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2019年9月

2019年9月30日 (月)

伊勢湾台風60年 色が呼びさます記憶④子どもたちの反応はとてもいい

今日は令和元年9月30日。

  

前投稿に引き続き、9月26日放映の「チャント!」より。

  

伊勢湾台風のカラー写真や、

白黒撮影した映像をカラー化したものが

教材化できるということを

番組内で証明してくれました。

  

大石邦彦アナウンサーが、名古屋市の小学校に出向きました。

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大石アナが「伊勢湾台風を知っている人?」と聞いたら・・・

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 全員?が知っていました。

この小学校のある場所は、伊勢湾台風で大きな被害を被った場所です。

  

大石アナは、まずは白黒写真を見せました。

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そしてカラー写真を見せます。☟

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カラー写真を見た時の子どもたちの顔です。☟

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しっかり注目しました。

「わかりやすい!」の声もあがりました。

  

つづいてカラー化した映像を大石アナは見せました。☟

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子どもたちの感想です。

 

白黒の時も怖かったけど、カラーがついた方が、

全体的にわかりやすくて、リアルで

より怖い部分がたくさんあった。

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昔のことのように白黒は感じて、

カラーは最近のことのように思います。

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大石アナが「カラーだと最近の話のように思える人?」と聞いたら・・・

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みんなが挙手。

最後にナレーターの言葉。

 

ナレーター:よみがえった色は、

  あの日を全く知らない(体験していない)

  子どもたちの心をも揺り動かしました。

  

子どもたちの反応はとてもよく、教材として十分です。

じっくり見させて、気づきを集めるのもいいし、

実際に現場に行くのも効果的だと思います。

60年前に撮影者が立った位置で、

想像力を働かせる体験はとてもいいと思います。

「チャント!」を見せることで、

毎日のニュース番組でも社会科の勉強ができることを

示せます。

さらに、伊勢湾台風に興味をもった人に、

名古屋市博物館で今、こんなことをやっているよと

紹介してもいいですね。☟

Isewann

インターネットミュージアム

     

私自身が行きたいです。

その気になれば、勉強はどんどん広がる。

そんな体験をさせたいですね。  

  

  

以上で、9月26日放映の「チャント!」の映像化完了。

  

伊勢湾台風60年 色が呼びさます記憶③AIによってカラー化された映像

 

今日は令和元年9月30日。

  

前投稿に引き続き、9月26日放映の「チャント!」より。

伊勢湾台風からちょうど60年ということで、

「チャント!」では伊勢湾台風の特集をしてくれました。

情報を得るチャンスはこういう時。

チャンスを逃さないように録画セットを確実に行いました。

  

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今回はCBC(中部日本放送)の撮影した伊勢湾台風の白黒映像を

カラー化したことです。

 

強風のため、葉が引きちぎれそうな蘇鉄(ソテツ)。☟

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バス停にしがみつく女性。☟

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横転する三輪トラック。☟

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水につかる住宅。押し寄せた流木。☟

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これらの白黒映像をどうやってカラー化するか。

筑波大学の飯塚里志助教授の協力でAIを使いました。

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自動的にどうやって着色するかというと・・・

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AIってすごいですね。

飯塚先生の説明を繰り返しますが、AIは、どこがどんな物体か判断して、

それによって適切に同じ色をつけられるそうです。

そのためには約2000万枚!の写真を読み込んでいるのです。

勉強しているのです。 

さらに、最近山本丈路さんが公開した51枚の被災写真も、

Aiは取り込んで学習しました。☟

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その結果、白黒動画はどうなったか。

カラー化された動画の写真を載せます。

  

蘇鉄(ソテツ)の緑色がわかります。☟

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しがみついていた女性のレインコートの色は紫でした。☟

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横転する三輪トラックのライトは黄色く光ります。☟

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台風の翌日は青空だったという証言がたくさんありました。

それを実証する写真です。☟

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座礁した大型船。撤去するのに2カ月半かかったそうです。☟

でも洞爺丸のように転覆しなかったのは幸いでした。

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水がひかないために、舟で移動する人たち。

飛行機に手を振る人もいます。☟

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この年はお米は豊作が予想されていました。

しかし、その稲は濁水の下です。☟

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身近な人の遺体と対面。☟

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遺体はこのような場所で荼毘(だび)にふされました。☟

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水がひかないために、荷物運びは間に合わせの舟で。☟

人が前後で舟を操っています。

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水位が高まった時には、屋根を破って上に避難をしたのでしょう。☟

