「がんになって良かった」と言いたい①
今日は令和3年6月26日。
この本を読みました。
「『がんになって良かった』と言いたい」
(山口雄也・木内岳志著/徳間書店)
この本はたくさん引用したいと思いました。
死を目の前にした著者が書いたことを
書き留めておきたいと思いました。
がんは日本人の死因の第一位に長年君臨してきた。僕の祖母もその
ひとりで、がんに侵されて昨年この世を去ってしまった。自分もい
つかは侵されるだろうと心の片隅ぐらいには思っていた。
だが流石に早くないか?
祖母のお見舞いに行った、まさしくその病院に、ちょうど一年後、
自分が入院する。同じくがんで。
十代でがんだなんて、ドラマや映画、あるいは自己とはかけ離れた
遠い世界のドキュメンタリー番組のイメージだった。自分にとって
は、もはやフィクションと言っても過言ではなかったのだ。それが
今、もう既にこの体を蝕んでいるという。自分の体の中で、自分の
細胞が、わけの分からない突然変異によって無秩序の増殖を開始し、
どういうわけか自らが自らを侵しているという。その勢いはとどま
ることを知らない。転移さえしている。
どうしてそんなことをするんだ。殺すのか。気が狂っているのか。
やめてくれ、頼むからやめてくれ。
(36p)
自分もいつかは癌に侵されるのだろうと思っています。
でもまだ幸いにも現在は侵されていないと思っています。
山口さんもそう思っていたのに、十代での癌告知。
その時の気持ちがよく伝わってきます。
髪の毛が湿ったまま、まだ少し濡れた手でスマホを充電コードから
引き抜いて、ロックを開けてプラウザを開く。検索ボックスに自分
の病名を打ったところまでは良かった。それはすぐにできた。本当
に簡単なことだった。
[縦隔原発胚細胞腫瘍 非セミノーマ]
予測変換でスラスラと出てくる。
問題はそれからだった。検索ボタンを押すことに躊躇いが生じる。
恐怖心にも似た好奇心か、それとも好奇心のような恐怖心か。葛藤
というか悶絶というか、その末に検索ボタンに手をかけた。
サッと画面が切り替わる。
スマホの小さなスクリーンに、所狭しと検索結果が並ぶ。
胚細胞腫瘍(縦隔原発)
5年生存率 40~50%
縦隔原発胚細胞腫瘍は予後不良(poor prognosis)な疾患とされて
おり・・・
違う、そんなはずはない。
別のサイトに飛んだ。ふと、ひと昔前の臨床データが目に留まった。
【症例】
非seminomas型
1.48歳 女 1年後死
2.46歳 男 1年後死
3.36歳 男 4カ月後死
4.44歳 男 5カ月後死
5.28歳 男 6カ月後死
6.18歳 男 1年後死
7.26歳 男 5カ月後死
8.26歳 男 2カ月後死
9.42歳 男 11カ月後死
10.68歳 男 8カ月後死
11.22歳 男 3カ月後死
12.25歳 男 6カ月後死
13.31歳 男 観察中3か月生
何かが、言葉では決して表現することのできない途轍もない何かが、
自分の身体の真上から落ちてきた。
膝から崩れ落ちた。床にスマホを落とした。
意味がわからなかった。
死ぬのか?俺が?一年足らずで?
何ひとつ、本当に何ひとつとして理解できなかった。
奇妙な感覚だった。喜怒哀楽いずれでもなく、また怖いでも悔しい
でもなく、形のない灰色の煙のような感情が僕のなかで渦巻いて、
ただただ呆然としていた。
(58~61p)
引用することで、山口さんの追体験をしたいのかもしれません。
この本の文章は、山口さんがブログに打った文章です。
山口さんも、こうやってパソコン(スマホかな)に向かって
思いを打ったのだろう。
病名を検索ボックスに打ち込んで調べる時の気持ちが
わかるような気がしました。
好奇心は時には過酷な結果を導いてしまいます。
つづく
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