2021年7月27日 (火)

番画〈338〉:「白い灰の記憶 大石又七が歩んだ道」③

   

今日は令和3年7月27日。

   

前記事の続きです。

〈338〉「ETV特集 白い灰の記憶 大石又七が歩んだ道」

  (2021年7月24日放映)

この番画をほぼ聞き書きしてます。

   

〇佳子:ねえ、みんなから、白い目で見られて、

  お金だけもらったって、後ろ指刺されて、

  焼津にいられなくなって、雑踏の東京に紛れるように、

  出てきたわけですよね。

  いいこと何もないよ。自分ではどうしようもない、

  自分が選んだ人生ではなくて、どうしようもないかたちで、

  船のようにあっちに行きこっちに行き、

  ここまで来ちゃったような。

   

  うちでビキニ事件の話をしたことはないですね。

  (1959年 信子さんと結婚)

  やっぱりそういうのを知られると、結婚するのは大変。

  結婚できるとは思っていなかった。

  自分一人の問題ではなくて、つながっていってしまう。

  子供が生まれないんじゃないかとか、

  そういった問題を含んでいくことなので、

  やっぱり公にしたくなかった部分もあるし。

 

〇再び「NHKスペシャル 又七の海」の映像。

 北村和夫さんの朗読。

 

〇北村:うちの中は明るくにぎやかになった。

  そんな日々の中、お母ちゃんは身ごもった。

  みんな喜んでくれた。

  しかし、俺の頭の中には、忘れかけていた不安が急に

  よみがえってきた。

  被曝の影響は本当になくなったのだろうか。

  お産の日が近づき、店から1キロぐらいの所にある病院に

  入院した。朝早く、看護婦さんからの電話だ。

  すぐ来るように。

  あわててかけつけた。

  よかった。子どもは男だろうか、女の子だろうか。

  喜びの言葉を期待しながら、看護室のドアを開けた。

  だが、応対に出た看護婦さんの顔には笑顔はない。

  「お気の毒です」「死産です」

  ゆるみかかっていた顔が、動かなくなった。

  体の中を何か重いものが抜けていった。

  ベッドの前にそっと立ってだまっていたら、

  お母ちゃんはわかっていたのか静かに振り向いた。

  言葉の代わりに掛け布団をそっとひっぱてかけてやった。

  異常出産だった。

  何を考えているのか、ずっと泣いていたのだろう。

  「すまない」頭の中をあれやこれや、また悪い想像がうずまいた。

   

  死神はひとり、またひとりと仲間の命を奪いながら近づいてくる。

  「りせつりゅうしょう居士(こじ)」

  鈴木たかしさんのあの世での名前だ。

  俺にはまだその名前に馴染むことも、理解することも、

  納得することもできていない。

   

  4月29日。とうとう肝臓がんで59歳の生涯を閉じてしまった。

  「もう、終わっちゃったことだけどな」

  「入院中に先生に聞いたことがあったってよ」

  会食の席で兄さんが話しかけてきた。

  「あの病気は、水爆”死の灰”に関係あるのかねと聞いてみただよ」

  「私の口からそのことは言えない、と先生はそう言ったってよ」

   

  山本ただし機関長も、59歳で結腸がん、胃がん、肝臓がんを

  併発して、みんなの後を追った。

  山本さんへの弔辞。

  「山本ただしさん。何を言っても山本さんは返事をしてくれない。

  おととし、一番若い松田ゆういちさんが亡くなった時、

  ぽつんと山本さんは言った。いろいろとずいぶん悩んだんだろう。

  誰にも言えないつらいこともたくさんあったんだろう。

  かわいそうにな。と、参列している自分の後ろで、

  小さな声で独り言のようにつぶやいた言葉が、

  はっきりと耳に残っている。

  こうした人の心をおもいやる山本さんが、

  自分の死を目の前にして何を考え、何を思ったことでしょう。

  夜は眠れないと、奥さんに言っていたそうですね。

  たくさん、たくさん考えたことでしょう。

  切腹を待つ武士の気持ちがわかる と奥さんに言ったそうだ。

  それなら私は聞きたい。

  だれが切腹をしろと言ったのか、

  何の罪で切腹をしなければならないのですか。

  言い尽くせぬままに、お別れいたさなければなりません。

  安らかに、安らかにお眠りください。大石又七」

  

