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2018年9月

2018年9月25日 (火)

20180901報告その4 枠を外して発想することをやってみたくなる塾

 

今日は9月25日。

  

体育祭の振り替え休日があったので、

勤務校は4連休でした。

やりたいこと、やらねばならないことを

いくつかやってきたけど、

なかなか終わらないなあ。

  

9月1日のキミヤーズ塾に参加した時の報告も、

4連休中にはできずに、今朝やり始めました。

ここでも道草 20180901報告その3 膝に手を置いて聴くのがいいのか?(2018年9月18日投稿)

↑ この記事の続きです。

  

※茶色の文字は要項の視写。あるいは聴いたこと。

※印は私の思ったことなど。

 教えてもらったことをここに書き留めていくことで、

 教えが私の血や肉になっていくことを願っています。

  

 

ほめる=良さの発見 価値の創造

・ほめないと、ほめることが上手にならない

 NTH(何はともあれほめる)

・3段ほめ はじめにほめ、プロセスをほめ、最後にほめる

・「遠ぼめ」遠いところからわざとほめる。参加者がわかる。伝わる。

・「振り返りぼめ」”先生と一緒にやったからできた”ではなくて、

  ”自分一人でやった”感を子どもにもたせるためのほめ方。

  途中まで一緒にやって、できそうだと判断した段階で他の子を見て、

  やり遂げた時に振り返って驚きながらほめる。自信をつけさせるため。

・「おびきぼめ」座っている子をほめることで、座っていない子もおびきよせる。

 

※「3段ぼめ」は「その気」にさせて、「やる気」にさせて、

 自信をつけさせる村上先生の基本につながる方法だと思います。

  

 

・「もう一人の自分」 怒られた時の圧迫感を減らす。

 

※久々、「もう一人の自分」の解説。

 真似したくてもなかなかできない村上先生の手法の一つ。

 なかなか作るのが難しい。

 このやり方がいいことは、最初に村上先生の話を聴いた時から

 思っています。 

  

  

・本の読み聞かせ 表紙の題名が隠されている。

 「題名は何でしょう」と聞くよりも、

 「ここに何と書いてあるでしょう」と聞くのが、発達障害の子にはよい。

  

※後者の方が具体的でワクワク感があります。

 村上先生は経験上、この結論に至ったのだと思います。

  

  

・支援は、徐々に外していく

 最も重要な支援は、支援を外すという支援

 常に、支援の外し方を考えておく

 支援の外し方の妙味をある(芸術的な外し方)

 障害特性を強めてしまわないように

 無意味に丁寧すぎないように 過干渉は×

 いつも新しい目で、子どもを見つめる

 細かくマイナーチャンジを試みる

 支援を外すことで、教材が染み込む

  

※「芸術的な外し方」に興味あり。どのような外し方だろう。

 「外し方」をあまり意識したことがないので、視点の一つに加えたいです。

 やっていることをやめていく・・そんな簡単な「外し方」でしか

 今のところありません。

  

  

・プリント学習の功罪

 ①見かけ上の成果が残せる   

 ②プリント学習は作業であって、考えることではない。

 ③解法の手順をおぼえるだけで、考えなくなる

 ④脳の刈り込みが起こる(シナプス刈り込み)

 ⑤人間関係を希薄にする(関係ぶつ切り)

  

※まずは「功罪」の意味調べ。「優れた成果と罪や過ち」の意味。

 でもプリント学習の「罪」しかありません。

 次のサイトには、「功罪」についてこうも書いています。

 意味ブロ - ちょっと難しい言葉の意味まとめ 功罪の意味

  

 優れた成果には、悪い面もある。

 「功罪」はどちらかというと、その悪い面を表すことが多いです。

  

 まさに村上先生はこの意味で「功罪」を使っています。

 計算を解ける子にするのではなく、考える子にするには

 プリントを解いていくだけの授業ではダメなのです。

 社会科教師としては、必要な知識を与えつつ、

 子どもたちに表現させる機会を与える必要があります。

  

  

・説明ではなく表現

 1.文字の学習で、子どもたちの豊かな感性や発想、

   そして意欲を妨げないように

 2.正確さや再現性だけを求めると、それは単なる説明になる

 3.うんち語文字をこき(書き)、それをもとに話すという

   一連のプロセスが、表現

 4.うんち語文字を介在させることで、子どもたちがつながり、

   表現の創発を引き出す 

 5.表現することで、創造を体験させる

  

※子どもたちに「創造を体験」させたいですね。

 そう願っていないと、教師もマンネリになっていくと思います。

 教師も創造し続けないと、創造の楽しさを伝えることはできないと思います。 

 そのためには「発想」できるかどうか。

 村上先生の発想は、枠がないのがすごい。

  

