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2020年10月

2020年10月31日 (土)

「還暦からの底力」⑥ 「今この時が一番若い」

 

今日は令和2年10月31日。

  

前記事に引き続き、

「還暦からの底力 歴史・人・旅に学ぶ生き方」

(出口治明著/講談社現代新書)から引用します。

今回がラストです。

  

社会の変化するスピードが速くなったのだから、それに追いつくた

めにも仕事一辺倒の「飯・風呂・寝る」の生活から今すぐ脱却し、

勉強しなければならない。勉強するのは子供や学生だけではなく、

大人になっても一生学び続けなければいけない。知は力であり、そ

の力は「人・本・旅」で勉強しなければ身に付かない・・・。

こういう話をすると、年齢が高くなればなるほど「何をいまさら」

と思う人がいるかもしれません。しかし、皆さんが一番若いのはい

まこの時です。明日になったらまた1日、年を取ってしまいます。

どんな年齢の人でもいまこの時が一番若いのですから、思い立った

らすぐ行動することが大切です。

(233p)

  

「今この時が一番若い」は、なるほどと思いました。

勉強は続けていこうとは思っています。

このブログが続いているうちは、勉強している証拠。

  

  

人生を楽しくしたいなら、そうではなく、人間の喜怒哀楽は絶対値

でとらえるべきです。シェイクスピアの翻訳で知られる小田島雄志

(おだしまゆうし)さんは「人生の楽しみは、喜怒哀楽の総量であ

る」と日本経済新聞の「私の履歴書」で語っていました。

私たちはうれしいことや楽しいことはたくさんあったほうがよく、

つらいことや悲しいことは少ないほうがいいと思いがちです。でも

よくよく考えてみれば、そんな人生は味気ないものではないでしょ

うか。

小田島さんがいう通り、人生には「喜」「楽」はもちろん「怒」「

哀」もあったほうがいい。喜んだり怒ったり、哀しんだり楽しんだ

りがたくさんあるほうが面白いし、人生は豊かになるはずです。だ

から喜怒哀楽はプラス・マイナスで計算するのではなく、その総量

の絶対値でとらえたほうがよいのです。

(237p)

  

自分の生き方の中で「怒」はセーブしてきました。

そのことについて出口さんは次のように書いています。

  

自分の感情も、基本的には素直に表出すればいいと思います。腹が

立ったら怒ればいいし、あとになって「どうでもいいことで怒って

しまった」と気付いて反省したら、それもまた勉強です。

人はなぜ感情をコントロールしようと気にするかといえば、他人に

よく思われようと思うからです。でも、パワハラは論外ですが、過

度に攻撃的になるほど他人に迷惑をかけることがない限り、感情は

素直に出していけばいいと思います。

(239p)

  

  

他人の目を気にしすぎている自分に嫌になることもあります。

感情をもっと表出する。できたらいいです。

  

  

幸せな社会とはみんながそれぞれ他人に気兼ねなく、自分の好きな

ことに打ち込める世界です。私たちがつくり、次世代に引き継いで

いくのは、そういう社会でなければなりません。

(243p)  

   

今の自分は、まだ自分の好きなことに打ち込めていない状況です。

まずは自分をよい状況に置きたいです。

そのためには、他人の目を気にしすぎているところを

少しでも治したい。

自滅を繰り返してきた教師の仕事ですが、

充実した気持ちで終えたい。

  

今日の新聞にも、参考になる記事がありました。

次の投稿で載せたいです。

他人がどう思っているかを重視して「他人ファースト」に

なっているのを戒めてくれた記事です。

2020年10月30日 (金)

「還暦からの底力」⑤ 第一次世界大戦の勉強『夢遊病者たち』

  

今日は令和2年10月30日。

  

前記事に引き続き、

「還暦からの底力 歴史・人・旅に学ぶ生き方」

(出口治明著/講談社現代新書)から引用します。

  

指導者がいかに重要かを知るうえでは、バルカン半島の紛争が史上

初の総力戦、第一次世界大戦へと展開する過程をまとまたクリスト

ファー・クラークの『夢遊病者たち』という本がとても参考になり

ます。この本は誰も戦争などやりたくないのに、みんなが優柔不断

で愚かな小さい決定を繰り返していくうちに大戦争になっていく様

子を描いた傑作です。

(199p)

    

第一次世界大戦は現在の私の興味関心の一つです。

この「夢遊病者たち」はどのような本だろう?

