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2019年12月

2019年12月26日 (木)

「医者、用水路を拓く」⑥ アフガニスタンがどんな国か

 

今日は令和元年12月26日。

  

前記事に引き続き、

医者、用水路を拓く アフガンの大地から

世界の虚構に挑む」(中村哲著/石風社)より引用します。

  

2006年のこと。

現地で正月を迎え、たまたまジャララバードの宿舎で日本のニ

ュースを見ていると、「経済上向き」を喜ぶ財界人や小泉首相

の姿が大きく報道されていた。また、外相がパキスタンを訪れ、

「対米協調、テロとの戦いに日本・パキスタンが提携して邁進

する」と強調していた。白々しかった。アフガン再建がまるで

とっくの昔に行われているかのような錯覚が根を下ろしていた。

旱魃難民の増加、年々増大するアフガン農村の壊滅は話題にさ

えならなのだ。過去5年の水を求める私たちの戦い、危機的な

大旱魃は、今後も脚光を浴びることはなかろう。経済発展のた

めなら、戦争が起きようと、環境が破壊されようと、人々が餓

死しようと、どうでもいいことなのだ。そして、日本社会を構

成する多くの国民がこの巨大な歯車に、さしたる疑問もなく巻

き込まれてゆく。日本が更に遠い世界に感ぜられた。

(276p)  

 

どっぷり日本社会に漬かっている身ですが、

病気によって休職したことで、今まで目にしなかった種類の

情報・体験を得ることができるようになりました。

教師は忙しいのです。

忙しいから、社会科教師すら、世界情勢に疎いです。

もう少し時間があればと思います。

  

  

アフガニスタンでは、「カネがなくとも生きてゆけるが、雪が

なくては生きられない」ということわざが、一言で国民の生活、

文化、社会のあり方を表している。「雪」とはヒンズークッシ

ュ山脈にあって、人々に水を供給する巨大な貯水槽のことであ

る。水は日光によって植物を育て、それを人や動物が食べる。

水と緑は、文字通り無から有を生み出す富の基盤である。これ

が明瞭な世界が、アフガニスタンである。社会全体が、自然と

一体になった農業国の色彩が強い。意識せずに伝統を重んじ、

大地に張りついて生きる様は、昨今流行りの「グローバリズム」

とは対極にある。

(343p) 

  

中村哲さんの本を読んで、中村哲さんの偉業を知りましたが、

アフガニスタンがどのような国なのかもイメージできるように

なりました。

  

  

用水路工事は、驚異的な速さで進行し、秋までに第二期工事7

キロメートルのうち、3キロメートル地点まで完成させようと

している。そうすれば、新たに一千町歩が灌漑され、数万人生

活ができるようになる。もう私たちは、「アフガン情勢」を語

るのに疲れていた。

ーーー日照りの夏には涙を流し、恵みの雨に感謝する。用水路

が延びて砂漠に水が流れ、緑地が増える毎に皆と小躍りする。

外国兵の横暴に憤り、親しい者が死ねば悲しみ、病で斃(たお)

れる子に胸を痛め、収穫が多ければ共に感謝する。それだけの

ことだ。そして、それ以外に、何ができるのだ。

上空を軍用機がけたたましく飛び交い、私たちは地上で汗を流

す。彼らは殺すために飛び、人々は生きるために働く。彼らは

脅え、人々は楽天的だ。彼らは大げさに武装し、人々は埃まみ

れのオンボロ姿だ。彼らは何かを守るが、人々には失うものが

ない。

(354~355p)

 

この言い回しはテレビ番組でも紹介されていました。

ここでも道草 知れば知るほど、素晴らしい人/中村哲さん(2019年12月11日投稿)

 

ヘリコプターから機銃掃射される可能性のある場所で

作業を進める中村哲さん。

そんな真似はできませんが、中村哲さんのような人がいたんだよと

復職したら、子どもたちに紹介することはできます。

 

