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2021年7月25日 (日)

「万波を翔る」小栗忠順/幕末の外国方の仕事

   

今日は令和3年7月25日。

   

前記事に引き続き、

万波を翔る(ばんぱをかける)」

(木内昇著/日本経済出版社)

より引用します。

  

  

外国方の仕事をそうたやすく他に譲ってたまるか、という意地が、

太一の内には渦巻いている。これまで万事納得のいく外交ができた

かと言えば、否やと応えるよりない。外交慣れした異人の強腰に圧

され、老獪なやり口にからめ捕られたのも事実である。

ーーーしかし。

と、太一は天を仰ぐ。異国に内政を操られることはできうる限り避

けた。薩長の暴発こそあったが、四国相手に戦をせずにここまで来

た。日本に古来息づいてきた慣習を護るため努めてきたのだ。

ーーーむろん、そんなことを言ったところで、誰もわかっちゃくれ

めぇが。

(500p)

   

大政奉還や薩長の攻勢によって、幕府の仕事が奪われる危機に臨んで、

太一が思ったことです。

幕末に外国奉行を中心に、異国とこのような交渉があったことは、

わかっちゃいなかったです。

この小説で勉強しました。

   

  

閏四月の半ば、小栗忠順(ただまさ)が新政府軍によって斬首に処

されたことを、太一は知った。小栗はお役を解かれると、すみやか

に上州に赴き、榛名山を望む権田村に根を下ろした。ここで農業に

勤しみ、余生を送る考えであったという。幕府の一時代を築いた人

物である。江戸を出る際には、彰義隊の隊長に、と懇願される一幕

もあったようだが、彼は「上様が恭順の意を示しておるではないか。

家臣としてそれに背くわけにはいかぬ」として、固辞したと聞く。

しかし新政府軍は、そうは見なかった。家族と家臣を連れ、大量の

荷と共に権田村に移った小栗を怪しみ、追討令を出したのである。

〈小栗上野介 近日その領地権田村に陣屋等厳重に構え しかのみ

ならず砲台を築き 容易ならざる企てこれあるの趣〉

おそらく小栗が、製鉄所を率先して造っていたことが徒となったの

だろう。新政府軍は小栗を逆賊と見なし、天朝に対する不敬だと結

論づけたのだ。兵を送り込み、小栗と家臣三名を捕らえると、有無

を言わさず烏川の川原で首を落としたのである。

「ろくろく取り調べることもしなかったそうです」

五月の頭、本所の仮住まいを訪ねてきた福地が、そう報じて溜息を

ついた。

「お城を明け渡し、上様の御身もご無事なのに、なにゆえ小栗様だ

けが首を刎ねられねばならなかったのでしょう・・・・」

「小栗様は開城前に江戸で無法を働いていた薩人らを取り締まって

いたから、恨みを買ったのかもしれねぇな。だがそれよりも、奴ら

にとって小栗様は恐ろしかったのかもしれねぇ」

仏国としかと手を結び、先端の技術を学んでおり、兵学にも航海術

にも通じていた小栗だからこそ、いつ謀叛を起こすかしれぬと新政

府の者たちは警戒したのだ。

(543~544p)

  

「忠順」も「ただまさ」とは読めません。

小栗忠順上野介のことも勉強できた小説でした。

新政府軍は小栗忠順を恐れたのでしょう。

しかし恐ろしい世の中だったんだなあ。

幕府の重要な役を担った人が、あっけなく殺されてしまうのだから。

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