   

聞き書きしていくことで、聞き漏らしていることに気がつきます。

時間はかかるけど、時間をかけただけのことはあります。

  

でも今晩はここまで。

  

  

明日につづく。

番画〈338〉:「白い灰の記憶 大石又七が歩んだ道」②

   

今日は令和3年7月27日。

   

前記事の続きです。

〈338〉「ETV特集 白い灰の記憶 大石又七が歩んだ道」

  (2021年7月24日放映)

この番画をほぼ聞き書きしてます。

   

〇死の灰を浴びたあの日から67年。

 大石さんは何に怒り、何に希望を見出してきたのか。

 第五福竜丸元乗組員 大石又七さんの人生を見つめる。

  

〇長女の佳子さんは、このマンションで体の自由がきかない

 晩年の大石さんと7年間暮らした。

 

〇アルバムを見せる佳子さん。

 笑っていないとヤクザみたいな顔だった。

 

〇中学校を中退し、焼津でカツオ船に乗ったころの大石さんの写真。

 まだ14歳の時の写真。

  

〇佳子:船に乗ること自体、自分は乗りたくて乗ったのではないし。

  父の父親、おじいさんが保証人になって、家が破産しちゃって、

  お金がなくて、で、父親も亡くなっちゃって、しょうがなくて、

  長男である自分が船に乗って。

  何で自分の人生はこんななのよと。

  船に乗ったはいいけど、今度は被爆しちゃって、

  また世間から叩かれちゃって。

  

〇事件から38年後 58歳の大石さんをとらえた映像。

 (クリーニング店のシャッターを開けるところ)

 東京でクリーニング店を営んでいた。

 この1年前、大石さんは、乗組員の中でただ一人、

 長い沈黙を破って、自らの半生を綴った手記を発表していた。

  

〇「死の灰を背負って 私の人生を変えた第五福竜丸」

 (大石又七著/新潮社)

  

〇ここから1992年に放映された「NHKスペシャル 又七の海」の

 映像がしばらく流れる。

 もしかしたら録画しているかもしれないと思ったが、

 録画していなかった。 

 一度見てみたいと思っていた番組を見ることができた。幸運。

 北村和夫さんによる「死の灰を背負って」の朗読。

  

〇北村:閃光が見えてから2時間くらい、ふと気がつくと、

  雨の中に白い粉のようなものが混じっている。

  「何だこりゃ」思っているうちに粉はだんだん量が多くなった。

  やがて雨は止み、その白い粉だけになった。

  みんなゴム長靴にゴムのズボン、上半身は白いシャツ1枚。

  船も人も風上に向かっての作業なので、

  粉は目、耳、鼻などに容赦なく入り、まとわりつく。

  目に入るとチクチクと痛くて、目を開けていられない。

  灰を被った時点では、だれも口には出さなかったが、

  作業中に眩暈がしたり、縄をあげ終わるころには、

  頭痛や吐き気。夜になると下痢をする者も何人かいた。

  1週間を過ぎた頃、甲板長の川島さんが、髪に櫛を入れていて、

  ふと毛がぬけてくるのに気がついた。

  「えぇ~」と手に手に自分の髪の毛を引っ張ってみた。

  「抜ける」ほとんどの者が大なり小なり、引っ張ると抜ける。

  久保山局長は白い灰に危険を感じていたのか、

  「水で体を洗え」と何度も言った。

  

