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2022年3月12日 (土)

「おれは一万石 囲米の罠」読破/献残屋という商い

      

今日は令和4年3月12日。

   

この本を読みました。

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「おれは一万石 囲米の罠」(千野隆司著/双葉文庫)

  

通算9冊目。最初から数えて第8弾。

引用します。

  

「江戸廻米の触(ふれ)は、昨年の十二月に出されただけではありま

せぬ。定信様が老中になる前の三月や五月にも、藩を特定して廻米の

触が出ておりました。越後高田藩、白河藩、二本松藩、会津藩などの

東北諸藩です。

「そういえば、大坂城の城詰米も江戸への廻送が命じられたな」

これは大坂定番を務める舅(しゅうと)正国からの文で知った。城詰

米は、大坂城の兵糧米の役割も果たす、軍事上の重要物資だ。それを

江戸へ回してしまうのは太平の世だから許されるとしても、きわめ

て異例な話である。

(20~21p)

   

大坂からの廻米について、思い出すことがありました。

大塩平八郎の乱の原因の一つだった記憶が・・・

Wikipedia 大塩平八郎の乱

☝ ここに次のような記述がありました。

  

前年の天保7年(1836年)までの天保の大飢饉により、各地で

百姓一揆が多発していた。

大坂でも米不足が起こり、大坂東町奉行の元与力であり陽明学者で

もある大塩平八郎(略)は、奉行所に対して民衆の救援を提言した

が拒否され、仕方なく自らの蔵書5万冊を全て売却し(六百数十両

になったといわれる)、得た資金を持って救済に当たっていた。

しかしこれをも奉行所は「売名行為」とみなしていた。

そのような世情であるにもかかわらず、大坂町奉行の跡部良弼(老

中水野忠邦の実弟)は大坂の窮状を省みず、豪商の北風家から購入

した米を新将軍徳川家慶就任の儀式のため江戸へ廻送していた。

    

大坂も米がないのに、とんでもないことをするとその時は思いました。

しかし、この本を読むことで、当時は江戸が中心に考えられていて、

江戸の市場価格を正常に戻すために、他地域の事情に関係なく、

廻米が行われていた可能性があることがわかりました。

少々納得です。

  

  

「今後は、こうした新物が増えますぞ。大いに助かります」

浮き浮きとさえしている、奏者番が将軍家に近侍する役目であるこ

とは分かるが、どれほど進物の対象になるのか、正紀には考えもつ

かない。ただ井尻は大きな期待を寄せている。

「受け取った品には、不要なものもあるのではないか」

「その場合には、売りまする」

不要な進物を買い取る、献残屋(けんざんや)という商いがあるそ

うだ。これは初めて知った。

(90p)

   

井上正紀が養子に入った井上家の当主正国が奏者番に

なるという。そうすると進物(しんもつ)を持ってくる

者が増えるのだそうだ。その進物のうち不要なものを売る

商い「献残屋」・・・・この本はこんな江戸時代の勉強ができます。

こんな本もあるそうです。

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「まいない節 献残屋佐吉御用帖」

  

好奇心は止まらない。

その気になれば、どんどん連鎖していきます。

「おれは一万石」シリーズにのめり込んだのも、

もとは、札差(年貢米を金にかえる業者)が

登場する小説だからがきっかけでした。

ここでも道草 「おれは一万石 商武の絆」読破(2021年11月23日投稿)
  

  

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