「医者、用水路を拓く」② 日本は他国に軍事干渉しなかった国
今日は令和元年12月24日。
前記事に引き続き、
「医者、用水路を拓く アフガンの大地から
世界の虚構に挑む」(中村哲著/石風社)より引用します。
国会で参考人として呼ばれた中村哲さん。
その国会は、自衛隊派遣を行いたいがための国会でした。
2001年10月13日。
私は参考人として述べた。
「こうして、不確かな情報に基づいて、軍隊が日本から送られ
るとなれば、住民は軍服を着た集団を見て異様に感ずるであり
ましょう」
「よって自衛隊派遣は有害無益、飢餓状態の解消こそが最大の
問題であります」
この発言で議場騒然となった。私の真向かいに座っていた鈴木
宗男氏らの議員が、野次を飛ばし、嘲笑や罵声をあびせた。司
会役をしていた自民党の亀井(善)代議士が、発言の取り消し
を要求した。あたかも自衛隊派遣が自明の方針で、「参考人の
意見聴取」はただの儀式であるかのようであった。
(36~37p)
この本を読むと、自衛隊の派遣どころではないアフガニスタン
の実態が見えてきます。現場の声が活きないシーンでした。
そして自衛隊派遣によって、中村哲さんたちの活動をやりにく
くさせました。なぜなら、日本はそれまでアフガニスタンから
信頼されていたからです。
私たちに結束を与えていたのは、(日本のアフガニスタンに対
する)非政治性に加え、日本への親密感であった。アフガン人
の大半は、「日本とアフガニスタンの独立が同じ日」だと信じ
ている。これは意外に知られていない。
どんな山奥に行っても、日本人であることは一つの安全保障で
あった。私が単に日本人だというだけで、命拾いをしたり、協
力を得られたことは数知れない。そのため車両や診療所に必ず
日章旗を掲げていた。
(中略)
「戦争で儲けない国・日本」は、彼らの間で大いなる好感をも
たれていた。十分に美しい存在だったと言わざるを得ない。
(40~41p)
親密感を持たれた理由の部分を引用しませんでした。
簡単にいうと、西洋列強にアジアの国々が植民地化された時に
日本は独立を守り、大国ロシアを破ったこと。アフガニスタン
も独立をかろうじて守っていて、日本の勝利が励みになったこと。
さらに広島・長崎に原爆を落とされたりして大きな被害を被った
が、復興繁栄したこと。
そして肝心な点は、「繁栄する国はたいてい戦争をするが、日
本は半世紀にわたって他国に軍事干渉をしなかった」という賞
賛。(40p)
日本はそう見られていたのです。
飢えた人々が殺到する食糧配給は、多くの困難がある。誰が本
当に困っているか、見分けがつかない。また、日本でまことし
やかに報道された「ピンポイント攻撃(テロリストの場所だけ
を攻撃して市民に被害を与えない)の実態は、無差別爆撃であ
った。
(46p)
タリバーンの兵士たちが無秩序な群衆を整列させ、配給は秩序
整然と行われた。お礼に兵士たちに小麦を一袋だけ与えると、
喜んで礼を述べ、快く協力した。国際赤十字や国連関係の事務
所はタリバーン政府によって守られ、激しい空爆下にも拘わら
ず、治安が保たれ略奪が一切なかった。
(46p)
「タリバーン」と聞くと、
「悪」のイメージが刷り込まれていました。
でもこの本を読むと、タリバーンの人たちが普通の農民であり、
本当なら農業をし、家族と一緒にすごしたいと思っている人た
ちだと見えてきます。
社会科教師として恥ずかしいですね。
勉強し続けないと、とんでもないことを教えてたことに
後々気がつくことになります。
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