さっそく図書館で予約しました。

  

  

名目GDPを見るとアメリカは中国よりも上ですが、購買力平価

ベースのGDPで見ると、中国はすでにあめりかを上回っており、

もうすでにアメリカを上回っており、もう既に米中の経済力はほ

ぼ拮抗しているといえます。経済的にはすでにG2の世界に突入

しており、歴史を振り返ってみるとナンバー1にナンバー2が肉

薄すると、ナンバー1はナンバー2の頭を叩こうとするのが通例

です。米中関係は基本的にこのような構図に則(のっと)ってい

ます。

ただ、かつての米ソの冷戦の二の舞いになるかといえば、僕はそ

うはならないと思います。その理由は2つあって、一つはアメリ

カと中国にはたくさんの人の交流があることです。アメリカとソ

連の間にはほとんど人の交流がなく、その象徴がベルリンの壁で

した。人の行き来がないということは当然、商売の関係もなく、

冷戦時代は自由主義圏と共産主義圏がそれぞれ経済的に独立して

いました。

ところが、現在は中国からアメリカに行って学ぶ留学生数だけで

もおよそ37万人。国境を超えた人的ネットワークが形成されて

います。(中略)

このような動きをみれば、アメリカと中国の結びつきは非常に強

いことがわかります。それを全部断ち切って、どこかにベルリン

の壁のようなものを作ることは難しいでしょう。

(199~201p)

  

参考になる思考方法です。交流に目をつけて、未来を予測する。

なるほどです。

   

今晩はここまで

2020年10月29日 (木)

「還暦からの底力」④ 江戸末期の日本人の身長が低い理由

  

今日は令和2年10月29日。

  

前記事に引き続き、

「還暦からの底力 歴史・人・旅に学ぶ生き方」

(出口治明著/講談社現代新書)から引用します。

   

  

日本は非常に恵まれた国です。気候が温暖で四季があり、よく雨が

降るしたくさんの魚も獲れる。自然条件にとても恵まれているので、

人間が生きていきやすい環境にあります。

ところが、世界商品がありません。水や魚は世界のどこにでもあり

ますから、海外の人にとってぜひ欲しいというものではありません。

世界商品の典型が胡椒やお茶や絹です。原油もそうです。つまり、

世界中の人が欲しがるものが世界商品で、それが存在すると世界商

品の獲得のために外部から人がたくさん来訪し、場合によっては国

が乱れる元になったりします。イラクになぜ米軍が入ったかといえ

ば、石油があるからだという人がいます。同じように反米政権であ

っても、スーダンには入りませんでした。

日本にはこれといった世界商品がなかったので、外部からあまり人

が訪ねて来ませんでした。それは商売ができないので、豊かな国に

はならない、ということではありますが。

ところが安土桃山時代に銀という世界商品が大量に発見されました。

その代表が石見銀山です。当時の銀は世界通貨だったので、海外か

ら銀を求める人々がわっと押し寄せてきました。

しかし信長や秀吉の時代をピークとして、乱掘によりだんだん銀は

とれなくなりました。そのタイミングでちょうど鎖国が始まります。

なぜ日本が鎖国ができたかといえば、日本に世界商品がなくなった

ので、海外の人が日本を放っておいてくれたからです。

(165P)  

  

そうかこういう見方もあるんだと思いました。

石見銀山の銀は世界を動かしたんだ。

さらに江戸幕府に対して手厳しい見方をしています。

  

徳川政権は中国の明に似た退嬰(たいえい)的な政権で、人々の自

由な移動や物資の移動を禁止しました。これが意味するところは、

幕府の許可がない限り、鹿児島で飢饉が発生しても熊本から米を送

れないということです。徳川政権は大名同士が勝手に結び付くこと

を嫌ったので、すべて幕府の許可が必要でした。だから飢饉が発生

すると、どこでも惨憺(さんたん)たる状況になりました。江戸に

報告して許可を待っている間に、みんなが死んでしまうからです。

また人々の移動を禁止したので、人々が通婚する範囲が狭くなりま

した。移動ができなければ、自ずと同じ村か隣村くらいでしか通婚

できません。それが続けば血が濃くなるので、人々の身体は小さく

なっていきます。江戸末期は日本の長い歴史のなかで日本人の身長

と体重が一番小さくなりました。

政治の基本はそこで暮らしている人たちに腹いっぱいご飯を食べさ

せることですから、餓死者を大量に出し(現在の人口スケールで考

えれば、500万人レベル)、日本人の身長・体重を一番小さくし

た江戸時代は史上最低の政権だったといえます。

(165~166P)

  

 

江戸末期の日本人の身長の低さは気になっていました。

その原因は、江戸幕府の政策によるんだ?