  

・発想を狭めるための大義

 正しいということ

 倫理的・道徳的ということ

 合理的ということ

 役に立つということ

 人間工学的に正しい

 基礎・基本ということ

 常識・良識・分別などなど

 保健・安全面からの見地など

   

  

※これらの大義を横に置けるから村上先生の発想は

 新鮮で、危険? だから魅力があるんだよなあ。

 100分1?くらい見習って何か考えて動くと、

 それは効果的で、周りの注目を受けます。

 教師は、自分で枠をはめて考えており、もったいないこと。

 村上先生に触れることで、少しは枠が外せます。

 前回の報告のように、膝に手を置いて話を聴くことが

 本当にいいのかと考えることができます。

  

  

・極意 

 子どもの自主性・自発性を徹底的に引き出す

 (仕掛け、罠にかける)(リアリティ)

 子どものモチベーションを上げる

 具合的に教具を考える(こじ付けでも)

 威圧的な指示語はダメ(命令口調×)

 子どもに対する興味を持ち続ける

 子どももワクワク、指導者もワクワク

 自由な創造性がカギに(アート)

  

※「具体的に教具を」は忘れてはならないこと。

 私には毎年2月に発表の場所があります。「わらしべ」です。

 子どもたちにこんな力を!と思ったら、教具に走る2学期にしたい。

 それが面白いから。

※子どもには知れば知るほど事情があり、能力があり・・・

 中学校で触れ合うことが少ないと、見えていないことが多いです。

 できるだけ触れあい、情報を集めることを諦めないで行こうと思います。

 上っ面だけのつきあいで終わりたくないですね。

※「創造」だよなあ。再び書くけど、子どもにも体験させたい「創造」

 そのためには教師も「創造」をしていかなくては。

  

つづく

  

 

 

  

 

  

  

  

  

 

2018年9月23日 (日)

国語の教科書に載っていたクニマス/もう一つの水路を発見

今日は9月23日。

  

前投稿に引き続き、クニマスの話。

  

同僚の先生が教えてくれました。

新しい中学校の国語の教科書に、

クニマスの話が載っているよと。

1kxoxkl0_400x400 光村図書

幻の魚は生きていた」(中坊徹次著)です。

164~170pに載っていました。

  

中坊さんは、さかなクンにクニマスの絵を描いてよと

頼んだ人です。

ここでも道草20180825樹海を歩いてきました クニマス展示館で長居(2018年9月2日投稿) 

2010年のクニマス発見に大きくかかわった人です。

  

この教科書の文章を読むと、

なぜ玉川の水を田沢湖に流したかの理由がわかりややすい。

  

クニマスは地元の民話にも登場する魚で、

田沢湖周辺の人々の生活や民話にも登場する魚で、

田沢湖周辺の人々の生活や文化に根ざした大切な

存在だったのだ。

にもかかわらず、クニマスが絶滅したのには、

次のような背景がある。

 

田沢湖の南に広がる一帯は、大きな川が少なく、

農業用水を確保することが難しかった。

近くを流れる玉川は、水量はあるが強い酸性の水で、

農業にも、また多くの生物の生活にも適さなかった。

 

ところが、その田沢湖一帯を巡る事態が

変わり始める。

1934年、東北地方を大凶作が襲うと、

食料の増産が人々にとって切実な課題となった。

そこで、玉川の水を田沢湖に引き入れて酸性を弱め、

それを農業用水として使うこと、また、

電力の供給を増やすため、湖の水を水力発電に

利用することが計画された。

酸性の水はクニマスをはじめとする田沢湖の

生物に打撃を与えてしまう。

しかし、人々の生活のためにはやむをえず、

1940年、玉川の水は田沢湖に引き入れられたのである。

(166p)

  

ね、わかりゃすいでしょ。

さらに、教科書166pに載っていた図が

またよかった。

Epson865 前投稿で、玉川と田沢湖を結ぶ水路は、

田沢湖の北にあるのを見つけました。

しかし、田沢湖の南東にもありました。

きっとこれは、田沢湖から玉川に

流れ出す水路と思われます。

 

Yahoo!地図で探してみます。

ヒントは鉄道と玉川がクロスしている場所です。

そこには施設がありました。

生保内(おぼない)発電所です。

田沢湖をダム湖の代わりにしてできたという

発電所です。

Hatu04 秋田県・歴史・観光・見所

ここに田沢湖から水が流れ出て、発電に使われ、

そして玉川に流れ出る仕組みなのでしょう。

田沢湖から流出する場所と水路を予想して、

地図上に書いてみました。

Photo_11  

「おそらくここが流出口」をYahoo!地図の「写真」で

アップにしてみます。

Photo_12  

可能性大です。

いつか行くことがあったら確かめたいですね。

きっといつかは行く!