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元の映像とカラー化の映像の比較、☟

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自然にできた慰霊の場所で花を添えたり、冥福を祈る人。☟

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届けられた救援の水を飲む子ども。

プラスチックの容器がなかった時代。

茶碗で水を飲んでいます。☟

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屋根にあけられた穴から、屋根上に洗濯物を干す人。☟

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元の映像とカラー化の映像の比較、☟

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流木の怖さを示す写真。☟

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カラー化した写真や動画が教材として効果があるか。

もちろん効果は期待できます。

大石邦彦アナウンサーが、模擬授業をしました。

次の記事で。

 

2019年9月29日 (日)

伊勢湾台風60年 色が呼びさます記憶②51枚のカラー写真

今日は令和元年9月29日。

  

前々の記事に続いて、9月26日放映の「チャント!」より。

  

この日の特集は「伊勢湾台風60年 色が呼びさます記憶

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60年前は白黒写真・白黒映像が当たり前。

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伊勢湾台風から60年の今年、伊勢湾台風の被害を受けて数週間後の

名古屋市港区付近の写真が公開されました。

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全部で51枚。

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発見したのは山本丈路さん。☟

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写真を撮影したのは、山本さんの母方の祖父、山田芳さん。

数年前に、遺品を整理していて発見したそうです。

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カラー写真は普及していなかったので、

現像もこの地方ではできなくて、東京に送って現像してもらったそうです。

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山本さんが語ったことの聞き書きです。☝ この写真に関連します。

 

山本:カラーで見ると、ここに何かあったのは

  誰かの衣服なんだとか、色味があることによって

  「生活感」が出て、その「生活感」が伊勢湾台風の被害で

  崩れていったのが、カラーだとすごくわかりますよね。

 

51枚の写真は、ポジフィルム(スライド用)で保存されていましたが

色が褪せていて、赤みを帯びていました。

色の修正を専門家が試みました。☟

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こんな具合に修正されました。☟

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それでは修正された写真を並べます。

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愛知工科大学の安田孝志学長の語ったことの聞き書きです。

 

安田:モノクロだと「被害があったんだな」程度にしか思わない。

  それだけですんでしまう。

  カラーだと懸命な復旧の姿、人がぐっと浮かび上がってくる。

  非常に価値ある写真。ぜひ多くの人の目に触れるような機会を

  つくっていただけるといいなと思う。

  

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祖父が撮影した場所に立った山本さんが語ったことの

聞き書きです。

 

山本:こういった悲惨なことがあった場所に、

  僕のおじいちゃんの立っていて、この光景を見て、

  写真におさめていたんでしょうけど、

  やはり白黒写真だと「昔話」となってしまうが、

  カラーだと身近になってくる。

  自分と近い時代だと感じるというのがあります。

  

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さらに山本さんが語ったことが印象的でした。

 

山本:おじいちゃんがカラー写真を撮っていたのは、

  1953年から1956年くらいまでの期間しか

  撮っていなくて。

  カラー写真はすごくお金がかかることだったので、

  それを趣味ではやれなかったのだとおもいます。

  そこから数年とんで1959年伊勢湾台風の写真だけ

  あるんです。59年、他の写真があるわけではなくて

  伊勢湾台風の写真だけは撮りに行っている。

  ある種の使命感というか、

  「これだけはおさめておきたい」という気持ちが

  あったかもしれないですね。

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☝ 山本さんは、ポジフィルムを名古屋市博物館に寄贈しました。

もう少し写真を並べます。

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私にとっても、伊勢湾台風は生まれる前のことです。

両親が、風で家の壁が揺れて怖かったと聞いたくらいの

「昔話」でした。

でもカラー写真の威力はありました。

山本さんの言うように、近い時代だと思いました。

  

  

この特集の読み物化、まだ続きます。

今度は白黒映像をカラー化します。

 

つづく

   

お薦め番組「薩摩硫黄島」「テルマエ・ロマエ」「サギデカ最終回」

今日は令和元年9月29日。

  

何度も書いていますが「ザテレビジョン」の話。

本屋であるにもかかわらず、「ザテレビジョン」を1冊も

置いていなかったS市の本屋。

ここでも道草 「ザテレビジョン」が近くのコンビニから消えました(2019年9月11日投稿)

☝ この記事で書いた本屋です。

 

先週の水曜日にその本屋に再び寄りました。

もしかしたらあるかもと思って。

そしたら、5冊も置いてありました。

喜んで買ってしまいました。

  

  

お薦め番組。

 

8月3日に放映された「潜れ!さかなクン~火の島 

薩摩硫黄島の海へ~」の再放送が、

今日!の午後4時15分からNHK総合であります。

この番組については、先月記事にしました。

ここでも道草 「巨大カルデラの謎に迫る」その6/さかなクンが崖の下の海に潜った(2019年8月17日投稿)