出口さんが書いていることなので、なるほどと思ってしまいます。

江戸幕府に対する新しい見方です。

  

  

つづく 

2020年10月28日 (水)

「還暦からの底力」③ 10年後、思いがけない世界が広がっているかな?

  

今日は令和2年10月28日。

  

前記事に引き続き、

「還暦からの底力 歴史・人・旅に学ぶ生き方」

(出口治明著/講談社現代新書)から引用します。

   

  

大切なのは「人・本・旅」で、たくさんの人に会う、たくさんの本を

読む、たくさんいろいろな現場へ出かけていき、たくさんの出会いを

つくることです。すると、その中から運と適応により、思いがけない

世界が広がるかもしれません。

(118P)

  

いろんな手を使って、出会いを増やしていきたいです。

たとえば5年後、10年後、自分はどうなっているだろう?

定年があるので、今までとの出会いとは種類が違ってくるでしょう。

その結果、どんな人生になっているだろうか?

思いがけない世界が広がっているだろうか。

楽しみ。

  

  

山本義隆さんという在野の科学史家で、『磁力と重力の発見』(みす

ず書房)などすばらしい本を何冊も執筆している人がいます。元・東

大全学共闘代表であり、予備校の物理の名物講師として長年、教鞭を

とっていたのでご存知の方も多いでしょう。

山本さんはあるインタビューで「人は何のために勉強するのか?」と

いう質問に対し、「専門のことであろうが、専門外のことであろうが、

要するに物事を自分の頭で、自分の言葉で自分の意見を表明できるよ

うになるため。たったそれだけのことです。そのために勉強するので

す」と答えています。

つまり人が「考える葦」になるために、自分の頭で考え自分の言葉で

自分の意見を言えるような人間を育てることが、教育の根源的な目的

ということです。

(151~152P)

  

生徒に「なぜ勉強するのか」と聞かれたら、このようには言えません。

ピンと来ない説明だと思います。

でも、学校での勉強を離れた大人の身としては、納得の説明です。

  

  

考える力も料理と同じで、最初は考える力の高い人の真似から入り、

試行錯誤を繰り返しながら自分のものにしていく。具体的には考える

力の高い人が書いた本を読むことです。(中略)

本を読む意味は単なる知識の獲得にとどまらず、先人の思考のパター

ンや発想の型を学ぶことにあります。料理のレシピとまったく一緒で

す。先人の思考のプロセスの追体験からはじめるのです。

(155P)

  

  

読んで、こうやって書き写すのは、先人の思考パターンや発想の型を

血や肉にしたいと思っているからです。

そうなってほしい。

  

  

また明日。

  

  

「還暦からの底力」② 直感は大事/自己投資

 

今日は令和2年10月28日。

  

前記事に引き続き、

「還暦からの底力 歴史・人・旅に学ぶ生き方」

(出口治明著/講談社現代新書)から引用します。

  

直感というものは、いままでの人生で積み上げてきたデータをフルに

使って脳が判断しているわけですから、直感以上に正しいものはない

と思っています。もちろん時間があれば十分に分析、検討することが

できますが、時間がないときは直感で受け答えするしかありません。

(82P)

  

直感がそうであってほしいと思う文章です。

直感は大事です。

これと同じような文章に出合ったことがあるぞという直感。

「直感」で検索したら、5年前の記事に行きつきました。

ここでも道草 「たった一人の熱狂」から引用 その2/直感とヒラメキは耳を澄ます(2015年8月9日投稿)

「直感とヒラメキに耳を澄ます」と書いていました。

再読して確認。

  

  

世の中でこのような大きな変化が起きているのですから、個人とし

てもこれまでの経験の蓄積に頼らず、新しい物事を勉強し、チャレ

ンジしていくことが大切になってきます。すなわち、「人・本・旅」

による自己投資が非常に重要で、還暦からのお金の使い方としても

適切だと思います。何しろ、マラソンのコースはまだ半分残ってい

るのですから。

(109P)

  

