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2020年12月

2020年12月31日 (木)

フィッシャーズを見るようになった年でした

   

今日は令和2年12月31日。

   

もう1本投稿します。

7432本目です。

今年最初の1本は6804本目でした。

何と600本を越えていました。

  

  

今年、縁あってフィッシャーズの動画を見るようになったのは、

思い出として残ることでしょう。

昨日はこの動画を見ました。


YouTube: 【クリスマス特別版】恩人フィッシャーズ とプレゼント交換してみた

江頭2:50の「エガちゃんねる」に

フィッシャーズの4人が出演した動画。

クリスマスの日にアップされています。

 

25分ほどの動画です。

 

江頭2:50さんは、いいおじさんなんだなあと思いました。

切れているばかりではないのです。(当然か)

55歳。私より若かった。

まあそうでしょう。

 

フィッシャーズのメンバーに見慣れていたので、

そのメンバーの中に、江頭2:50さんがいるのが

不思議に見えました。

5人の言葉のやりとりがとても楽しい。

皆さんは知っていると思いますが、

私は「土下寝(どげね)」をこの動画で初めて知りました。

1

  

  

  

  

さあ、あと1時間で新年です。

読んでいただきありがとうございます。

 

来年もいい年にしたいな。

どうぞよろしくお願いします。

   

おやすみなさい。

「比ぶ者なき」③ 「白村江」の戦い

  

今日は令和2年12月31日。

  

前記事に引き続き、

「比ぶ者なき」

(馳星周著/中公文庫)より。

   

もう一つ引用します。

再び著者の馳星周さんと

漫画家の里中満智子さんの対談からの引用。

  

里中:当時の外交を考えると、天智、天武、持統の三人の天皇がいな

 ければ、日本という国は無くなっていたかもしれません。白村江の

 戦いで敗け、百済再興の芽がなくなると、日本は鎖国状態にして国

 内を固めていきます。歴史書の編纂を急いだのも、日本には独立国

 としての歴史があると示さなければ、唐に飲み込まれる危険があっ

 たからです。

馳: 律令を編纂し、平城京を建設したのも同じ理由ですね。

里中:そうです。

(580p)

  

「白村江」といえばこの本。

ここでも道草 「白村江」① 高句麗の戦いの歴史(2020年2月26日投稿)

この本では、日本はわざと白村江で敗けたとしていました。

それはそれで理由がありました。

 

 

今年は「白村江」で始まって、「白村江」で終わる。

こんなふうにまとめたくなる残り時間です。

ジャスト午後10時でした。

  

  

新しい年になって最初に読む本は決めています。

「天使のゲーム 下」

(カルロス・ルイス・サフォン著/木村裕美訳/集英社文庫)です。

サフォンの本を知ったのは今年でした。

来年も引き続き読みます。

「比ぶ者なき」② 初めての太上天皇(上皇)

   

今日は令和2年12月31日。

  

前記事に引き続き、

「比ぶ者なき」

(馳星周著/中公文庫)より。

  

立太子の儀がすぐに執り行われ、やがて、天皇が譲位の詔を発した。

朝堂は大いに揺れた。天皇が存命中の譲位はかつて、一度しか行われ

たことがない。軽の即位に反対する輩が、しきたりに反すると声を荒

げたが、天皇の意を覆すことなどできるはずもなかった。

(197p)

  

ここで言う「天皇」は持統天皇です。女性天皇でした。

「軽」は文武(もんむ)天皇です。

「一度しか行われたことがない」というのは、

645年に行われた皇極天皇から孝徳天皇への譲位です。

そして持統天皇は、初めて太上天皇(上皇)と呼ばれます。

 

200pに「太上天皇」が初登場しますが、

読み仮名がありませんでした。

おそらく「だじょうてんのう」「だいじょうてんのう」の

どちらかでしょう。

次の記事を思い出しました。

ここでも道草 「上皇」は「太上天皇」の略称(2017年5月8日投稿)

ここでも道草 「上皇」は略称だったんだ/今の「上皇」、以前の「上皇」(2019年6月15日投稿)

こういう機会に復習しました。

  

   

厩坂寺(うまやさかでら)は藤原氏の氏寺だった。父、鎌足が病に倒れ

た際、不比等の義母である鏡王女(かがみのおおきみ)が病平癒(へい

ゆ)のために山階(やましな)に寺を建立したのがはじめだ。壬申年の

乱の年に山階の寺は後の新益京にあたる厩坂に移され、厩坂寺と名を変

えた。

その厩坂寺を今度はこの平城京に移すのだ。

平城京は不比等が建てた藤原家の京である。藤原家の氏寺はそのことを

暗に示すはずだ。

「新しき名をお決めください」

「寺の名か。そうだな・・・・これはどうだ」

不比等は筆を取り、目の前にあった紙に字を書き込んだ。

興福寺ーーーー。

「よき名前にございます」

百枝が微笑んだ。

(400p)

