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2020年4月

2020年4月27日 (月)

「本音で生きろ」① 他人のことなんて、ほうっておけばいいのだ。

   

今日は令和2年4月27日。

  

次の本を読みました。

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「本音で生きる 一秒も後悔しない強い生き方」

(堀江貴文著/SB新書)

  

励みになることばが多かったです。

どんどん引用します。

  

 他人のことなんて、ほうっておけばいいのだ。

 

 ベストセラーになった『嫌われる勇気』(岸見一郎・古賀史健

著/ダイヤモンド社)を読んだだろうか。一般向けにアドラー心

理学を紹介した本だが、同署には、人間関係において優れた洞察

が書かれている。

 たとえば、

「『他人の期待を満たす』ような生き方をやめる」こと。

「自分の課題と他人の課題を分ける」こと。

 

 誰かがあなたについてどう思おうが、それは自分の問題ではな

く、相手の問題だ。

 他人が誰を嫌おうと、何を考えようと、それはあなたの人生に

はかかわりのないことだ。

 一刻も早くそれに気づいて「放っておく」こと。

「相手が自分をどう思っているのか」なんてことにかかわりあっ

て、自分の人生がなおざりになるなんて、本当にもったいないと

思う。

(31p)

  

  

 「お互いの価値観が異なっていることがわかる」というのは、

とても大事なことだ。なんとなくわかったふりをして終わるの

と、たとえ自分の価値観とちがっていても、しっかり相手の意

見を聞くことでは、どちらが「相手のことを知る」ことになる

だろうか。

 たとえまともな議論にならず、ケンカになっただけだとして

も、人と議論することが無意味だとは思わない。僕は、意見が

一致しないからという理由でその人のことを嫌いになったりし

ない。意見が一致しないことと、相手のことを嫌うことは、そ

もそも、まったく別のことだ。

(33p)

  

  

「時間がないから、できない」

 これは、かなりの人が言う言葉だ。

 第一、時間はみんなに平等だ、成功する人には時間があって、

成功しない人には時間がない、なんてことは当然ながら、ない。

「時間がない」というのは、「それをはじめると今やっている

何かをやめなければならないが、それができない」ということ

なのだろう。

 しかし、世の中はトレードオフだ。時間がないから、どちら

かに決めなければならない。むしろ、「何かをはじめるなら、

何かを捨てなければいけない」ということは、当たり前のこと

だと知っておくことだ。

(45p)

  

  

 才能なんて、やってみないと、自分にあるかないかなんてわ

からないのではないだろうか。

(48p)

  

  

 「経験を積むチャンスがなかった」と言う人がいるかもしれ

ないが、チャンス自体は目の前にいくらでも転がっているもの

だ。

 コミュニケーションが苦手な人にとっては、目の前にいる人

に思い切って声をかけることすら挑戦かもしれないが、そんな

機会はいくらだってある。

 チャンス自体は誰にでも平等に与えられている。ただ、前に

踏み出すかどうかの違いなのだ。

 些細なことでよいから、常に小さなチャレンジを行ない、少

しずつ成功体験を重ねていく。なんでもうまくこなせる人間と

比較して落ち込むのは無意味なことだ。、ここで比べるべきは、

過去の自分。自分の成長を実感できれば、それが自信になる。

諦めずに成功体験を重ねていけば、ある日突然大きく成長する

時が必ずやってくるはずだ。

(59p)

  

   

ひきこもりについても書いています。

   

 一般的には「ひきこもりになる原因」があって、「外に出ら

れないという結果」につながったと考えがちだが、アドラー心

理学では「原因」、つまり言い訳を一切認めない。「外に出た

くない」という目的が先にあって、そのために「不安という感

情を作り出している」と考える。

 要するに、できない言い訳を用意することで、自分が傷つか

ないで済ませようとしているというわけだ。

(60~61p)

  

う~ん、つまり、ひきこもりの人たちの目的を

変えてあげればいいんだな。

「外に出てみたい」と思わせればいいんだ。

ひきこもった時の理由を取り除くとかよりも、

そこに主眼を置くべきなのだ。

と、理解したけど、いいのかな。

  

  

つづく

2020年4月26日 (日)

「コロナ休校の春①」/文部科学省4月23日の事務連絡

  

今日は令和2年4月26日。

  

今日の朝日新聞朝刊を見たら、

「いま子どもたちは/コロナ休校の春①」というコーナーが

始まっていました。

初回の今回は、Zoomを使った実践を行っている

埼玉県越谷市の新方(にいがた)小学校のことが

紹介されていました。 

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Zoomを使った朝の会は全員でできるわけではありません。

