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2019年12月24日 (火)

「医者、用水路を拓く」② 日本は他国に軍事干渉しなかった国

  

今日は令和元年12月24日。

  

前記事に引き続き、

医者、用水路を拓く アフガンの大地から

世界の虚構に挑む」(中村哲著/石風社)より引用します。

  

国会で参考人として呼ばれた中村哲さん。

その国会は、自衛隊派遣を行いたいがための国会でした。

2001年10月13日。

  

私は参考人として述べた。

「こうして、不確かな情報に基づいて、軍隊が日本から送られ

るとなれば、住民は軍服を着た集団を見て異様に感ずるであり

ましょう」

「よって自衛隊派遣は有害無益、飢餓状態の解消こそが最大の

問題であります」

この発言で議場騒然となった。私の真向かいに座っていた鈴木

宗男氏らの議員が、野次を飛ばし、嘲笑や罵声をあびせた。司

会役をしていた自民党の亀井(善)代議士が、発言の取り消し

を要求した。あたかも自衛隊派遣が自明の方針で、「参考人の

意見聴取」はただの儀式であるかのようであった。

(36~37p)

 

この本を読むと、自衛隊の派遣どころではないアフガニスタン

の実態が見えてきます。現場の声が活きないシーンでした。

そして自衛隊派遣によって、中村哲さんたちの活動をやりにく

くさせました。なぜなら、日本はそれまでアフガニスタンから

信頼されていたからです。

  

私たちに結束を与えていたのは、(日本のアフガニスタンに対

する)非政治性に加え、日本への親密感であった。アフガン人

の大半は、「日本とアフガニスタンの独立が同じ日」だと信じ

ている。これは意外に知られていない。

どんな山奥に行っても、日本人であることは一つの安全保障で

あった。私が単に日本人だというだけで、命拾いをしたり、協

力を得られたことは数知れない。そのため車両や診療所に必ず

日章旗を掲げていた。

(中略)

「戦争で儲けない国・日本」は、彼らの間で大いなる好感をも

たれていた。十分に美しい存在だったと言わざるを得ない。

(40~41p)

   

親密感を持たれた理由の部分を引用しませんでした。

簡単にいうと、西洋列強にアジアの国々が植民地化された時に

日本は独立を守り、大国ロシアを破ったこと。アフガニスタン

も独立をかろうじて守っていて、日本の勝利が励みになったこと。

さらに広島・長崎に原爆を落とされたりして大きな被害を被った

が、復興繁栄したこと。

 

そして肝心な点は、「繁栄する国はたいてい戦争をするが、日

本は半世紀にわたって他国に軍事干渉をしなかった」という賞

賛。40p)

  

日本はそう見られていたのです。

 

  

飢えた人々が殺到する食糧配給は、多くの困難がある。誰が本

当に困っているか、見分けがつかない。また、日本でまことし

やかに報道された「ピンポイント攻撃(テロリストの場所だけ

を攻撃して市民に被害を与えない)の実態は、無差別爆撃であ

った。

(46p)

 

タリバーンの兵士たちが無秩序な群衆を整列させ、配給は秩序

整然と行われた。お礼に兵士たちに小麦を一袋だけ与えると、

喜んで礼を述べ、快く協力した。国際赤十字や国連関係の事務

所はタリバーン政府によって守られ、激しい空爆下にも拘わら

ず、治安が保たれ略奪が一切なかった。

(46p)

 

「タリバーン」と聞くと、

「悪」のイメージが刷り込まれていました。

でもこの本を読むと、タリバーンの人たちが普通の農民であり、

本当なら農業をし、家族と一緒にすごしたいと思っている人た

ちだと見えてきます。

 

社会科教師として恥ずかしいですね。

勉強し続けないと、とんでもないことを教えてたことに

後々気がつくことになります。

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