「自己投資」という言葉が魅力的です。

自分にお金を使うことに対して、無駄遣いと思わずに、

「自己投資」だと思えば、使いやすいです。

正当なお金だと思うし、お金を使ったからには、

自分の何かに活かそうと積極的に思えます。

  

 

つづく

 

  

 

2020年10月26日 (月)

「還暦からの底力」① この労働慣行は、独特のものなんだ

  

今日は令和2年10月26日。

  

明日にはきっとこの本を読み終えると思います。

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「還暦からの底力 歴史・人・旅に学ぶ生き方」

(出口治明著/講談社現代新書)

  

59歳がいかにも読みそうな本でしょ。

  

まだ読み終えていないこの本からの引用。

  

老後の資金を貯めようという発想は、定年という戦後のガラパゴス

的な労働慣行に原因があります。日本の一括採用、終身雇用、年功

序列、定年というワンセットの労働慣行は、戦後の高度成長で人口

が急増した社会だからこそ成立した独特のものです。

世界に目を向けるとアメリカや連合王国(イギリス)をはじめ、ほ

とんどの国では定年がありません。なぜなら人間が大人になるとい

うことは、自分の食い扶持は自分で得るということです。だから人

間は一生働くのが自然の姿であり、実は働き続けることによっての

み健康寿命も延びるのです。

(29p)

    

そうなんだ。

どっぷり漬かっている労働慣行は、独特のものなんだ。

定年は大きな転機になると思います。

働くとしても、やったことのないことを

してみたいなあと今は思っています。

新しいことに挑戦する機会にしたいです。

  

   

今晩はここまで。

2020年10月25日 (日)

My古典 ミツカン「純玄米酢」

   

今日は令和2年10月25日。

  

この記事に関連したことを書きます。

ここでも道草 「思考の整理学」③ 時の試練(2020年10月25日 今日! 投稿 )

忘却の濾過槽をくぐり抜けたものが古典。

30年、50年が経過したもの。

作者自らが古典を作ることはできない。

 

そのようなことが書いてありました。

  

したがって、古典ではないけれど、

自分の中で30年以上忘却されずに、

続いているものを考えました。

「道草」というタイトルで発信してきたのは、

新任以来なので、30年以上です。

36年目ですね。

学級通信、社会科通信、そしてこのブログ。

  

  

もっと続いているものがあります。

高校生の時に、顔にニキビができて閉口しました。

クレアラシルなどを使いましたが改善されず。

何で聞いたか不明ですが、酢を飲むといいですよということで、

手ごろな値段のミツカンの「純玄米酢」を買って飲みました。

そしたら、驚き。

ニキビがなくなったのです!

それ以来、「純玄米酢」は身体にいいと信じこみ、

ほぼ毎日毎朝食後に飲み続けています。

 

高校何年生の時かは忘れましたが、高3としても、

もう40年以上が経ちます。

飲み続ける私もすごい?と思いますが、

商品がずっと販売されているのもすごいです。

10010004902106238539_1 楽天

昔は角ばった瓶(ビン)だったと思いますが、

今は丸っこい瓶です。

ラベルはずっとこのままだと思います。

ミツカンが愛知県に本社があるので、

愛知県のスーパーでは売っているのかな。

他県ではどうなんだろう。

まただれか教えてください。

  

11年前に、愛知県半田市にある

ミツカンの博物館「酢の里」に行っています。

ここでも道草 「味ぽん」の歴史/博物館「酢の里」(2009年12月5日投稿)

こういう過去の記事がすぐに検索できるのが、

ブログのいいところです。

この記事を読むと、「味ぽん」については書いてあるけど、

「純玄米酢」については書かれていません。

その時、ミツカンの人に、

「高校生の時から『純玄米酢』を飲んでいます」と言った覚えがあります。

  

 

昨日は近所のスーパーで、「純玄米酢」3本を購入しました。

(3商品10%割引券を使いました)

  

酢が身体にいいのだったら、

絶対に自分は酢の恩恵を受けていると思います。

  

ミツカンが販売を続けてくれるなら、

死ぬまで飲むと宣言したいです。

ミツカンの「純玄米酢」

my古典です。

 

 

「思考の整理学」④ 声を出してみると、頭が違った働きをする

  

今日は令和2年10月25日。

  

前記事に引き続き、

「思考の整理学(ワイド版)」(外山滋比古著/筑摩書房)より

引用します。

  