   

こうして興福寺の名前ができたのですね。

ここでも道草 9月25日 奈良の空(2016年10月1日投稿)

2016年の9月25日に興福寺に行っています。

このような歴史は知りませんでした。

  

  

養老四年(720年)8月3日、右大臣正二位、藤原朝臣不比等が

薨(こう)じた。61年の生涯だった。

元正(げんしょう)天皇は不比等の死を深く悲しみ、後に、太政大

臣と正一位を追贈した。

首皇子が天皇になるのは不比等の死から4年後、安宿媛が皇后にな

るのは9年後だった。

その詳細は、また別の物語に委ねられることになる。

(573p)

   

これだけのことをした人が61歳だったのですね。

私はまだ元気で59歳。

せっかく生きているのだから頑張ろうと思いました。

父親が現在89歳。

自分もまだ30年生きれると思いたい。

   

  

首皇子が聖武天皇。

安宿媛が光明皇后。

 

歴史を教えてきたけど、また自分の理解が深まった本でした。

 

  

この本で気になった人が、不比等のライバルの一人である長屋王。

この人について詳しく知りたいと思いました。

またいずれ。

 

 

「比ぶ者なき」① 「日本書紀」「聖徳太子」は藤原不比等の捏造

  

今日は令和2年12月31日。

  

令和2年、2020年も最終日です。

この本を今年中に読み切りました。

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「比ぶ者なき」

(馳星周著/中公文庫)

  

藤原不比等関連の本を2冊連続で読みました。

  

この小説の巻末には、著者の馳星周さんと

漫画家の里中満智子さんの対談が掲載されています。

そこからの引用。

 

里中:私は、聖徳太子という名前は後世の創作かもしれませんが、モ

 デルになった人物がいたと考えています。馳さんは、聖徳太子も『

 日本書紀』もすべて不比等が作ったとされていますが、どこまで信

 じていらっしゃるのですか。

馳: 僕は確信犯で、最初から大山誠一先生の説で小説を書こうと決

 めました。古代史に興味を持ってから、色々な学説があることを学

 びましたが、やはり不比等が野望のために歴史を捏造したというア

 イディアは壮大で面白かったです。

(581p)

  

大山誠一さんの説を理解するのに適した本でした。

たとえば次の文章は生々しい。

『日本書紀』を作成する者たちの会話です。

  

「そういえば、首名がよき神を見つけたと小躍りしておりました」

肩を並べてきた百枝が言った。

「よき神だと」

「はい。天照大神(あまてらすおおみかみ)というのだそうです。太

陽のごとく、あまねくこの世を照らす神です」

史はうなずいた。

「男神なのですが、これを女神に変えれば、史様の望む新たな神話の

中心に据えられるのではないかと」

「時間がかかるのう」

「この国には数多(あまた)の神がいるのですよ、史様」

(106~107p)

  

天照大神は男神だったのを女神にしたという展開。

数多いる神の中から選ばれた神だったのです。

面白い話です。

  

  

蘇我馬子が成し遂げた偉業を、皇室のそれに書き換えなければならな

い。蘇我馬子など足もとにも及ばぬような偉大な皇族がいたのだと歴

史を書き換えなければならない。

(124p)

  

問題は蘇我馬子だった。あの者の功績を天皇家のものにすげかえる。

強大な権力をふるったあの者を卑小な存在に置きかえる。

それが難航していた。蘇我馬子はあまりに巨大で生々しすぎるのだ。

(194p)

  

蘇我馬子がやったこと、たとえば仏教を広めたこと、

遣隋使を派遣したこと、隋からの使者を迎えたことなどを、

皇族の誰かがやったことにしたいと藤原不比等は考えたのです。

これが大山誠一さんの説です。

  

ちょうどいい皇族が見つかりました。

  

「厩戸王(うまやどのおう)という皇族がおりました」

田辺首名が言った。

「斑鳩寺を建てたと言われているお方だな」

「はい。皇族であり、なおかつ蘇我氏と繋がりが深い。このお方であ

れば、蘇我馬子の成し遂げてきた功績を肩代わりさせるのに都合がよ

ろしいかと存じます」

不比等はうなずいた。縁もゆかりもない者に肩代わりさせるには、蘇

我馬子は巨大すぎ、生々しすぎるのだ。皇族でありなおかつ蘇我氏で

もあった者なら首名の言うとおり、都合がよかった。

(232p)

