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2022年7月

2022年7月31日 (日)

日めくりより/セブンイレブンは氷屋だった/かき氷のはじまりは?

     

今日は令和4年7月31日。

  

日めくり「雑学王」(TRY-X)から転載するのは、

何と4月11日以来でした。

ここでも道草 日めくりより/「大統領」は大工の棟梁のこと?(2022年4月11日投稿)

このブログに載せたいネタが、うなるほど溜まっています。

  

今日のネタは、さっそく載せたいものでした。

  

コンビニのルーツは氷屋さんだった?

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そうか、セブンイレブンは、もともとは氷屋だったのですね。

かき氷屋ではなく、氷を売る店だったのでしょう。

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pixabay

  

脱線。

かき氷の起源は?

これはかつて録画した番組

「FNS27時間テレビ 日本人は何を食べてきたのか?」

(2018年9月8日放映)

で詳しく紹介してくれました。

 

かき氷についての記述は、清少納言の「枕草子」に登場します。

あてなるもの(上品なもの)として書かれていました。

  

「削り氷にあまづら入れて、新しき金鋺(かなまり)に入れたる」

  

「あまづら」は甘葛。

木に巻きついた太いツタから採取します。

砂糖がなかった頃の甘味料で、

精製するのに多大な時間がかかる貴重なものでした。

番組では、やっと精製できた貴重な甘味料を、

ゲストがなめていました。

人工甘味料とは違う甘さとのこと。

どんな甘さなのだろう。

  

  

この夏。

奥さんと一緒にかき氷を食べに行きました。

「名前のないかき氷屋」という名前のお店。

宇治金時を食べました。

最近、小豆が好きになっています。

パンにも小豆、かき氷にも小豆です。

アイスもあずきバーですね。

 

「スネークダンス」① コロッセオの描写

    

今日は令和4年7月31日。

  

この本を読みました。

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amazon

「スネークダンス」(佐藤まどか著/小学館)

  

芸術の都ローマで生まれ育った圭人は、古い町並みをスケッチするの

が好きだった。父親が亡くなったことを機に母と日本に帰国する。

住みなれた土地を離れて引っ越してきた東京でも、スケッチしながら

歩いていると、忍者のような姿の人が、スプレー缶を持ちダイナミッ

クに落書きしている。

なんだこれ?! すごいな。

芸術と出会う喜びと挑戦を描く青春小説。(Amazonの紹介文)

  

もう一つ引用します。

 

【編集担当からのおすすめ情報】

イタリアの建築物やアートが少年目線でたくさん語られるところも、

読みどころとなっている。天才ではない普通の少年が、何を感じ、

何を見つけていくのか・・・。

イタリア在住の作者ならではの読みごたえのある物語です。

(やっぱりAmazonに載っていた紹介文)

  

そうなんです。

作者の佐藤まどかさんは、1987年からイタリア在住。

きっと同じくらいか、佐藤さんの方が少し年下と予想。

イタリアに35年も住んでいるだけあって、

イタリアの建築物についての描写が詳細で勉強になりました。

  

コロッセオの描写。

  

そのまま歩いていくと、コロッセオが見えてくる。西暦80年に建

てられた円形闘技場だ。地下、アリーナ席、そして四階席からなり、

収容人数は8万人だというから、現在の巨大スタジアムと同じぐら

いだろう。(中略)

テレビや映画はおろか、娯楽がほとんどない時代である。古代ロー

マの政治家たちは、不満をつのらせ暴力に走ることがないよう、兵

士や市民を満足させるためにこの巨大な闘技場で凶暴な見せ物をオ

ーガナイズしていたらしい。

今では床がぬけて丸見えになっている地下から、ライオンなどの獰

猛(どうもう)な生き物が出てきて、グラディアトーレと呼ばれた

剣闘士と闘っていた。

一番の見せ物は、やはり剣闘士同士の、流血の闘いだった。死者が

出ることもよくあり、そのたびに観客は興奮した。演出が凝ってい

て、現代の演劇やコンサートのように、地下からまきあげられるエ

レベーター式の檻に入った猛獣や、はねあげ式の台にのった剣闘士

が現れると、会場がわきあがった。

とくに人々が熱狂したのは、大がかりな模擬海戦だったという。古

代ローマ人が得意だったローマ水道を使って水を運び、コロッセオ

に地下水路を張りめぐらせ水をひいて、本物の船をうかべ、海戦を

したというのだからおどろきだ。

(39~40p)

  

海戦までやっていたのは、この本で初めて知りました。

地下があって、そこから猛獣や剣闘士が登場したとなると、

きっと会場は盛り上がっただろうなと想像できます。

コロッセオの描写はまだつづく。

  

