« 2020年3月 | メイン | 2020年5月 »

2020年4月

2020年4月22日 (水)

「世界」(2020年5月号)② ICT活用でインクルーシブ教育を実現

今日は令和2年4月22日。

  

前記事に引き続き、

「世界」2020年5月号(岩波書店)より引用します。

  

元文部科学事務次官の前川喜平さんが、

「教育政策と経済政策を区別せよ/

GIGAスクール構想の行方をめぐって」というタイトルで

記事を寄せています。 

 

その中で印象に残った文章を引用します。

  

 ICTの活用は、障がいの有無にかかわらず「ともに学ぶ」イン

クルーシブ教育の実現の上でも重要だ。様々な障がいがICTで克

服できる。それを積極的に実現することは教育行政の責任だ。「合

理的な配慮」という言葉が子どもたちを「分ける」ための口実に使

われてはならない。ICTの発達によって「合理的な配慮」は日々

拡大し、ともに学ぶ環境は広がる。

(168p)   

  

 特別支援学級の児童に効果的にICTを活用しているのが、

井上賞子先生です。

こうやってICTを使えばいいんだと思わせてくれたのが、

昨年のセミナーでした。

先に書いたように、この夏、オンラインで井上賞子先生の

セミナーを再び聴くことができます。

8月13日です。

絶対実践に結びつけたいと思います。

インクルーシブ教育を実現するだけでなく、

インクルーシブな社会を実現したいですね。

 

 ICTはもはや現代社会には不可欠だ。一般の職場ではとっくの

昔に実現している情報端末一人一台の環境が、未だ学校に無いこと

の方がおかしい。文明開化の時代、学校は先進文明への窓口だった。

未来を生きる子どもたちには、学校こそ先進分明に触れる場でなけ

ればならない。パソコンなどの情報端末は、すでにノートと筆箱と

同じような文房具だと言っても過言ではない。学校での「一人一台」

の先には「BYOD(Bring Your Own Device)の時代が予想さ

る。情報端末は「教育」ではなく「学習」のための道具となる。

(168p)

 

そうです。教師もタブレット端末は文房具であって、

それを使って、生徒に身につけさせたいことがあるのです。

その気持ちを忘れずに。

使い方で振り回されないようにしたいです。

  

  

 

 まずは、教師たちの負担感や抑圧感を取り除くことが必要だ。「学

び続ける教師像」は大事だが、それは教師たちを上からの研修漬けに

することではない。自由に学ぶ時間を確保することこそが重要だ。I

CTは教師も学ぶことが必要になる。

 EdTechとして宣伝される様々な学習方法については、ICT企業

のセールストークに惑わされず、踊らされず、あくまでも教育者の座

標軸を失わず、冷静に吟味しながら学んでほしい。

(171p) 

  

もう定年まで2年弱になってしまいましたが、まだ勉強したいです。

ICTを使って、目の前の生徒の力を伸ばしたいです。

(う~ん、書きながらテンションが上がってしまいました)

EdTechについては次の記事へ

  

  

 およそ教育には、人類が過去に積み重ねてきた学問や文化を次の世

代に継承するという目的と、未来を生きる子どもたちに自分たちの人

生を切り開き自分たちの社会を作っていく力を与えるという目的とが

ある。教育は過去と未来とのはざまにある。だから学校には「過去の

人」も存在していい。「自分はアナログ人間だ。ICTなど不要だ。

本とノートと黒板があれば十分だ」という教師もいていい。デジタル

世代の若い教師が増えているのは一つの僥倖(ぎょうこう)だ。未来

志向の教育は若手に任せ、年長の教師は過去を伝える仕事に専念する

という、世代間の役割分担もあっていいではないか。

(171p)

  

文中の「年長の教師」はまさに自分のことです。

でも「過去を伝える仕事」には専念できませんね。

「過去を伝える仕事」もしつつ、ICTも使いこなしたい。

  