  

厩戸王は過去から掘り出され、こうしてロックオンされました。

そして「聖徳太子」が次のようにして捏造されます。

  

「厩戸皇子でございますが、仏教、儒教、道教に精通した聖人である

とするならば、それに相応しい名前を与えてはいかがかと考えており

ます」

「よい名が浮かんだか」

「はい。聖徳太子はいかがでしょう。聖なる徳を積んだ皇太子の意に

ございます」

「聖徳太子か・・・」不比等は腕を組んだ。「よい響きではないか」

(546p)

  

   

社会科の授業で教え、テストのために中学生(小学生も)覚える「聖

徳太子」はこんな打合せで生まれた名前なのか。

それも1300年余前のことなのです。

  

天孫降臨、聖徳太子・・・すべて捏造されたものというのが大山説で

あり、それを小説化したものが本作でした。

 

どうしよう、この説はとても面白い。

信じてしまいます。

私の中では2001年のドラマ「聖徳太子」が浮かびます。

ここでも道草 ドラマ「聖徳太子」・・・ビックリの共演(2018年10月3日投稿)

このドラマでは、聖徳太子が蘇我馬子を差し置いて

偉業を成し遂げていました。

まさに藤原不比等の目論見通りの「聖徳太子」でした。

それを疑うのは面白い。

さて真実はどうなのだろう?

2020年12月30日 (水)

「ポパイとオリーブ」再生回数現時点で2727回

   

今日は令和2年12月30日。

  

前記事に載せた「ポパイとオリーブ」です。


YouTube: ポパイとオリーブ - THE HEART -

  

詳しく見ると2015年4月11日にアップされていました。

最初に見た時は再生回数は2722回だったと思います。

まもなく6年が経つのに、この回数は寂しいと思いました。

現時点で2727回。

私がこの数日聴いたからでしょうか。

  

アルバム「黄熱」の中の他の曲と比べてみます。


YouTube: 最後の砦 - THE HEART -

 

同じ日にアップされていて、こちらは11009回。

これはなかなかの数です。

シングルで発売されたのはこの曲だったようなので、

知名度が高いかな。

 

ところがアルバムで2番目にいいなと思う「TOKYO」が少ない。


YouTube: TOKYO - THE HEART -


同じ日にアップされていて、2158回。

いい曲なのになあ。

  

「TOKYO」の冒頭や間奏で出てくる楽器の音が何か懐かしく、

心地がいいんです。

あれってハーモニカの音でいいのかなあ。

試しに聴いてみてください。

そして楽器を教えてください。

  

これらのTHE HEARTの曲を、YouTubeにアップしている人は、

NAOAKI  KOMINEとあります。

関係者なのだろうか、ファンなのだろうか。

私としてはネット上でもTHE HEARTの曲が聴けてありがたかったです。

  

「ポパイとオリーブ」をループ再生して視聴回数を増やしちゃおうかな。  

  

 

2020年12月28日 (月)

「ポパイとオリーブ」(THE HEART)

    

今日は令和2年12月28日。

   

先日から生活のBGMはアルバム「黄熱」(THE HEART)です。

  

31年ぶりに聴きましたが、思った以上にはまっています。

  

一番強く覚えていた曲は「ポパイとオリーブ」でした。

 

こんな歌詞です。

  

♪ お前と出会った頃には すべてが輝いて見えた物さ

 長い黒髪なびかせて 突然俺の前に現れた

 LADY こんなチャンスは LADY 2度と来ないだろう

 車もビデオもすぐに 36回のローンで揃えた ♪

   

長い黒髪ですよ。

染めた色ではありません。

そして車とビデオ。

同じ時代を生きた人たちだと思いました。

  

さらにこんな歌詞が続きます。

  

♪ 毎晩のディスコ通いも バーゲンセールの荷物持ちだって

 だまってついて行く 俺はお預けくらう飼い犬の様さ ♪

   

「ディスコ」も登場。

私は数回しか行ったことがありませんが、

すごかったよなあ。

  

   

曲のラストがまたいい。

 

♪ お前ぐらいの女なら 網ですくう程いるのさ

 ガラスの靴失したら また拾うのはこの俺(チクショー)

 いつか来る日を夢みて ホーレン草を買い込んで

 ポパイの力をつけたら お前のその高い鼻へし折ってやる ♪

   

間奏の後のここの歌いっぷりがいい。

歌詞にはなかった「チクショー」が、ある意味優しさだよね。

「へし折ってやる」で啖呵をきって、

ラーラララララ ラララララーのリフレイン。

盛り上がっちゃいます。

 

