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2019年8月22日 (木)

北海道開拓と「お米」その3 屯田兵(夫)もやった米づくり

  

今日は令和元年8月22日。

  

前投稿に引き続いて、2018年12月15日放映

BS1スペシャル 北海道開拓 ~困難の果てに~」です。

  

聞き書きです。

  

ナレーター:さらに、屯田兵の暮らしには、もう一つ、

  耐え難い決まりがありました。

  問題となったのは、作物の栽培に関わる軍の指導です。

鈴木功一さん:イモだとか、トウキビだとかね、

  中隊からくれるのは、そういう種。

  畑の種しかくれない。

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ナレーター:実は屯田兵には、米作りが許されていませんでした。

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  水が冷たい北海道には不向きだというのが、理由でした。

  そんな中、ある屯田兵の家で、命令に背く者が現れます。

  米どころ、青森県出身の藤田貞元(ていげん)。

  ひそかに種もみを取り寄せ、自宅の片隅で、栽培を始めました。

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  この命令違反は、早々に露見し、隊長が激怒。

  水田は、丸太で埋められてしまいました。

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  それでも藤田は、残った苗を栽培。

  秋には収穫を得ます。

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  そして、この稲穂を手にあらためて稲作の許しを請うたところ、

  隊長は黙ってうなずいたと、伝えられています。

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  この後、旭川の屯田兵の間では、

  少し変わった軍事訓練が行われることになりました。

  土木工事の訓練として実施されるようになったのが、

  こちらの水路を掘ること。

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  軍は、負担が大きい灌漑用水路の建設を、

  自ら行うことにしたのです。

  出来上がったのが。総延長33km、今も使われる水路網です。

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  今や日本の有数の米どころ旭川。

  その礎には、米と暮らしてきた人々の執念がありました。

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旭川が米の大産地という話も、授業でしたことがあります。

大産地になるきっかけを知りました。

きれいごとではなかったかもしれませんが、

屯田兵である夫たちも開墾に協力して成し遂げた

米づくりだったんだなあと思いました。

やっぱり、みんなでやらなくては!

それぞれが、できることをやって成し遂げたら、

喜びもひとしおです。

  

これで「BS1スペシャル 北海道開拓 ~困難の果てに~」の

読み物化は終了。

次は、この番組でも紹介されていた厚真町にかんする番組を見ます。

   

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