  

つづく

「世界」(2020年5月号)① 福島県浪江町の元住民が戻りたくない理由

  

今日は令和2年4月22日。

  

ここでも道草 「世界」5月号がやっと手に入りました(2020年4月13日投稿)

やっと手に入れた月刊誌「世界」2020年5月号(岩波書店)を

あらたかた読み切りました。

  

Epson291   

読んでみて、世の中には知らないことがたくさんあるんだなあと

あらためて思いました。

すべてのことを知って、それぞれについて自分の考えを持ち、

できることは実行していく・・・なんてことは1人の人間には

無理なことだとあらためて思いました。

運よく出合った情報には、真摯に向き合っていきたいです。

何から引用しようかな。

     

福島の話。

帰還困難区域であったところが、

除染して帰還困難が解除しました。

ところがもと住民にとっては複雑な気持ちになるようです。

浪江町の菅野さんの発言。

  

「実は私のところは2年前から特定拠点解除が始まっています。5

年で除染して、該当する人たちを家に帰すと。それでウチもその該

当になってしまったんです。だから近所の人たちから『まあ、おめ

たちは運が悪いな』と言われる。そったらもん、帰れるわけねえべ、

って。でも選ばれてしまった以上、私たちは『帰れない人』から『

帰らないことを選ぶ人』になるのです。これだけ国が税金を使って

除染をしたのにと、今度は帰らないことを責められる立場になる。」

(中略)

「除染作業をしてもらったということは、誰かに被曝労働を強いた

ということでもあるんです。私たちが避難しているところの汚染を、

自ら被曝しながらどかしてくれる人たちがいる。そのやりきれなさ。

そんなにまでして除去してくれているのに、私たちはそこに住める

とは思えない。そのことの申し訳なさ。だって山は除染しないんで

すよ。我が家の水源は1キロ先の山の中です。そこにはまだ10μ

(マイクロ)シーベルのところもある。いくら表面を剥いでも、周

りの山が除染されていないから、雨が降れば放射性物質も流れ出る

し、風で飛んでくる。今でもフクイチからは放射性物質が出続けて

いるわけですから。たとえば横浜の公園で1μシーベルト以上の汚

染があったら、直ちに黄色いロープが張られて、除染したというこ

とがニュースになる。でも福島では年間20ミリまで被曝しても構

わないことになっているんです。レントゲン室は5ミリまでの被曝

はやむを得ないと言われますよね。私たちはレントゲン室で子育て

しても構わないということですよね。それが福島の暮らしなんです。」

(200p)

   

  

実際に福島県に行って、大熊町に行ってみて、

帰還することができるようになったのに、

元住民は戻っていない状況を見てきました。

この菅野さんのような思いをもっている人が多いのかなと

想像します。

  

「福島イノベーション・コースト構想」というのがあります。

東日本大震災および原子力災害で甚大な被害を受けた浜通り地域に、

新たな産業基盤を築くことを目指す巨大な国家プロジェクトです。

最先端産業を集積し、雇用を生み出し、

地域を復興しようというものです。

実際にすでに施設ができあがっています。

しかし、元住民の暮らしとは結びついていないようです。

浪江町の菅野さんの発言です。

 

「立派な建物が建って、研究所ができて、でも人の暮らしとか、

子どもたちや年寄りの健康に目を向けない。結局、生産性でし

ょう。どうやって日本に経済的な効果が与えられるかが重要な

のでしょう。そして県外から人々が来て働けるように住宅を作

り、地元に住民票をおろしなさいと。そうすれば浪江町や大熊

町の人口が増える。町はこれだけ復興したと。でも追い出され

た人たちは外であえいでいる。私たちを置いて、町は行ってし

まう。それがイノベ構想なんだろうなと思っています」

(201p) 

  

  

