「疑惑 JAL123便墜落事故」② ヘリがつり上げていた物体とは
今日は令和4年3月28日。
前記事に引き続き、
「疑惑 JAL123便墜落事故
このままでは520柱は瞑(ねむ)れない」
(角田四郎著/早稲田出版)
より引用します。
そして、8月27日事故調査委員会は中間報告を公表、隔壁破壊が
この事故の主因であるとする説に力点を置いたものとなった。これ
には多くの異論や疑問も出たのであるが、9月7日各紙夕刊が報じ
た6日付ニューヨーク・タイムズ紙の記事が全てを決したのである。
それはボーイング社の7年前の修理ミス自首声明である。
(181p)
事故があった1985年のことです。
ボーイング社が大阪空港でのしりもち事故の時の隔壁修理に
ミスがあったと発表したのです。
「隔壁破壊説」に世論が向かうのに好都合なニュースでした。
この発表の前、8月18日頃、ボーイング社はいわゆる「隔壁破
壊説」には、キッパリと否定のインタビューを行っていたのであ
る。発表後も「ただし、この修理ミスは事故の原因とは関係はな
い」とコメントしている。
(183p)
ボーイング社に何か大きな力が働いた感じです。
かくして、昭和62年(1987年)6月19日に出された運輸省
航空事故調査委員会の「最終報告書」にいたるまで、一貫して事故
原因は隔壁説が貫かれ、他説の考察や否定は行われずに調査は完結
したのである。こうして振り返ってみると、隔壁説にそぐわない証
拠は、全く登場してこないことが、逆に非常に不自然に見える。
(185p)
最終報告書が出されたのは1987年のこと。
結局それが「最終」のまま、現在に至っています。
事故調査委員会の原因究明作業が一貫して「隔壁破壊説」の組み立
てを目標にして行われたように私には見える。むろん「隔壁説」が
、一点の疑念を生む箇所もなく他説を科学的あるいは論理的に、し
かも物的証拠をあげて否定する過程で、最終的にこの説以外に考え
られないとされるなら説得力もあろう。しかし現実的には事故発生
から三日も過ぎぬあたりから、全てを「隔壁説」に都合よく調査作
成されて来たやり方には、大きな疑惑を抱かざるを得ない。
(187p)
「三日も過ぎぬあたりから」に驚きます。
とにかくこじつけがほしかったのでしょう。
にもかかわらず、運輸省航空事故調査委員会がかくもこの説(隔壁
破壊説)に固執し、他説を一切受け付けようともせず、まるでこれ
以外に原因は考えられないごとくに結論を出している。
そうしなければならない理由とは、一体なんであろうか。
(211p)
それほど最終報告書は滑稽なものなのでしょう。
「そうしなければならない理由」に著者の考えは及びます。
事故調査委員会は何故、「隔壁説」をデッチ上げなければならなか
ったのであろう。私は委員や調査官個人にその理由があったとは思
えない。むしろ、その矛盾に気づき心痛めながらも彼らに及んだ大
きな力に抗しきれなかった姿を感じてならない。最終報告書を記者
団の前で読み上げる武田峻委員長の震える手、引きつった声、そし
て落ち着きを失った目と疲れ切った表情をテレビで見た。これが、
航空宇宙技術研究所所長、航空宇宙学会会長、東大卒・工学博士の
輝かしい経歴を持つ武田氏なのだろうか。
(270p)
この本は図書館に返してしまう本です。
どんな本であったか、思い出すために、印象に残った文章を引用中です。
武田峻委員長はこのような表情だったんだ。
深井氏一行が現場にいた時間内に「生存者」の救出は断じてない。
では、空挺団がヘリでつり上げていた物体とは一体なんであろう。
(中略)まして、機体破片を収容することなど警察の検証も始まら
ぬ前にはあり得ないのである。
(295p)
生存者の救出前に、ヘリがつり上げていたものがあるというのです。
そこにあってはまずいものを運んでいたのでしょう。
墜落現場の捜索にしても、墜落現場での救難作業にしても、あまり
に不可解な疑問が多過ぎはしないか。そして、その言いわけも陳腐
である。本気で生存者の有無をつかみ救出しようとする気があった
のであろうか。へたに生きていてもらっては困る事情でもあったか
のようにさえ思える一連の行動である。自衛隊というより防衛庁の
ほうにより深い疑惑を向けざるを得ない。
(301p)
するどい指摘である。
生きていてほしくなかったのです。
恐ろしいことです。
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