声を出してみると、頭が違った働きをするかもしれない。ギリシャ

の哲学者が、逍遥、対話のうちに、思索を深めたのも偶然でないよ

うに思われる。沈思黙考は、しばしば、小さな袋小路の中に入り込

んでしまって、出られないことになりかねない。

声で考えるのは、現代人においても決して見棄てたことではなかろ

う。

書き上げた原稿を読みなおして、手を入れる。原稿は黙って書くが、

読み返しは、音読する。すくなくとも、声を出すつもりで読むーーー

これを建前にしている人が意外に多い。そして、もし、読みつかえ

るところがあれば、かならず問題がひそんでいる。再考してみなく

てはならない。沈黙の読み返しでは、たいていこういうところを見

のがしてしまう。

声は、目だけで見つめることのできない文章を穴を発見する。声は

思いのほか、賢明なのであろう。

前に『平家物語』の”頭がいい”ことが書いたが、やはり声によって

洗練されたものと思われる。

音読してみても、とどこおることがなくて、はなはだ流麗(りゅう

れい)である。おそらく、琵琶法師の声による無数の推敲を経て、

あのような結晶的純度に達したのであろう。声で考えることの大切

さを改めて考えさせられる。

(154~155p)  

   

このことを実感する時があります。

このブログの文章を声を出して読む機会があります。

「21の会」と呼ばれるサークルです。

その時に声を出して読むと、誤字・脱字に気がつくし、

これは伝わるように表現できていないなと感じることがあります。

そう思った時には、会が終わった時に修正します。

  

  

その他、「思考の整理学」には、アイデアが思い浮かぶ場所に

ついて書いたところもありました。

「三上」とは、「馬上、枕上(ちんじょう)、厠上(しじょう)」

「馬上」は今でいえば電車や自動車などの乗り物に乗っている時。

「厠上」はトイレ。

「三中」というのもあって、これは「無我夢中、散歩中、入浴中」

「無我夢中」は周りのことをすっかり忘れて、

そのことを考えている状態。

「入浴中」は賛成です。

最近思い浮かぶ時は、入浴中が多し。

  

  

「思考の整理学」③ 時の試練

  

今日は令和2年10月25日。

  

前記事に引き続き、

「思考の整理学(ワイド版)」(外山滋比古著/筑摩書房)より

引用します。

  

「時の試練」という章に書かれた内容は特に興味深かったです。

  

いま、島田清次郎という小説家のことを知っているのは、近代文学

を専門にしている研究者くらいであろう。その『地上』(大正8年)

という作品が天下の話題になったのを知る人はもうほとんどなくな

ろうとしている。

島田清次郎は大正の文学青年から見て、まさに天才であった。それ

を疑うものはすくなかった。それがどうだろう。僅か60年にして、

ほぼ、完全に忘れられてしまった。当時としては、むしろ、夏目漱

石の文学について疑問をいだくものが多かった。批判もすくなくな

かった。それがいまでは国民文学として、近代文学において比肩(

ひけん)しうるものなしといわれるものになっている。

大正の中葉において、現在のことを予測し得たものはほとんどなか

ったと言ってよい。流行というのはそれくらい人の目をくるわすも

のである。

  

その時代にどんなに評判がよくても、後世まで残るかどうかは、

「時の試練」をくぐり抜けるかどうかというわけです。

  

  

”時の試練”とは、時間のもつ風化作用をくぐってくるということで

ある。風化作用は言いかえると、忘却にほかならない。古典は読者

の忘却の層をくぐり抜けたときに生れる。作者自らが古典を創り出

すことはできない。

忘却の濾過槽をくぐっているうちに、どこかへ消えてなくなってし

まうものがおびただしい。ほとんどがそういう運命にある。きわめ

て少数のものだけが、試練に耐えて、古典として再生する。持続的

な価値を持つものには、この忘却のふるいはどうしても避けて通る

ことのできない関所である。

この関所は、5年や10年という新しいものには作用しない。30

年、50年すると、はじめてその威力を発揮する。放っておいても

50年たってみれば、木は浮び、石は沈むようになっている。

(125p)

  

人間って、やっぱり忘れる生き物だと最近2つのことで思いました。

一つは長崎について。

原子爆弾で被爆したというと広島と長崎ですが、

私の中では長崎が少し忘れがちだということに最近気づきました。

そしてそれは私だけでなく、世間でも同じ傾向があると知りました。

まずは長崎のことを忘れ、そして広島のことも

忘れてしまうのでしょうか。

忘れてはいけないと思って、長崎のことを調べて、

先日記事にしました。

ここでも道草 長崎原子爆弾/炸裂地上空500mから俯瞰(2020年9月29日投稿)