被災地には最先端の産業施設ができてきていますが、

そこに最先端産業を興すことが主目的になってしまい、

元住民が戻ってきて昔のように暮らすことが

置いてきぼりになってしまったように感じます。

災害後9年目を迎えた3月11日前後で、

福島県の特集番組をいくつか見ました。

よその市町村で根をおろしている人たちがたくさんいて、

その人たちの多くは、もう戻らないと言っていました。

「世界」を読んで、戻らない理由があらたに見えてきました。

  

  

つづく

「英雄たちの選択 南方熊楠」を見る

今日は令和2年4月22日。

   

3年前の番組を見ました。

2017年3月23日放映の「英雄たちの選択

”知の巨人”  南方熊楠の闘い 熊野の森を守れ!」

より。

  

  

〇南方熊楠はよく学んだ。

 「小生は次男にて 幼少より学問を好み、

  書籍を求めて、二十町三十町を走りありき、

  借覧し、ことごとく記憶し帰り、

  写し出し、くりかえし読みたり」

〇「和漢三才図会」を書き写した。

 膨大な事典のような書籍。

〇東大に進学。イギリスに留学する。 粘菌に関心をもつ。

 当時の日本は欧化政策をとっていた、

 熊楠はその政策に反対であった。日本を含めた東洋の復権を目指す。

 留学中に意気投合した孫文に「あなたは一生かけて何をやりたい?」

 と問われて「願わくは、我々東洋人は一度西洋人をことごとく

 国境外へ放逐したきことなり」と答えた。

  

〇東大予備門の同級生

 夏目漱石 正岡子規 尾崎紅葉 幸田露伴 秋山真之

〇明治10年代に青年期だった人たち・・・無償の遊戯性があった。

 立身出世やお金のためではなく、見返りを期待せずに、

 勉強が楽しいからやっている

  

〇熊楠 熊野に住む。

 日露戦争(1904~1905年)

 戦後、神社合祀政策が行われる・・・国民の統合を図るため、

 伊勢神宮を頂点とする国家神道の確立をめざす。

 全国の神社は原則一町村一神社として整理統合することとなった。

〇日露戦争で多額の借金をして、

 それなのに賠償金を得ることができなかった。

 地方財政も苦しい・・・神社の跡地を農地にして市町村の収入とした。

            伐採した木も売って収入とした。

  

〇熊楠の考え方

 生態を壊すと、人間の生活にも影響を与える。  

 世界には不要なものはない。

 それぞれが存在理由があって、そのバランスで成り立っている。

 神社合祀政策に対して反対運動を継続的に行った。

  

〇中央政府に勤めていた柳田國男と協力して

 神社の森が失われていくのを食い止める活動を行った。

〇生き残った大木

 三重県御浜(みはま)村 引作の大楠(ひきつくりのおおくす)

__panoramio Wikipedia 引作の大楠

  

〇大正7年 神社合祀政策廃止

〇(磯田道史)

 「草の根運動だけだと先へ進まない構造を持った国(日本)」

 (北川正恭)

 「草の根運動があるからお上が動く。それがなかったら動かない」

 

〇和歌山県田辺市神島

 古来から植物が保存されてきた。

 神社合祀政策の時には南方熊楠が森林伐採から守った。

 1929年(昭和4年)昭和天皇が神島訪問 熊楠が案内した

 ミルクキャラメルの箱に納められた粘菌の標本を見せた。

 神島は国の天然記念物に指定されている。

  

〇南方熊楠は書き写すことのマニアだった。

 書き写すは大事な勉強方法。

 

〇南方熊楠のことば

 「一芸一事に達する者はたとい山中に隠るるとも

  大いにその国の福分を益す」

 

※廃仏毀釈(神仏分離令)とは違って、

 神社合祀政策という政策があったことを知り、

 それに継続的に反対運動をしていたのが

 南方熊楠であったと知れました。

 ずっと昔に南方熊楠の伝記は読んだことがあり、

 名前はしっかり覚えていましたが、

 どのような人であったのかは今回で思い出しました。

 (すっかり忘れていたので”思い出した”ではないかな)