  

  

再び教科書の文章を引用します。

 

2012年、クニマスが西湖の湖底を悠然と泳ぐ姿が

テレビ放送された。

世界で誰も見たことがない野生のクニマスの映像であった。

(169p)

  

2012年の番組何であったか調べました。

クニマスは生きていた!」(池田まき子著/汐文社)にも、

この番組については書いてありました。

NHK取材班による撮影とありました。

それだけわかれば十分。検索しました。

判明しました。

 

2012年6月3日放映の

ダーウィンが来た 生きもの新伝説 

生きていた絶滅魚 クニマスを追え」でした。

もしやと思って、我が家の録画番組一覧表を見たら・・・・

自分を褒めたくなりました。

ちゃんと録画してあったのです。

すごいぞ自分!

Epson866_2

まだその番組を見ていません。

近いうちに見て、またブログに書いてみたいです。

 

 

田沢湖に玉川の水はどこから流入しているのか

今日は9月23日。

  

内容は前投稿の続きです。

田沢湖に玉川の水を導入している水路がどうなっているのだろう?

気になったので調べました。

  

このサイトが参考になりました。

廃線リポート 玉川森林鉄道  その3

  

廃線を探索していた方が、

玉川から分岐して田沢湖に導水している水門に

遭遇していました。

Photo_4

Photo_5  

この水門がある場所を、地図で探しました。

見つけました。

Yahoo!地図で示します。

Photo_6

玉川の水は導入口より取り入れられ、

地下を流れて田沢湖へは「流入口」から流れ込みます。

「流入口」より「流出口」の方がよかったかな?

  

Yahoo!地図の「写真」で「玉川流入口」付近のアップ。

Photo_7

青い矢印で示したようにして、玉川の水は導水路に導かれます。

 

今度は「流入口」付近ののアップ。

Photo_8  

何と、ちょうど玉川の水が勢いよく

田沢湖の流入いている最中でした。

 

次はグーグルアースで迫ります。

ストリートビュー 玉川導入口付近

Photo_9  

中央の遠くに見えるのが、「廃線レポート」の写真にある

水門と思われます。

次は、「流入口」付近をストリートビューで迫ります。

ストリートビュー 流入口付近

Photo_10  

この時には流れ出ていませんでした。

  

「廃線レポート」さんのおかげで、

玉川の水を導入している水路が判明しました。

感謝。

自宅に居ながら、このようなことができる

インターネットのおかげでもあります。

  

最後に玉川温泉の「大噴(おおぶけ)」を

動画で。


YouTube: 玉川温泉「大噴」

 

 

なぜ「毒水」が田沢湖に導入されたのか?なぜ今でも導入が止まらないのか?

今日は9月23日。

  

前投稿に引き続き、

クニマスは生きていた!」(池田まき子著/汐文社)より引用します。

  

田沢湖の湖水酸性化によって、クニマスは絶滅します。

酸性化には戦前の水力発電所建設という国策が関係します。

引用します。

  

水力発電所を建設する計画とは、

国力を強化する目的で、田沢湖を発電および灌漑のための

ダム湖にするというもの。

そして、田沢湖から流出する湖水をまかなうため、

玉川の水を引き込むというものでした。

(47p) 

  

この「玉川」が問題でした。

  

玉川は全長が103キロで、雄物川の支流としては

最長の川で水量はあるものの、玉川温泉か非常に強い

酸性の水が流れこんでいます。その源は玉川温泉の

「大噴(おおぶけ)」と呼ばれる湧出口で、98度の温泉が

毎分8トン以上も噴き出していました。

この玉川の「毒水」が田沢湖に導水されたら、

一体どうなるのでしょうか。湖がどのように変化するかは、

だれでも容易に想像できることでした。

この計画には、漁師だけではなく、地域の人たちだれもが

憤慨せずにはいられませんでした。

 