インターネット環境が整っていなくて、親がスマホを

職場にもっていったら、参加できません。

 

記事を引用します。

  

 田畑(栄一)校長は「あくまで目的は子どもたちの安否確認。Z

oomは手段に過ぎません」と話す。参加できない子の家庭には担

任が電話で様子を尋ねる。「午後なら参加できる」という声があり、

午後3時半からの「遠隔学級会」を設定したクラスも。手探りが続

く。

 文部科学省は21日に全国へ「平常時のルールにとらわれず」に

ICTを活用し、デジタル教材の活用や双方向のオンライン授業を

導入することを促した。だが、市教委から学校に貸与されるパソコ

ンはセキュリティーが厳しく、Zoomは使えない。

 また今後オンラインで授業まで実施するとなれば、教育の機会均

等の原則を考えると「全員参加が必要」だと田畑校長は考える。

「市教委や県教委がそこを目指せるよう、国がルールや環境を整え

てくれたら一番いいのですが」

 

  

太字で書いたことは驚きました。

そのようなお達しがあったのですね。

ここで見ることができました。☟

文部科学省事務連絡 令和2年4月23日

どさっと引用します。

読んでおくことで、行動が変わると思います。

  

1.ICT の活用の推奨について

文部科学省としては、新型コロナウイルス感染症対策による臨時休業等を踏まえる
と、各自治体及び家庭におけるICT 環境整備の状況に配慮しつつ、あらゆる機会にICT
を最大限にご活用いただくことが子供たちの学びの機会の保障に効果的であることか
ら、家庭においてもICT を積極的に活用いただきたいと考えています。
自治体の中には十分整備されたICT 環境をこの機会にフル活用している自治体もあ
りますし、環境が十分でなくても、家庭のパソコン・タブレット等を活用して課題を
出したり、ICT を活用して健康観察や学習成果を確認しつつ、電話等でフォローした
りする取組を行っている自治体もあります。このようにICT を活用することで、子供
たちの学びの機会を保障することは極めて重要です。
また、ICT は、学校と家庭との連絡をメール等で行うなど、校務でも積極的に利用
されるものです。さらに、教職員が端末を持ち帰る、または自宅の端末を利用するな
どして、テレワークを行うことも積極的に推奨されます。
これらの取り組みを積極的に行っている学校現場とそうでない現場との格差が広が
っていくことは適切ではありません。
文部科学省としては、全国的な長期休業というこれまで類を見ない緊急時であるこ
と、各学校や家庭でICT 環境が様々であることを鑑みると、平常時における学校設置
者や各学校の一律のICT 活用ルールにとらわれることなく、家庭環境や情報セキュリ
ティに十分留意しながらも、まずはその積極的な活用に向け、現場を最もよく知る教
員が家庭とともにあらゆる工夫を行えるよう対応いただきたいと考えています。

  

2.家庭学習の際のICT の具体的な手段について
文部科学省としては、令和2年度補正予算案のとおり、「GIGA スクール構想の加速」
により子供たちの学びを保障できる環境を早急に実現できるよう努めてまいります
が、既に新型コロナウイルス感染症対策のための臨時休業が延長されている学校も相
当数生じてきております。各自治体におかれては、各学校や家庭の環境が様々な中で、
それらのリソースを最大限活用して臨時かつ早急にICT を活用する方法として考えら
れる以下の主な対応も踏まえつつ、平常時のルールにとらわれることなく自治体や家
庭におけるICT 環境を最大限に活用するよう現場による臨機応変な対応をお願いしま
す。
① 家庭でパソコン・タブレットやスマートフォン等ICT 機器を所有している場合には、
それが児童生徒の家庭学習にも活用されるよう、家庭の理解を得つつ進めること。
その場合には、臨時休業期間中の児童生徒の学びの保障にパソコン・タブレット
やスマートフォン等のICT 機器が有効であることについて、保護者の十分な理解を
得た上で、情報モラルや健康への影響等にも保護者に十分留意していただくこと。
その際には、教育委員会や学校において端末の貸出や代替措置を講じるなど、家庭
でこれらのICT 機器を活用できない児童生徒の学びに十分配慮すること。
② 家庭にWi-Fi 環境などがない場合が想定されるため、各学校では家庭の通信環境に
ついて至急把握すること。その際、保護者や児童生徒などが使用する家庭のスマー
トフォンやモバイルルーター等を活用できる場合には、それを通信手段として活用
すること。
この場合にも、スマートフォン等が自宅等にいる児童生徒と学校をつなぐ有効な
手段であることについて、保護者の十分な理解を得ること。
これに関し、総務省から4月3日付で電気通信事業者関係団体に行われた要請を
受け、複数の電気通信事業者において、携帯電話の通信容量制限等について特別な
支援措置の実施を公表しているので、各社の支援措置を確認し、必要に応じ活用す
ること。当該支援措置は、各電気通信事業者において、教育の重要性へのご理解の
下で特別に配慮いただいたものであるため、各教育委員会においては、当該支援措
置の趣旨について学校を通じ保護者や児童生徒に理解いただくとともに、学習目的
での利用に限るよう周知徹底する等の取り組みを行うこと。
③ 学校で既に整備されている端末を持ち帰って活用することが可能な場合には、平常
時のルールにとらわれることなく積極的に持ち帰りを推奨して活用すること。
その場合には、アクセス制限など情報セキュリティの確保等に十分配慮すること。
また、学校の端末を貸し出す場合は、家庭における当該端末の適正な管理について
協力を求めるとともに、各教育委員会において、当該端末の不具合や故障が生じた
際の問い合わせに対応できる体制を整えることが望ましいこと。さらに、②による
各家庭の通信環境に留意し、家庭に通信環境がない児童生徒の学びにも十分配慮す
ること。なお、文部科学省としても、今後、端末の持ち帰りに関するガイドライン
をお示しする予定であるが、取り急ぎ、(別紙)の持ち帰りのルールのサンプルも
参考にすること。
また、家庭での学習が不可能な設定でも、設定変更により可能とできる場合も多