おどろくことは他にもあった。現在ではただ野外劇場のように天井

が開いているが、当時は天幕が張られ、しかも太陽の動きにより天

幕を動かせる仕組みになっていたという。

(40p) 

  

どんな仕組みになっていたのでしょう。

  

 

ここで公開処刑も行われていた。皮肉なことに、多くの命が消えて

いったこのコロッセオで、現在は死刑制度廃止のイベントが行われ

る。イタリアは死刑制度が廃止されて久しいが、世界のどこかの国

で死刑制度が廃止されると、その象徴としてライトアップされる。

(41p)

  

これも知らなかったことです。

死刑制度に反対する象徴としてコロッセオはライトアップされるのですね。

※参考:死刑制度廃止を呼びかけ、コロッセオがライトアップ - イタリア(2007年)

  

十年ほど前から、コロッセオは部分的に大修復中だ。昔あったはず

の床を半分だけ再築し、地下を修復し、今までは入れなかった地下

も見学できるようになる。また、猛獣の入っていたまきあげ式の舞

台装置なども復元されるらしい。

完全に修復が終わって公開されるころ、圭人はもう日本だ。残念で

もあるが、同時に、復元されてしまったコロッセオを見たいかどう

か、少し疑問でもある。

たしかに、あのままではどんどん朽ち果てていっただろう。

しかし、それもまた味わいがあるといえばあるのだ。

(41~42p)

  

コロッセオが修復中であることも、この本で初めて知りました。

修復したら、観光客が増えそうです。

いつか行くことがあるのでしょうか。

  

以上がコロッセオの描写。

情報たっぷりの描写でしょ。

 

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pixabay

デザイナーフーズピラミッド

    

今日は令和4年7月31日。

  

昨日はサークルがありました。

ガンになりたくないという話をしたら、

デザイナーフーズピラミッドを教えてくれました。

  

山本外科内科医院

☝ ここから転載引用。

 

アメリカの国立がん研究所が1990年に発表した、がんにならない

ために効果的な食品をピラミッド状に並べたものをデザイナーフーズ

ピラミッドと呼びます。

これには、癌予防効果が高いといわれている野菜を中心して全40種

類の食品が選ばれています。

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にんにくがトップです。

キャベツもいいようです。

大豆は、毎日みそ汁を飲んでいるし、納豆も食べているからいいかな。

甘草?

「かんぞう」と読むようです。

う~ん、身近にない食べ物かな。

地元にあった世界一のボーリング場

    

今日は令和4年7月31日。

  

前記事に引き続き、

7月16日放映の「電脳ワールドワイ動ショー」より。

  

地元愛知県の話題が出ました。

ここがギネス記録に登録されているボーリング場でした。

  

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稲沢グランドボウル。

知らなかった。

久々ボーリングがやりたくなった。

ラクダの移動図書館(パキスタン)

      

今日は令和4年7月31日。

  

7月16日放映の「電脳ワールドワイ動ショー」より。

  

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子どもたちが集まる理由は・・・

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ラクダが移動図書館でした。

パキスタンの事情がありました。

  

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同じ番組の中で、パキスタンの工場で

サッカーボールが作られている様子が報じられていました。

そのサッカーボールは、W杯でも使われるくらい、

世界に流通しているようです。

パキスタンの裏と表を知った感じです。





 

砂に入れて作るトルココーヒー

    

今日は令和4年7月31日。

  

前記事に引き続き、

7月2日放映の「電脳ワールドワイ動ショー」より。

  

トルココーヒーが紹介されました。

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砂の中に入れたコーヒーが・・・・

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湧き出てきます。

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これがトルココーヒー。ユネスコの世界無形文化遺産だそうです。

1杯のお値段は・・・

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作り方は・・・・

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あの砂は、熱せられた砂だったのです。

砂の中で煮立って、できあがるのです。

  

動画で見ることができました。


YouTube: 砂で熱する伝統トルココーヒー実演!一杯たったの100円です

ここでは1杯100円でした。

この動画には次のような説明がありました。

  

トルココーヒーを注文すると必ず、お砂糖の有無を聞かれます。日

本人なら普段は砂糖なしで飲む人が多いと思いますが、トルココー

ヒーの時だけは絶対砂糖を入れるのがおすすめ。砂糖なしでは苦い

だけで全然美味しくないんです。騙されたと思ってぜひ砂糖ありで

試してください。

  

この情報、いつか役に立つ時が来るかな。

今では見かけない仕事「金継ぎ」

     

今日は令和4年7月31日。

   