久兵衛の父の正善さんと祖父の金治郎さんは、

丸木舟の修理をしながら、息をひそめて話をしています。

「新しいダムを造るとなれば、かなりの費用が必要になるし、

何年もかかる。だから、田沢湖が目をつけられたわけだ・・・・。」

「電力会社は、田沢湖には60本もの沢の水が流れこんでいて,

 『毒水』が十分に薄められるから問題はねえと考えているらしい。」

「でも、それをだれが保証できる?『毒水』の毒は

徐々にたまっていくはずだし、魚はいずれ死に絶えてしまうんでねえが。」

「これは、国を挙げての計画だ。国に逆らって反対の声を上げれば、

国賊とか非国民とか言われ、どんな処分を受けるかしれねえ。

家族も親族も巻きこんで、大変な迷惑をかけることになってしまう。」

「大きい声では言えねえが、田沢湖に『毒水』を入れるなんてことは、

断じて許されねえことだ。でも、今は何もかもが戦争のため、

お国のためだと言われる。どうすればいいんだべ・・・・。」

「お国のためか ・・・・。」

どこにも怒りのぶつけようがなく、ふたりの心は深く沈んでいきました。

  

日本は戦時体制のもと、総力を結集しなければならない時期。

戦車や軍艦、鉄砲や弾丸などを作るためには,

大量の電気が必要とされていました。

(中略)

国も県も、田沢湖の地元の人々が反対し嘆き悲しんでいることを

知りながら、いっさい取り合ってくれませんでした。

当時は、田沢湖の自然よりも、そこに生きる魚類の命よりも、

国力の強化が何よりも優先されている時代だったのです。

(中略)

しかも、1937年(昭和12年)7月に始まった日中戦争は、

長くなることが予想され、また、その翌年に「国家総動員法」が

導入されたことにより、政府の統制はさらに厳しくなりました。

そんな中、玉川水系を利用した電源開発は計画通り進められることになり、

生保内(おぼない)発電所と神大(じんだい)発電所の工事が

次々に始まりました。

(48~51p) 

  

  

今だったら、

玉川の水が田沢湖に入る可能性はなかったでしょう。

戦争前、戦争中だったから行われたことだと、

この文章で思いました。

  

玉川の水を田沢湖へ導く水路が気になります。

現在もなぜか玉川の水は流入しているそうです。

なぜ?

 

田沢湖の南に広がる仙北平野穀倉地帯は、

玉川の水を田沢湖で薄めて農業用水として利用

することで栄え、「米どころ」の秋田を支えてきました。

けれども予想以上の速さで湖の水が酸性になったため、

湖から魚が姿を消したばかりか、

周辺の土壌も酸性化してしまい、稲の病気が発生したり、

米の収穫が減少したりしました。

(139p) 

   

ここにまだ玉川の水の田沢湖への流入を止めることができない

理由があるように思えます。

やはり酸性の玉川の水を薄める効果が

期待されているのでしょうか。

 

 

1989年(平成元年)10月に「玉川酸性水中和処理施設」が

完成し、1991年4月から本格運転が始まっています。

石灰石を毎日約40トンを使って、酸性水を中和する施設です。

この施設のおかげで田沢湖のpHは改善はされているようですが、

しかし、現在も田沢湖はクニマスが住むには、

向いていない状態だそうです。

 

田沢湖を玉川の「毒水」が引き込まれる前の姿に

よみがえららせようと、住民団体の

「田沢湖に生命(いのち)を育む会」が結成されたのは、

2002年(平成14年)1月のことでした。

(中略)

当時、石灰石を使った中和処理により、

湖のpHは少しずつ改善しているものの、

石灰成分が湖に沈殿したり、

湖の透明度を低くしたりする

恐れがあるのではないかとの声がありました。

そのため、会員たちは、田沢湖を元に戻すには、

酸性水の源である玉川からの導水をただちに止め、

何十年、何百年かかろうとも、自然の力で

湖が復活するのを見守るのが最良の方法ではないかと

提言をしたのです。

(141p)

 

  

「田沢湖に生命を育む会」の提言する玉川からの

導水停止は、依然、実現していません。

問題を解決するのは容易ではないということを、

会員たちは深く受け止め、

解決の道を模索し続けています。

「クニマスが生きていることがわかった今が、

田沢湖の環境を見つめ直す、言わば最後の機会と

言えるのではないか。」

「今こそ、田沢湖の復活を真剣に呼びかけていかなければ・・・。」

西湖で70年ぶりにクニマスが発見されたことは、

会員たちの田沢湖再生への思いをより強いものにする

できごとでした。

(143p)

 

  

クニマスのこと、田沢湖の水質だけを考えたら、

玉川からの導水ストップは可能でしょう。

でも何か事情があるのでしょう。

この本から感じたのは、米作りの灌漑に今も

利用しているので、止められないと推測します。

課題図書だった「クニマスは生きていた!」読破

 今日は9月23日。

  

西湖の畔にあったクニマス展示館に寄ったのがきっかけで、

2冊の本を読みました。

※参考:ここでも道草 20180825樹海を歩いてきました クニマス展示館で長居(2018年9月2日投稿)