いので、導入(設定)事業者と相談すること。
端末の整備にあたっては、各自治体や家庭におけるICT 環境の整備状況等を踏ま
え、例えば、卒業までの期間やICT リテラシーが高くより効果的な活用が期待され
ることを考慮して、最終学年に対して端末を優先的に整備するなどの対応をするこ
と。

 

 

「平常時のルールにとらわれることなく」という言葉が、

ワクワクします。

「現場を最もよく知る教員が家庭とともに

あらゆる工夫を行えるよう対応いただきたい」もいいです。

そう思いませんか?

「世界」(2020年5月号)⑥ アフガニスタンの現状

  

今日は令和2年4月26日。

  

前記事に引き続いて、

「世界」2020年5月号(岩波書店)より引用していきます。

  

昨年12月4日に中村哲さんの訃報を聞いてから、

アフガニスタンへの関心が高まっています。

「世界」5月号にも、NHK報道局国際部副部長の宮内篤志さんが、

アフガニスタンの様子を伝える記事を書いています。

 

一部引用します。

  

 タリバンの活動資金は日本円で年間450億円程度とみられてい

るが、その半分がアヘン関連と指摘される。こうした潤沢な資金で

武器を購入し、戦闘能力を高めるーーなかには軍事用の暗視ゴーグ

ルを購入することで、夜間の急襲能力を強化しているという情報も

ある。実際、タリバンは政府の治安部隊に対する夜襲を得意として

おり、専門の特殊部隊「レッド・ユニット」も発足させている。

 ちなみにアヘン生産の増加した原因の一つが、中国製太陽光パネ

ルの急速な普及だ。インフラの脆弱(ぜいじゃく)なアフガニスタ

ンでは長年、電力の確保が課題となってきたが、ここ数年、安価な

中国製パネルが市場に出回り、各家庭に普及し始めている。私たち

がジャララバラード市内の電気店を取材した時も店頭のパネルはす

べて中国製だった。農家は電動ポンプを稼働して地下水をくみ上げ、

作物に水をやる。もちろん野菜や果物などの場合もあるが、アヘン

のほうがはるかに買い取り価格も高く、手っ取り早い現金収入の手

段として魅力的なのだ。

 中国製の太陽光パネルをめぐっては、かつて、ダンピングだとし

てEUが暫定的に制裁関税をかけるなど経済摩擦となっていた(2

013年に和解)。中国国内での生産に歯止めがかからないなか、

価格が下がった中国製パネルがアフガニスタンにまで流入し、アヘ

ンの生産を加速させていたのである。

(130~131p)

  

「ダンピング」の意味がわからず。調べました。

コトバンクより☟

「外国市場を確保するため、国内価格よりも低い価格で

商品を外国へ販売すること。」

  

陽光パネルを製作販売した人たちは、

そのパネルが、アフガニスタンでアヘンの生産を加速させるなんて

予想もしなかったことでしょう。

でも電力のなかった地域に、電力をもたらしたことで、

恩恵を受けていることは多いわけです。

世の中、どのような展開になるか、なかなか見当がつきません。

  