   

もう一つは、「三浦和義」氏について。

先日「ロス疑惑」「三浦和義」という事件名、氏名に触れて、

どうだったけ?と思い出せませんでした。

Wikipedia

1981年に始まる三浦和義氏に関係する出来事を

「ロス疑惑」と言いました。

当時は連日マスコミで取り上げられました。

 

しかし、「ロス疑惑」の内容を思い出せず、

三浦和義氏が自殺したことにビックリしました。

当時はニュースで浴びるように触れたはずですが、

すっかり忘れていました。

  

  

この2つのことから

そんなことは忘れるはずがないようなことも、

人間は忘れるんだと思いました。

「時の試練」はなかなか厳しい関所です。

  

私の中で、30年、50年の時の試練を経て残っているものは

何があるだろうかと考えちゃいました。

「思考の整理学」② 人間の頭の役割「倉庫」「工場」

  

今日は令和2年10月25日。

  

前記事に引き続き、

「思考の整理学(ワイド版)」(外山滋比古著/筑摩書房)より

引用します。

  

学校が忘れるな、よく覚えろ、と命じるのは、それなりに理由があ

る。教室は知識を与える。知識をふやすのを目標にする。せっかく

与えたものを片端から、捨ててしまっては困る。よく覚えておけ。

覚えているかどうか、そきどき試験をして調べる。覚えていなけれ

ば減点して警告する。点はいいにきまっているから、みんな知らず

知らずのうちに、忘れることをこわがるようになる。

教育程度が高くなれば、そして、頭がいいと言われるほど、知識を

たくさんもっている。つまり、忘れないでいるものが多い。頭の優

秀さは、記憶力の優秀さとしばしば同じ意味をもっている。それで

生き字引のような人間ができる。

ここで、われわれの頭を、どう考えるかが、問題である。

これまでの教育では、倉庫のようなものだと見てきた。知識をどん

どん蓄積する。倉庫は大きければ大きいほどよろしい。中にたくさ

んのものが詰まっていればいるほど結構だとなる。

(中略)

倉庫としての頭にとって、忘却は敵である。博識は学問のある証拠

であった。ところが、こういう人間頭脳にとっておそるべき敵があ

らわれた。コンピューターである。これが倉庫として素晴らしい機

能をもっている。いったんいれたものは決して失わない。必要なと

きには、さっと、引き出すことができる。整理も完全である。

コンピューターの出現、普及にともなって、人間の頭を倉庫として

使うことに、疑問がわいてきた。コンピューター人間をこしらえて

いたのでは、本もののコンピューターにかなうわけがない。

(110p~111p) 

   

2007年の4月にこのブログを始めてから、

私の「記憶」はこのブログに多くを置いています。

ブログが「倉庫」代わりです。

外山さんが執筆したころのコンピューターに比べ、

現在のコンピューターは「倉庫」の機能が格段に

高まっていると思います。

容量が増え、あらゆるコンテンツを入れることができ、

検索も容易です。

 

  

そこでようやく創造的人間ということが問題になってきた。コンピ

ューターのできないことをしなくては、というのである。

人間の頭はこれからも、一部は倉庫の役をはたし続けなくてはなら

ないだろうが、それだけではいけない。新しいことを考え出す工場

でなくてはならない。倉庫なら、入れたものを紛失しないようにし

ておけばいいが、ものを作り出すには、そういう保存保管の能力だ

けではしかたがない。

 だいいち、工場にやたらなものが入っていては作業能率が悪い。

よけいなものは処分して広々としたスペースをとる必要がある。そ

うかと言って、すべてのものをすててしまっては仕事にならない。

整理が大事になる。

倉庫にだって整理は必要だが、それはあるものを順序よく並べる整

理である。それに対して、工場内の整理は、作業のじゃまになるも

のを取り除く整理である。

この工場の整理に当たるのが、忘却である。人間の頭を倉庫として

見れば、危険視される忘却だが、工場として能率をよくしようと思

えば、どんどん忘れてやらなくてはいけない。

(111p~112p) 

人間の頭を「倉庫」「工場」に見立てる発想がいいです。

現在の学校は、この2兎を追わせているように思えます。

相変わらず「倉庫」であり、

「工場」の作り方を練習している状態かな。

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