 

※この機会に、次のサイトで勉強しました。

真の国益を実現するブログ 神社合祀と南方熊楠 

「実践 ことばキャンプ」⑦ 気持ちのいいことばや言い方をストック/自分メッセージ

  

今日は令和2年4月22日。

  

先日から、専門学校生の娘が、自宅でZOOMを使っての

オンライン授業を始めました。

5月からは、大学生の息子がオンライン授業を始めます。

オンライン授業が身近になってきました。

そしたら、ちょくちょく参加していた神奈川LD協会の

夏のセミナーがオンラインでも受講できることになりました。

神奈川LD協会 夏のセミナー2020 オンラインセミナー

さっそく申し込みました。

昨年と同じ井上賞子先生のセミナーです。

ここでも道草 20190809報告1 これぞ”特別支援” 井上賞子先生(2020年8月11日投稿)

2度3度聞いて、井上先生のやり方が身についたらいいなと思います。

  

  

閑話休題

前日の記事に引き続いて、

「コミュニケーション力を育てる 実践 ことばキャンプ」

(高取しづか著/主婦の友社)  より引用していきます。

  

「ことばキャンプ」の語彙力に関する文章です。

引用します。

  

 ことばをたくさん知っていれば、自分の微妙な心の動きや気持ち、

ニュアンスまで伝えられます。

 ただ単に「かわいい」だけではなく、「愛くるしい」「魅力的」

「キュート」と別の形容詞で表現したり、「〇〇みたいにかわいい」

のように」たとえがあれば、より具体的なイメージがわくでしょう。

 また、同じことを言うにしても、いやな気持ちになることばと気

持ちよく伝わる言い方があります。「どいて」ではなく「よけてく

れる?」、「お塩、とって」ではなく「悪いけど、お塩をとってく

ださい」。物の言い方ひとつで印象が変わり、人間関係も変わって

きます。自分も周りも幸せにする、気持ちのいいことばや言い方を

たくさんストックしておきましょう。

(53p)

  

自分もこうやって日々文章を書いていて、

月並みな表現にならないように気をつけているつもりです。

本や新聞を読んだり、テレビ番組を見たりして、

そのような言い方もあるんだなと心に引っ掛けていくことの

繰り返しかなと思っています。

すぐに「すごい」ですませてしまうので、気をつけたい。

どうすごいの?と自問し、生徒にも問いたい。

  

   

教室で「おまえひどい点数だな」「おまえでデブだな」

と言われたり、ぶたれた時にどう対応するか。

この本では次のように書いてありました。

  

ポイント:自分を主語にして伝える「自分メッセージ」について

     子どもに説明しましょう。

     「(自分は)〇〇と思う」

     「(自分は)△△されたくない」

     「(自分は)◎◎と言われたくない」  

   (80p)

  

 相手を主語にした「あなたメッセージ」よりも、自分を主語に

した「自分メッセージ」のほうが、感想がまじらずに相手に伝え

られます。

 例をあげましょう。Aくんにぶたれたとき、「(キミ)やめろ

よ! なんで(キミは)ぶつんだ?」と言うと、Aくんは非難さ

れたように感じます。でも、「(自分は)ぶたれると痛い」「

(自分は)やめてほしい」と自分メッセージで言うと、相手を非

難するのではなく、自分の気持ちや感じたことが伝わります。ま

た、感情が混じらないのでNOが言いやすくなってきます。

 大人もふだんから「自分メッセージ」と「あなたメッセージ」

を意識して、会話してみてください。

(81p)

  

なるほどです。

  

以上で、

「コミュニケーション力を育てる 実践 ことばキャンプ」

の引用を終了します。

貸してくれた同僚の先生に返します。

2020年4月21日 (火)

面白い記事「指令 オレオの『白』を盗め」

今日は令和2年4月21日。

  