 

駐日アフガニスタン・イスラム共和国特命全権大使の

バシール・モハバットさんも、

アフガニスタンの現状を伝えています。

一部引用します。

  

 現在のアフガニスタンは、国家としての歴史はまだ18年。民主

主義という点でも未熟なところはあります。しかし、タリバン政権

時は70万人程度の子ども、しかも男の子しか学校に通えませんで

したが、いまは女の子も含め1000万人近くが学校に通っていま

す。そしてインフラが整備され、生活環境は改善されています。ア

フガニスタンにとって世界第2位の支援国である日本の援助が非常

に大きいのです。ニュースは悲惨な事件に偏りがちですが、日本国

の税金が活きていることも、この機にぜひお伝えしたいです。

(139p)

   

日本に伝わってくるニュースは、中村哲さんが殺されたことや、

アメリカとタリバンは交渉しているが、アフガニスタン政府は

蚊帳の外だったとか、旱魃・洪水など自然災害が多いなど、

大丈夫なのかと思うようなことを伝えてきます。

バシール・モハバットさんの発言は、ホッとさせてくれます。

  

  

  

  

以上で、「世界」2020年5月号からの引用を終えます。

「世界」(2020年5月号)⑤ 日本国内で初めて花粉症患者が出たのは1961年

  

今日は令和2年4月26日。

    

この春、私は花粉症に悩まされていません。

ここでも道草 ミネラル水で3つの効果が出ました(2020年3月31日投稿)

☝ ここでそう書きましたが、現時点でも花粉症は発症していません。

ミネラルを摂取することが、花粉症の発症を防いでいるのでしょうか。

ということは、それまでの生活はミネラル不足?

  

前期にに引き続き、

「世界」2020年5月号(岩波書店)より引用していきますが、

花粉症のことも書いてありました。

  

東京農業大学教授の小塩海平さんが

「スギ花粉症になることができた日本人」という記事を

寄せています。そこからの引用です。

  

この記事によると、日本国内で最初に花粉症患者が出た報告は、

1961年でした。ブタクサ花粉症でした。

スギ花粉症が国内初めて論述されたのはその3年後の

1963年した。

それまで、外国では花粉症はあったのに、

日本国内では発症しなかったので、

日本人は花粉症にならない民族なのかと言われていたようです。

しかし、1920年代、花粉症になった

日本人の記録はいくつかあるようです。

  

 1920年代、日本人がアメリカで花粉症の診断を受けたケース

がいくつか存在する。住田朋久の研究によると、日本初のオリンピ

ックメダリストである熊谷一彌(1890~1968)も花粉症を

患っていたという。

 熊谷は、1920年のアントワープオリンピックで、テニスのシ

ングルスとダブルスの両方で銀メダルを獲得した伝説の英雄である。

初めて発症したのは、翌年アメリカで行われたデビス・カップの最

中、インド戦を控えた1921年8月初旬のことであった。『テニ

スを生涯の友としてーー熊谷一彌遺稿』(1976年 講談社)か

ら、引用してみよう。

 「テニスをして体を動かしている間はそれほどではないのだが、

宿に帰って静かにしていると、鼻の様子がどうもおかしい。早速土

地の医者に見てもらうと、やはり風邪だという。風邪ぐらいならば

すぐ直ると思い、気にとめずにいたが、2,3日たっても一向に良

くならない。(中略)あとで人の話を総合してみると、これがかの

有名な風土病である゛枯草熱”(ヘイ・フィーバー)の初期であった

のだ」

(257p)

  

今では当たり前になっている花粉症ですが、

100年前には、ほとんどの日本人には

縁がなかった病気だったのです。

なぜこの病気が日本で流行るようになってしまったのだろう。

そして不思議で、解明したいのが、

なぜ今年私は発症しないのだろうということ。

昨年前と今年で大きく違うのは、

ミネラル水を飲んでいることしか気がつきません。

今年の飛んでいる花粉が、質が違う可能性もあります。

来年も、ミネラル水を飲み続け、花粉症にならなかったら、

ミネラルの摂取が花粉症防止に役立つと考えてもいいのでは。

「世界」(2020年5月号)④ デジタル機器導入→学力向上とは限らない

   

今日は令和2年4月26日。

  

4月22日の記事に引き続き、

「世界」2020年5月号(岩波書店)より引用します。

  

数学者の辻元(つじはじめ)さんが「デジタル教科書は万能か?」

というタイトルで記事を寄せています。

その中で印象に残った記事を引用します。

  

