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2019年9月 6日 (金)

「石狩平野」を楽しむ7/121年前の大水害

  

今日は令和元年9月6日。

  

前日の記事の続き。

本「石狩平野」(船山馨著/河出書房)をついに読破しました。

52年前に発行された本。1ページに字がぎっしりの本。

40年前に四苦八苦して読んだ覚えのある本。

今回はじっくり読めました。

さらには、こうやってブログに引用する余裕もあり。

楽しんで、423pの小説を読み切りました。

  

  

明治31年9月5日にはじまって、

8日の午後に及んだこの暴風雨は、

明治2年北海道開府以来のものであった。

当然、その被害はかつてない悲惨な爪跡を刻んだ。

河川の氾濫はほとんど全道にわたり、

流失倒壊家屋2万5千余戸、

田畑の冠水流失5万8千余町歩、

死者は2百50余人に及んだ。

負傷者および道路、橋梁、堤防の破損流失、

排水溝の埋没、家畜の被害などは、

その正確な数を知ることすら不可能であった。

とりわけ石狩、夕張、十勝の各河川の流域が

深刻な被害地となった。  (339~340p)

  

この暴風雨は、この小説のクライマックスのように

描かれていました。

ヒロインの鶴代が恋する次郎が、

2人の間にできた子どもを救わんが為に、

命を落とす話でした。  

 

明治31年(1898年)の水害は、実際にあったものです。

北海道は相次ぐ台風で洪水被害 北海道の洪水対策のきっかけは118年前の台風被害

☝ ここに詳しく書いてありました。

「石狩平野」の中には書いてなかったと思いますが、

この暴風雨は台風だったようです。

 

引用します。

  

石狩川流域の開拓が始まったのは、

北海道の札幌に開拓使ができた明治4年以降です。

当初は石狩川の氾濫原である

広大な低湿地の土地利用が進められていました。

アイヌ語の曲がりくねった川という意味の「石狩川」は、

雪解け期や大雨期にはたびたび流路を変える暴れ川でした。

石狩川流域は、雪解け期や夏の大雨期には

氾濫をくりかえていた未開の原野で、

入植当時は洪水被害に悩まされていました。

しかし、高低差が少ない石狩川は、

広大な農地が得られる可能性を持った魅力的な川でした。

そして、明治政府の積極的な移民政策もあって、

明治30年には流域人口が30万人と増大しました。

しかし、今から118年前の明治31年(1898年)9月6日、

台風によって石狩平野の氾濫原である広大な低湿地の開拓が

大洪水によって大きな被害を受けています。

明治43年(1910年)から北海道で洪水対策が始まったのは、

この明治31年の台風被害がきっかけです。

  

  

くねった川の「石狩川」が、治水工事のため、

ショートカットされ、長さが短くなりました。

   

  

石狩川は全長268キロメートルで、全長367キロメートルの信濃川、

全長322キロメートルの利根川に次ぐ、日本三位の長さの川ですが、

明治27年の記録では石狩川の全長が364キロメートルと

信濃川に匹敵する長さの川でした。

しかし、その後の改修工事で川をショートカットしたため短くなり、

そのなごりが、今も多数残っている三日月湖です。

短くなった石狩川は、ときどき発生する大水害を乗り越え、

北海道が発展してきた証の一つです。

 

 

石狩川が日本一に匹敵する長さだったとはビックリ。

三日月湖のことなど知っていましたが、

この水害については知りませんでした。

(40年前に読んだ時には印象に残らず)

 

今からちょうど121年前の大水害の勉強ができました。

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