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あれれ・・今日の朝刊のテレビ欄を見たら、愛知県は違う番組でした。

      

映画「テルマエ・ロマエ」が明日!の午後1時から

BSプレミアムで放映されます。

これも社会科の教材になる映画です。

記事にも書きました。

ここでも道草 今晩、映画「テルマエ・ロマエⅡ」が放映されます(2019年2月16日投稿)

Rimg1592

  

  

昨晩、NHK土曜ドラマ「サギデカ」の第5話(最終回)を見ました。

第1話、第2話を見て、詐欺にだまされた人の末路、

だます人の悲惨な境遇を見て、見るのが辛くなって、

第3話、第4話を見ませんでした。

いいと直感して見始めて、

それを止めたモヤモヤした気持ちが残りました。

自分の直感を疑ってしまいました。

Pc_topimage NHK

でも、昨晩はつい見てみて、最後まで見ちゃいました。

いい最終回でモヤモヤが解消しました。

直感を当たっていました。

再放送を録画セットしました。

いい番組は身近に置いておきたいです。

再放送は10月3日午前0時55分です。

伊勢湾台風60年 色が呼びさます記憶①史上3番目の勢力だった

今日は令和元年9月29日。

  

昨日は道草を休みました。

今日はちょくちょく道草したいです。

  

9月26日放映の「チャント!」より。

ニュース・情報番組です。

この日の「チャント!」の特集に注目していて、

録画しておきました。

 

その特集とは「伊勢湾台風」です。

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伊勢湾台風は、1959年9月26日に東海地方を中心に

大きな被害をもたらしました。

 

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1959年台風15号(後に伊勢湾台風と命名)は、

中心気圧929hPaという史上3番目の勢力で上陸しました。

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☝ 死者・行方不明者5098人。

    

開局9年目のCBC(中部日本放送)が、

撮影した映像の写真です。

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☝ 今ではあまり見かけない三輪トラックが、

強風で横倒しになっています。

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台風が来た翌日の映像です。☟

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☝ 上空に上がって被災地を見た記者が「名古屋港がありません」と

一報で伝えたそうです。

名古屋港のある港区が、街まで水浸しになっていたためです。

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台風が襲来して10日後の取材の様子です。☟

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まだ水はひいていなくて、停電のため、

ろうそくを使った生活をしていました。

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どこまで水位が上がったかという質問に・・・

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10日後であるにもかかわらず、アナウンサーはこう伝えます。☟

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被害を大きくしたのは、名古屋港に貯留してあった大量のラワン材が、

街中に流れ出したためです。☟

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流木は、縦に回転していたという証言もありました。☟

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そのラワン材の大きさを感じてもらうために、

スタジオにCGで登場させました。☟

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横倒しにしました。☟

Rimg2084_2  

こんな大木が勢いよく流れてきたら、恐怖です。

  

  

つづく

 

2019年9月27日 (金)

「広野の旅人たち」その4/再び121年前の大水害 鴇田幹さんの挿絵

  

今日は令和元年9月27日。

  

前投稿に引き続き、

本「広野の旅人たち ~新十津川物語2~

(川村たかし著/偕成社)より引用します。

  

「広野の旅人たち」のラストは、

小説「石狩平野」(船山馨著/河出書房)と同じく、

明治31年9月の大水害でした。

※参考:ここでも道草 「石狩平野」を楽しむ7/121年前の大水害(2019年9月6日投稿)

  

上流から小屋がながれてきた。

と、泣きさけぶ声がきこえた。

よく見ると屋根の上に二、三人のすがたが見えた。

子どももいるらしい。

しかし、助けにいくどころではない。

雨はやんできたが、水はふえつづけている。

「あかんの。もうおしまいやの。

こんなことならいっそう十津川で死んどけばよかった。

水からにげてきたのに、また水に殺されるやんかのう。」

お楽(らく)が泣きながらわめいた。

(232p) 

 

121年前の大水害は、開拓の歴史には欠かすことができない

出来事だったのです。

これからも、北海道の開拓の勉強をしていたら、

その度に復習し、理解を深めていくことになるでしょう。

  

 

この本からも、挿絵の写真を載せます。

Epson105 149p

主人公の津田フキと中崎豊太郎との結婚式の様子。

 

画家の名前は鴇田幹(ときたかん)さん。

鴇田さんの絵は懐かしく感じます。

きっと昔からいろいろな本で目にしてきた絵だと思います。

どこで出合ったのだろう?