今日の新聞で面白い記事を見つけました。

2020年4月21日、朝日新聞朝刊です。

  

引用します。

  

米中争覇 The Battle

指令 オレオの「白」を盗め

中国知財スパイ 米に接近

 

 世界100か国以上で愛されるビスケット「オレオ」。黒いクッ

キーにはさまれたクリームは、どうしてあんなに真っ白なのかーー。

1990年代初め、鄧小平の号令で改革開放を加速させた中国は、

先に行く国々の技術を自分たちのものにしようとしゃにむになった。

あの白さを生み出す技術も。(サンフランシスコ=江渕崇)

  

匿名の手紙 動いたFBI

  

 米化学メーカー大手のデュポンのもとに、差出人不明の手紙が届

いた。2010年夏のことだ。

 「技術が盗まれ、中国に売られています」

 手紙は、カリフォルニア州のコンサルタント、ウォルター・ルー

(62)を犯人として名指ししていた。

 ルーはマレーシア出身で米国の大学院に学び、米ヒューレット・

パッカード(現HP)に勤めた経験がある中国系技術者だった。

 刑事裁判の記録やルーの弁護人の話によると、11年夏、デュポ

ンからの通報を受けて調べを進めていた米連邦捜査局(FBI)の

捜査官が、ルーの自宅に踏み込んだ。

 捜査官は、ルーの妻の財布に入っていた貸金庫のカギを見逃さな

かった。捜査官が問いただすと、ルーは中国語で「何も知らない」

と答えるように誘導。妻はそれに従ったが、その捜査官は中国語を

解した。

 捜査官はあえてカギを返して妻を泳がせた。自宅を出た妻を尾行

し、たどり着いた先は中国系銀行だった。FBIはそこにあった貸

金庫にあったハードディスクを押収。収められていたのは、デュポ

ンの「酸化チタン」に関する大量のデータだった。

 酸化チタンは自動車や家電、衣料など「真っ白さ」が求められる

幅広い製品に使われる化合物で、食品や医薬品の着色料にもなる。

オレオのクリームの白さも酸化チタンのおかげだ。

 製造には複雑な工程が必要だが、デュポンは効率的で環境汚染の

少ない製法を1940年代に確立した。改良を重ね、業界のリーダ

ーと見なされてきた。

 経済発展の道を突き進もうとした中国は、様々な工業製品に生か

せるデュポンの技術を欲した。裁判記録によると、中国政府はデュ

ポンから技術を買おうとしたが、7500万㌦(約80億円)を求

められて断念した。非効率で有害な廃棄物を出す古い製法を続ける

しかなかった。

     

「オレオ」のクリームの真っ白さには、

そのような技術が関係していたのですね。

驚きでした。

中国が知的財産を盗むというのは、

具体的にこういうことなんだと思った記事です。

後半は新聞の記事の写真で読んでみてください。

Epson297  

 

確かに「オレオ」の白さは印象に残っていますが、

あらためて見てみたいと思って買いました。

Rimg2139

Rimg2141   

確かに白いけど、この白さが購買欲につながっているのかな。

  

箱を見ました。

Rimg2138  

アメリカのお菓子なんだなと確認しました。

軽く驚いたのが、この面。☟

Rimg2137  

原産国名が「中国」でした。

「オレオ」に関しては、米中間では問題は解決しているようです。

  

「実践 ことばキャンプ」⑥ 応答力をトレーニングするには・・・

  

今日は令和2年4月21日。

  

前記事に引き続き、

「コミュニケーション力を育てる 実践 ことばキャンプ」

(高取しづか著/主婦の友社)  より引用していきます。

  

  

「ことばキャンプ」の応答力についてです。

「声や動作で人の話にこたえる力が応答力です。」48p)

としています。応答力を鍛えるのに勧めているのが

「ごっこ遊び」です。

   

