「思考の整理学」② 人間の頭の役割「倉庫」「工場」
今日は令和2年10月25日。
前記事に引き続き、
「思考の整理学(ワイド版)」(外山滋比古著/筑摩書房)より
引用します。
学校が忘れるな、よく覚えろ、と命じるのは、それなりに理由があ
る。教室は知識を与える。知識をふやすのを目標にする。せっかく
与えたものを片端から、捨ててしまっては困る。よく覚えておけ。
覚えているかどうか、そきどき試験をして調べる。覚えていなけれ
ば減点して警告する。点はいいにきまっているから、みんな知らず
知らずのうちに、忘れることをこわがるようになる。
教育程度が高くなれば、そして、頭がいいと言われるほど、知識を
たくさんもっている。つまり、忘れないでいるものが多い。頭の優
秀さは、記憶力の優秀さとしばしば同じ意味をもっている。それで
生き字引のような人間ができる。
ここで、われわれの頭を、どう考えるかが、問題である。
これまでの教育では、倉庫のようなものだと見てきた。知識をどん
どん蓄積する。倉庫は大きければ大きいほどよろしい。中にたくさ
んのものが詰まっていればいるほど結構だとなる。
(中略)
倉庫としての頭にとって、忘却は敵である。博識は学問のある証拠
であった。ところが、こういう人間頭脳にとっておそるべき敵があ
らわれた。コンピューターである。これが倉庫として素晴らしい機
能をもっている。いったんいれたものは決して失わない。必要なと
きには、さっと、引き出すことができる。整理も完全である。
コンピューターの出現、普及にともなって、人間の頭を倉庫として
使うことに、疑問がわいてきた。コンピューター人間をこしらえて
いたのでは、本もののコンピューターにかなうわけがない。
(110p~111p)
2007年の4月にこのブログを始めてから、
私の「記憶」はこのブログに多くを置いています。
ブログが「倉庫」代わりです。
外山さんが執筆したころのコンピューターに比べ、
現在のコンピューターは「倉庫」の機能が格段に
高まっていると思います。
容量が増え、あらゆるコンテンツを入れることができ、
検索も容易です。
そこでようやく創造的人間ということが問題になってきた。コンピ
ューターのできないことをしなくては、というのである。
人間の頭はこれからも、一部は倉庫の役をはたし続けなくてはなら
ないだろうが、それだけではいけない。新しいことを考え出す工場
でなくてはならない。倉庫なら、入れたものを紛失しないようにし
ておけばいいが、ものを作り出すには、そういう保存保管の能力だ
けではしかたがない。
だいいち、工場にやたらなものが入っていては作業能率が悪い。
よけいなものは処分して広々としたスペースをとる必要がある。そ
うかと言って、すべてのものをすててしまっては仕事にならない。
整理が大事になる。
倉庫にだって整理は必要だが、それはあるものを順序よく並べる整
理である。それに対して、工場内の整理は、作業のじゃまになるも
のを取り除く整理である。
この工場の整理に当たるのが、忘却である。人間の頭を倉庫として
見れば、危険視される忘却だが、工場として能率をよくしようと思
えば、どんどん忘れてやらなくてはいけない。
(111p~112p)
人間の頭を「倉庫」「工場」に見立てる発想がいいです。
現在の学校は、この2兎を追わせているように思えます。
相変わらず「倉庫」であり、
「工場」の作り方を練習している状態かな。
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