20180901報告その3 膝に手を置いて聴くのがいいのか?
今日は9月18日。
今日は再び青木ヶ原樹海に行きます。
8月に3回、富士山方面に行きましたが、
9月も行きます。
次の予定はないので、これがおそらくラストです。
今回は親戚の叔父さんと叔母さんを案内します。
70歳前後の方たちで、ふだん山歩きはしていないので、
無理のない山歩きをしようと思います。
紅葉台まで自動車で登り、展望台から景色を眺め、
その後三湖台までささやかに登山。
そこで8月のように富士山や樹海が拝めたらと思っています。
※ここでも道草 20180825樹海を歩いてきました 離れ難かった三湖台(2018年9月2日投稿)
そして富岳風穴体験。
元気があったら、樹海の中を歩いて鳴沢風穴までの往復。
そんな予定です。
出発もゆっくりです。
この時間を利用して、9月1日のキミヤーズ塾で学んだことを
やっとここに書き留めておこうと思います。
「20180901報告」シリーズとしては、3本目です。
※ここでも道草 20180901報告その1 獨鈷抛山千手寺の参道を自動車で走る(2018年9月10日投稿)
※ここでも道草 20180901報告その2 獨鈷抛山千手寺の境内でロケ地チェック(2018年9月11日投稿)
9月1日は京都でいい体験をした日でした。
キミヤーズ塾はおそらく9回目。
回数が多くなると、何回目だっかなと迷います。
次回は記念すべき10回目。
2月23日に行われます。
最初に赤木和重先生のお話。
日々の仕事。慌ただしいので、意外に考えていない。
常識・正解と思われているものを疑うことをした方がいい。
自らのやっていることを疑うのがいい。
ふだん何気なくやっていることを疑う。
たとえば、弁当を食べる時に、みんなで一斉に
「いただきます」を言うことは本当に正しいか?
考える。もちろん、楽しく考える。楽しく疑う。
キミヤーズ塾は、「答え」を得る会ではない。
終わった後に、アイデアが湧き出てくる会。
※(この報告では、※印は私の感想)
教師はアイデア勝負でいいのだと教えてくれたのが村上公也先生。
だからキミヤーズ塾に出かけています。
まだまだ世間の学校空間に比べると、キミヤーズ塾は異空間。
その異空間に浸ることで、頭は活性化されて、
ふだんの仕事で活用できるアイデアが浮かんできていると思います。
年2回のキミヤーズ塾は、リフレッシュになります。
また裁判がありました。風刺劇は前回に引き続き、
村上先生のやり方をめぐる裁判劇でした。
今回は高等裁判所が舞台。
※村上先生の指導について考えるのに、
裁判で考えるという発想がいい。
裁判ネタになるほど、村上先生のやり方は、
世間から見て賛否両論があるからです。
学習規律の徹底は、村上先生から見たら必要のないこと。
どんな座り方をしていても構わない。
机の上に乗っていても構わない。
世間では、そこまで踏み切れません。
でも現状を疑うきっかけにはなります。
教師の話を聴くときに、膝に手を置いて聴くのが本当にいいのか。
しっかり聴くときは、私の場合は、右手はペンを持ち、
左手はノートを抑えながら、メモをしながら聴きます。
聴いたことを漏らさないようにです。
だから、授業に限っては、子どもたちがそうなったらベストだと思います。
もちろん、ペンでカチカチ遊び出したら、
他の人に迷惑なので注意。それは大人も一緒。
ただ、教師もプレッシャーがかかります。
メモをするに値するほどの話ができるかどうかです。
ここは教材研究の質・量が重要になってきます。
2学期の社会科の授業は、メモをしながら聴くことを
子どもたちに言いたいです。そのような聴き方ができる
子どもたちにしたいです。それが将来生きる力になります。
さらに、メモして聴いたことで疑問があれば、
その授業中に尋ねることができるようになればさらにいいです。
その質問に教師が答えます。
子どもたちの質問力のアップになります。
質問をするということは、理解できた証拠であるし、
関心が高まっている証です。
答えられなかったら、教材研究の質・量を考えなければなりません。
あるいは、質問した子どもが調べていくきっかけになる可能性もありです。
この子どもと教師のコミュニケーションは授業で大事です。
膝に手を置いて聴くことを強調して、
子どもたちに受け身を強調しすぎると、
このコミュニケーションは期待できません。
最近は、授業での子ども同士のコミュニケーションの重要性が
増しています。
もちろん重要です。
同級生が自分と同じことを考えていることを知る体験、
あるいは同級生でも自分とは違うことに目をつけて、
別のことを考えている体験は貴重です。
自分の思いを相手に伝えようと表現する機会としても大事。
キミヤーズ塾のように、役割を与え「代わり番子」によって、
自分の存在感を確認できます。
でも、あらためて授業の基本である子どもたちと教師の
コミュニケーションにも注目すべきだと思います。
教材研究で変えることが容易(たやす)いのは、教師の話す内容です。
※ほらほら、キミヤーズ塾のいいところがさっそく出ました。
上記の考えは、キミヤーズ塾の裁判の様子を見ていて浮かんだことが
きっかけになっています。
手を膝において聴くことは、教師だって学びの場ではやっていない。
実際はメモしながら聴いている。これがベストではないのか。
そう思っていました。
いかん、もうこんな時間です。
出かける準備をしなくてはいけません。今朝はここまで。
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