北海道開拓と「お米」その3 屯田兵(夫)もやった米づくり
今日は令和元年8月22日。
前投稿に引き続いて、2018年12月15日放映
「BS1スペシャル 北海道開拓 ~困難の果てに~」です。
聞き書きです。
ナレーター:さらに、屯田兵の暮らしには、もう一つ、
耐え難い決まりがありました。
問題となったのは、作物の栽培に関わる軍の指導です。
鈴木功一さん:イモだとか、トウキビだとかね、
中隊からくれるのは、そういう種。
畑の種しかくれない。
ナレーター:実は屯田兵には、米作りが許されていませんでした。
水が冷たい北海道には不向きだというのが、理由でした。
そんな中、ある屯田兵の家で、命令に背く者が現れます。
米どころ、青森県出身の藤田貞元(ていげん)。
ひそかに種もみを取り寄せ、自宅の片隅で、栽培を始めました。
この命令違反は、早々に露見し、隊長が激怒。
水田は、丸太で埋められてしまいました。
それでも藤田は、残った苗を栽培。
秋には収穫を得ます。
そして、この稲穂を手にあらためて稲作の許しを請うたところ、
隊長は黙ってうなずいたと、伝えられています。
この後、旭川の屯田兵の間では、
少し変わった軍事訓練が行われることになりました。
土木工事の訓練として実施されるようになったのが、
こちらの水路を掘ること。
軍は、負担が大きい灌漑用水路の建設を、
自ら行うことにしたのです。
出来上がったのが。総延長33km、今も使われる水路網です。
今や日本の有数の米どころ旭川。
その礎には、米と暮らしてきた人々の執念がありました。
旭川が米の大産地という話も、授業でしたことがあります。
大産地になるきっかけを知りました。
きれいごとではなかったかもしれませんが、
屯田兵である夫たちも開墾に協力して成し遂げた
米づくりだったんだなあと思いました。
やっぱり、みんなでやらなくては!
それぞれが、できることをやって成し遂げたら、
喜びもひとしおです。
これで「BS1スペシャル 北海道開拓 ~困難の果てに~」の
読み物化は終了。
次は、この番組でも紹介されていた厚真町にかんする番組を見ます。
面白い!
投稿: sasaki | 2023年11月 9日 (木) 11:45
読んでくれて、嬉しいコメントを
ありがとうございます。
また読みに来てください。
投稿: いっぱい道草 | 2023年11月 9日 (木) 12:14