 かみ合った受けこたえの練習になるのが、ごっこ遊び。お店屋さ

んごっこ、先生ごっこをたくさんしましょう。ポイントは、子ども

に質問したり、いろいろな無理難題をふっかけること。たとえば、

駅員さん役になった子どもに、目的地までの時間を聞いたり「電車

をすぐ止めてください!」などと言ってみて、子どもはどう反応す

るでしょうか。絶好の応答力のトレーニングになりますよ。

(48p)

 

実践のヒントになるような文章です。

こちらの無理難題に、どう切り返すか。

漫才や落語の勉強も効果的かもしれません。

漫才のボケとツッコミをたくさん知っておくことが、

人生のいろいろな場面で役に立つように思います。

「ホンマでっかTV」でのやりとりもとても参考になると思います。

録画しておいて、ここで明石家さんまさんは何と言ったでしょう?

なんて尋ねるのもいいかもしれません。

Main シネマトゥデイ

以上、上記の文章で思い浮かんだことを書きました。

  

  

応答力を鍛えるワークとして、

大人にインタビューすることを提案しています。

質問例をいくつか挙げています。

  

①子どものころ、どんなことをして遊びましたか?

②子どものころ、どんな食べ物が好きでしたか?

 それはなぜですか?

③子どものころ、怒られたことはありましたか?

 それはどういうことでしたか? (後略)

(50p)

  

ポイント:その他の質問としては、かわいいと思う動物、好きなタ

     レント、きらいなタレント、好きなお店、行きたいとこ

     ろ、子ども時代になりたかった職業など。  

     質問に対しては「パス」もありです。人には「聞かれた

     くないこと」があるということを知ることも大事なこと

     です。

アドバイス:インタビューが終わったら、話し手が答えてくれた内

     容をまとめて、報告してもらいます。報告させると、ほ

     んとうに内容がわかっているかどうかの確認になります。

 

Interview_kid_adult_man

 ふだんなにげなくしている会話ですが、「インタビューのワーク」

と銘打つことで、あらためて聞き手と話し手の両方を意識して行う

ことができます。

 相手に興味を持って質問すること、相手の言うことに集中して聞

きのがさないようにすること、内容を的確につかんで、わからなか

ったらもう一度聴き直すことなど、対話するために必要な力をトレ

ーニングしましょう。

 子どもが聞き手になるときには、「話し手の時間を大事」にして

一生懸命聞くように伝えてください。聞き手はうなずいたり、相づ

ちを打つ対応力が必要です。また、話し手の話にそった質問をする

ように促してください。(最後まで一生懸命に聞く/話している途

中で質問する時には『質問していいですか?』と断ってから聞く)

 インタビューされる側の大人は、どうぞ子どものころを思い出し

ながら、正直に答えてあげてください。子どもは大人が子どもだっ

たころの話が大好きです。ふだんは完璧だと思っていた大人が、「

ずっと昔は自分と同じ子どもだったんだ!」と安心すると同時に、

ぐっと身近に思えることでしょう。そして、人と人とがわかり合う

ためにするコミュニケーションが楽しいものに思えるはずです。心

を込めて話しましょう。

(51p) 

 

インタビューもいいですね。

でも今どきはマイクではなくて・・・・

Photo_9 pixabay

「実践 ことばキャンプ」⑤ 「どっちにする?」ワーク/「小さな集中」

  

今日は令和2年4月21日。

  

4月19日の続きで、

「コミュニケーション力を育てる 実践 ことばキャンプ」

(高取しづか著/主婦の友社)  より引用していきます。

  

「ことばキャンプ」の論理力を高めるワークとして、

子どもに「どっちにする?」と尋ねるものがあります。

たとえば、「夏休みには海と山、どっちに行きたい?」

「雨の日は好きですか?きらいですか?」のように尋ねます。

 