7月2日放映の「電脳ワールドワイ動ショー」より。

今では見かけない仕事として「金継ぎ(きんつぎ)」が

紹介されました。

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金で装飾された器がなかなかいいです。

興味をもったので調べてみました。


YouTube: 【金継ぎ修理】小さく欠けた器を漆で直す~水色のカップ

ほんの少し欠けた茶碗に手をかけて修繕する金継ぎは、

日本人らしくていいかも。

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金継ぎされた器の実物を見たことがないけど、

昔だったら、普通の家庭にもあったのだろうか。

  

なんぼや 「金継ぎ」とは?~日本伝統の修復技法の魅力と方法

☝ ここから引用します。

  

金継ぎとは、金を使って壊れた陶磁器、ガラス製品などを修復する

ための技法のことを言います。

物がたくさんあふれている現代においては、陶磁器やガラス製品が

割れたときには、「廃棄して新たな物を購入する」という方法をと

るのが一般的です。

しかし物がまだそれほど多くはなかった時代には、「割れた物を修

復し、もう一度使う」という考え方が当たり前でした。

日本人の物を大事にする心によって生まれたのが、「金継ぎ」とい

うすばらしい技術なのです。

  

やはり日本人らしい技法なのでしょう。

  

金継ぎは、壊れた器を修復するための実用的技法であるとともに、

日本ならではの美しさを世界に誇るアートでもあります。

金継ぎで修復した器には、割れ面に沿って金の線が走ります。この

線を使いながら、器に新たな景色を描き出すことで、器の価値を高

められる点が、金継ぎならではのメリットと言って良いでしょう。

この美しい金継ぎの技術が確立したのは、室町時代だったと言われ

ています。当時の日本では茶の湯が盛んで、器も多く使われていま

した。

一つずつの器を大切に使うのはもちろんのこと、金継ぎの美しいデ

ザインに魅了された人が多かったことも事実であり、金継ぎは盛ん

に行われていました。

残念ながら近年では、壊れたものを修復してまで使おうとする方の

数は減少傾向にあります。

また金継ぎという伝統的修復方法について、知らない方も増えてき

ています。

初心者でも手軽に実践できる金継ぎですが、それをアートにまで昇

華させようと思えば、やはりそれなりの知識・技術が必要となりま

す。こうした金継ぎのプロは、徐々に減少傾向にあり、日本の伝統

的な技法を守っていく上で今後の課題とされています。

  

アートまで昇華された作品を見てみたくなりました。

ここで見ることができました。

KINTSUGI ENYA 作品

  

今では見かけない仕事として紹介されましたが、

どっこい現代にも生きている技法でした。

2022年7月29日 (金)

新聞を開いてビックリ 昨日のマンガが載っていました

     

今日は令和4年7月29日。

  

新聞を開いてビックリしました。

昨日読んだマンガ「ペリリュー 楽園のゲルニカ」

宣伝が、新聞1枚デーンと載っていました。

今日の朝日新聞朝刊です。

写真を撮ってみました。

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何て書いてあったか。

書き写してみます。 

  

もし彼らが、今の時代に生まれていたら。

  

大学に行って、好きなことを勉強していたかもしれない。

二日酔いで、授業をサボる日もあったかもしれない。

彼女と遊園地に行って、お揃いのカチューシャをつけていたかもしれない。

SNSで、仕事の愚痴を呟いていたかもしれない。

同期とカラオケに行って、朝まで歌い明かしていたかもしれない。

今日も、なんでもない一日を過ごしていたかもしれない。

 

そして彼らだって、戦争に、興味なんてなかったかもしれない。

 

違うのは、生まれた時代だけ。

私たちと変わらない普通の若者たちが、何を想い、戦場を生きたのか。

今こそ、すべての人に知ってほしい。

   

  

知りたいです。  

私はまだ1巻しか読んでいないけど、

全11巻あります。

縁があったから、このシリーズを読みたいです。

2022年7月28日 (木)

「ペリリュー 楽園のゲルニカ」1巻を読みました

   

今日は令和4年7月28日。

  

このマンガを読みました。

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「ペリリュー 楽園のゲルニカ」第1巻

(武田一義作/ヤングアニマルコミックス)

  

作者の武田さんは、ペリリューの戦いについて、

2015年に知ったと書いていました。

2015年、天皇皇后陛下が慰問でペリリューを

訪れたニュースで知ったそうです。

私もそのニュースに注目していました。

ここでも道草 4月9日に両陛下がペリリュー島訪問(2015年3月25日投稿)

ここでも道草 ペリリュー島に関するニュース2/両陛下の9日の動き(2015年4月11日投稿)

  