〇北村:ピストルのお化けのような恰好をしたガイガーカウンターを

  俺たちの身体に近づけると、フライパンで豆でも炒るような

  高い連続音がして、あわてて先生方は後ろに飛びのいた。

  これでは映画にも出てきそうな放射能人間だ。

  爪を切られ、身体中の毛は剃り落された。

  俺たちの小便は、アメリカにも送られていると聞いた。

 

〇北村:9月23日。無線局長の久保山愛吉さんが亡くなりました。

  「お父ちゃん」奥さんと3人の子供たちの呼ぶ声が、

  張り詰めた病室の空気をひきさくように響いた。

  「これでいいのか」

  遺体は7時間もかかって解剖された。

  命を奪われたあげくに、八つ裂きにされる。

  「いやだ。俺はいやだよ」

  

〇被害は第五福竜丸だけではなかった。

 のべ900隻を超える船から、魚の汚染が見つかり、

 水産業は大きな打撃を受けた。

 ビキニ水爆の半年後には、アメリカに対抗して、

 ソビエトが核実験。(地上での実験)

 日本に降る雨の中からも、放射性物質が検出されると、

 放射能パニックが広がっていく。

 広島、長崎につづく、3度目の被曝。

 原水爆禁止の訴えは、国民の3人に1人が署名するほどの

 高まりを見せた。

 署名運動は翌年、原水爆禁止世界大会に発展。

 ビキニ事件は核兵器反対運動の原点となっていく。

 

〇一方、反米感情の高まりを恐れた日米の政府は、

 解決を急いだ。

 事件から10か月後。アメリカが7億2000万円の見舞金を

 日本に支払うことで合意。アメリカの責任は今後一切問わないという

 政治決着だった。

 大石さんたちには、1人あたり200万円の見舞金が

 支払われるようになった。

 事件から1年2カ月。

 (大石さんたちは)東京の病院を退院。故郷に戻った。

 しかし、多額の見舞金を受け取ったことで、

 大石さんたちはいわれのない、妬みや偏見にさらされる。

 「お金の一部を拝借したい」「見舞金は寄付すべきだ」

 大石さんたち乗組員は、被害者であるのにも関わらず、

 沈黙を余儀なくされていった。

 そして事件は急速に忘れられていく。

    

  

ここまで番組の13分30秒ほど。

まだ4分の1に至りません。

  

つづく

番画〈338〉:「白い灰の記憶 大石又七が歩んだ道」①

     

今日は令和3年7月27日。

   

番画です。

   

〈338〉「ETV特集 白い灰の記憶 大石又七が歩んだ道」

  (2021年7月24日放映)

   

〇充実した1時間番組だった。

 この番組をどうやってこのブログにまとめようか。

 やっぱり焦らずに少しずつ書き留めていこう。

 

〇大石又七さんの長女佳子さんが何枚も魚拓を紹介。

 大石さんは釣り好きであり、

 魚拓にした後、大石さんが魚をさばいて、刺身にした。

 (事件について)語っていなかった時は釣りばかりしていた。

  

〇佳子:年を重ねるにつれて、父自体が変わっていった。

  自分たちがこれから歩んでいく未来の問題として

  原爆とか原子力とかそういうものを考えていってほしいな。

  そういう期待。

  

〇20歳の時に第五福竜丸で人生を変える事件に遭遇していた。

 

〇大石:ピカッと光ったような光ではなかったね。

  遠くで何か光ったんだな。

  何か白いものが落ちてきたけど、

  きょろきょろしてましたよ。

  ”死の灰”とか何とかっていうこと

  頭にないからね。

  

〇1954年 太平洋のビキニ環礁で行われたアメリカの水爆実験。

 3月1日 水爆「ブラボー」

  

〇爆心から160km離れたところにいた大石さんたちに、

 ”死の灰”が降りそそいだ。

 乗組員が浴びた被ばく線量は、致死量の半分近くに達したと推定される。

 

