番画〈338〉:「白い灰の記憶 大石又七が歩んだ道」③
今日は令和3年7月27日。
前記事の続きです。
〈338〉「ETV特集 白い灰の記憶 大石又七が歩んだ道」
(2021年7月24日放映)
この番画をほぼ聞き書きしてます。
〇佳子:ねえ、みんなから、白い目で見られて、
お金だけもらったって、後ろ指刺されて、
焼津にいられなくなって、雑踏の東京に紛れるように、
出てきたわけですよね。
いいこと何もないよ。自分ではどうしようもない、
自分が選んだ人生ではなくて、どうしようもないかたちで、
船のようにあっちに行きこっちに行き、
ここまで来ちゃったような。
うちでビキニ事件の話をしたことはないですね。
(1959年 信子さんと結婚)
やっぱりそういうのを知られると、結婚するのは大変。
結婚できるとは思っていなかった。
自分一人の問題ではなくて、つながっていってしまう。
子供が生まれないんじゃないかとか、
そういった問題を含んでいくことなので、
やっぱり公にしたくなかった部分もあるし。
〇再び「NHKスペシャル 又七の海」の映像。
北村和夫さんの朗読。
〇北村:うちの中は明るくにぎやかになった。
そんな日々の中、お母ちゃんは身ごもった。
みんな喜んでくれた。
しかし、俺の頭の中には、忘れかけていた不安が急に
よみがえってきた。
被曝の影響は本当になくなったのだろうか。
お産の日が近づき、店から1キロぐらいの所にある病院に
入院した。朝早く、看護婦さんからの電話だ。
すぐ来るように。
あわててかけつけた。
よかった。子どもは男だろうか、女の子だろうか。
喜びの言葉を期待しながら、看護室のドアを開けた。
だが、応対に出た看護婦さんの顔には笑顔はない。
「お気の毒です」「死産です」
ゆるみかかっていた顔が、動かなくなった。
体の中を何か重いものが抜けていった。
ベッドの前にそっと立ってだまっていたら、
お母ちゃんはわかっていたのか静かに振り向いた。
言葉の代わりに掛け布団をそっとひっぱてかけてやった。
異常出産だった。
何を考えているのか、ずっと泣いていたのだろう。
「すまない」頭の中をあれやこれや、また悪い想像がうずまいた。
死神はひとり、またひとりと仲間の命を奪いながら近づいてくる。
「りせつりゅうしょう居士(こじ)」
鈴木たかしさんのあの世での名前だ。
俺にはまだその名前に馴染むことも、理解することも、
納得することもできていない。
4月29日。とうとう肝臓がんで59歳の生涯を閉じてしまった。
「もう、終わっちゃったことだけどな」
「入院中に先生に聞いたことがあったってよ」
会食の席で兄さんが話しかけてきた。
「あの病気は、水爆”死の灰”に関係あるのかねと聞いてみただよ」
「私の口からそのことは言えない、と先生はそう言ったってよ」
山本ただし機関長も、59歳で結腸がん、胃がん、肝臓がんを
併発して、みんなの後を追った。
山本さんへの弔辞。
「山本ただしさん。何を言っても山本さんは返事をしてくれない。
おととし、一番若い松田ゆういちさんが亡くなった時、
ぽつんと山本さんは言った。いろいろとずいぶん悩んだんだろう。
誰にも言えないつらいこともたくさんあったんだろう。
かわいそうにな。と、参列している自分の後ろで、
小さな声で独り言のようにつぶやいた言葉が、
はっきりと耳に残っている。
こうした人の心をおもいやる山本さんが、
自分の死を目の前にして何を考え、何を思ったことでしょう。
夜は眠れないと、奥さんに言っていたそうですね。
たくさん、たくさん考えたことでしょう。
切腹を待つ武士の気持ちがわかる と奥さんに言ったそうだ。
それなら私は聞きたい。
だれが切腹をしろと言ったのか、
何の罪で切腹をしなければならないのですか。
言い尽くせぬままに、お別れいたさなければなりません。
安らかに、安らかにお眠りください。大石又七」
聞き書きしていくことで、聞き漏らしていることに気がつきます。
時間はかかるけど、時間をかけただけのことはあります。
でも今晩はここまで。
明日につづく。
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