「思考の整理学」④ 声を出してみると、頭が違った働きをする
今日は令和2年10月25日。
前記事に引き続き、
「思考の整理学(ワイド版)」(外山滋比古著/筑摩書房)より
引用します。
声を出してみると、頭が違った働きをするかもしれない。ギリシャ
の哲学者が、逍遥、対話のうちに、思索を深めたのも偶然でないよ
うに思われる。沈思黙考は、しばしば、小さな袋小路の中に入り込
んでしまって、出られないことになりかねない。
声で考えるのは、現代人においても決して見棄てたことではなかろ
う。
書き上げた原稿を読みなおして、手を入れる。原稿は黙って書くが、
読み返しは、音読する。すくなくとも、声を出すつもりで読むーーー
これを建前にしている人が意外に多い。そして、もし、読みつかえ
るところがあれば、かならず問題がひそんでいる。再考してみなく
てはならない。沈黙の読み返しでは、たいていこういうところを見
のがしてしまう。
声は、目だけで見つめることのできない文章を穴を発見する。声は
思いのほか、賢明なのであろう。
前に『平家物語』の”頭がいい”ことが書いたが、やはり声によって
洗練されたものと思われる。
音読してみても、とどこおることがなくて、はなはだ流麗(りゅう
れい)である。おそらく、琵琶法師の声による無数の推敲を経て、
あのような結晶的純度に達したのであろう。声で考えることの大切
さを改めて考えさせられる。
(154~155p)
このことを実感する時があります。
このブログの文章を声を出して読む機会があります。
「21の会」と呼ばれるサークルです。
その時に声を出して読むと、誤字・脱字に気がつくし、
これは伝わるように表現できていないなと感じることがあります。
そう思った時には、会が終わった時に修正します。
その他、「思考の整理学」には、アイデアが思い浮かぶ場所に
ついて書いたところもありました。
「三上」とは、「馬上、枕上(ちんじょう)、厠上(しじょう)」
「馬上」は今でいえば電車や自動車などの乗り物に乗っている時。
「厠上」はトイレ。
「三中」というのもあって、これは「無我夢中、散歩中、入浴中」
「無我夢中」は周りのことをすっかり忘れて、
そのことを考えている状態。
「入浴中」は賛成です。
最近思い浮かぶ時は、入浴中が多し。
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