〇静岡県焼津港に戻った大石さんたちは全員入院。

 「急性放射能症」と診断された。

 輸血などの治療が行われたが、半年後に1人が亡くなった。

 広島・長崎に次ぐ第3の被爆として、

 このビキニ事件は日本人に衝撃を与えた。 

  

〇大石:大きい事件が起こっても、時間がたてば消えていきますよね。

  (ビキニ事件は)過去の出来事ではなくて、

  現在ももっと大きく意味を広げて、大きくなってきている事件だと

  私は思っているんですよ。

  

〇大石又七さんは、2021年3月7日に87歳で亡くなりました。

  

〇50代の頃から大石さんは、忘却に抗うように、

 自らの体験を語り続けた。

 

〇大石:雪が降るわけでもないだろうに、

  なんでこんな白いものが降るんだろう。

  それがこの辺に(首・顔)、いっぱいつくわけですよね。

  雨と一緒になって。

  この辺についたやつをかんでみると固いんですよね。

  砂みたいにじゃりじゃりして。

  

〇大石:この第五福竜丸は当時23人乗っていました。

  私を含めて23人乗っていて。

  現在は(2004年)、その半分の12人が亡くなっているんです。

  それもただ普通の病気で亡くなったのではなくて、

  被爆の後遺症と思われる

  共通した病気でみんな亡くなっています。

  私は被爆のために仲間が半分死んだんだって 

  ずっと思い続けています。

 

〇第五福竜丸展示館 学芸員 市田真理さん

〇市田:すごいテンションで、高いテンションで

  怒り続けている気がします。

  語りたい、でも語れなかった仲間の分も

  自分は生き続けるんだ、語り続けるんだ。

  

〇久々に聞き書きを始めた。夏休みだからできることかも。

 この1時間番組を書き残しておきたい。

  

  

つづく

スイカの収穫4個

         

今日は令和3年7月27日。

    

学級園でのスイカの生長は、ありがたいことに好調です。

最初の収穫は7月22日でした。

一番大きく育った1個。

恐る恐る切断しましたが、

赤い断面も見て、大喜びをしました。

味も甘かったです。

同僚にもおすそ分けしました。

  

そして今日は4個収穫。

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出校日には、学級のみんなと食べたいですね。

  

スイカを自分たちで作る。

面白い体験ができたなと思っています。

2021年7月26日 (月)

番画〈337〉:空旅中国 空海のまわり道

    

今日は令和3年7月26日。

   

番画です。

夏休みを利用して、できるだけ番画を見ていきたいです。

それが刺激になって行動につながってほしい。

生徒に見せたいと思うものも手に入れたいです。

  

〈337〉「空旅中国 空海のまわり道」

  (2021年5月15日放映)

  

〇空海についてはマンガ「阿・吽」を読んでいることで関心が高い。

 遣唐使船が漂流して、空海一行が中国南部に流れ着いた話は読んだ。

 そのまわり道の景色を追った番組。

〇804年 空海31歳。

 空海一行が流れついたのは、現在の福建省の赤岸村。

 漢民族の支配が及んでいなかった場所。

 最初上陸を拒まれた空海一行。

 空海が素晴らしい漢文の手紙を書いたことで信用され上陸を許される。

 「阿・吽」でも名場面だった。

〇閩(びん)と呼ばれる土地だった。閩は蛇を意味する。

 空海一行は閩江と呼ばれる川をさかのぼった。

〇「曜変天目茶碗(ようへんてんもくちゃわん」Wikipediaから引用。

 曜変天目茶碗は、現在の中国福建省南平市建陽区にあった建窯

 作られたとされる。現存するものは世界でわずか3点(または4点)

 しかなく、そのすべてが日本にあり、3点が国宝、1点が重要文化

 財に指定されている。

〇☝ このような内容が語られ、現在再現しようと中国人が挑戦中。

〇「江郎山(こうろうさん)」も印象に残る。

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世界紀行

〇この巨岩に比べて人間なんて小さいもの。

〇「廿八都」(にじゅうはちと)

