「きのこ雲の下で何が起きていたのか」その5/坪井直さんの証言
今日は8月11日。
前投稿に引き続き、昨年の8月6日放映の
「NHKスペシャル きのこ雲の下で何が起きていたのか」
の聞き書きをしていきます。
写真に写っている人たちが何をしているかという視点で
話が進みます。
ナレーター:この人は、草履を脱ぎ、足に何かを塗っています。
足元には、四角い箱のようなものが転がっています。
少し離れた場所で、見ていた人がいました。
この男性↓が、今も健在でした。
坪井直さん。90歳。
人々は、やけどを負った体に、油を塗っていたのだと言います。
坪井さんも、塗る順番を待っていました。
足元に転がっていたのは、食用油の缶でした。
やけどの応急処置に使うよう指導されていました。
坪井さん: 菜種油を持ってきたんですよ。
食用油ならいいの、それで。
ところが一人ずつ丁寧にできゃあせえわな。
みんながぶいぶいぶいっと、どうでもいいやっと、
手をつっこんだりする。すぐなくなる。
ナレーター:坪井さんは当時20歳(はたち)。
広島工業専門学校の学生。
将来、エンジニアになって、人の役に立ちたいと考えていました。
被爆したのは、爆心地から1.2㎞の屋外。
2人に1人が当日亡くなった距離です。
熱線で背中や顔に大やけどを負いました。
耳の半分がちぎれました。
周りには、助けを求めながら炎にのまれる人、
目玉が飛び出たまま歩く人。
坪井さんは、治療してもらえる場所を探してさまよいます。
3時間かけて、ようやくたどり着いたのが、御幸橋でした。
瀕死の状態で橋のたもとにたどり着いた時、
周りを見て、死を意識したと言います。
(坪井さんの)目の前でうずくまる若い女性。
裸の上半身は、 焼けただれていました。
人々の奥に見える足。
油を塗る気力もなく、横たわったまま
亡くなっていく人の姿だと言います。
その周りにも倒れた人が何人もいました。
坪井さん:もうどうしようもない。
死ぬ者は死ぬというような状況。
まあ、死の前のような雰囲気。
ナレーター:坪井さんが見た光景を、
取材でわかった人々の声とともに、再現します。
前投稿と同じように、映像を見てください↓
(24:30過ぎからスタートです)
これまた強烈な映像です。
黒い人影だったものが、白黒ではありますが、
さっと人間の姿になる瞬間はドキッとします。
そして動き出す。でもほとんど動けない。
動けないことが、その人の命が消えそうになっていることを
表現していました。
聞き書きに戻ります。
ナレーター:坪井さんは手元にあった石で、
「坪井はここに死す」と地面に書きました。
坪井さん:俺は20歳でもう終わりかあ。
それは寂しかった。
最後にね、もう誰も助けてもらえないと思っているんだから。
「ここで死ぬ」と書いたんだからね。
寂しいというか情けないというか・・・
ナレーター:人々が瀕死の状態でたどり着いた御幸橋。
ここは生と死の境界となっていたのです。
坪井さんは、オバマ大統領が広島で演説した時に、
その場にいました。
そしてオバマ大統領とも言葉を交わしていました。
※ここでも道草 オバマ大統領と「核なき世界」(2016年6月20日投稿)
まだつづきはありますが、次の投稿から別のネタで書きます。
明日までこのネタはお休み。
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