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2021年7月10日 (土)

本「奇跡の6日間」を読む

    

今日は令和3年7月10日。

   

映画「127時間」の原作本を読みました。

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「アーロン・ラルストン 奇跡の6日間」

(アーロン・ラルストン著/中谷和男訳/小学館)

映画を先に見たことで、イメージを持ちやすかったです。

峡谷を探索すると言っても、地形が思い浮かびません。

映画の素晴らしい映像が助けになりました。

 

峡谷の細い谷底に転落して、岩塊に右手を下敷きにされて

動けなくなった青年が、6日間にどう耐えて、生還したかの

体験者によるドキュメンタリー。

 

ぼくは登山家であり、熱狂的な音楽ファンであり、アウトドア愛好

家だが、それだけでなく、ほかの人々の人生を豊かにできる存在で

ありたい。そしてぼくの人生も、ぼくが豊かにした人たちによって

豊かになる。

(117p)

  

いい考えだと思ったけど、他の人々の人生を豊かにするって

どんなことなのだろうと思います。

登山であれ、アウトドアであれ、自分が心ふるわせた体験を、

共有するってことだろうか。

同じように体験することを手伝ったり、

言葉で表現したりして伝えることだろうか。

自己中心的な考えにも思えなくもない。

自分が心ふるえたとしても、他に人がふるえるとは限らないのです。

 

  

これは明らかに誤植だと思える文章。☟

 

ぼくの腕時計はスントはったがでも、正確に、時を刻んでいるのだ

ろうか。ぼくには確証がない。

(187p)

  

アーロンの腕時計がスントであることは、他の記述から明らかです。

ではこの文章は、正確にはどう書くつもりだったのだろう。

「ぼくの腕時計はスントであったがでも」かなあ。

  

  

「ぼくが落としてしまったんです。そいつはチョークストーン(岩

塊)で、チムニーにはまりこんでいたんです。それに乗っかって、

そこから降りたとたんでした。ぼくが落としたんです。石は前後に

弾んで、左手にぶつかって、それから右手をはさんでしまった。だ

から下から押しあげようとしたんです」

こんな話をしていること自体が、ぼくには信じられない。

ぼくが低体温と脱水症状の6日間を生き抜き、腕を切り落とし、懸

垂下降をし、人影もない砂漠を10キロも歩き通して、それからヘ

リコプターに救出され、いまは手術台に横たわっている。ぼくには

どうしても信じられない。ものも言えないほどの驚き。奇跡だ。

(327~328p)

   

この本に書かれていることが、端的に書いてあるなと思った箇所です。

助かってよかったねとあらためて思います。

     

  

ぼくの人生に起きたこと、いまも起きていることを考えると、ぼく

は大変恵まれているように思う。これは奇跡かもしれない。

それはなにものにもかえがたい。ぼくの手にもかえがたい。

ブルージョンキャニオンで起きた事故、それから救出活動、それは

ぼくの人生の中で、一番美しい、光り輝く精神の体験だった。それ

を知ったうえで過去にタイムスリップした場合でも、ぼくはまたク

リスティとミーガンに、「じゃあ、また」と手をふって、ひとりで

スロットに降りていくだろう。結局ぼくは、変わっていない。

ぼくは多くのことを学んだが、その選択を後悔はしない。

(352p)

   

アーロンにとって、今回の体験は「他の人の人生を豊かにする」

ものであったし、その人たちによって、自分の人生も豊かに

してもらっている体験だったのだと思います。

冒頭に引用した願いが達成されたのだと思います。

だから後悔はしていないのです。

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