武田さんは、それ以後、ペリリューの戦いについて勉強して、

マンガを連載をしたようです。

私は、このマンガを読むことで、

武田さんの勉強したことを学びたいと思いました。

利用できるものは利用します。

1巻では、アメリカ軍がやってくるのに備えて、

固い壁を掘って洞窟陣地を作るところと、

そしてアメリカ軍がいよいよ上陸して戦いが始まったところが

描かれていました。

戦いが始まったばかりなのに、死体が累々と横たわっていきます。

映画やドラマで描かれるような、きれいな死体ではありません。

千切れた、吹っ飛んだ、そんな死体です。

それが現実なのでしょう。

そして主人公の田辺一等兵は、ハエが増えたことに気がつきます。

死体にたかるハエが集まってきたのです。

その後、死体はどうなっていくか。想像に難くないです。

  

田辺は、一緒に戦って生き残った吉敷上等兵と、

「生き残ろうぜ」「生きて日本に戻ろう」と語り合います。

現実は厳しい。

ペリリューの戦いで、日本兵は1万人。

生き残ったのは38人。

2人の運命はどうなるのか。

  

  

最近知ったミャンマーの軍事政権による死刑執行のこととか、

前から勉強している沖縄戦のこと、ペリリュー戦のこと。

少しでも情報を集めて、生徒に語れるようになりたいと、

社会科教師としては思います。

社会科教師の役目だと思うのです。

いろいろなことを生徒に伝えたい。

映画「沖縄スパイ戦史」を観ました

     

今日は令和4年7月28日。

  

この映画を観ました。

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「沖縄スパイ戦史」(三上智恵、大矢英代監督)

   

戦争が始まれば、こんな悲劇が起こってしまうことを

教えてくれたドキュメンタリー映画だと思いました。

  

沖縄戦での出来事。

悲劇その1は、少年兵。

沖縄では、15~17歳の少年たちが、銃を持たされ、

訓練を受けて少年兵として戦いました。

護郷隊、鉄血勤皇隊、防衛隊などと呼ばれました。

護郷隊の少年たちを訓練したのは、

陸軍中野学校出身の2人の中尉が派遣されて行いました。

日本軍は、沖縄の民間人を巻き込んで

戦争を遂行する方針だったのです。

上陸したアメリカ兵との肉弾戦を強いられました。

追い詰められて、基地を移動する際には、

ケガをしている少年兵は殺されました。

戦友の看護は認められていなかったのです。

足手まといになるし、生きてアメリカ兵の捕虜になれば、

こちらの情報が知られてしまうことを恐れて、殺したのです。

 

派遣された中尉は、戦争を生き残ります。

戦後、元中尉は、元少年兵や少年兵の遺族を訪問します。

遺族からは「何であなたは生きのこって、私の息子は死んだんだ」

と言って、追い返させられます。

中尉も当時は22歳。

少年兵にとっては兄貴のような存在。

少年兵も中尉も、戦争体験をするには若すぎたのです。

  

悲劇のその2は戦争マラリアです。

これについては、以前本で読みました。

ここでも道草 沖縄「戦争マラリア」① 8カ月一緒に生活して話を聞く(2020年4月29日投稿)

沖縄諸島の中にある波照間島での出来事。

この島に、中野学校出身の山下虎雄が赴任します。

最初は学校の優しい先生として、島民には認識されました。

しかし、戦火が近づいてくると、山下は正体を現します。

島民を、西表島に強制移住させるのです。

当時の西表島は、マラリアに罹る可能性が高い恐怖の島でした。

島民は反対しますが、受け入れられません。

西表島で島民の3分の1がマラリアで命を落とします。

なぜ移住させたのか。

軍の作戦を遂行するのに、戦力にならない民間人はじゃまだったのが、

一つの理由。

そしてもう一つの理由は、波照間島で飼われていた牛馬を取り上げて、

沖縄戦で戦う兵士の食糧にするためでした。

  

  

  

沖縄戦では、民間人を利用しながら、戦争が行われました。

しかし、日本軍は、民間人を信じていなくて、

民間人が敵に捕まれば、スパイになると思っていました。

疑心暗鬼の中、民間人をころす兵隊がいました。

民間人同士で疑って、かねてから気に入らなかった人物を、

殺してしまうということもありました。

  

この映画で、沖縄戦は、民間人を巻き込んだ

悲劇的な戦いだったことがわかりました。

軍隊は、敵のせん滅が目的であって、住民を利用すれども、

住民を守ることは作戦には入っていないのです。

味方の軍隊は、私たちを守ってくれるという考えは甘いのです。

それは昔話ではなく、今戦争が起こったとしても言えることなのです。

  

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