 このワークのねらいは、自分の考えのもとになる意思を育てるこ

と。子どもは「どっち?」と問われることで、自分の心の中をのぞ

き込んで、答えを見つけようとします。子どもが自分の気持ちに気

づくためのワークです。

 どうしてその答えを選んだのか、選んだ理由も聞いてみましょう。

子どもの答えがりっぱなものでは、理由を言えたことをほめてあげ

てください。たとえば、イチゴが好きなりゆうが「おいしいから」

でもいいのです。

 また、大人は、その気持ちを「そう思っているんだね」と認めま

す。認められることで、気持ちを出すことが心地よくなってくるん

です。

(43p) 

   

自分の意思を持つことができるようになり、

理由を考える習慣ができたら、

たとえば「私は海に行きたいです。いつも山に行っているから、

たまには海に行くのもいいと思ったからです」と、

論理的に言うことができるというわけです。

  

   

「ことばキャンプ」の理解力についてです。

「理解力は聞く力。」44p)と言い切っています。

  

 ゲームやテレビなどの視覚中心の文化の中で育っている子どもた

ちだからこそ、耳からだけの情報に、意識してふれさせてあげてく

ださい。積極的に「聞こう!」と、耳をそばだてるようになるため

です。

 人の話を聞けない子どもには、はじめは「小さな集中」の時間を

つくることで、集中を体得させていきます。子どもが喜んで集中し

たくなる工夫をしてみてください。

 たとえば、「話をするよ」と言ったあと、わざと小さい声で話し

てみる。すると、子どもたちは聞こうとして、耳に神経を集中しま

す。また「1回だけしか言わないからね」と宣言すると、耳をダン

ボして聞くようになります。このような「小さな集中」の時間がふ

えていくことで、子どもたちがしっかり聞くことに慣れてきます。

(44p)

  

「小さな集中」「小さな集中」繰り返し唱えて覚えたい言葉です。

 

「まだ死にたくないなあ」とつぶやいた父親

  

今日は令和2年4月21日。

   

再び2020年4月19日朝日新聞朝刊より。

(クリックして、拡大して読んでみてください)  

Epson296

いいことやっているなあと思って読みました。

まだまだたくさんの写真を撮ることができるといいなと思います。

  

父親も、8月には89歳になります。

認知症が進む父親は、世界がパンデミックになっていることは

あまり理解していません。

「今ね、新型コロナウイルスというひどい風邪が

大流行しているんだよ」

「そうなのか」

「特に年寄りがかかると、死んじゃうかもしれないよ」

「そうか、まだ死にたくないなあ」

  

88歳になって、だいぶ弱ってきている父親ですが、

「まだ死にたくないなあ」発言はうれしかったです。

 

「そうか、死にたくないんだ。

それじゃあ、風邪にかからないように気をつけてよ」と

言いました。

  

人間の底力を感じました。

 

 

B-52戦略爆撃機は100年使う

  

今日は令和2年4月21日。

  

私にとってはもう一つの誕生日。

ブログ「ここでも道草」の誕生日です。

13年前の4月21日に書き始めて13年経ちました。

今回が通算7080本目の記事です。

年平均約544本ペース。

これだけうてるのは、幸せなペースだと思っています。

 

  

2020年4月19日に次のような記事がありました。

Epson295  

太平洋戦争で、日本を爆撃したのはB-29でした。

現在はB-52でした。

本文中の「戦略爆撃機」に注目しました。

最近その意味を確認したばかりでした。

ここでも道草 「昭和の選択 中島飛行機の戦争」を見る(2020年4月14日投稿)

  

アメリカのの戦略爆撃機の「B」は何を意味するのか調べてみました。

Wikipedia B-29によると、「B」は「Boeing」

つまり製造メーカーの「ボーイング社」のことでした。

次の映像でB-52について勉強。


YouTube: 【100年使う!?戦略爆撃機】超・長寿命B-52爆撃機

Photo

「EST.」は「創設」の」意味。

B-52は1952年に誕生しました。

爆撃訓練の様子を思われます。☟

Photo_2

Photo_3

正確に目標物を爆撃していることに驚きました。

    