この2人はその後どうなったのだろう。

腐れ縁という関係で、この歌詞がウソのような

つれ合いになっているのではないだろうか。

  

   

なんかすごく楽しい世界を描いた曲です。

しばらく口ずさんでしまいます。

 

ここで聴けます。

試しにどうぞ。


YouTube: ポパイとオリーブ - THE HEART -

  

 

「天孫降臨の夢」② 「聖徳太子」を創り出した人物

   

今日は令和2年12月28日。

  

前記事に引き続き、

「天孫降臨の夢 藤原不比等のプロジェクト」

(大山誠一著/NHKブックス)より。

   

中国では、皇帝は、政治・文化・社会のすべての場で唯一絶対の偉大

な権力者である。ところが、そのような唯一絶対というような人物は、

過去の日本の歴史には存在しなかった。実は、その後にも登場してい

ない。日本の歴史・風土にはそぐわない人物像なのである。だから、

当時の日本人には想像すら困難であった。そこで、それらしい理想的

聖天子の見本のような人物像を想定し、過去の皇族の一人をそれに見

立てて『日本書紀』の中に据えることにした。それが、厩戸王で、そ

の結果誕生したのが〈聖徳太子〉だったわけである。

(54P)

   

厩戸王は実存し、選ばれて、聖徳太子とされたという説です。

厩戸王が知ったら、ビックリですよね。

「聖徳太子」という名前は後世つけられたということで、

教科書の表記を「厩戸王」にしようと議論されたとのこと。

聖徳太子が「厩戸王」になりかけた、歴史教科書の不思議な改定基準

当たり前だった「聖徳太子」が、この本を読んで揺らいでいます。

  

結局のところ、『日本書紀』の聖徳太子は儒仏道の聖人であるが、そ

の人物像の成立に大きな影響を与えた人物としては、儒教関係は藤原

不比等、道教関係は長屋王、そして太子関係記事の大部分を占める仏

教関係と中国的聖天子としての表現は道慈と考えてよいであろう。ほ

かにもさまざまな人が参加したかもしれないが、重要なのは『日本書

紀』の記述の方向性を示し得るリーダーの存在である。それが、この

三人であることは明らかと思われる。

(57p)

   

3人の中でも中心は藤原不比等でした。

「聖徳太子」を創り出した人物でした。

ビックリです。

    

  

年末は藤原不比等の本をもう1冊読んでいます。

馳星周著「比ぶ者なき」(中公文庫)です。

順番は「天孫降臨の夢 藤原不比等のプロジェクト」→

「比ぶ者なき」でよかったようです。

「比ぶ者なき」は大山誠一さんの説をベースにした

藤原不比等が主人公の小説でした。

大山さんの説を復習するのにうってつけの小説でした。

年内に読み終えて、ブログにまとめるのが目標です。

  

2020年12月27日 (日)

「天孫降臨の夢」① 法隆寺再建非再建論争

   

今日は令和2年12月2日。

  

この年末は藤原不比等について勉強しようと決めて、

まずはこの本を読みました。

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「天孫降臨の夢 藤原不比等のプロジェクト」

(大山誠一著/NHKブックス)

  

2009年に発刊された本です。

藤原不比等のことを知ろうとした本ですが、

前半は聖徳太子のことが中心に書かれていました。

  

聖徳太子は実存しないという説は聞いたことがありましたが、

大山誠一さんは、まさにその説の発信源でした。

偶然にも、そのことを知りました。

  

引用していきます。

  

法隆寺の建立そのものが問題である。古来、聖徳太子の建立と伝え

られてきたが、実は『日本書紀』の天智9年(670年)四月任申

条には「夜半之後(あかつき)に、法隆寺に災(ひつ)けり。一屋

も余ること無し。大雨(ひさめ)ふり雷(いかずち)震(な)る」

と記されている。そのため、今日の法隆寺は、雷火でいったい消失

し、のちに再建されたのではないかという見解があった。ただ、そ

れを認めない人もおり、有名な法隆寺再建非再建論争というものが

展開されたのであるが、実は、すでに戦前のうちに発掘によって創

建法隆寺(若草伽藍とよばれている)の存在が確認され、今日の法

隆寺は再建後のものである。また、最近の発掘によっても金属が溶

解するほどの千度を越える高温で焼失したことが明白となっている。

つまり、激しい雷火があったことは確実なのである。

(34~35p)

   

まずは法隆寺に関する疑問。

激しい火災があったので、

法隆寺にあった仏像も燃えてしまっただろう。

したがって仏像に記された聖徳太子に関する記述は、

後の時代に再建された時に記されたものだというわけです。

  

