「維新前夜」① 20代では読むことができなかった本
今日は令和3年8月3日。
前記事で書いたようには
朝起きることができませんでした。
また明朝、挑戦です。
この本を読みました。
「維新前夜 スフィンクスと34人のサムライ」
(鈴木明著/小学館)
この本を読むきっかけは、この記事で書きました。
(2021年7月26日投稿)
この本は昔、私の本棚にありました。
この本の表紙は覚えていました。
しかし、読んだかどうかは定かではありませんでした。
時々書棚を処分整理する時があって、
読んでいない本も捨てる時があります。
置く場所がなくなるからです。
買った時には読みたいと思った本でも、積ん読しているうちに、
心が離れてしまう本もあるのです。
本棚を探しても、「維新前夜」は見つからないので、
きっと捨ててしまったのでしょう。
それなのに、縁あって、再び自分の手元に本がやってきて、
読破することができました。
おそらく読んだことがなかった本です。
1988年発行の本です。
まだ20代の私は読むことができませんでしたが、
60歳で読むことができました。
「万波を翔る」の主人公は田辺太一でしたが、
「維新前夜」では田辺太一は横に位置して、
主人公は三宅復一(またいち)、
そして副主人公として名倉予何人(あなと)として、
幕末期の遣仏使節団の往復の様子が描かれていました。
現在、幕末期の幕府方の役人の話がマイブームになっています。
引用していきます。
使節団は、パリに向かう往路でカイロに寄り、
エジプトのピラミッドの頂上まで登っています。
頂上付近に来て上を見ると、すでに山内などが立って、悠然と四方を
眺めていた。復一も、このとき初めて後ろを見た。
ここには、地上では考えられないほどの広大な地平線が、遥か彼方ま
で広がっていた。たしかに、そこに見えるものは、唯茶色に焼けただ
れた砂漠だけである。
しかしここで、復一は登りはじめたときには想像もしていなかった、
大きな感動を味わっていた。唯、山であるというだけなら、日本にも、
もっと高く、見晴らしのいい山は沢山ある。しかし、これは山ではな
い。人間がーーーどのような人間であったかわからないにせよーーと
にかく同じ人類が作りあげた途方もない構築物なのである。それはま
るで「人間は、こんなことまで出来るのだ」と、他の人間をあざ笑っ
ているように感じられるほど、想像を絶する巨大なものなのであった。
(72~73p)
後のページで、パリの凱旋門の上からの景色を見て、
驚いているシーンも描かれている。
今は高層ビルができ、東京スカイツリーもあったりして、
高い人工物の上から景色を見る体験はそれなりにしています。
でも幕末期の人たちにとって、それはすごいことであって、
上記のように感じるのだと思います。
フェリス・ビアトーが『ロンドン・ニュース』の特派員として日本に
やってきたのは、文久三年、1863年の秋であった。復一が、ヨー
ロッパへの夢をふくらませていた、丁度その頃である。翌元治元年(
1864)9月5日(西洋暦)フェリスはイギリス、フランス、オラ
ンダ、アメリカの四国連合軍による長州藩砲台攻撃軍に加わった。こ
の戦闘跡の歴史的な写真は、現在も残されている。幕末、明治維新を
通じて、日本における「戦争写真」は、この世にたった一枚、この写
真が残されているだけである。
その後フェリスは、明治元年前後の日本の風俗、景色に魅せられ、江
戸の各名所をはじめとして、鎌倉、富士山、箱根などの信じられない
ほど美しい写真を撮りまくった。やがて、これらの写真は、本物の写
真を貼りつけた、珍しい写真新聞『ザ・フォー・イースト』の発行と
なって、日本を世界に紹介する重大な役割を果たすのである。
(80p)
ビアトーの名前は聞いたことがあります。
この世にたった一枚の写真が気になります。
ネットだと検索できます。
お馴染みではある写真です。
この1枚だけかと思うと、重要性が増します。
ちなみにスフィンクスとサムライたちの写真を撮ったのは、
兄弟のアントニオ・ビアトーです。
つづく
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