (渡辺正著/丸善出版)

   

「おれは一万石 紫の夢」(千野隆司著/双葉文庫)

  

「放射線を浴びたX年後」(和気一作著/創風社出版)

   

「わすれないで 第五福竜丸ものがたり」 (赤坂三好 文・絵/金の星社)

   

「おれは一万石 麦の滴」 (千野隆司著/双葉文庫)

   

「おれは一万石 無節の欅」 (千野隆司著/双葉文庫)

   

「放射線を浴びたX年後」(伊東英朗著/講談社)

   

「徳川15人の将軍たち」 (小沢章友著/森川泉絵/集英社みらい文庫)

   

「ラップで暗記 中学歴史」(Co.慶応/Gakken)

   

「鎌倉殿の13人 完全読本」(産経新聞出版)

   

「眩(くらら)」(朝井かまて著/新潮社)

   

「おれは一万石 一揆の声」(千野隆司著/双葉文庫)

    

「浪人若さま新見左近 日光身代わり旅」 (佐々木裕一著/コスミック・時代文庫)

   

「情報の悪意」(武田邦彦著/徳間書店)

   

「天衣無縫」(織田作之助著/角川文庫)

   

「ワイド版マンガ日本の古典14 吾妻鏡(上)」 (竹宮惠子作/中央公論新社)

   

「ワイド版マンガ日本の古典14 吾妻鏡(中)」 (竹宮惠子作/中央公論新社)

   

「ワイド版マンガ日本の古典14 吾妻鏡(下)」 (竹宮惠子作/中央公論新社)

   

「おれは一万石 定信の触」(千野隆司著/双葉文庫)

   

「おれは一万石 囲米の罠」(千野隆司著/双葉文庫)

   

「葬り去られた真実 日航機墜落事故の疑惑」 (宮村浩高著/青心社)

   

「疑惑 JAL123便墜落事故  このままでは520柱は瞑(ねむ)れない」 (角田四郎著/早稲田出版)

   

以上49冊。

休職してから読んだ本は合計230冊。

   

「300冊を超えたあたりからだったと思うが、

自分の中から言葉があふれ出すようになった。

世間のさまざまな事象に接して、

自分も何か語りたくなるのだ。」(藤原和博)

  

退職して、読書のペースも上がる可能性高し。

300冊は案外近いかも。   

2022年3月28日 (月)

「疑惑 JAL123便墜落事故」③ 事故後8年で十分「疑惑」はあった

    

今日は令和4年3月28日。

   

前記事に引き続き、

「疑惑 JAL123便墜落事故

 このままでは520柱は瞑(ねむ)れない」

(角田四郎著/早稲田出版)

より引用します。

   

  

「準備されていた群馬側」という章で、

早い段階で棺が大量に発注されて、

群馬県側の藤岡市に運ばれていたことが書かれています。

まだニュースでは、墜落場所は長野県だと言われていた時に。

長野県だというニュースはガセネタ(ニセ情報)であって、

故意だったと書いています。

   

ああ、たくさん引用したいのですが、

時間が足りません。

ただ言えることは、私が昨年夏から知ったことのほとんどは、

事故から8年後に書かれたこの本に書いてあるし、

著者は「大きな力」にまで推理しています。

青山透子さんが証明した火炎放射器に関することが

ないだけと考えてもいいかも。

まさか火炎放射器で焼きはらったなど、

普通では考えられないことです。

    

これはあくまで想像の上の話である。日航機の尾部にもし標的機が

ひっかかっていたりすれば、そして追尾した自衛隊のジェット機が

それを目撃し報告したものとすれば・・・・。

(326p)

   

私が読んできた本にこのことは書いてありました。

小田周二さんの本にはしっかり書かれていました。

  

日航操縦士の言葉です。

  

芦沢 私たち日航乗員組合は、毎年、報道関係の方々に声をかけて

記者会見を行ないます。終始一環して事故調査委員会の「隔壁説」

は百パーセントあり得ないと主張して来ました。残念なことに、新

聞、テレビ、雑誌いずれもがまったく取り上げてくれません。まっ

たく無視されるのです。聞けば、もうあの事故には関わりあうな、

と会社から圧力をかけられているという・・・。

(346p)

     

なぜマスコミは取り上げないのだろう。

事故後8年後でさえそうでした。

現在はどうなのだろう。もう真相はわかっていると思います。

  