 

以上で、引用を終了。

「医者、用水路を拓く」⑤ 石の扱いはアフガン農民にとって日常 

 

 今日は令和元年12月26日。

  

前記事に引き続き、

医者、用水路を拓く アフガンの大地から

世界の虚構に挑む」(中村哲著/石風社)より引用します。

  

私たちの狙いは当たった。特に、柳枝工との組み合わせは、個

人的な趣味以上の効用があった。「風情」もバカにならない。

現地に多いコリヤナギは、繁殖力が旺盛で、1年に2メートル

成長、蛇籠の背面から水路底に細い根を無数に張り出した。蛇

籠の石の隙間に侵入して「生きた網」となり、石をしっかり支

えた。浚渫時に水路を乾かすと、まるで絨毯を敷き詰めたよう

に毛根が水路底を覆っている様子が観察された。

(139p)

  

ニュースで見た、中村哲さんが指揮して造った用水路の脇に

並んでいた木々は、柳だったのですね。

  

  

石材は現場でタダに近いほど豊富である上、職業的な石工は

要らなかった。作業員である近隣農民は、全て有能な石工な

のだ。石の扱いはアフガン農民にとって日常で、家屋の土台、

家や畑の隔壁、石を使ったクリークの開閉、棚田の石垣など

は全て自分の手で作る。石の模様を巧みに見て場所を定め、

大きなハンマーで打ち下ろして見事に割る。割れた平たい面

を大小組み合わせ、実に美しい石垣に仕上げる。

石組み作業は、巧(たく)まずして農村生活に根づいた一つ

の文化である。

(147p)

 

アフガニスタン人らしさが知れてうれしい文章でした。

  

  

今、国際支援の全体的な色調を眺めるとき、途上国の立場より

も先進国が支援内容の是非善悪を決めてしまう傾向が強くなっ

てきた気がしてならない。私たちに確乎(かっこ)とした援助

哲学があるわけではないが、唯一の譲れぬ一線は、「現地の人

々の立場に立ち、現地の文化や価値観を尊重し、現地のために

働くこと」である。言葉に出せば大仰であるが、己の利を顧み

ず、為にするところがない無償の行為は昔からあった「ボラン

ティア」という新語に私はなじめなかった。私たちが「ボラン

ティア」ではなく、「現地ワーカー」と呼ぶのはこのためであ

る。

(179p)

「現地」「現場」は大事な言葉だと思います。

  

  

恐ろしいことに、地下水さえもが涸れつつあることは、過去6

年間の井戸の水位下降、カレーズの水の激減で明らかであった。

かつて至る所で見られた山村の水車小屋は、姿を消していた。

おそらく、アフガニスタン中で起きた変化であろう。地球温暖

化!それまで何度も聞いた言葉だったが、ここまで深刻な影響

が出ているとは、実感が湧かなかったのである。

(203p)

  

この本が扱っている19年前から、中村哲さんは、敵は「温暖

化」と認識して闘っていたわけです。

私はやっと温暖化の勉強を始めました。

  

  

つづく

「医者、用水路を拓く」④ 用水路は蛇籠工と柳枝工が採用されていた 

 今日は令和元年12月26日。

  

24日の記事に引き続き、

医者、用水路を拓く アフガンの大地から

世界の虚構に挑む」(中村哲著/石風社)より引用します。

  

例えば2003年11月に、私たちPMS(ペシャワール会医

療サービス)の用水路建設現場が米軍ヘリコプターに機銃掃射

を受けたとき、米軍当局は「疑わしきは攻撃してから、確認す

る」と述べた(日本大使館説明による)。さらに、「戦死した

戦友を思う気持ちを分かってほしい」と付け加えたという。こ

ちらとしては、「空爆で罪もなく肉親を失った人々の気持ちも

分かってほしい」と抗議したかったが、そんな発言をすれば、

「反米的、親タリバーン的」だと烙印を押されかねない雰囲気

である。工事に差支えが出るのはまずいと思い、黙っていた。

(83~84p)