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釣りキチ三平 平成版1 地底湖のキノシリマス

(矢口高雄作/講談社)

 

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クニマスは生きていた!」(池田まき子著/汐文社)

  

「クニマスは生きていた!」は第64回(2018年)

青少年読書感想文全国コンクールの課題図書でした。

ブログにクニマスのことを書いたことで、教えてもらいました。

小学校勤務だと、課題図書がなんであるかは、

目に入りやすかったのですが、中学校勤務になって、

全く疎かったです。

  

この2冊を読んで、クニマスの歴史がだいぶわかってきました。

2010年の西湖でのクニマスの発見が、

たいへんな出来事だったことが、いまさらながらわかってきました。

  

「クニマスは生きていた!」には、「地底湖のキノシリマス」について

書いてあるところがありました。引用します。

  

「釣りキチ三平」は、秋田県雄勝郡西成瀬村(現在の横手市増田町)出身の

漫画家・矢口高雄氏の代表作で、1973年(昭和48年)から

約10年間に渡って「週刊少年マガジン」に連載されました。

 

その連載が終了してから18年後の2000年(平成12年)、

矢口氏の「漫画家生活30周年」を祝うパーティーで、

多くの関係者やファンから「三平君に会いたい」というアンコールを

受けたことから、「平成版・釣りキチ三平」が再始動されることになりました。

(中略)

  

この漫画「地底湖のキノシリマス」が単行本として

出版されたのは2002年(平成14年)でしたが、

実際に西湖でクニマスが発見されたのは、

それから8年後の2010年(平成22年)のこと。

クニマスの卵が別の湖に移植されていたこと、

また、クニマスが人知れず命をつなぎ、

何十年も経ってから発見されたことなどが報道されると、

「釣りキチ三平のドラマが現実になった!」

「まるで今回のことを予見していたようだ」と、

大きな反響を巻き起こしました。

 

メディアの取材に対して、矢口氏は

「クニマスは必ずどこかに生きていると思っていた。

その願いを託して漫画にしたのだが、思い通りになって、

うれしい限り。田沢湖への里帰りを早く実現させてほしい」と

語っていました。

(114p)

  

 

  

西湖でのクニマス発見の8年前というのがいいなあ。

ドラマチックです。

その「地底湖のキノシリマス」にも登場していた三浦久兵衛さんの

ことも、「クニマスは生きていた!」で詳しく書かれていました。

「最後のクニマス漁師」と呼ばれている人でした。

西湖にクニマスの卵を送ったという証拠も、

久兵衛さんが持っていました。

本栖湖と西湖の漁業組合から田沢湖のふ化場に届いたはがきとか、

卵10万粒が西湖へ送られた時の荷物受領証です。

この資料があって、田沢湖と西湖が正式につながったのです。

久兵衛さんが、代々クニマス漁をしてきた三浦家に保管されてきた

資料を探したことで、発見されたものです。

地味ですが、こういう活動が大事なのだと思います。

  

久兵衛さんは西湖とか本栖湖などの湖に出向き、

クニマスがいないか探したそうです。

 

「湖を殺した」「魚を殺した」という後ろめたい歴史を

背負いながら、資料を繰り返し読んでいた久兵衛さんは、

古い文献を調べれば調べるほど、クニマスに

生きていて欲しいという思いが募りました。

(71~72p)

  

では、久兵衛さんは、西湖でのクニマス発見(2010年)を

知ることができたのか・・・・

  

2006年(平成18年)5月20日、心臓の病気が原因で、

84歳で静かに息を引き取りました。

クニマス漁師として働いたのは、ごくわずかの年数でしたが、

クニマスに関わり続けた人生でした。

(89p)

  

 

残念です。

でもきっと将来まで、クニマスの歴史に欠かせない人として、

語り継がれることでしょう。

でも不思議です。

2010年の大発見に関わったはずのさかなクンが、

この本にも登場しません。

マスコミは取り上げましたが、

それ以外の研究者はあえて名前を書かないのかな?

避けているのかな?

