「石狩平野」を楽しむ 4/「翌る日」「貧すれば鈍する」「プラウ」「蝗」「烏滸がましい」
今日は令和元年9月2日。
8月28日の記事の続き。
本「石狩平野」(船山馨著/河出書房)を読んでいます。
262pまで読みました。残り161p。
その翌る日が藪入りであった。 (78p)
「翌る日」の読み方は「あくるひ」と予想します。
きっとそうでしょ。「明くる日」と書くことが浮かびますが、
「翌る日」の方がいいなあ。
「藪入り」は、今はあまり耳にしない言葉ですね。
Wikipediaによると次のように書いてありました。
かつて商家などに住み込み奉公していた丁稚や女中など
「貧すれば鈍するでな。恥ずかしことだが心も
卑しゅうなり下がった。」 (85p)
「貧すれば鈍するでな」の意味は故事ことわざ辞典によると
次のように書いてありました。
人は貧乏になると、利口な人でも愚かになるということ。
「純」には、「愚か」の意味がありました。鈍感みたいに。
だが、プラウひとつ自前のものがなくて、
夜になってよそのを借りて使うありさまでは、
それが精一杯であった。
せめて自前の耕馬とプラウだけでも揃える金があればと、
夫婦は夜更けの耕地を這いずりまわるようにして働きながら、
思いつづけた。 (111p)
「プラウ」は最近知った言葉。
ここでも道草 北海道開拓と「てんさい」(2019年8月20日投稿)
おかげで、具体物を思い浮かべながら読めました。
蝗(イナゴ)が、穂が実った稲田を襲う表現のひとつ。
黒く空を覆った虫の波は、つむじ風のようにうねり、
よじれては、間断なく黒い滝となって降り落ちていた。 (120p)
素晴らしい表現だと思います。
襲われた農民は、絶望する光景だったと思います。
「黙れ。貴様ごとき腐れはてた俗吏から、
烏滸がましい差出口を聴くいわれはない。」 (126p)
「烏滸がましい」は「おこがましい」と予想して正解でした。
意味は、ここでは「生意気な」ぐらいの意味かな。
つづく
コメント