再建非再建論争。

よく分かっていませんが、今晩、こんな番組があります。

 

「令和の法隆寺~千四百年の伝承と聖徳太子の残響~」

BSフジ19:00~20:55

   

2020年1月に放映されたものの再放送です。

いい機会なので、見てみて、最新情報を手に入れたい。

 

2020年12月25日 (金)

今年ラストの生活のBGM「黄熱」(THE HEART)

   

今日は令和2年12月25日。

   

きっかけは、12月19日放映の「世界一受けたい授業」でした。

ジョン・レノンのことをやっていました。

1980年12月8日に殺されてしまったジョン・レノン。

今年は没後40年です。

  

ジョン・レノンを殺したのはマーク・チャップマン。

  

ここで思い出しました。

 

このマーク・チャップマンのことを歌っていた人たちがいたぞと。

  

日本人のグループ。

  

誰だっけ?

  

頭に引っかかっていました。

  

  

今日、天井裏の倉庫に入り込みました。

 

そこにはものすごい数のCDがあります。

現在は月に1枚アルバムを聴き込んでいる日々ですが、

思えば、若い頃は、月に10枚ほどの音楽を聴いていたと思います。

 

その中に、チャップマンのことを歌った人たちのCDがあるはず。

  

しばらくして、1枚のCDを発見。

 

「黄熱」(THE HEART)

 

アルバムの写真です。☟

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1989年のアルバム。

  

この人たちだった気がする。

このアルバムの中には、目的の曲はありませんでした。

   

ここまでわかると、ネットで調べることができます。

 

これだ!


YouTube: CHAPMAN - THE HEART -

  

そしてこの曲も思い出深い。


YouTube: マーガレット - THE HEART -

  

ボーカルの井口一彦さんは1966年生まれ。

現在は50代のおじさんだ。

THE HEARTは1988年デビュー。

1992年解散。

  

ほぼ30年ぶりに聴きました。

最初は違和感がありました。

でも繰り返し聴くうちに、耳触りが良くなってきて、

確かにこの曲を聴いていたと思えるようになってきました。

  

過去を振り返ることに、マイナスのイメージがありました。

でも「弘兼流 やめる!生き方」(弘兼憲史著/青春出版社)を読んで、

気が変わりました。

昔に浸るというのは、今までの自分の過去をプラスに考えている証拠。

いいことなのです。

 

THE HEARTの曲を夢中で聴いていた時がありました。

すっかり曲を忘れていましたが、再会して、聴き込んでみたい。

忘れていた曲を思い出し、当時のことを思い浮かべてみたい。

  

今日、天井裏の倉庫で見つけたアルバムが、

2020年ラストの生活のBGMです。

  

2020年12月23日 (水)

「やめる!生き方」③ 「思い出に浸る」=「過去をプラスにとらえる」

  

今日は令和2年12月23日。

  

前記事に引き続き、

「弘兼流 やめる!生き方」

(弘兼憲史著/青春出版社)より。

  

60歳を過ぎたら、もう反省するのも後悔するのもやめたほうがいい。

過ぎてしまった時間は変えることができないのですから、マイナスに

とらえてもいいことは何もありません。過去は、どうあろうと自分に

都合よく考えたほうが、この先の人生をプラスに展開できるはずです。

(145~146p)

  

  

「思い出に浸る」という行為は、後ろ向きなイメージあるかもしれま

せんが、脳内で楽しい記憶を強化することで、過去をプラスにとらえ

られるようになるという点で、とてもいい方法なのです。

(中略)

思い出があるものだったら、写真に限らず絵画や映画などもいいでし

ょうし、視覚以外の情報、音楽、香り、味というものでもプラス思考

の脳トレになります。

(146p)

  

「思い出に浸る」=「過去をプラスにとらえる」は

いいことだと思います。私にとって、音楽は「思い出に浸る」有力な方法のひとつです。

今月の生活のBGMであるブルース・スプリングスティーンの曲も

思い出に浸らせてくれます。


YouTube: WHAM!  ラスト・クリスマス Last Christmas☆☆.。.:*・゚*:.。. (1984年)

こんな曲を聴くと、教師を始めた頃を思い出します。

浸ってしまいます。

天井裏にしまってある音楽も、聴いてみたいですね。

  

  

私にとって、このブログも過去をプラスにしてくれます。

過去の記事を読むと、その都度頑張って書いた記事は、

読み甲斐のあるものです。

  

   

引用はここまで。

  

  

のこりわずかの2020年。

藤原不比等に関する本を2冊読む予定です。

  

  

今日は朝から活動できた。

これが本来の自分です。

  

  

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