  

ほかの飛行物体が日航機に衝突したとすれば、私は標的機説を最有

力視する。

(365p)

   

事故後8年での著者の結論です。

私も賛成です。

  

  

私はこの自衛隊機が日航機を誘導していたに違いないと考えている。

(389p)

  

日航機を追尾していた2機の戦闘機のことです。

事故後8年での著者の考えに、私も賛成します。

戦闘機と交信した様子が、ボイスレコーダーに残っているはずです。

だからボイスレコーダーの公開は必要なのです。

そしてフライトレコーダーもです。

事故調が発表した日航機の航跡は、あやしいのです。

この本を読んで教えてもらいました。

  

   

引用はここまでにします。

事故後8年でここまで迫っていた本がありました。

  

  

   

「疑惑 JAL123便墜落事故」② ヘリがつり上げていた物体とは

    

今日は令和4年3月28日。

  

前記事に引き続き、

「疑惑 JAL123便墜落事故

 このままでは520柱は瞑(ねむ)れない」

(角田四郎著/早稲田出版)

より引用します。

  

そして、8月27日事故調査委員会は中間報告を公表、隔壁破壊が

この事故の主因であるとする説に力点を置いたものとなった。これ

には多くの異論や疑問も出たのであるが、9月7日各紙夕刊が報じ

た6日付ニューヨーク・タイムズ紙の記事が全てを決したのである。

それはボーイング社の7年前の修理ミス自首声明である。

(181p)

   

事故があった1985年のことです。

ボーイング社が大阪空港でのしりもち事故の時の隔壁修理に

ミスがあったと発表したのです。

「隔壁破壊説」に世論が向かうのに好都合なニュースでした。

  

この発表の前、8月18日頃、ボーイング社はいわゆる「隔壁破

壊説」には、キッパリと否定のインタビューを行っていたのであ

る。発表後も「ただし、この修理ミスは事故の原因とは関係はな

い」とコメントしている。

(183p) 

    

ボーイング社に何か大きな力が働いた感じです。

  

かくして、昭和62年(1987年)6月19日に出された運輸省

航空事故調査委員会の「最終報告書」にいたるまで、一貫して事故

原因は隔壁説が貫かれ、他説の考察や否定は行われずに調査は完結

したのである。こうして振り返ってみると、隔壁説にそぐわない証

拠は、全く登場してこないことが、逆に非常に不自然に見える。

(185p)  

    

最終報告書が出されたのは1987年のこと。

結局それが「最終」のまま、現在に至っています。

  

事故調査委員会の原因究明作業が一貫して「隔壁破壊説」の組み立

てを目標にして行われたように私には見える。むろん「隔壁説」が

、一点の疑念を生む箇所もなく他説を科学的あるいは論理的に、し

かも物的証拠をあげて否定する過程で、最終的にこの説以外に考え

られないとされるなら説得力もあろう。しかし現実的には事故発生

から三日も過ぎぬあたりから、全てを「隔壁説」に都合よく調査作

成されて来たやり方には、大きな疑惑を抱かざるを得ない。

(187p)

  

「三日も過ぎぬあたりから」に驚きます。

とにかくこじつけがほしかったのでしょう。

  

にもかかわらず、運輸省航空事故調査委員会がかくもこの説(隔壁

破壊説)に固執し、他説を一切受け付けようともせず、まるでこれ

以外に原因は考えられないごとくに結論を出している。

そうしなければならない理由とは、一体なんであろうか。

(211p) 

  

それほど最終報告書は滑稽なものなのでしょう。

「そうしなければならない理由」に著者の考えは及びます。

  

事故調査委員会は何故、「隔壁説」をデッチ上げなければならなか

ったのであろう。私は委員や調査官個人にその理由があったとは思

えない。むしろ、その矛盾に気づき心痛めながらも彼らに及んだ大

きな力に抗しきれなかった姿を感じてならない。最終報告書を記者

団の前で読み上げる武田峻委員長の震える手、引きつった声、そし

て落ち着きを失った目と疲れ切った表情をテレビで見た。これが、

航空宇宙技術研究所所長、航空宇宙学会会長、東大卒・工学博士の

輝かしい経歴を持つ武田氏なのだろうか。

(270p)

   

この本は図書館に返してしまう本です。

どんな本であったか、思い出すために、印象に残った文章を引用中です。

武田峻委員長はこのような表情だったんだ。

   