 デジタル機器の導入は時代の要請だという面はありますが、少

なくとも現在のところ、デジタル機器がたしかに学力を向上させ

るのに役立つという研究結果は存在しないと思います。実際、効

果の検証は行われていますが、はっきりと学力向上が見られたと

いう報告はありません。たとえば佐賀県武雄市では「スマイル学

習」と呼ばれる生徒一人一台のタブレットPCを使った大規模な

ICT教育の導入実験が行われましたが、学力への明確な効果は

得られなかったという結論になっています。他にもデジタル機器

導入への実践実験は数多く実施されていますが、学力への効果は

明確に認められているとは言えません。※注4=ICTを活用し

た教育効果については、山田篤裕研究会教育②分科会「ICTを

活用した教育効果について」ISFJ日本政策学生会議「政策フ

ォーラム2018」発表論文。

(176p)

   

デジタル機器導入が学力向上につながると安直に考えるのは、

絶対に良くないとは思っています。

教師が勉強して腕をあげる必要はあると思っています。

 

  

さて、次の文章に書かれていることをどう思いますか。

私は、現時点では理解できないところもあり、賛否が決まりません。

でも書き留めておきたいと思った文章です。

本に書かれた文章を読む場合と、

ネットの画面上の文章を読む場合の比較です。

  

■ 情報量と教育効果

 人間の記憶には、長期記憶の他に、短期記憶を元に、情報処理を

行なうワーキングメモリーがあります。つまり思考の材料を短期記

憶として頭の中に並べ、それらを情報処理することで、人間の思考

は成り立っているわけです。したがって、深い思考をするには、ワ

ーキングメモリーをできるだけ無駄なく使うことが必要になります。

これが集中力の正体です。つまり、集中することは、頭の中に無駄

なものを置かないことで、思考のフリーハンドを獲得することなの

です(禅の精神に通じるものですね)。

 人間のワーキングメモリーには限りがあり、それを拡張する方法

は知られていません。従って、現在のところ、深い思考をするため

には、何よりも、頭の中に、無駄なものを置かない、つまり情報の

エッセンスだけをおいておき、ワーキングメモリーの使用を最小限

にしておくことが望ましい訳です。

 

■ 本とコンピュータ画面の違い

 端的に言えば、本の素晴らしいところは情報量が凝縮されて少な

いことにあります。静止した対象に向かい直線的にひたすら注意す

る必要があり、情報量が少ないので思考や想像をめぐらせないと理

解できません。ですからページをめくりながら本を読むと強制的に

思考をすることになり、深くストーリーに関わることになります。

 対照的に大量の競合する情報や刺激に溢れているインターネット

やコンピュータ画面上で本を読むと、情報と刺激の洪水に晒(さら)

されるため、ワーキングメモリーがオーバーフローしてしまいます。

思考することができずに、受け身になってしまい、主体的に思考を

めぐらせることは難しくなります。

 このように、印刷された本と、コンピュータ画面とは情報量が全

く異なります。コンピュータ画面に向き合うと受け身になってしま

い、主体的に考えることは困難です。情報量が少ない方が深く対象

に向き合えることは、ハイパーリンクの沢山ついた文章とついてい

ない文章を被験者に読ませた後、その内容について正確に記憶して

いるか、内容を理解しているかを確かめる質問をする実験でも示さ

れています。つまりハイパーリンクは一見分かり易さを増すように

思われるけれども、実際には文章を深く読むのには注意散漫になっ

てしまって、逆に理解の障害になっているという実験結果が得られ

ているのです。

 このよにデジタル機器の活用は、生徒の興味関心をひく半面、思

考の省略に繋がってしまう面も否定できません。

(178~179p)

  

最初に読んだ時には、なるほどと思って読みましたが、

待てよと思って、読み直すと、違うなあと思えてきました。

ハイパーリンクがつかない同じ書籍を、

本で読もうがPC画面で見ようが集中力の大差は

ないように思えます。

ただPC画面の場合、ハイパーリンクがなかったとしても、

つい脱線しがちです。

ネットニュースを見たり、メールチェックしたりしがちです。

PC画面は簡単にいろいろなものとつながっているからです。

そういう面を含めるなら、PC画面は思考が深まらないかもしれません。

本は集中できます。

  

藤原和博さんの書いたことに賛同します。

ここでも道草 「本を読む人だけ」⑤ 中学校では3割が情報編集力(2020年1月9日投稿)

再引用します。

 

本は、物理的なものであるがゆえに、読み終わったあとの達成

感がある。

  

  