「広野の旅人たち」その3/開拓民を夜盗虫(ヨトウムシ)が襲った

  

今日は令和元年9月27日。

  

前投稿に引き続き、

本「広野の旅人たち ~新十津川物語2~

(川村たかし著/偕成社)より引用します。

    

小説「石狩平野」(船山馨著/河出書房)では、

北海道開拓農民を蝗(イナゴ)が苦しめるシーンがありました。

ここでも道草 「石狩平野」を楽しむ 4/「蝗」(2019年9月2日投稿)

「広野の旅人たち」では、夜盗虫(ヨトウムシ)でした。

    

夜、あかりを持って畑へ出ると、あたりいちめんに

ザワザワという音がたちこめている。

くらくなるのをまって、虫が食っている音なのだ。

指ほどのふとさの虫は、びっしりと亜麻(あま)の茎に

よじのぼっている。

はたきおとしてふみつけるが、しがみついているので

はなれようとしない。

わらぞうりはすぐ虫のみどりの体液にぬれて、おもくなった。

あんまりきみがわるいので棒やくわを持ちこんでおしつぶした。

けれども、一本の茎に七ひきも八ひきも

ぶらさがっているのだから、なかなかつぎへすすめない。

そのあいだに一本の葉を食いつくした虫たちは、

つぎからつぎへと移動した。

(156p)

去年まで一ぴきも見なかった虫が、吹きこぼれるように

発生したのだ。やっと虫退治をしたのち、

畑にはなにひとつのこっていなかった。

十日ばかりまえにはみどりの波をうっていた畑はくいつくされ、

焼けこげてむごたらしいすがたになってしまった。

全村、亜麻は全滅していた。

(159p)

 

4pに渡って、記述された人間と夜盗虫の闘いは、

数でまさる夜盗虫の圧勝でした。

空から大挙飛来した蝗と同じで、

地から出てきた夜盗虫は開拓民を絶望させます。

開拓をあきらめ、町に出ていく人たちもいました。

   

 

ヨトウムシはヨトウガの幼虫。

22fcbb7ab5ae2cf7b66ccaba9b0b0397480 HORTI by Green Snap

☝ このサイトに次のように書いてありました。

 

1匹当たり1000~3000粒ほどの卵を産むため、

ふ化すると大量発生します。

  

この数は尋常ではないですね。

 

つづく

「広野の旅人たち」その2/兵村で(米づくりを)はじめた者 藤田貞元かな?

 

今日は令和元年9月27日。

  

前投稿に引き続き、

本「広野の旅人たち ~新十津川物語2~

(川村たかし著/偕成社)より引用します。

  

 

明治29年の話。

北海道の開拓者の関心の一つは米作りでした。

  

(前略)米づくりの話になった。

「この分じゃ、どぶろくでもつくらんことには、

菊次さんとこの酒倉がからになるぞ。」

と、中辰一がいいだしたからである。

どぶろくをつくるには米がいる。

いったい米はほんとうにつくれないものだろうか。

「米はとれるとも。兵村(へいそん=屯田兵の村)では、

五、六年まえからはじめた者がいて、去年もとれたとよ」

正道がよくひびく声でいった。

(145p)

  

ここで話題になっている「兵村で(米づくりを)はじめた者」

というのは、以前記事に書いた人のことでしょうか。

※参考:ここでも道草 北海道開拓と「お米」その3 屯田兵(夫)もやった米づくり(2019年8月22日投稿)

屯田兵の藤田貞元(ていげん)のことです。

Rimg2082BS1スペシャル 北海道開拓 ~困難の果てに~」より

    

藤田貞元がいつお米を試作したのかは、

その時の番組では紹介されていませんでした。

調べてみました。

屯田兵と北海道の開拓

☝ このサイトによると、藤田貞元は明治26年に入植して、

お米の試作をしたようです。

若干、年数がずれるけど、まあいいか。

「藤田貞元」についてたぐれたことがよかったです。

  

  

どぶろくって飲んだことありますか?