 浙江省、福建省、江西省の3省と境を接している街。

 紛争に巻き込まれにくい場所だった。

 商売の交易地として栄えた。

 トンマッコル村を思い出した。

〇空海は川をさかのぼり、山道を歩き、峠を越え、川を下って

 本来遣唐使船がつくはずの杭州に辿り着いた。

 今回はその過程をドローン映像で辿った。

 

番画〈335〉〈336〉:モヤモヤかくれんぼ 56歳の菓子職人からの学び

     

今日は令和3年7月26日。

   

番画です。

   

〈335〉フィッシャーズ

【第12回モヤモヤ】最後まで残っちゃいけない「かくれんぼ」をザカオの新居でやったら禁止行為が出た!?
YouTube: 【第12回モヤモヤ】最後まで残っちゃいけない「かくれんぼ」をザカオの新居でやったら禁止行為が出た!?

 

〇フィッシャーズのどのメンバーも、いい家に住んでいるなと思った。

〇珍しくシルクがぶざまな?発見をされた。

 まだ引っ越したばかりなので、物が少なく、隠れるのは難しかった。

  

  

〈336〉「情熱大陸 菓子職人 金子義明」

  (2021年4月18日放映)

  

〇金子義明(よしあき)(56)

 年が近い人の頑張りは励みになる。

〇「小さな器は、華やかなステージだ」

 見たことないような工夫を凝らしたケーキが多かった。

〇フランスのヴェルサイユにも出店している。

〇「お客さんが何を求めているかではなくて、

 自分が何を出したいか」で新しいケーキを編み出している。

 授業に応用できないか。

 自分が伝えたいと思ったことをもっと表に出してもいいのでは。

 教えなくてはならないことに振り回されている面があるぞ、自分。

〇店頭に50種類くらいのケーキ。全部オリジナル。

〇16歳で洋菓子の世界へ。フランスで勉強。

〇56歳で、新しいケーキを生み出そうとしている。

 特別支援学級でどんな社会科をするか。

 60歳でまだ悩んで、新しい授業を生み出してもいいよね。

〇ブラッドオレンジを生産している農家を訪れる。

 有機栽培に成功した農家。ここから仕入れて10年。

 「食材が生まれ育つ場所に行って刺激を受ける。

 これまでジャムにしていたブラッドオレンジで、

 いつか新しい菓子を作ろう。そう考え始めていた。」

〇自分は番画を見続けることで、何か新しいことをやるきっかけにしたい。

 

番画〈334〉:ロート製薬の新商品「デオコ」

     

今日は令和3年7月26日。

   

2日前から腰痛。

この痛みは久々です。

この土日は介護で苦労しました。

今日で治したい。ゆっくり、安静に。

  

番画です。

   

〈334〉「カンブリア宮殿 120年の老舗でも新商品続々!

  ロート製薬」(2021年4月15日放映)

  

〇目に特化したサロン。20分で2970円。

 ロートクオリティエイジングサロン

〇1899(明治32)年 調剤薬局として大阪で創業。

 創業者 山田安民

〇最初の商品は胃腸薬「胃活」・・・パンシロンの原型

〇1909年 目の流行病トラホームが流行ったことから、

 目薬を販売 当時は棒で目に差すやり方。

〇1931年 日本初「自動点眼器」を発明。

 入れ物から直接目に差すようになる。

〇1988年 米・メンソレータム社を買収。

〇山田邦雄(65)は43歳で4代目社長に就任。現在会長。

〇化粧水「肌ラボ」シリーズ 13年連続販売数№1

〇美容液「オバジ」

 邦雄が社長になってから、スキンケアの売り上げが全体の4割から

 6割越えになった。

〇男性の加齢臭対策商品「デ・オウ」

 男性の場合「2-ノネナール」という物質の増加が加齢臭の原因。

〇女性の加齢臭対策商品が出た。

 女性の場合はもともといい香りのラクトンが出ていたが、

 このラクトンが年齢と共に減少する。

 そのラクトンを補う商品。「デオコ」

〇そういえば、この商品のCMが気になっていた。


YouTube: デオコシャンプー「頭皮のオトナ臭までキレイに」篇


YouTube: 【ロート製薬】DEOCO オトナ臭までキレイに!