  

深井氏一行が現場にいた時間内に「生存者」の救出は断じてない。

では、空挺団がヘリでつり上げていた物体とは一体なんであろう。

(中略)まして、機体破片を収容することなど警察の検証も始まら

ぬ前にはあり得ないのである。

(295p)

   

生存者の救出前に、ヘリがつり上げていたものがあるというのです。

そこにあってはまずいものを運んでいたのでしょう。

  

  

墜落現場の捜索にしても、墜落現場での救難作業にしても、あまり

に不可解な疑問が多過ぎはしないか。そして、その言いわけも陳腐

である。本気で生存者の有無をつかみ救出しようとする気があった

のであろうか。へたに生きていてもらっては困る事情でもあったか

のようにさえ思える一連の行動である。自衛隊というより防衛庁の

ほうにより深い疑惑を向けざるを得ない。

(301p)

   

するどい指摘である。

生きていてほしくなかったのです。

恐ろしいことです。

  

 

 

「疑惑 JAL123便墜落事故」① 8月14日日航の重役は落合さんに面会していた

      

今日は令和4年3月28日。

   

この本を読みました。

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「疑惑 JAL123便墜落事故

 このままでは520柱は瞑(ねむ)れない」

(角田四郎著/早稲田出版)

  

1993年12月28日発行の本です。

事故から8年しか経っていないけど、十分に迫っていました。

引用します。

  

(8月)14日、現場からのテレビ中継を見ていた私を日航がまた

驚かせたのである。墜落現場に日航の白いつなぎ服がうようようご

めいている。後の新聞で見ると遺体捜索中の自衛隊員や機動隊員と

は全く異なる行動である。機体の写真を撮ったり、のぞき込んだり。

つまり機体の調査を目的に入山しているのである。この時点で彼ら

の行動に疑問を語るコメントはマスコミになかったが、私は腑に落

ちない思いがしてなかった。事故が日航の不備で起ったか否かはま

だわからない。わからないのであるから、その可能性もある。にも

かかわらず、日航は警察が現場検証をする前に現場で何かしている

なんて・・・・。

(79p)

   

疑惑がたくさん書かれた本でした。

その一つです。

   

  

後日判明したことと合せて記すと、日航本社重役2名が(8月)

14日午前10時半頃、落合さんが入院中の多野総合病院を訪れ、

「顔を見るだけ」と大野院長に見舞い面会を頼み込んだらしい。

このとき、落合さんは吉崎さん親子と共に集中治療室にいた。面

会した重役談(「週刊新潮」)でも「落合さんは顔がハレていて、

包帯でグルグル巻きになっておられ・・・」とある。落合さんが

社員であれ、部下であったにしても、今は生き地獄から命からが

ら救い出された重症患者に他ならない。しかも、救出から24時

間にも満たない時間に、事故調査委員会や警察をさしおいて面会

したという事実に私はまず仰天した。その上、たとえ面会中に落

合さんの方から話は始めたとしても、(事実がわからないが)そ

れを制止するべきが、見舞い人の重症者に対して取るべき態度で

はないのか。にもかかわらず公表された「証言」は驚くほど詳細

かつ整然としている。大変気丈な女性だなと思ったが、この「証

言」本当だろうか・・・・疑心を抱いたりもした。

(71p)

   

ここにも疑惑あり。

  

しかも、この「松尾芳郎」「真弓義康」という2人の取締役は、

2人とも落合さんの上司でもなければ福利厚生部系統の人でもな

い。つまり落合さんを見舞う立場にない人物である。こんな人が

落胆と苦渋に満ちた乗客家族等を尻目に、また一般乗客生存者を

見舞う前に何故こんなことができるのであろう。

(72p)  

   

あやしいのである。

前出の関川氏(航空評論家の関川栄一郎)が、TBSテレビで発言

した「航空自衛隊の無人標的機がぶつかった可能性という説も出た。

この説は後に航空評論家の吉原公一郎氏も具体的論拠を上げて他誌

に発表している。

(162p)

   

事故直後から無人標的機がぶつかった可能性は言われていたようです。

     

  

この報告書(事故調の最終報告書)が結論づけた「隔壁説」の証明

にも大きな影響を及ぼすはずの相模湾海底に落下したと推定される

機体尾部の捜索にすら、ほとんど熱意は示さず、各方面から海底探

索の必要性を鋭く指摘され、事故後3カ月を経た11月になって行

われている。

(174p)

   

ともかく、事故調査委員会自らが企てた「推論」以外は「推論にす

ぎない」と無視し、その否定証明を一切行っていない。始めから「

事故原因はかくあり」と定めて、そこに好都合な材料だけをかき集

めようとした感が、ありありと見られる。そんな原因究明方法があ

ってよいものだろうか?

