「ぼくもいくさに征くのだけれど」① 「どうか人なみにいくさができますよう」
今日は令和3年5月22日。
この本を読みました。
「ぼくもいくさに征くのだけれど 竹内浩三の詩と死」
(稲泉連著/中央公論新社)
この本を読むきっかけは、この記事に書きました。☟
※ここでも道草 ツバメ初見日/「天声人語」詩人竹内浩三さん(2021年4月28日投稿)
「天声人語」だけで済ましたくない人だったので、
本を読むことにしました。
自分の感性を信じて、気になった文章を引用します。
街はいくさがたりであふれ
どこへいっても征くはなし 勝ったはなし
三カ月のたてばぼくも征くのだけれど
だけど こうしてぼんやりしている
ぼくがいくさに征ったなら
一体ぼくはなにするだろう てがらたてるかな
だれもかれもおとこならみんな征く
ぼくも征くのだけれど 征くのだけれど
なんにもできず
蝶をとったり 子供とあそんだり
うっかりしていて戦死するかしら
そんなまぬけなぼくなので
どうか人なみにいくさができますよう
成田山に願かけた
と『西部戦線異状なし』の一場面に自らを重ね合わせ、出征前の気持
ちを伝えている「ぼくもいくさに征くのだけれど」
(22~23p)
映画「西部戦線異状なし」には思い出があります。
かつて、ビデオテープに録画してあったこの映画を、
スクリーンを設置して、社会科の授業で見せた覚えがあります。
どれだけ見せたか覚えていませんが、ラストは見せたと思います。
戦場で生き延びてきた主人公が、
蝶に夢中になってあっけなく命を落とすシーン。
1930年の映画です。
映画監督をめざしていた竹内浩三さんも、
この映画を見たことでしょう。
詩「ぼくもいくさに征くのだけれど」について、稲泉さんの文章。
なかでも、「ぼくもいくさに征くのだけれど」と迷い沈みつつ、「
どうか人なみにいくさができますよう」と願う彼の言葉が、とくに
竹内浩三という人間の本質を表しているようで、強く胸を打つ。そ
こには、胸を張って国のために戦おうとする凛々しさがなく、世の
中が認めた「普通」の価値観に自身を溶け込ませたいと願いながら、
心の奥底では自身の運命に打ち震えていた青年の姿がちらついてい
る。
(24p)
「どうか人なみにいくさができますよう」は新鮮な言葉でした。
戦時中にこんなふうに思っていた人がいるんだと思いました。
素直な心情描写によってドキッとさせられました。
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