〇周りがニオイが気になっているのではなく、本人が気になっている。

 デオコを使うことで、ニオイが気にならなくなり、前向きになれる。

 

〇働き方改革

 2016年に副業を解禁。副業を推進している。

〇ビール造り・販売をしたり、北海道で林業の会社を起業したり。

〇副業が中心になって、ロート製薬を辞めてもいいとさえ思っている会長。

 「社員は会社の所有物ではない」

    

   

2021年7月25日 (日)

番画〈331〉〈333〉:プロフェ・ごみ収集員 要塞都市・クエンカ

    

今日は令和3年7月25日。

   

番画です。

   

〈331〉「BS世界のドキュメンタリー ”汚い銀行”の闇 

  スウェーデン」(2020年12月1日放映)

  

〇マネーロンダリング(資金洗浄)に関するドキュメンタリーだった。

 途中で意味不明になり、視聴を諦めた。半分見た。

〇マネーロンダリングには関心があったが、難しかった。

  

   

〈332〉「プロフェッショナル 仕事の流儀 自分を拾う、夢を運ぶ

  ゴミ収集員 岳裕介」(2020年12月1日放映)

  

〇岳裕介(34) 横浜市 民間のゴミ収集会社に勤める

〇横浜市 年間122万トンのゴミ 家庭ごみは自治体が収集

                 事業ごみは民間業者が収集

 これって、地元でも同じだろうか。どうなっているのだろう?

〇カラスにつつかれてゴミが散乱した場所 最後まできれいにする。

 「逃げず 見捨てず」

〇分別を呼びかける。

〇「ゴミくずのような人生」だった。若い頃。喫煙、窃盗。

 信じて付き合ってくれた現在の奥さん。

 23歳でゴミ収集の仕事に就く。

〇4年後、子どもが生まれて、頑張ろうと思う。

〇大学生の集団に「臭い」と言われたことがトラウマになる。

 底辺の仕事をしている?

 恥ずかしい。仕事をしているところを見られたくない。

〇暑い時に収集している時に、冷たい飲み物とお菓子があった。

 添えられた手紙「いつもありがとうございます/ほんの気持ちで

 すが召し上がって下さい」

 しばらく動けなかった。「自分を必要としてくれている人がいる」

〇逃げていた。

 自分自身の中で変えなきゃ。

 変えたい。

 変えていいかないと周りも変わらないし、

 恥ずかしくないことをしなくちゃいけない。 

〇とことんきれいにするようになっていく。

〇「もう俺はゴミくずじゃない」

〇子どもには、こういう仕事をしているのを、

 格好いいと思ってもらいたい。

〇プロフェッショナルとは・・・

 今自分がやっていることに対して、

 逃げずにとことんそれに打ち込む。

 諦めずに走り続けられる人がプロフェッショナル。

  

  

〈333〉「世界遺産 宙に浮く家 スペインの空中都市

  要塞都市 クエンカ」(2020年11月29日放映)

 

〇世界遺産登録 1996年

〇峡谷にはさまれた断崖の土地に家々が建つ。

 フカル川

〇街ができたのは8世紀 スペインを征服したイスラムの人々

 城塞として造られたのが最初 入口に城塞の名残がある。

〇12世紀にキリスト教徒が奪還 クエンカ大聖堂が造られる。

 キリスト教徒の街として発展 16世紀に今のような街並みに。

 500年前の高層ビル群。限られた土地に造られたため高層ビル。

〇水は、断崖に掘られた水路でもたらされた。全長12キロメートル。

 断崖に30センチほどの幅の水路。見事でした。谷には水路橋。

〇土台は石灰岩。

 石灰岩の中をくり抜いた部屋もあった。

 