  

圧倒的な軍事力であるアメリカ軍側でも、犠牲者が出ています。

その死を理由に空爆が増える。アフガニスタンの犠牲者が増え、

反米の感情が高まる。国は親米と反米にさらに分かれていく。

空爆は憎しみを増幅し、その後の治安を難しいものにします。

シリア(前記事)だって、いい方向んは行かないはず。

    

 

私(中村哲)は、「環境をいうならば、コンクリート三面掩蔽

(えんぺい)を避け、蛇籠(じゃかご)工と柳枝工(りゅうし

こう)の水路は最も先進的な『環境配慮』のお手本となるだろ

う」と、大見得を切って力説した。

(87p)

   

「柳枝工」がアフガニスタンで行われていました。

※関連:ここでも道草 樹木の入ったお名前「柳」(2019年8月2日投稿)

この時の勉強とつながりました。

 

  

しかし、(用水路建設の)現場を見ながら今振り返ってみれば、

「自分が専門家だったら決して手をつけなかっただる」と思え

ることばかりである。圧倒的な物量と機械力、精密な測量と理

論的研究を誇る日本の公共土木技術は、世界屈指のものである。

それだけに、専門分化が著しくて門外漢の入る余地が少なく、

医療現場に似た点がないではない。しかし、だからといって日

本の土木技師がやってきても、直ぐに役に立つとは思えない。

文化や習慣はもちろん、技術力も機械もない現地では、勝手が

ずいぶん異なって、思い通りにならないのである。

だが医療の場合でも、過去同様であった。日本では優秀な医療

技術者といえども、豊富な診断機械と無制限に必要薬品が使え

福祉社会に支えられた技術であって、診断ひとつとっても、聴

診器や打鍵器など人間の五感だけが頼りでは身動きがつかない。

医療も含め、「技術者」には、「モノのない現地に合わせて何

とかする」訓練が不可欠で、年余をかけて自らを再教育せねば

ならぬことが多い。

(95p)

 

この本で再三述べられている中村哲さんの持論です。現地を状

態を知って、それに合わせていかなければなりません。機器が

そろっていないことで去っていく技術者、医療者がいたそうで

す。

  

  

日本とアフガニスタンとの地形や河川を見ると、類似点がある。

それは、河川の勾配が急であること、季節の水量の変動が大き

いことである。日本列島は山が海岸から近く、山間部の河川は

急流が多い。また、夏になると集中豪雨、台風などで急激に増

水する。明治時代に治水事業で招かれたオランダ人技師デ・レ

ーケ

が、日本の河川を評して、「これは川ではない。滝だ」と述べ

たのは有名な話である。

(98~99p)

  

「これは川ではない。滝だ」発言は以前に

聞いたことがあります。ここで復習ができました。

  

  

つづく

2019年12月25日 (水)

イランとシリアのことを書いていきたい

 

今日は令和元年12月25日。

  

ほぼ1か月前に、イランのことを書きました。

ここでも道草 アメリカが経済制裁中のイラン(2019年11月21日投稿)

  

そのイランもかかわっているシリアの記事です。

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朝日新聞12月25日の記事です。

  

中村哲さんの本を読んで、

空爆が行われている、行っている国について

しっかりと見ていきたいと思うようになりました。

なぜこんな事態になってしまったのか。

根底の原因は何か。そこまで知りたい。

空爆がいいはずはないので、どうしたら停められるのか。

私に何の力があるんだとは思わずに、見ていきたい。

何かやれることがあれば実行。

  

イランとシリア。

少なくとも、中東のこの2国に注目です。

  

CM「6Pチーズとろッピー」の女の子

  

今日は令和元年12月25日。

  

12月24日朝日新聞朝刊です。

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同じ58歳。

あなたも気になったのですね、このCM。

私もお気に入りで、このCMを見るのが楽しみでした。

もう放送終了なのですね。残念。

Youtubeで見ることができました。


YouTube: 6Pチーズ とろッピ~

後半の写真を並べます。

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☝ このお餅の造形も素晴らしい。と思いませんか?