(175p)

   

37年が過ぎようとしているので、事故後8年しか経っていない時期に

これだけの疑惑があったことに驚きます。

とっくの昔に、疑惑は始まっていたのです。

私は昨年やっと疑惑をもちました。

2022年3月27日 (日)

サークルで退職祝いをいただく!

      

今日は令和4年3月27日。

   

うれしいことがありました。

今日はサークル「21の会」があったのですが、

サークルのメンバーより、

退職祝いで白い胡蝶蘭をいただいたのです。

でもこの胡蝶蘭、ただの胡蝶蘭ではなくて、

TOSHIBAが作った造花でした。

 

付いていた札には次のように書いてありました。

 

光触媒

可視光応答型光触媒

「ルネキャット」を採用

太陽光はもちろん部屋のわずかな明かりでも

光によって除菌や、臭いのもととなる有害物質

(VOC)を分解除去します。

   

ただの胡蝶蘭ではなかったのです。

ビックリです。

そしてこのカードが添えられていました。

Epson083

これがまたうれしい。

  

サークルには、ブログ「ここでも道草」を印刷して

サークルで配付して、実践報告をしてきました。ずっと。

まもなく15年になります。

その前は、通信「道草」「道草・社会」でした。

もう30年くらいのお付き合いのサークルです。

続けてきたものを「あっぱれ」と褒められて、

ジーンときました。

   

 

サークル「21の会」はまだまだ続きます。

ブログ「ここでも道草」も終わりません。

2022年3月26日 (土)

番画〈765〉:被爆者、坪井直さんの遺言

    

今日は令和4年3月26日。

  

番画です。

  

〈765〉「NNNドキュメント’22 あきらめない 被爆者

  坪井直の遺言」(2022年3月14日放映)

  

〇坪井直さんについては、以前記事で書いた事がある。

 検索して調べた。

 ※ここでも道草 「きのこ雲の下で何が起きていたのか」その5/坪井直さんの証言(2016年8月11日投稿)

 2015年の番組を1年後に記事にしたもの。

 読み直してたくさん思い出した。

 しっかり聞き書きをしている当時の自分に感謝。

 ついでにこの記事でリンクされていた次の記事も読む。

 ※ここでも道草 オバマ大統領と「核なき世界」(2016年6月20日投稿)

〇坪井さんは昨年10月24日に96歳で亡くなる。

 被爆地広島の顔だった。

〇「決してあきらめないようにしてほしい」

 「ネバーギブアップ」

 「ネバーギブアップは捨てはしませんよ」

 「死ぬるまで、最後の息が止まるまで、核兵器廃絶やるで」

〇広島テレビには坪井さんの映像がたくさんある。

 最初は36年前。

〇坪井さんは教員をしていた 校長で退職

 退職してから、核廃絶運動に積極的に関わる 語り部になる

〇坪井さんは1925年5月5日生まれ。

 20歳で被爆。

 爆心地から1.2kmの位置。

〇御幸橋に行き着く。写真に写る。(上記2016年の記事参考)

〇「せっかく生きたんだから みなさんの力で生きたんだから

 お返ししたいというのは それはずっと続く」

〇1946年に中学校の数学の先生になる。

 自らを「ピカドン先生」と言って被爆体験を語ってきた。

〇「被爆者は長生きできない」という偏見から、

 恋人の鈴子さんとの結婚を反対される。

 2人は睡眠薬を飲んで心中を図る。2人は生き残る。

 坪井さんはすごい体験をしていた!