2021年1月9日以降に出合えた本は39冊でした

    

今日は令和3年7月25日。

   

読んだ本を書き並べる企画は昨年の1月9日以来です。

ここでも道草 2020年8月12日以降に出合えた本は35冊でした

半年余りでどれくらい読んだのでしょう。

前回同様、書き並べることで、過去が今になり、

読んだことが力になるような気になるのです。

   

「幕末・維新人物伝 渋沢栄一」 (加来耕三企画・構成・監修/後藤ひろみ原作/中島健志作画  /ポプラ社)

     

「美貌の女帝」(永井路子著/毎日新聞社)

   

「蒼き山嶺」(馳星周著/光文社)

       

「長屋王残照記 第二巻」(里中満智子著/中公文庫コミック版)

    

「阿・吽 第8巻」(おかざき真里作/小学館)

    

「やばいデジタル ”現実(リアル)”が飲み込まれる日」 (NHKスペシャル取材班/講談社現代新書)

   

「1分間だけ」(原田マハ著/宝島社)

   

「宇宙戦争」(H・G・ウェルズ著/雨沢泰訳/偕成社文庫)

   

「羊は安らかに草を食み」(宇佐美誠著/祥伝社)

   

「メディア論の名著30」(佐藤卓己著/ちくま新書)

   

「壁にぶつかったときのマーフィー」(くらばやしひでみつ著/ スバル舎)

   

「ミステリー劇場3 宇宙戦争」 (原作H・G・Wells/ユニコム)

   

「子育てのノロイをほぐしましょう」 (赤木和重著/日本評論社)

   

「この国の不寛容の果てに 相模原事件と私たちの時代」 (雨宮処凜編著/大月書店)

   

「15歳のコーヒー屋さん 発達障害のぼくができることから  ぼくにしかできないことへ」(岩野響著/KADOKAWA)

   

「ビキニ事件の真実 いのちの岐路で」(大石又七著/みすず書房)

   

「天魔の所業、もっての外なり」(岩井三四二著/淡交社)

   

「幼馴染で婚約者なふたりが恋人をめざす話 1」 (緋月薙著/ホビージャパン)

   

「あの青い空に向かって 『障がい者と農業』新しい関係への挑戦」 (佐伯康人著/海竜社)

   

「父を撃った12の銃弾」(ハンナ・ティンティ著 松本剛史訳 文藝春秋)

   

「本のエンドロール」(安藤祐介著/講談社)

   

「スマホ脳」(アンデシュ・ハンセン著 久山葉子訳 新潮新書)

   

「スクリーンが待っている」(西川美和著/小学館)

   

「火定」(澤田瞳子著/PHP)

   

「殿様は『明治』をどう生きたのか」(河合敦著/扶桑文庫)

   

「ぼくもいくさに征くのだけれど 竹内浩三の詩と死」 (稲泉連著/中央公論新社)

   

「マンガでわかる!認知症の人が見ている世界」 (川端智著/文響社)

   

「実践事例でわかる!タブレット活用授業」 (田中博之著/学陽書房)

  

「ザリガニの鳴くところ」(ディーリア・オーエンズ著 友廣純訳 早川書房)

   

「泳ぐ者」(青山文平著/新潮社)

   

「身分帳」(佐木隆三著/講談社文庫)

   

「マゼラン最初の世界一周航海」(長南実訳/岩波文庫)

   

「『がんになって良かった』と言いたい」 (山口雄也・木内岳志著/徳間書店)

   

「子どもと楽しむ 草花のひみつ」(稲垣栄洋著/ヒダカナオト絵 /エクスナレジ)

   

「アーロン・ラルストン 奇跡の6日間」 (アーロン・ラルストン著/中谷和男訳/小学館)

  

「阿・吽 第9巻」(おかざき真里著/小学館)

   

「100日後に死ぬワニ」(きくちゆうき著/小学館)

   