Sake_sendoburoku600 Yahoo!ショッピング

昔、飲んだと思ったけどなあ。

2019年9月26日 (木)

「広野の旅人たち」その1/開拓の歴史に欠かせない屯田兵 クワの実

 

今日は令和元年9月26日。

  

本「広野の旅人たち ~新十津川物語2~

(川村たかし著/偕成社)を読破しました。

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北へ行く旅人たち ~新十津川物語1~」の

続編です。

※参考:ここでも道草 「北へ行く旅人たち」その1/台風の被害で北海道移住を決意した人たち(2019年9月22日投稿) 

  

印象に残った文章を引用します。

  

北海道札幌郡琴似(ことに)村に、最初の屯田兵が

入植してきたのは、明治八年五月のことである。

西郷隆盛の発案だった。

富国強兵の時代だ。北方のロシアにそなえるために、

北海道をかためなければならない。

正規軍をおけば費用がかさむ。

食いつめた武士にしごとをあたえ、原野をひらき、

同時に北海道を守らせるという屯田兵は、

まず安くあがるということから出発した。

隆盛の案を北海道長官の黒田清隆が実現させた。

はじめの三年ほど補助金をだせば、

あとは自分たちで食っていくことだろう。

はじめの三年ほど補助金をだせば、

あとはじぶんたちで食っていくことだろう。

家族ぐるみの移住だから、年がたてば子や孫がひきつぐ。

(53p)

 

もっとも、〈屯田兵〉として実戦に参加したのは、

たったいちどきりしかない。

明治十年、西郷隆盛をかついだ西南戦争がおこると、

札幌の農兵部隊がいさましくたたかった。

ひにくにも隆盛はじぶんのつくった部隊に

攻撃をうけたことになる。

(54p)

屯田兵は、日清戦争に派遣される予定でした。

東京に集結したのですが、出発前に日清戦争は終了。

屯田兵は明治33年に募集は終わり、

旭川に第七師団という軍隊ができ時に、

その一部に組み込まれました。

その第七師団は、日露戦争で二〇三高地の激戦に参加。

多くの兵が命を失いました。

  

屯田兵は、家族ぐるみの移住だっただけに、

老若男女を巻き込んだ北海道の歴史に欠かせないものと

なりました。小説「石狩平野」でも、重要でした。 

   

  

開拓者は蚕も飼っていました。

蚕のエサであるクワの葉を家族で摘むシーンです。 

  

(幼い)道太郎と有道のふたりは、小さなかごを

背おわせてもらってついていく。

ふたりのかごはなかなかいっぱいにならないが、

口のまわりはすぐにむらさき色にそまった。

うれたクワの実がどの枝にもついていたからだ。

ふたりはからのかごを背おったまま、

まず走りまわって黒くじゅくした実をさがした。

食べるあいだにときたま葉をつんでは、

相手のかごに入れっこをした。

(102p)

  

クワの実・・・たぐります! 6年前でした。

ここでも道草 H25 5月の花々20 クワ2(2013年7月22日投稿)

前任校の校庭には、クワの木があったのです。

おかげでクワの実を食べる体験ができました。

道太郎君たちの気持ちがわかります。

  

地図記号で桑畑はどう表すかも思い出しました。

お忘れの方は、6年前の記事を見てください。

  

簡単にたぐれるのが、ブログの良いところ。

2019年9月25日 (水)

「トムとジェリーとクラシック」その4/「きらきら星」が有効に使われている

  

今日は令和元年9月25日。

  

前投稿に引き続き、9月6日放映の

ららら♪クラシック トムとジェリーとクラシック おかわり

より。

大雑把にまとめます。

  

  

「トムとジェリー」

1948年制作の「やんちゃな生徒」を音楽視点で分析して

紹介してくれました。

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3つの場面に注目です。

   

①トムが子猫に教えるシーン

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☝ トロンボーンで下降するメロディで、トムが偉そうに教えている

雰囲気を出しています。

   

   

②ジェリーが子猫に教えるシーン

Rimg2139  

☝ このシーンで流れるメロディは「きらきら星」

「きらきら星」は学校の音楽の時間に習う曲のイメージが

日本ではあり、アメリカでも同じようだと考えられます。

学校の授業を表す曲であって、トムのシーンとは違って、

ジェリーと子猫が仲間である雰囲気を出しています。

{ちなみに、最初のブルーの画面 ☝ でも「きらきら星」が

流れます)

   

   

③トムをコテンパンにして、子猫とジェリーが手をつないで

画面奥に歩んでいくシーン。(ラストシーン)

 

このシーンでは、最初「きらきら星」が流れますが、

すぐに違う曲になります。

映画「オズの魔法使い」(1939年)の

「黄色いレンガ道をたどって」という曲です。☟

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この映画のシーンと、「トムとジェリー」のシーンは、

映像的にも似ています。☟

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「黄色いレンガ道をたどって」はどんな雰囲気を出すのかと言うと・・・・

Rimg2143

☝ 学校での勉強は終わって、学校から外に出て、

冒険に出発しようという雰囲気を、映像でも音楽でも表現したのです。 

 

伝わったかな?

  

実際に動画で確かめてみてください。☟

 

以上です。

最近の写真

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