「広野の旅人たち」その2/兵村で(米づくりを)はじめた者 藤田貞元かな?
今日は令和元年9月27日。
前投稿に引き続き、
本「広野の旅人たち ~新十津川物語2~」
(川村たかし著/偕成社)より引用します。
明治29年の話。
北海道の開拓者の関心の一つは米作りでした。
(前略)米づくりの話になった。
「この分じゃ、どぶろくでもつくらんことには、
菊次さんとこの酒倉がからになるぞ。」
と、中辰一がいいだしたからである。
どぶろくをつくるには米がいる。
いったい米はほんとうにつくれないものだろうか。
「米はとれるとも。兵村(へいそん=屯田兵の村)では、
五、六年まえからはじめた者がいて、去年もとれたとよ」
正道がよくひびく声でいった。
(145p)
ここで話題になっている「兵村で(米づくりを)はじめた者」
というのは、以前記事に書いた人のことでしょうか。
※参考:ここでも道草 北海道開拓と「お米」その3 屯田兵(夫)もやった米づくり(2019年8月22日投稿)
屯田兵の藤田貞元(ていげん)のことです。
藤田貞元がいつお米を試作したのかは、
その時の番組では紹介されていませんでした。
調べてみました。
☝ このサイトによると、藤田貞元は明治26年に入植して、
お米の試作をしたようです。
若干、年数がずれるけど、まあいいか。
「藤田貞元」についてたぐれたことがよかったです。
どぶろくって飲んだことありますか?
昔、飲んだと思ったけどなあ。
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