「カラスをだます」(塚原直樹著/NHK出版新書)

   

「万波を翔る」 (木内昇著/日本経済出版社)

  

  

以上39冊。

休職してから読んだ本は合計181冊。

  

「300冊を超えたあたりからだったと思うが、

自分の中から言葉があふれ出すようになった。

世間のさまざまな事象に接して、

自分も何か語りたくなるのだ。」(藤原和博)

  

  

もう少しで200冊。

300冊はまだ遠い。

でも300冊が楽しみ。

「万波を翔る」小栗忠順/幕末の外国方の仕事

   

今日は令和3年7月25日。

   

前記事に引き続き、

万波を翔る(ばんぱをかける)」

(木内昇著/日本経済出版社)

より引用します。

  

  

外国方の仕事をそうたやすく他に譲ってたまるか、という意地が、

太一の内には渦巻いている。これまで万事納得のいく外交ができた

かと言えば、否やと応えるよりない。外交慣れした異人の強腰に圧

され、老獪なやり口にからめ捕られたのも事実である。

ーーーしかし。

と、太一は天を仰ぐ。異国に内政を操られることはできうる限り避

けた。薩長の暴発こそあったが、四国相手に戦をせずにここまで来

た。日本に古来息づいてきた慣習を護るため努めてきたのだ。

ーーーむろん、そんなことを言ったところで、誰もわかっちゃくれ

めぇが。

(500p)

   

大政奉還や薩長の攻勢によって、幕府の仕事が奪われる危機に臨んで、

太一が思ったことです。

幕末に外国奉行を中心に、異国とこのような交渉があったことは、

わかっちゃいなかったです。

この小説で勉強しました。

   

  

閏四月の半ば、小栗忠順(ただまさ)が新政府軍によって斬首に処

されたことを、太一は知った。小栗はお役を解かれると、すみやか

に上州に赴き、榛名山を望む権田村に根を下ろした。ここで農業に

勤しみ、余生を送る考えであったという。幕府の一時代を築いた人

物である。江戸を出る際には、彰義隊の隊長に、と懇願される一幕

もあったようだが、彼は「上様が恭順の意を示しておるではないか。

家臣としてそれに背くわけにはいかぬ」として、固辞したと聞く。

しかし新政府軍は、そうは見なかった。家族と家臣を連れ、大量の

荷と共に権田村に移った小栗を怪しみ、追討令を出したのである。

〈小栗上野介 近日その領地権田村に陣屋等厳重に構え しかのみ

ならず砲台を築き 容易ならざる企てこれあるの趣〉

おそらく小栗が、製鉄所を率先して造っていたことが徒となったの

だろう。新政府軍は小栗を逆賊と見なし、天朝に対する不敬だと結

論づけたのだ。兵を送り込み、小栗と家臣三名を捕らえると、有無

を言わさず烏川の川原で首を落としたのである。

「ろくろく取り調べることもしなかったそうです」

五月の頭、本所の仮住まいを訪ねてきた福地が、そう報じて溜息を

ついた。

「お城を明け渡し、上様の御身もご無事なのに、なにゆえ小栗様だ

けが首を刎ねられねばならなかったのでしょう・・・・」

「小栗様は開城前に江戸で無法を働いていた薩人らを取り締まって

いたから、恨みを買ったのかもしれねぇな。だがそれよりも、奴ら

にとって小栗様は恐ろしかったのかもしれねぇ」

仏国としかと手を結び、先端の技術を学んでおり、兵学にも航海術

にも通じていた小栗だからこそ、いつ謀叛を起こすかしれぬと新政

府の者たちは警戒したのだ。

(543~544p)

  

「忠順」も「ただまさ」とは読めません。

小栗忠順上野介のことも勉強できた小説でした。

新政府軍は小栗忠順を恐れたのでしょう。

しかし恐ろしい世の中だったんだなあ。

幕府の重要な役を担った人が、あっけなく殺されてしまうのだから。

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