課題図書だった「クニマスは生きていた!」読破
今日は9月23日。
西湖の畔にあったクニマス展示館に寄ったのがきっかけで、
2冊の本を読みました。
※参考:ここでも道草 20180825樹海を歩いてきました クニマス展示館で長居(2018年9月2日投稿)
「釣りキチ三平 平成版1 地底湖のキノシリマス」
(矢口高雄作/講談社)
「クニマスは生きていた!」(池田まき子著/汐文社)
「クニマスは生きていた!」は第64回(2018年)
青少年読書感想文全国コンクールの課題図書でした。
ブログにクニマスのことを書いたことで、教えてもらいました。
小学校勤務だと、課題図書がなんであるかは、
目に入りやすかったのですが、中学校勤務になって、
全く疎かったです。
この2冊を読んで、クニマスの歴史がだいぶわかってきました。
2010年の西湖でのクニマスの発見が、
たいへんな出来事だったことが、いまさらながらわかってきました。
「クニマスは生きていた!」には、「地底湖のキノシリマス」について
書いてあるところがありました。引用します。
「釣りキチ三平」は、秋田県雄勝郡西成瀬村(現在の横手市増田町)出身の
漫画家・矢口高雄氏の代表作で、1973年(昭和48年)から
約10年間に渡って「週刊少年マガジン」に連載されました。
その連載が終了してから18年後の2000年(平成12年)、
矢口氏の「漫画家生活30周年」を祝うパーティーで、
多くの関係者やファンから「三平君に会いたい」というアンコールを
受けたことから、「平成版・釣りキチ三平」が再始動されることになりました。
(中略)
この漫画「地底湖のキノシリマス」が単行本として
出版されたのは2002年(平成14年)でしたが、
実際に西湖でクニマスが発見されたのは、
それから8年後の2010年(平成22年)のこと。
クニマスの卵が別の湖に移植されていたこと、
また、クニマスが人知れず命をつなぎ、
何十年も経ってから発見されたことなどが報道されると、
「釣りキチ三平のドラマが現実になった!」
「まるで今回のことを予見していたようだ」と、
大きな反響を巻き起こしました。
メディアの取材に対して、矢口氏は
「クニマスは必ずどこかに生きていると思っていた。
その願いを託して漫画にしたのだが、思い通りになって、
うれしい限り。田沢湖への里帰りを早く実現させてほしい」と
語っていました。
(114p)
西湖でのクニマス発見の8年前というのがいいなあ。
ドラマチックです。
その「地底湖のキノシリマス」にも登場していた三浦久兵衛さんの
ことも、「クニマスは生きていた!」で詳しく書かれていました。
「最後のクニマス漁師」と呼ばれている人でした。
西湖にクニマスの卵を送ったという証拠も、
久兵衛さんが持っていました。
本栖湖と西湖の漁業組合から田沢湖のふ化場に届いたはがきとか、
卵10万粒が西湖へ送られた時の荷物受領証です。
この資料があって、田沢湖と西湖が正式につながったのです。
久兵衛さんが、代々クニマス漁をしてきた三浦家に保管されてきた
資料を探したことで、発見されたものです。
地味ですが、こういう活動が大事なのだと思います。
久兵衛さんは西湖とか本栖湖などの湖に出向き、
クニマスがいないか探したそうです。
「湖を殺した」「魚を殺した」という後ろめたい歴史を
背負いながら、資料を繰り返し読んでいた久兵衛さんは、
古い文献を調べれば調べるほど、クニマスに
生きていて欲しいという思いが募りました。
(71~72p)
では、久兵衛さんは、西湖でのクニマス発見(2010年)を
知ることができたのか・・・・
2006年(平成18年)5月20日、心臓の病気が原因で、
84歳で静かに息を引き取りました。
クニマス漁師として働いたのは、ごくわずかの年数でしたが、
クニマスに関わり続けた人生でした。
(89p)
残念です。
でもきっと将来まで、クニマスの歴史に欠かせない人として、
語り継がれることでしょう。
でも不思議です。
2010年の大発見に関わったはずのさかなクンが、
この本にも登場しません。
マスコミは取り上げましたが、
それ以外の研究者はあえて名前を書かないのかな?
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