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2019年12月24日 (火)

「医者、用水路を拓く」① 「変わらぬ大義」とは

今日は令和元年12月24日。

  

本を1冊読み終えました。

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医者、用水路を拓く アフガンの大地から

世界の虚構に挑む」(中村哲著/石風社)

  

ハッとしたところに付箋を貼って読みました。

今から、その部分を再読。書き留めておきたいことを

このブログに実行していきます。

  

まずはこの地図が大事です。

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アフガニスタンを襲った大旱魃(かんばつ)は、診療所付近だ

けではなかったのだ。100万人が餓死線上にあるという数字

は誇張ではないと思った。実際、診療所付近で落命する患者た

ちは、ほとんど小児であった。栄養失調で弱っているところに

汚水を口にし、赤痢にかかる。健康なら簡単に死ぬことはない

が、背景に食糧不足と脱水があると致命的である。子供だけで

はない。多くの病気は十分な食糧と清潔な飲み水さえあれば罹

(かか)らぬものであった。

流民化した村人たちが続々とジャララバラードとペシャワール

に難を逃れ、修羅場を現出した。2000年7月、ダラエヌー

ル診療所は残った村人を集め、飲料水確保に全力が注がれた。

これが我々の「水資源確保事業」の発端であった。

(14p)

 

これ以後、ジャララバード、ペシャワールの都市名は、頻繁に

出てきます。中村哲さんの活動拠点です。

ここで大きな事件が起きます。

2001年9月11日の米国での同時多発テロ事件です。

   

   

ペシャワールには、(2001年)9月から続々と各国NGO

が詰めかけつつあった。中には日本の団体もあって、しばしば

接触を求めてきた。当時、皆が信じていたのは、「空爆が始ま

れば、難民たちが国境を越えて大挙してペシャワールに逃れて

くる。その支援が必要だ」という見解であった。

(中略)

ある団体で、「いや、この業界も狭いもので、以前にコソボや

ソマリア、カンボジアで出会った人たちとも出会いましてね・

・・・

・・・・」という会話を耳にし、憮然として戻ってきた。「

『業界』などと、とんでもない。この世に人を助ける商売があ

るのか。どうして皆話題のある所にだけ集まるのか」と、憤り

を隠さなかった。まるで世界中が避難民が出るのを期待してい

る雰囲気だった。「何を今更、9年前に何故引きあげたのか

(1989年のソ連軍撤退時にも世界中のNGOが押し掛けて

きたが、数年を待たずに引きあげた)。大旱魃の時に何故駆け

つけなかったのか」と言いたかったが、無用な摩擦を避けるた

めに黙っていた。

(28p) 

  

この本の中で、中村哲さんはよく怒っています。吠えています。

支援するなら継続した支援をすべきなのです。話題になった時

だけではなく、話題になっていなくても支援が必要なら、出か

けて行くべきでしょう。私も、長野はまだ終わっていない。

  

  

(2001年)9月下旬、なにものかが自分の中でふっ切れて、

指示を出した。

「残ったカネをはたいて食糧を買い、空爆前にカーブルで配給

せよ。医療関係、水関係を問わず、PMS(ペシャワール会医

療サービス)総力をあげて実行されたし」(中略)

世界中が寄ってたかって「アフガニスタン」を論じている間に

も、飢えた人々が彷徨(さまよ)い、病人が死んでゆく。「国

際世論の愚かな騒ぎに付き合っている暇はない」と思わざるを

得なかったのである。

だが、この「食力緊急支援」の指示は、パキスタン・アフガニ

スタン両国籍の職員の心に灯をともした。それまで、いつ空爆

が始まるか、どこがやられるのか、イスラムの非民主性や後進

性、米国民の怒りなど元気の出ないニュースばかりが流される。

イスラム教徒であることがまるで罪人であるかのような錯覚さ

え持たされる。自分たちはこれからどうなるのか、いったいど

うしたらよいのか、不安と迷いが支配していた。反米義勇軍に

志願したり、外国に逃亡したりする者も後を絶たない。---

こんな中で、一つの明確な大義と指針を得た気がしたのである。

正義・不正義とは明確な二分法で分けられるものではない。敢

えて「変わらぬ大義」と呼べるものがあるとすれば、それは弱

いものを助け、命を尊重することである。

(29~31p)

  

「変わらぬ大義」は不変だと思います。

同時多発テロ直後のアフガニスタンの様子が、ここだけでなく

随所に書かれた本でした。  

   

現地の状況は末期的であった。まるで死にかけた牛に、大国が

よってたかって大砲で止めを刺すようなものである、おまけに

時期が悪い。飢餓地獄の巷(ちまた)に凍てつく冬将軍が迫っ

ていた。

「今緊急なアフガン問題は、政治や軍事問題ではない。パンと

水の問題である。命の尊さこそ普遍的な事実である」。これが

私の言いたかった全てである。

(36p)

 

2001年10月13日に中村哲さんは、国会で発言するよう

に迫られました。その国会は、テロ対策特別措置法成立をめざ

したものでした。

しかし中村哲さんは、その必要はないと言ったのです。

  

次の記事につづく。

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