英雄たちの選択「どうした?石川数正」
今日は令和5年8月31日。
最近は、YouTube動画を頻繁に見るようになり、
テレビ番組を見るのは、とても疎かになっています。
でもきっかけを与えてくれるかたがいたので、
今日は、昨晩放映の
「英雄たちの選択 どうした?石川数正
〜なぜ家康の忠臣は出奔(しゅっぽん)したのか〜」を見ました。
勉強になったことをここに書きます。
「英雄たちの選択」は、冒頭で磯田道史さんが、
今日の人物を一言で評するところに注目しています。
今回は、こう言いました。
そうなんだ。
他の人のために頑張った人なんだと思います。
自分が、自分がと表に出ずに、
援助していきた人なんだなあと思いました。
大河ドラマ「どうする家康」でよく登場し、
先週は、ほぼ石川数正が主人公の回だったこともあって、
いろいろ調べた上で、磯田さんの言っていることが、
共感できました。
今回のゲストは豪華でした。
大河ドラマの監修をしている平山優さん、
お城と言ったら、すぐに登場する千田嘉博さん、
そして国際交渉人という世界を股にかけて活躍していた
島田久仁彦さん。
「英雄の選択」ではレギュラーが集まった感じでした。
今回の選択はこれでした。
なぜ石川数正は出奔したのか。
その理由でした。
そして3人のゲスト、そして磯田さんを含めての4人が、
全員2番の「徳川を守るために出奔」としました。
全員の意見が揃うのは珍しいのでは。
磯田さんが言うには、江戸時代、明治時代くらいまでは、
石川数正はとんでもない極悪人と言われていたようです。
何せ、家康を裏切って、秀吉のもとに行ったのですから。
江戸時代に評判が悪いのは想像がつきます。
それが研究が進むにつれて変化してきました。
天正13年(1585年)11月13日に、
石川数正が出奔したのは、
徳川を守るためだと思われるようになったのです。
石川数正は評価されるようになったのです。
良かったですね。
歴史家が、資料を探し、研究してきた結果だと思うと、
評価を180度変えてしまった歴史家に人たちは、
すごいなあと思います。
大河ドラマ「どうする家康」で、
石川数正がどう描かれるか、気になるところです。
徳川を守るために、石川数正は何をするのか。
脚本家の想像力に期待してみたいです。
家康を軍事力で服従させたかった秀吉が、
天正大地震によって、大きな損害を被ったので、
軍事力を諦めて、外交力で服従させようと動いたと
番組では説明されていました。
私は、天正大地震によって、
家康は助けられたと考える人なので、
納得して見ました。
※ここでも道草 天正大地震で埋もれた帰雲城のテレビ番組がある!(2021年5月5日投稿)
※ここでも道草 天正大地震が起きていなかったら(2023年8月3日投稿)
嬉しいことに、予告によると、
今度の日曜日の「どうする家康」でも天正大地震が描かれます。
楽しみです。
天正大地震で、歴史は動いたのです。
ちなみに、天正大地震があったのは、
石川数正が出奔した日から2週間後の11月27日です。
石川数正にとって、この大地震は好機になったのだろうか。
松本城は石川数正が作ったのですね。
そうだったんだ。
最近知りました。
かしまし歴史チャンネル 石川数正は、なぜ家康のもとを離れて秀吉のもとへ走ったのか?
この動画で説明していましたが、
松本城が黒いのは、秀吉好みなのだそうです。
大坂城は、秀吉が作ったものは、黒かったそうです。
そして金箔が使われました。
松本城も金箔が使われていたそうです。
「英雄たちの選択」では、石川数正が城代を務めた岡崎城も、
そして松本城も、馬出しというスペースが作られているのが
特徴だそうです。
馬出しは、武田家の得意技。
そこに騎馬隊を置かせて、敵に攻撃を仕掛けるもの。
石川数正の城は、深い堀を作って守りも堅固だったけど、
攻撃にも長けた城だったようです。
石川数正が出奔したことで、家康も秀吉も良かった。
「WinWinでしたね」とアナウンサーが言っていました。
今思えば、石川数正は正しいことをやったんだと思います。
よくそんな決断ができたものです。
調停役の石川数正を秀吉が殺す可能性もあったそうです。
それが宣戦布告になって、秀吉が軍事力で家康を倒す可能性です。
したがって、苦しい立場であったのを、
石川数正は、見事に正しい動きをしたと言えます。
結論。
今の時代、人々はとっても石川数正に好意的です。
良かったです。