日帰りで奈良へ6・・・遣唐使船
今日は8月11日。
8月8日のことをうっています。
大極殿を見た後に出向いたのは、復元展示されている遣唐使船です。
平城宮歴史館と併設されていて、
歴史館から遣唐使船に乗り込むことができるようになっていました。
最初に目についたのは、帆です。
布製ではありませんでした。
「網代帆(あじろほ)」と呼ばれる帆でした。
説明板の文章を引用します。
【網代帆】
「吉備大臣入唐絵詞(きびのだいじんにっとうえことば)」には帆が描かれていませんが、
他の絵巻物では遣唐使船には網代帆を描いています。
網代帆は竹や葦を薄く削った物を平らに編んで作った網代を
竹で縛ってつなぎ合わせた帆です。
網代帆は堅い帆ですから意外に性能が良いのですが、
風が網目から抜けるのと重いのが欠点です。
中国では19世紀ころまで長い間使われ続けました。
布の帆は風を受けると袋のようになりますので、
布製が普及しても中国では帆に竹を結びつけて
帆が袋のようになるのを防いでいました。
日本では網代帆を使わず藁(わら)を編んだ筵(むしろ)を
つなぎ合わせた帆を使いましたが、
遣唐使船や江戸時代の朱印船などの絵画では
網代帆が描かれています。
なるほど。網代帆と麻布の帆の併用もあったそうです。
19世紀まで中国では網代帆が使われていたと読んで、
すぐに思い浮かべたのがアヘン戦争(1840年)の有名な絵。
この中国の帆かけ船は、網代帆だと思われます。
4月下旬のお昼の番組で、平城宮跡の遣唐使船のことをやっていました。
それ以来、この遣唐使船に実際に触れてみたいと思っていました。
実現。じっくり見てきました。
この緑の格子窓・・・連子窓(れんじまど)もです。
※参考:5月5日の投稿http://mitikusa.typepad.jp/blog/2010/05/post-90c2.html
帆で進む船ですが、場合によっては漕ぎ手が漕いで進むことがありました。
漕ぎ手の建つ場所も見てきました。
海原の中で、ここに立つのは怖いことだと思います。
この場所のことを、「艪棚(ろだな)」と言うそうです。
艪棚の下には、写真のように竹の棒が束になって縛り付けられています。
復元のために参考にした絵に描かれていたことから、
復元したのですが、
竹の棒が何に使われたのかは不明だそうです。何だと思いますか。
救命具?
さて次は唐招提寺です。(つづく)
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