「本を読む人だけ」⑤ 中学校では3割が情報編集力
今日は令和2年1月9日。
前記事の続きで、
「本を読む人だけが手にするもの」
(藤原和博著/日本実業出版社)より引用していきます。
成長社会ではひたすら「情報処理能力」が求められたのに対し
て、成熟社会には必須のスキルがだんだん「情報編集力」に移
行するとも表現している。
(132p)
情報編集力とは、身につけた知識や技術を組み合わせて”納得
解”を導き出す力だ。正解をただ当てるのではなく、納得でき
る解を自らつくり出すところミソ。
(133p)
これからの時代は、すでにある要素をどのように組み合わせて
価値を生み出すかということが問われることになる。
(139p)
これから情報編集力が大切になるとはいっても、情報処理力と
情報編集力は車の両輪だ。
したがって、教育の見地からいえば、子どもの発達段階に応じ
て割合を変えながら、両方の能力をバランスよく育んでいかな
ければならない。
たとえば、小学校なら情報処理力に9割、情報編集力に1割を
あてるようにして、まずは「基礎学力」をつける。中学校では
情報処理側の暗記処理側の暗記問題を7割程度まで下げ、3割
を正解が1つではない問題のディベートや課題の探求、実験や
実証に力を入れて情報編集力側へのシフトを始める。
(141p)
問題は、受け手である側が、報じられている内容をすべて公正
で正確な事実と思い込んでしまうことである。私たちが新聞で
読んだりテレビで見たりしているものは、だれかがある意図を
もって編集した情報であることを理解しなければならない。
(157p)
日本の国語の授業も教条的に正解を押しつける一方的な「道徳
教育」から脱しないと、複眼思考は育たない。読むべき本、あ
るべき答えではなく、本には多様な読み方があっていい。「そ
ういう考えもあるね」と寛容に受けとめながら「自分だったら
どう思う?」と質問しながら読んでいく。
多様な意見を戦わせることで、脳のシナプスは活性化される。
それを繰り返せば、やがて自分の意見を持ち、他人の異なる意
見m理解できるようになるだろう。
(159p)
本は、物理的なものであるがゆえに、読み終わったあとの達成
感がある。
(170p)
「人は生を受け、死を迎えるまで、結局、他人と完全にわかり
合うことはできない」
これこそが、21世紀型の成熟社会に通底する基本認識だと私
は思う。だから、四六時中ネットにつながるのではなく、ネッ
トから切れて「スタンドアローン」になることが重要になる。
孤独に耐える訓練にもなるからだ。
私は、仕事をするときとは別の場所で本を読んでいる。そこに
はパソコンはない。スマホも携帯も使わないで、本を読むとき
は完全にスタンドアローンの状態だ。
本は、このようにスタンドアローンになることに適した端末だ。
ただそこに黙ってあるだけ。逆の見方をすれば、本は、孤独に
耐えながら読むに限るというkと。そこから生まれる達成感は、
次の本へ向かわせる原動力になる。
(171p)
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