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「とにかくダンスのすきな、ものおじしない元気な子」

ならではのCMですね。

 

2019年12月24日 (火)

「医者、用水路を拓く」③ 次男を失っていた中村哲さん

今日は令和元年12月24日。

 

前記事に引き続き、

医者、用水路を拓く アフガンの大地から

世界の虚構に挑む」(中村哲著/石風社)より引用します。

  

日本に帰国した折に報ぜられた「アフガン情勢」は、目前にし

た事実と余りに異なるものであった。最も誤解を与えた映像は、

「タリバーンの圧政から解放され、北部同盟軍の進駐を歓呼し

て迎える市民たち。ブルカを脱ぐ女性たちの姿」である。これ

がテレビで繰り返し流された。この映像を見た福岡市の米国領

事は、「アフガニスタンの解放に感銘を覚える」と語ったが、

これは錯覚だった。わずか5年前の1996年9月、タリバン

軍がカーブルを陥(お)として進駐した時も、同じカーブル市

民が歓呼して迎えたのである。ジャララバードでも同様で、私

はその場にいた。殆どの市民たちにとっては、「争いません」

という意思表示以上のものではなかった。

(51~52p) 

  

前記事にも書きましたが、

タリバーンのイメージは「悪」でした。

この本を読んで、少しは中立の立場で

見ることができるようになりました。

  

   

人は思いもせぬ事情に遭遇し、流されてゆく。摂理は推し量り

がたい。時代は、私たち個々の運命と交差しながら、模様を織

り成して流れてゆく。

自分も例外ではなかった。一連の激しい変化の渦中に、その後

の身の回りを決定する出来事があった。2002年12月、脳

腫瘍で死期が近いことを宣告されていた次男の容態が、急速に

悪化し、12月4日、急遽帰国した。(中略)

次男はまだ精神状態が正常だった。前年の2001年6月に脳

腫瘍(悪性神経膠腫/こうしゅ)と診断されていた。(これは小

児には稀な病気だが、2年後の生存率はゼロに近く、死の宣告

に近かった。)折悪しく、旱魃対策、アフガン空爆、食糧配給

など自分の人生でも多忙な時期に当たった。現地と吾が子と、

まるで爆薬を2つ抱えているようで、精神的な重圧になってい

たのである。

(74p)

  

12月27日夕刻。容態が急変。昏睡状態に陥り、深夜に呼吸

が停止した。2分後に心臓が停止、瞳孔が開いて神経反射が完

全に消失、往診で診てもらっていた豊増医師の立会いで「脳ヘ

ルニアによる延髄圧迫・脳死」と判断された。享年10歳。親

に似ず優しい聡明な子であった。

(76p)

  

中村哲さんはアフガニスタンで頑張っている時に、

次男の死という体験もされていたのです。

それを乗り越えての活動だったんですね。

壮絶です。

  

  

タリバーン政権時代にほぼ絶滅に追いやられたアヘン栽培が盛

大に復活したのは、このため(砂漠化)である。ケシは乾燥に

強い上、小麦の約100倍の現金収入を得ることができる。水

欠乏に窮した農民たちは、こぞってケシの作付けを行ったから、

2003年末までに、アフガニスタン一国で世界の麻薬生産の

七割を占めるに至った(2006年には93パーセントに上昇、

2007年には前年比34パーセント増え、世界の麻薬を独占

した。アヘンの主な消費地はヨーロッパとアメリカである)。

(81p)

  

それぞれに事情がちゃんとあります。

水不足で困窮したアフガニスタンの農民はケシを作ったのです。

ケシなら育てることができ、現金が手に入ったのです。

  