2018年9月21日 (金)

定礎箱を開封/旧東海銀行本店ビル

今日は9月21日。

  

少し前のニュースで、

気になっていたものをここに書き留めておきたいです。 

定礎箱の話でした。

 

名古屋市にある旧東海銀行本店ビルは、

1961年完成の建物でした。

私の生まれた年です。

老朽化のために取り壊され、新しいビルが建つそうです。

(1961年に建った建物は老朽化なのですね)

(まあそうでしょうね)

解体が始まった9月13日、定礎板が外されて、

そこに保管されていた銅製の定礎箱が取り出されました。

1960年8月に準備されたもので、

当時の朝日新聞を含む新聞各紙や硬貨、

旧東海銀の貸借対照表など計6種の品が収められていました。

※参考:朝日新聞DIGITAL 58年前の決算書や新聞発見 旧東海銀本店ビル解体

 

Photo_2 朝日新聞DIGITAL

 

定礎については、以前調べました。

検索してみました。ここです↓

ここでも道草 「定礎」とは?(2013年8月14日投稿)

自分で書いた記事ですが、忘れていました。

いいことが書いてあります。

「礎石」を置く習慣から生まれた言葉だったのですね。

このニュースのおかげで、再確認しました。

「やばい」の意味は「警察につかまりそうで危険だ」だけだった

今日は9月21日。

 

前投稿に引き続きメルマガ関連。

毎週日曜日に届くメルマガ「言葉拾い」

※参考:まぐまぐ!「言葉拾い」

8月26日発行の№654より引用します。

  

■ やばい ■

若者の間で日々飛び交っている「やばい」。

ポジティブにもネガティブにも使える、

変幻自裁の「やばい」を取り上げてみました。


「やば」(形容動詞)

法に触れたり危険であったりして、不都合なこと。

江戸時代にも使われていた語です。


「やばい」(形容詞)

危険や不都合な状況が予測されるさま。あぶない。

「やば」の形容詞化。

元は、的屋・泥棒などが警察の手が及ぶ恐れのある時に

使われた隠語です。

  

この冒頭の文章で私は興味津々となりました。

江戸時代に使われていた「やば」(形容動詞)の

形容詞化が「やばい」

その「やば」の意味に驚き。

法に触れるような行為でした。

 

 

若者の間では、

“最高!”“すごくいい”の意にも使われます。

良くないことをいう否定的用法から

良いことをいう肯定的用法にどのように変化したのでしょう。

  

  

ここでメルマガの著者は、

国語辞典の記述の変遷をたどってくれます。

これが面白い。

  

  

<<新明解国語辞典>>

◇初版-1972年

警察につかまりそうで危険だ。

◇3版-1981年

1、警察につかまりそうで危険だ。

2、不結果を招きそうで、まずい。

◇4版-1985年

3班と同じ。

◇7版-2012年

1、違法なことをするなどして、

   警察の手が及ぶ恐れのある状態だ。

2、自分の身に好ましくない結果を招く様子だ。

3、最近の若者の間では、

   一種の感動詞のように使われる傾向がある。


<<岩波国語辞典>>

5版の1994年に初めて「やばい」が登場します。

危険や悪い結果が予測されるさま。

あぶない。まずい。

◇7版-2009年

1、危険や悪い事が起こりそうな形勢だ。あぶない。

2、近年は「すごい」の意味でも使う。


<<広辞苑>>

今年10年ぶりに改訂になった「第7版」で、

若者用法が追加されました。

1、不都合である。危険である。

2、のめり込みそうである。


だいたいの時代感覚がつかめましたでしょうか。

両面で使わるようになって20年くらいと思われます。

最近は、

「やば」「やべえ」「やべ」と短くなっています。

 

 

はい、時代感覚がつかめましたよ。

1972年の辞書には

「警察につかまりそうで危険だ。」しか

載っていなかった言葉だったのですね。

驚きです。

 

さらに著者は面白いことを書いてくれました。

   

  

正反対のことを表現する「やばい」。

気心の知れた仲間同士でないと、混乱をきたしますね。

  

最後に、

「やばい」だけで成り立つヤバイ会話を紹介します。

+ --- + --- +

A「やばい!ここの料理めっちゃやばい!」

B「ほんとだ。ガチでやばい!」

A「あー、もうお腹もやばいわ」

B「オイラ財布やばいからおごりね!」

A「ええ!? ていうか金額やばくね?

   やばい! 金ないし」

+ --- + --- +

A「この猫やばい!」

B「ほんとだ。やばいねー」

A「まじやばい! 連れて帰りたい!」

B「君のアパート、ペットやばいんじゃないの?」

A「やばいけど、この子をこんなやばいところに

   ほっとく方がやばくない?」

B「じゃさー、もらってくれる

  やばいくらいいい人を探そうよ!」

A「よし! 今からやばいいい人を探しにいこう!」

+ --- + --- +

 

まあー、めまぐるしく良い/悪いの意味が変わること。

これだけ使い倒されていると、あきられないでしょうか。

「やばい」の今後が気になります。

   

  

私も気になります。

いいネタを教えてくれて感謝。

 

Dly1703290032f1 産経フォト

2017年3月29日

  

目指す数が固定された「7419」

 今日は9月21日。

  

慌ただし日々。

そう言えば最近、「教育の鉄人」のメルマガを読んでいないと

気がつきました。

調べたところ・・・ビックリ!