「人は生を受け、死を迎えるまで、結局、他人と完全にわかり

合うことはできない」

これこそが、21世紀型の成熟社会に通底する基本認識だと私

は思う。だから、四六時中ネットにつながるのではなく、ネッ

トから切れて「スタンドアローン」になることが重要になる。

孤独に耐える訓練にもなるからだ。

私は、仕事をするときとは別の場所で本を読んでいる。そこに

はパソコンはない。スマホも携帯も使わないで、本を読むとき

は完全にスタンドアローンの状態だ。

本は、このようにスタンドアローンになることに適した端末だ。

ただそこに黙ってあるだけ。逆の見方をすれば、本は、孤独に

耐えながら読むに限るということ。そこから生まれる達成感は、

次の本へ向かわせる原動力になる。

  

スタンドアローン状態だと、

ワーキングメモリーがフルに使えるように思えます。

2020年4月25日 (土)

2018年のマラリアでの死者数は40万人超

 

今日は令和2年4月25日。

  

新聞の朝刊は毎日見ることにしていますが、

夕刊はあまり見ていません。

たまに見た夕刊に、驚きのことが書いてありました。

2020年4月24日朝日新聞夕刊6面。

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4月25日午前4時時点での、新型コロナウイルスによる死者数は

世界で19万3930人です。

※参考:AFP BB NEWS

それを上回るマラリアの恐怖。

「マラリア」から連想したのが「国境なき医師団」のサイトです。

 

Photo 国境なき医師団

 

何か貢献したいなと、時々思います。

そんな時、このサイトで簡単に寄付できます。

思っただけでなく、実行ができます。

今回、私は実行しました。

皆さんもどうですか?

ハナコ「爆弾処理班」 いかに顔の表情が大事か

  

今日は令和2年4月25日。

  

昨年12月に参加した教育と笑いの会で、

話し方で大事なものは、

 ナンバリング 

 ラベリング 

 ジェスチャー

だと教わりました。

ここでも道草 落語【遊山船】を聞く/ゼロ歳児から百歳までを対象とした教育施設(2019年2月17日投稿)

顔の表情もジェスチャーと考えると、

今年3月15日放映の「ザ・ベストワン」での

ハナコの岡部さんの顔の表情は素晴らしい。

顏芸で笑わされました。

列挙します。

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実際に、このコントを見てみたいですよね。

 

何と、動画がありました。


YouTube: 【ザ・ベストワン】 ハナコ|キングオブコント優勝の原型になったペストワンネタ

2020年4月24日 (金)

記事「スペイン風邪に学ぶこと」で勉強

   

今日は令和2年4月24日。

  

2020年4月24日、つまり今日の朝日新聞朝刊に、

スペイン風邪に学ぶこと

という見出しで記事が掲載されていました。

こんな図が載っていました。☟

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一部引用します。

 

 テレビやインターネットがなかった当時、広報に使われたのが

ポスターだ。車内で口を開けて寝入る男性を描き「マスクをかけ

ぬ命知らず!」と過激な調子で呼びかけるものなどが作製された。

  

上の図のポスターの3枚目に「マスクをかけぬ命知らず!」

とあります。

3枚目の上部には「恐るべしハヤリカゼ、のバイキン!」

とあります。

他のポスターも見てみます。

1枚目。

汽車電車の中ではマスクせよ 外出の後はウガヒ忘るな

2枚目。

悪性感冒 病人は成るべく別の部屋に!

4枚目。

「テバナシ」に「セキ」をされては堪らない

ハヤリカゼはこんな事からうつる!

 

マスクの歴史について知りたくなりました。

100年前には存在しました。

マスク専用HP マスクの歴史

☝ このサイトによると、マスクは工場の粉塵よけとして

大正時代に作られたのが始まりでした。

1918年(大正7年)以降のインフルエンザ(スペイン風邪)の

大流行にともない、感染予防のものとして注目されたようです。

ポスターに描かれたマスクは、最新の予防用具だったのです。

そして今もマスクは重要な予防用具です。

  

 

上の図で日本に3回、スペイン風邪が流行したことがわかります。

記事の一部を引用します。

  

 内務省衛生局が、スペイン風邪の記録をまとめた「流行性感冒」

(平凡社)によると、国内では18年8月~19年7月の最初の大

流行の後に19年9月~20年7月、20年8月~21年7月にも

流行期があった。国内の患者数は約2380万人、死者約38万8

千人とされる。後の研究で、死者約48万人との推計もある。

  

以前の記事と関連づけることができました。

ここでも道草 「ETV特集 緊急会談 パンデミックが変える社会 歴史から何を学ぶか」から学んだこと (2020年4月11日投稿)