つづく

「医者、用水路を拓く」② 日本は他国に軍事干渉しなかった国

  

今日は令和元年12月24日。

  

前記事に引き続き、

医者、用水路を拓く アフガンの大地から

世界の虚構に挑む」(中村哲著/石風社)より引用します。

  

国会で参考人として呼ばれた中村哲さん。

その国会は、自衛隊派遣を行いたいがための国会でした。

2001年10月13日。

  

私は参考人として述べた。

「こうして、不確かな情報に基づいて、軍隊が日本から送られ

るとなれば、住民は軍服を着た集団を見て異様に感ずるであり

ましょう」

「よって自衛隊派遣は有害無益、飢餓状態の解消こそが最大の

問題であります」

この発言で議場騒然となった。私の真向かいに座っていた鈴木

宗男氏らの議員が、野次を飛ばし、嘲笑や罵声をあびせた。司

会役をしていた自民党の亀井(善)代議士が、発言の取り消し

を要求した。あたかも自衛隊派遣が自明の方針で、「参考人の

意見聴取」はただの儀式であるかのようであった。

(36~37p)

 

この本を読むと、自衛隊の派遣どころではないアフガニスタン

の実態が見えてきます。現場の声が活きないシーンでした。

そして自衛隊派遣によって、中村哲さんたちの活動をやりにく

くさせました。なぜなら、日本はそれまでアフガニスタンから

信頼されていたからです。

  

私たちに結束を与えていたのは、(日本のアフガニスタンに対

する)非政治性に加え、日本への親密感であった。アフガン人

の大半は、「日本とアフガニスタンの独立が同じ日」だと信じ

ている。これは意外に知られていない。

どんな山奥に行っても、日本人であることは一つの安全保障で

あった。私が単に日本人だというだけで、命拾いをしたり、協

力を得られたことは数知れない。そのため車両や診療所に必ず

日章旗を掲げていた。

(中略)

「戦争で儲けない国・日本」は、彼らの間で大いなる好感をも

たれていた。十分に美しい存在だったと言わざるを得ない。

(40~41p)

   

親密感を持たれた理由の部分を引用しませんでした。

簡単にいうと、西洋列強にアジアの国々が植民地化された時に

日本は独立を守り、大国ロシアを破ったこと。アフガニスタン

も独立をかろうじて守っていて、日本の勝利が励みになったこと。

さらに広島・長崎に原爆を落とされたりして大きな被害を被った

が、復興繁栄したこと。

 

そして肝心な点は、「繁栄する国はたいてい戦争をするが、日

本は半世紀にわたって他国に軍事干渉をしなかった」という賞

賛。40p)

  

日本はそう見られていたのです。

 

  

飢えた人々が殺到する食糧配給は、多くの困難がある。誰が本

当に困っているか、見分けがつかない。また、日本でまことし

やかに報道された「ピンポイント攻撃(テロリストの場所だけ

を攻撃して市民に被害を与えない)の実態は、無差別爆撃であ

った。

(46p)

 

タリバーンの兵士たちが無秩序な群衆を整列させ、配給は秩序

整然と行われた。お礼に兵士たちに小麦を一袋だけ与えると、

喜んで礼を述べ、快く協力した。国際赤十字や国連関係の事務

所はタリバーン政府によって守られ、激しい空爆下にも拘わら

ず、治安が保たれ略奪が一切なかった。

(46p)

 

「タリバーン」と聞くと、

「悪」のイメージが刷り込まれていました。

でもこの本を読むと、タリバーンの人たちが普通の農民であり、

本当なら農業をし、家族と一緒にすごしたいと思っている人た

ちだと見えてきます。

 

社会科教師として恥ずかしいですね。

勉強し続けないと、とんでもないことを教えてたことに

後々気がつくことになります。

「医者、用水路を拓く」① 「変わらぬ大義」とは

今日は令和元年12月24日。

  