7月27日に廃刊!

Photo  

2か月前に何があったんだろう。

「諸事情」とは?

  

このメルマガの発行数が、私の目標でした。

いつかは私のブログの発行数が追いつくぞと思っていました。

でも教育の鉄人の発行数は多く、

少しずつ引き離されていました。

それが突然止まった。

  

7419

  

教育の鉄人に勧められて始まった「ここでも道草」

目指す数が固定されました。

今回が5889本目。

それでも何年かかかります。

引退までには間に合うかな。

 

  

でも思います。

永遠なものはないんだと。

すさまじい発行数を誇ってきた「教育の鉄人」メルマガが

終わってしまうことがあるのですね。

ずっと昔、私のことも書いてもらったことがありました。

何度か、このブログにも文章を引用させてもらいました。

  

2か月近く経ってから廃刊に気づくのは失礼でした。

長い間ありがとうございました。

  

  

う~ん、諸事情って何だ?

2018年9月19日 (水)

今朝はうろこ雲が広がっていました

今日は9月19日。

  

今朝は東の空の朝焼けがきれいでした。

日の出に照らされて、東の空限定でうろこ雲が

赤く光っていました。(写真はなし)

 

東の空限定だったうろこ雲が、

出勤の頃には空の半分以上にまで広がっていました。

勤務校の駐車場で撮った写真です。

Rimg0447

見事なうろこ雲でした。

3年前の冬の投稿を思い出します。

ここでも道草11月16日~12月9日の雲の写真(2015年12月10日投稿) 

ここでも道草 「うろこ雲」「日暈」は天気が崩れる前兆(2015年12月11日投稿)

あの時のうろこ雲は、日本各地で見ることができました。

今回はどうなんだろう?

また数日したら調べてみよう。

 

「うろこ雲」が出ると天気が崩れる。

明日は雨降りのようです。

 

 

ここで解決しておきたいのが、

うろこ雲とひつじ雲の違い。

違いを説明してサイトはいくつかありますが、

このサイトがよかったかな↓

ウェザーニュース うろこ雲とひつじ雲を一発で見分ける方法とは?

  

この図がいい。転載します。

201709140195_box_img0_a  

文章も引用します。

  

うろこ雲は、いわし雲なんて呼ばれ方もしますが、

気象学的には巻積雲(けんせきうん)の一種に分類されます。

秋を代表する雲で、上空の高いところに発生します。

また、巻積雲は雲が薄く、太陽がすけるため陰ができません。

ではひつじ雲はというと、高積雲(こうせきうん)の一種です。

巻積雲と比べると、発生する場所が低く、

雲が厚いため、底に陰があります。

  

  

「底に陰がある」

そうか、そうなると、今朝の雲はうろこ雲ではなくて、

ひつじ雲なのでしょうか?

「うろこ雲が出ると、3日以内に雨」

「ひつじ雲が出ると、翌日が雨」

 

そうなると、やっぱりひつじ雲かな。

  

上記サイトを見ると、簡単に見分ける方法を書いてくれてあります。

参考までに見てください。

 

  

以上です。

通算5888本目の投稿記事。

本当は夏休み中に行きつきたかった本数です。

※参考:ここでも道草 この夏も充電しよう/風鈴の起源/有能な者は行動し、無能な者は・・(2018年7月21日投稿)

19日遅れ。

  

2018年9月18日 (火)

20180901報告その3 膝に手を置いて聴くのがいいのか?

今日は9月18日。

  

今日は再び青木ヶ原樹海に行きます。

8月に3回、富士山方面に行きましたが、

9月も行きます。

次の予定はないので、これがおそらくラストです。

今回は親戚の叔父さんと叔母さんを案内します。

70歳前後の方たちで、ふだん山歩きはしていないので、

無理のない山歩きをしようと思います。

紅葉台まで自動車で登り、展望台から景色を眺め、

その後三湖台までささやかに登山。

そこで8月のように富士山や樹海が拝めたらと思っています。

ここでも道草 20180825樹海を歩いてきました 離れ難かった三湖台(2018年9月2日投稿)

そして富岳風穴体験。

元気があったら、樹海の中を歩いて鳴沢風穴までの往復。

そんな予定です。

出発もゆっくりです。

  

  