ここで次のように書きました。

  

スペイン風邪。日本の場合は2回目の流行の方が致死率が高い。 

100人あたりの死亡者数

 1回目の流行 1.22人

 2回目の流行 5.29人

 (東京都健康安全研究センター)

 2回目の流行の方が強毒となり、若い人の死者が増えた。

  

 

上の図を見ると、一見2回目の流行期は、1回目との比較で、

死者の数が少ないことに目がいきます。

しかし、致死率が高くなっていることに気がつきます。

1920年1月の患者数は133万2713人で

死者数は5万5096人。

100人あたりの死者数は4.13人

同年2月は患者数58万1816人で、死者数は3万8485人。

100人あたりの死者数は6.61人

同年3月は患者数15万9370人で、死者数は1万7302人。

100人あたりの死者数は10.86人

  

4月11日の記事の5.29人という数字は、

おそらく第2回目の流行の平均であって、

ピークの月には、100人のあたりの死者数は

10人を越えていました。

  

10%を越える致死率。

さぞ不安な世の中だったろうなと、今と重ねて想像できます。

  

上図の【命を落とした主な著名人】の中で

辰野金吾」に目が留まりました。

辰野金吾さんは、東京駅のことを調べた時に必ず出てきた人です。

何度も私のブログに登場しています。

最初はいつだったか調べました。

2011年1月25日でした。

ここでも道草 戦災前の東京駅

その記事を見てビックリ。

次のように書いてありました。

 

ところで設計者の辰野金吾さんが亡くなったのは

1919年(大正8年)。

理由は当時世界で流行していたスペインかぜ。インフルエンザです。

人類が最初に遭遇したインフルエンザの

大流行(パンデミック)の犠牲となりました。

そんなことも調べていて知ったので、ここに書いておきます。

  

 

9年前の私は、ちゃんと調べていました。

すっかり忘れていました。

2020年4月22日 (水)

「世界」(2020年5月号)③ 「スクープ」の対極は「忘却」

  

今日は令和2年4月22日。

  

私のブログのアクセス数は平均約220/日です。

4月に入ってほぼ毎日平均を上回り、

最近は400を越えます。

皆さん、家で自粛されていて、

ネットサーフィンをする時間が増えて、

私のブログが引っかかることが多くなったと予想します。

読んでくれるのはありがたいです。

私にとってネットはアウトプットの場です。

アクセス数が多いのはやっぱり励みになります。

今日はまだ書きます。  

    

前々記事に引き続いて、

「世界」2020年5月号(岩波書店)より引用します。

  

神保太郎さんが「メディア批評」のタイトルで

記事を寄せています。

そこからの引用です。

  

■ 忘却と戦うジャーナリズム

 「スクープ」の対極にあるのは「忘却」だろう。森友疑惑は、

「疑惑の国有地売却」を報じた朝日新聞のスクープから始まり(

2017年2月9日)、「首相夫人の介在」「不透明な売却交渉」

などが国会で問題になった。防戦に当たったのが佐川宣寿理財局長

(当時)だった。「交渉記録は内規に従い廃棄した」の一点張りで

疑惑を包み隠した。時が経てば、世間は忘れる。北朝鮮のミサイル、

加計学園疑惑、豪雨災害・・・。ニュースの洪水が人々の関心を押

し流す。忘れさせれば勝利なのだ。

 忘却との戦いに突破口を開いたのは、また朝日新聞。「交渉記録

改竄」を暴いた(2018年3月2日)。財務相の引責辞任に値す

る組織悪が発覚しながら、麻生大臣は歳費に上乗せされる閣僚給与

1年分(約170万円)の自主返納で居座った。佐川局長ら20人

が減給などの処分を受けたが、これで手仕舞い。大阪地検は関与し

た全員を不起訴処分に。権力の総がかりで森友は再び忘却の闇に隠

された。

 しかし、忘れることができない人がいる。遺族は三回忌の節目に

「死の真相」を求め動き始めた。「二人は調査される側で、再調査

しないと発言される立場ではないと思います」。二人とは安倍首相

と麻生財務相である。

(97p)

  

  

森友疑惑については、当初はよくわかっていませんでした。

首相夫人が名誉校長だから、土地が安くなった?

首相に忖度して公文書改竄?