本を1冊読み終えました。

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医者、用水路を拓く アフガンの大地から

世界の虚構に挑む」(中村哲著/石風社)

  

ハッとしたところに付箋を貼って読みました。

今から、その部分を再読。書き留めておきたいことを

このブログに実行していきます。

  

まずはこの地図が大事です。

Epson177  

アフガニスタンを襲った大旱魃(かんばつ)は、診療所付近だ

けではなかったのだ。100万人が餓死線上にあるという数字

は誇張ではないと思った。実際、診療所付近で落命する患者た

ちは、ほとんど小児であった。栄養失調で弱っているところに

汚水を口にし、赤痢にかかる。健康なら簡単に死ぬことはない

が、背景に食糧不足と脱水があると致命的である。子供だけで

はない。多くの病気は十分な食糧と清潔な飲み水さえあれば罹

(かか)らぬものであった。

流民化した村人たちが続々とジャララバラードとペシャワール

に難を逃れ、修羅場を現出した。2000年7月、ダラエヌー

ル診療所は残った村人を集め、飲料水確保に全力が注がれた。

これが我々の「水資源確保事業」の発端であった。

(14p)

 

これ以後、ジャララバード、ペシャワールの都市名は、頻繁に

出てきます。中村哲さんの活動拠点です。

ここで大きな事件が起きます。

2001年9月11日の米国での同時多発テロ事件です。

   

   

ペシャワールには、(2001年)9月から続々と各国NGO

が詰めかけつつあった。中には日本の団体もあって、しばしば

接触を求めてきた。当時、皆が信じていたのは、「空爆が始ま

れば、難民たちが国境を越えて大挙してペシャワールに逃れて

くる。その支援が必要だ」という見解であった。

(中略)

ある団体で、「いや、この業界も狭いもので、以前にコソボや

ソマリア、カンボジアで出会った人たちとも出会いましてね・

・・・

・・・・」という会話を耳にし、憮然として戻ってきた。「

『業界』などと、とんでもない。この世に人を助ける商売があ

るのか。どうして皆話題のある所にだけ集まるのか」と、憤り

を隠さなかった。まるで世界中が避難民が出るのを期待してい

る雰囲気だった。「何を今更、9年前に何故引きあげたのか

(1989年のソ連軍撤退時にも世界中のNGOが押し掛けて

きたが、数年を待たずに引きあげた)。大旱魃の時に何故駆け

つけなかったのか」と言いたかったが、無用な摩擦を避けるた

めに黙っていた。

(28p) 

  

この本の中で、中村哲さんはよく怒っています。吠えています。

支援するなら継続した支援をすべきなのです。話題になった時

だけではなく、話題になっていなくても支援が必要なら、出か

けて行くべきでしょう。私も、長野はまだ終わっていない。

  

  

(2001年)9月下旬、なにものかが自分の中でふっ切れて、

指示を出した。

「残ったカネをはたいて食糧を買い、空爆前にカーブルで配給

せよ。医療関係、水関係を問わず、PMS(ペシャワール会医

療サービス)総力をあげて実行されたし」(中略)

世界中が寄ってたかって「アフガニスタン」を論じている間に

も、飢えた人々が彷徨(さまよ)い、病人が死んでゆく。「国

際世論の愚かな騒ぎに付き合っている暇はない」と思わざるを

得なかったのである。

だが、この「食力緊急支援」の指示は、パキスタン・アフガニ

スタン両国籍の職員の心に灯をともした。それまで、いつ空爆

が始まるか、どこがやられるのか、イスラムの非民主性や後進

性、米国民の怒りなど元気の出ないニュースばかりが流される。

イスラム教徒であることがまるで罪人であるかのような錯覚さ

え持たされる。自分たちはこれからどうなるのか、いったいど

うしたらよいのか、不安と迷いが支配していた。反米義勇軍に

志願したり、外国に逃亡したりする者も後を絶たない。---

こんな中で、一つの明確な大義と指針を得た気がしたのである。

正義・不正義とは明確な二分法で分けられるものではない。敢

えて「変わらぬ大義」と呼べるものがあるとすれば、それは弱

いものを助け、命を尊重することである。

(29~31p)