この時間を利用して、9月1日のキミヤーズ塾で学んだことを

やっとここに書き留めておこうと思います。

「20180901報告」シリーズとしては、3本目です。

ここでも道草 20180901報告その1 獨鈷抛山千手寺の参道を自動車で走る(2018年9月10日投稿)

ここでも道草 20180901報告その2 獨鈷抛山千手寺の境内でロケ地チェック(2018年9月11日投稿)

9月1日は京都でいい体験をした日でした。

  

  

キミヤーズ塾はおそらく9回目。

回数が多くなると、何回目だっかなと迷います。

次回は記念すべき10回目。

2月23日に行われます。

 

  

最初に赤木和重先生のお話。

日々の仕事。慌ただしいので、意外に考えていない。

常識・正解と思われているものを疑うことをした方がいい。

自らのやっていることを疑うのがいい。

ふだん何気なくやっていることを疑う。

たとえば、弁当を食べる時に、みんなで一斉に

「いただきます」を言うことは本当に正しいか?

考える。もちろん、楽しく考える。楽しく疑う。

キミヤーズ塾は、「答え」を得る会ではない。

終わった後に、アイデアが湧き出てくる会。

 

※(この報告では、※印は私の感想)

 教師はアイデア勝負でいいのだと教えてくれたのが村上公也先生。

 だからキミヤーズ塾に出かけています。

 まだまだ世間の学校空間に比べると、キミヤーズ塾は異空間。

 その異空間に浸ることで、頭は活性化されて、

 ふだんの仕事で活用できるアイデアが浮かんできていると思います。

 年2回のキミヤーズ塾は、リフレッシュになります。

  

  

 

また裁判がありました。風刺劇は前回に引き続き、

村上先生のやり方をめぐる裁判劇でした。

今回は高等裁判所が舞台。

 

※村上先生の指導について考えるのに、

 裁判で考えるという発想がいい。

 裁判ネタになるほど、村上先生のやり方は、

 世間から見て賛否両論があるからです。

 学習規律の徹底は、村上先生から見たら必要のないこと。

 どんな座り方をしていても構わない。

 机の上に乗っていても構わない。

 世間では、そこまで踏み切れません。

 でも現状を疑うきっかけにはなります。

 教師の話を聴くときに、膝に手を置いて聴くのが本当にいいのか。

 しっかり聴くときは、私の場合は、右手はペンを持ち、

 左手はノートを抑えながら、メモをしながら聴きます。

 聴いたことを漏らさないようにです。

 だから、授業に限っては、子どもたちがそうなったらベストだと思います。

 もちろん、ペンでカチカチ遊び出したら、

 他の人に迷惑なので注意。それは大人も一緒。

 ただ、教師もプレッシャーがかかります。

 メモをするに値するほどの話ができるかどうかです。

 ここは教材研究の質・量が重要になってきます。

 2学期の社会科の授業は、メモをしながら聴くことを

 子どもたちに言いたいです。そのような聴き方ができる

 子どもたちにしたいです。それが将来生きる力になります。

 さらに、メモして聴いたことで疑問があれば、

 その授業中に尋ねることができるようになればさらにいいです。

 その質問に教師が答えます。

 子どもたちの質問力のアップになります。

 質問をするということは、理解できた証拠であるし、

 関心が高まっている証です。

 答えられなかったら、教材研究の質・量を考えなければなりません。

 あるいは、質問した子どもが調べていくきっかけになる可能性もありです。

 この子どもと教師のコミュニケーションは授業で大事です。

 膝に手を置いて聴くことを強調して、

 子どもたちに受け身を強調しすぎると、

 このコミュニケーションは期待できません。

 最近は、授業での子ども同士のコミュニケーションの重要性が

 増しています。

 もちろん重要です。

 同級生が自分と同じことを考えていることを知る体験、

 あるいは同級生でも自分とは違うことに目をつけて、

 別のことを考えている体験は貴重です。

 自分の思いを相手に伝えようと表現する機会としても大事。

 キミヤーズ塾のように、役割を与え「代わり番子」によって、

 自分の存在感を確認できます。

 でも、あらためて授業の基本である子どもたちと教師の

 コミュニケーションにも注目すべきだと思います。

 教材研究で変えることが容易(たやす)いのは、教師の話す内容です。

  

※ほらほら、キミヤーズ塾のいいところがさっそく出ました。

 上記の考えは、キミヤーズ塾の裁判の様子を見ていて浮かんだことが

 きっかけになっています。

 手を膝において聴くことは、教師だって学びの場ではやっていない。

 実際はメモしながら聴いている。これがベストではないのか。

 そう思っていました。

  

  

いかん、もうこんな時間です。

出かける準備をしなくてはいけません。今朝はここまで。

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楽餓鬼

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