そんなことあるわけないじゃんという視点もあったと思います。

しかし、桜を見る会の件で、そんなことあるわけないじゃんと

思えるようなことが、実際に起こっていると感じました。

新たな視点です。

その視点で見ると、森友疑惑も加計疑惑も、

実際にとんでもないことが起こったのだとわかりました。

  

  

3月19日の麻生財務相の会見の様子が記されていました。

  

 翌19日の会見は、(3月18日の会見と)雰囲気が少し変わっ

た。テレビ東京の記者が、「大臣はまだ(赤木俊夫さんの)遺書や

手記をご覧になっていないということでしょうか」と問いかけた。

「ゲラみたいなやつは読みましたよ。現物を読んだか、といったら

私は現物をいただいておりませんから」と麻生氏。

 「読んだなら感想を聞かせていただきたい」。記者はたたみかけ

た。「読んでいないので答えようがない」と逃げる大臣。「ゲラで

読んだんでしょう。内容は同じです。感想を」と迫る記者を「同じ

内容かどうかわからない。あなたの話が本当かどうかもわからない

からね」と突っぱねた。頑張ったテレ東記者に同調する質問が連発

された。「全文をきちんと読んで、感想を語る考えはないか?」(

テレビ朝日)「調査報告書の会見で『なんでやったのか、それがわ

かれば苦労しない』という趣旨のことをおっしゃっていた。であれ

ば実態を解明するために何かやってもいいのでは」(朝日新聞)「

近畿財務局で文書が見つかった経緯は調査報告書と違う部分もある。

改めて調査する考えは」(東京新聞)「佐川局長から明確な指示が

あったという指摘は、新たな事実に当たらないのか」(共同通信)

 麻生氏は憮然として、「出した文書、あれが私どもが調査した結

果ですから。新しい手記があって、あの種のご指摘は前からあった

ところでしたけど、調査したうえで、私どもはそうではないという

結論を出して、あの調査書をあげさせていただいておりますから」

 そして「最後に」と前置きしてこう述べた。「ちょっとさあ、財

研だったらさ、WTI(原油先物価格)が20ドルに下がってどう

ですかぐらいの質問は出んのかね。えらいことじゃないの?それも

知らない?・・・みんなしらーっとして、森友。これ、社会部じゃ

ない。少なくとも、これぐらいでかい話、いまないと思うけどね。

どうして出ないの?WTIって見たことない?財研か、ここは?」

 支離滅裂な愚痴を撒き散らし退席した。

(98p)

  

私はこの会見を、読んだ時点で見ていませんでした。

実際に見たくなりました。

ありがたいことに、今の世の中、その気になると見ることができます。

TBS NEWS【全録】麻生会見すべて見せます

該当のシーンは7分30秒からです。

よかったら退席まで見てみてください。

 

記録に残したい会見です。

忘却したくないです。

政治家はこうでなくてはやっていけないのでしょうか。

そうだとしたら、政治家という職業は、

教え子に勧められません。

EdTechとは?/100年前の教師が現代にやってきたとしても・・・

今日は4月22日。

  

前記事の中で出てきた「EdTech」について。

  

どういうものだろうと調べていて、次のサイトを見ました。

デジタル・ナレッジ EdTechとは

 

ここに気になる文章がありました。

引用します。

 

デジタルやICT(情報通信技術)を既存産業に掛け合わせることで

新しい価値を生み出す「X-Tech」。

FinTech(金融×テクノロジー)やMedTech(医療×テクノロジー)、

AgriTech(農業×テクノロジー)など多数ありますが、

その中のひとつ『EdTech(エドテック)』が

近年大きな盛り上がりをみせています。  

Edtech  

EdTechとは、教育(Education)× テクノロジー(Technology)を

組み合わせた造語で、教育領域にイノベーションを起こすビジネス、

サービス、スタートアップ企業などの総称です。

「100年前の教師が現代にやってきたとしても

何ら問題なく授業を行えるだろう」と揶揄されるように、

教育現場は良くも悪くも変化のないいわば“聖域”として

しばしば取り上げられてきました。

しかしながら、あらゆる分野でテクノロジーが活用されることで

私たちの生活が変わり、その恩恵を享受するようになった今、

教育分野もまたテクノロジーを取り入れようとしています。

ここで指すテクノロジーとは、AIやVRなどの先端技術はもちろんですが、

すでに一般的となっている汎用技術(アプリやソフト、デバイス)

も含みます。こうした技術を活用し、これまで当たり前と思っていた

仕組みや制度、考え方までも含め、根底からひっくり返してしまうような

イノベーションの可能性が期待されています。

   

「EdTech」の意味はわかりましたが、

太字でうったところはぬぬっと思いました。

否定したいけど、否定できないところがあります。

なぜ学校は、以前のように世の中の最先端では

なくなってしまったのでしょう。

世間の後を追うようで辛いところです。

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