   

B-52の初参戦は、1965年のベトナム戦争でした。

かの有名な絨毯爆撃をしたのは、このB-52だったのです。

  

 

1991年の第一次戦略兵器削減条約(START1)によって、

B-52は36機が廃棄され、現在は71機が運用されているそうです。

解体されたB-52の映像。☟

Photo_4  

この映像を見て、初めて「戦略兵器削減」が実感できました。

なるほど、戦略兵器を削減していると目で見てわかります。    

   

B-52は改良が随時なされていて、A型から始まって現在はH型です。

J型も開発されて、2050年まで使用される予定だそうです。

上の映像のタイトル【100年使う!?戦略爆撃機】は

ここからきています。

   

H型のスペックだそうです。☟

Photo_5  

  

B-52の写真を何枚か載せます。

Photo_6

Photo_7

Photo_8   

以上です。

 

 

2020年4月20日 (月)

「不可能の反対語は可能ではない。挑戦だ」と言った大リーガー

 

今日は令和2年4月20日。

  

2020年4月19日朝日新聞朝刊の「天声人語」です。

  

 米大リーグには「ジャッキー・ロビンソン・デー」という記念日

がある。4月15日。73年前に人種の壁を破ってデビューを果た

した初の黒人選手の功績をたたえる日である▼終戦間もない194

7年、人種差別が公然とまかりとおっていた時代だ。祖父が奴隷だ

ったロビンソンは遠征先で一人粗末な安宿をあてがわれた。大量の

脅迫状が送りつけられ、試合では頭を狙った危険球が投げ込まれた

▼俊足強打の内野手はそんな心が折れそうな日々を越えて新人王や

MVPを獲得。毅然とした言動で周囲の目を変えていった。公民権

運動にも影響を与え、「不可能の反対語は可能ではない。挑戦だ」

との言葉を残した▼記念日には例年、選手や監督、コーチがそろっ

てロビンソンと同じ背番号42のユニホームをまとう。同じ番号の

プレーに観客席もこんがらがりそうになる。先人への敬意を払いな

がら、ユーモラスで洒脱(しゃだつ)な一日になるはずだった▼球

音のない春を迎えた今年は趣が違った。試合の代わりに功績をしの

ぶ動画や文章がウェブ上に数多く流れ、彼の映画を作ったプロデュ

ーサーは背番号にちなんで420万ドル(約4億5千万円)分の医

療用品を寄付すると表明。4万2千食の無料配布を申し出た元選手

もいた▼地球を覆うコロナ禍からはスポーツも逃れられない。だか

らこそアスリートは健康や生活への不安と先が見えない閉塞感に風

穴をあける行動と連帯を広げないといけない。今年のロビンソン・

デーと改めてそう思った。

  

  

逆境を跳ねのけた人の言葉「不可能の反対語は可能ではない。

挑戦だ」は、この短い記事を読んだだけで、ビシビシと

心に入ってきました。

今年の4月15日は素通りしてしまいましたが、

来年の4月15日は、「ジャッキー・ロビンソン・デー」のことを

ブログに書きたいです。

日記帳には予定を書きました。ほぼ1年後のことですが・・。

   

「彼の映画」というのはきっとこの映画だ。


YouTube: 映画『42~世界を変えた男~』予告編

出合いを大事にしたい。

この映画をさっそく見てみたい。

今ではありがたいことに、その気になれば

すぐに家で、タブレット端末で映画を見ることができます。

  

   

今日はまもなく出勤です。

最近の写真

  • Img_5653
  • Img_5650
  • Img_5649
  • Img_5647
  • Img_5615
  • Img_4213
  • Img_4211
  • Img_4210
  • Img_4208
  • Img_4206
  • Img_4016
  • Img_5397

楽餓鬼

今日はにゃんの日

いま ここ 浜松

がん治療で悩むあなたに贈る言葉