 出会ってから7年後に2人は結婚。3人の子どもに恵まれる。

 鈴子さんは1992年59歳で亡くなる。

〇「心を込めて、ノーモア広島 ノーモア長崎 ノーモア被爆者」

〇アメリカには憎しみがあった。

〇エノラゲイが復元されて展示された。坪井さんは見に行った。

 しかし原爆による被害は紹介されていない。

 被害が紹介されることを望む。

〇坪井さんは癌、狭心症、慢性の貧血に悩まされる。健康体ではなかった。

〇2016年5月 オバマ大統領が広島を訪問。

 現職アメリカ大統領の訪問は初めて。

 「まずは一歩として評価したい」

 謝罪を求めなかった坪井さん。

 憎む・恨むでは「それでは世の中、人類は幸せになれん」

〇広島テレビが最後に聞いた言葉。

 「核兵器がなくなったら、それでいいのか。

 原爆がなくなったらいいのか

 他の方法も見なきゃいけない

 人間のこれ悪知恵ですよ。

 それだけで終わっちゃいかん

 もっと考えなきゃいかん」

 核兵器無き後まで考えていた坪井さん。

〇「私の目が黒い間に 核兵器がなくなることは

 あり得ないかもしれない それが現実ですよ

 しかしその道が つぶれなければいい

 私の行った道を一緒に歩いてくれる人がおればいい と思う」

  

   

坪井直さんの言葉を聞き書きしてみました。まさに遺言です。

核兵器の廃絶は、坪井さんもオバマ大統領も、

自分が生きている間に実現するのは難しいと言っていました。

それが現実かもしれないけど、言い続けないとね。

あらためてそう思わせてくれた30分番組でした。

番画〈764〉:チコちゃん 川沿いの桜並木 千切りキャベツ 色鉛筆と”ろう”

    

今日は令和4年3月26日。

  

番画です。

   

〈764〉「チコちゃんに叱られる」

  (2022年3月26日放映)

  

〇疑問:なんで桜並木は川沿いにあるの?

〇チコちゃんの回答:花見客に地面を踏み固めてほしいから

〇8代将軍徳川吉宗のアイデアという説

 授業で使える1本

  

〇とんかつに千切りキャベツがつくのはなぜ?

〇チコちゃんの回答:日露戦争で人手不足になったから

〇千切りにすると、イソチオシアネートという成分が出る。

 揚げ物のうまみを引き立てる成分。

〇とんかつ屋で千切りキャベツのおかわりができる店もあった。

 必ずおかわりしていた。

  

〇世界のことわざ

 タイ「振りかけたパウチ―」

 おいしくない料理もごまかしてしまう。

 意味:見た目がよく中身がともなわない

 中国「馬馬虎虎(マーマーフーフー)」

 頭が虎、体が馬の絵→売れない

 意味:いいかげん

  

〇なぜ色鉛筆は消しゴムできれいに消せないの?

〇チコちゃんの回答:ろうがとけて固まっているから

〇色鉛筆にはろうが使われているんだ 

 ろうが紙の繊維の間に染み込む。

〇色鉛筆ができてから250年と言っていた。

 思ったより古い。

※参考:色鉛筆の豆知識

 このサイトから引用。

   

色鉛筆が最初に登場したのは1795年。フランス人のニコラス・ジャ

ック・コンテが硫黄の代わりに粘土を黒鉛と混ぜ、焼き固めて芯を

作ることを発明しました。しかし、この時の色鉛筆は赤褐と白の2色

だけ。多彩なものができたのは19世紀中頃以降、イギリスやドイツ

で顔料と粘土の配合加工で生まれました。 

  

 なるほど。

 このサイトにも、消しゴムで消せない理由を説明していた。  

2022年3月25日 (金)

中断していた新聞の購読がスタートした日

     

今日は令和4年3月25日。

   

退職間際のラストスパートのために、

1月1日から新聞の購読をストップしていました。

番画をたくさん見て、本も読みたし・・・

新聞まであると、読まなくてはいけないという強迫観念に

さいなまれてしまいます。

この気持ちは理解してもらいづらいかもしれません。

新聞は届くのに、その新聞を読む余裕がない状態が、

辛かったのです。

家族の同意を得て、購読をストップしていました。

  

今日から購読スタートです。復活です。

気持ゆったりと新聞を読むことができました。

3月30日の新聞では、異動記事の退職者の欄に名前が載ります。

それも楽しみ。

退職後の生活では、新聞からもいろいろ情報を得ようと思っています。

新聞記事からなにか行動が始まる可能性もあります。

  

やっと正常に新聞とつき合える日々がもどってきました。

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楽餓鬼

今日はにゃんの日

いま ここ 浜松

がん治療で悩むあなたに贈る言葉