  

「変わらぬ大義」は不変だと思います。

同時多発テロ直後のアフガニスタンの様子が、ここだけでなく

随所に書かれた本でした。  

   

現地の状況は末期的であった。まるで死にかけた牛に、大国が

よってたかって大砲で止めを刺すようなものである、おまけに

時期が悪い。飢餓地獄の巷(ちまた)に凍てつく冬将軍が迫っ

ていた。

「今緊急なアフガン問題は、政治や軍事問題ではない。パンと

水の問題である。命の尊さこそ普遍的な事実である」。これが

私の言いたかった全てである。

(36p)

 

2001年10月13日に中村哲さんは、国会で発言するよう

に迫られました。その国会は、テロ対策特別措置法成立をめざ

したものでした。

しかし中村哲さんは、その必要はないと言ったのです。

  

次の記事につづく。

2019年12月23日 (月)

20191218報告 鳳来寺本堂前~かさすぎ

  

今日は令和元年12月23日。

  

前記事の続きで、

玖老勢峠経由で鳳来寺山に登った報告です。

  

鳳来寺本堂前の定点観測しているモミジを見に行きました。

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Rimg2092  

2つだけ葉っぱが残っていました。

ちなみに前回(11月27日)はこうでした。☟

Rimg2302ここでも道草 20191127報告 鳳来寺山登山(2019年11月28日投稿)

  

もう紅葉のシーズンは過ぎていましたが、

意外にも落ち葉のシーズンでした。

写真を並べます。

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CBCテレビの報道番組「チャント!」で、

11月14日に食堂「かさすぎ」が紹介されました。

その時の写真を並べます。

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「チャント!」の大石キャスターが18年前に取材した時の

写真が店内に飾ってありました。

  

そして今回、12月18日に「かさすぎ」に行ったら、

大石キャスターと同じポーズで、副島淳レポーターが撮った写真が

横に並んでいました。

Rimg2116  

店の人に、「『チャント!』は店の宣伝になりましたか?」と

聞いたら、「なりました!」との答えでした。

私も「チャント!」を見たから入店したもんな。

  

  

以上で12月18日の報告終了。

20191218報告 玖老勢峠~鳳来寺山山頂

  

今日は令和元年12月23日。

  

前記事の続きで、

玖老勢峠経由で鳳来寺山に登った報告です。

  

玖老勢峠から鳳来寺山へのコースでは、

巨岩がありました。

「犬戻り」という標識がありました。

確かに尾根道を歩いてて、目前にこの岩を見ると、

犬なら通過は無理だと考えて、戻ってしまうでしょう。

人間は、この巨岩を巻いて登山道を作りました。

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Rimg2073  

山頂まではアップダウンを繰り返します。

この階段は、鉄のステップの上を木で覆ってあります。

手すりも丸太づくりです。☟

Rimg2075

できたばかりの頃の階段を見たかったなあ。

    

山頂手前の最後の階段です。☟ 長い!

Rimg2078

 

かつて、瑠璃山と呼ばれたところです。☟ 695m。

国土地理院の地図では、こちらが鳳来寺山となっています。

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ただ実際は地図通りにはなっていなくて、

ここには「鳳来寺山山頂」の標識はありません。

Rimg2079

玖老勢峠からここまで1時間15分ほどかかりました。 

 

今でも685mのこちらの場所に山頂の標識があります。☟

Rimg2082  

 

これで登るだけ登ったので、後は下るのみ。

奥の院の近くの見晴らし台から景色です。☟

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プチ雲海を見ることができました。

最近の写真

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楽餓鬼

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がん治療で悩むあなたに贈る言葉