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2021年8月

2021年8月25日 (水)

「遺物は真相を語る」④ なぜ自衛隊は二度焼きをする必要があったのか

    

今日は令和3年8月25日。

   

前記事に引き続き、

「日航123便墜落 遺物は真相を語る」(青山透子著/河出書房新社)

より引用します。

  

  

青山透子さんは、2度焼きがあったことを主張します。

  

この事例集での遺体状況から推定すれば、おそらく、一度はケロチ

ンという航空燃料によって通常の航空機火災が起きた。それから数

時間が経ち、医師たちが「二度焼き」と書いた火災が起きた。しか

し、今度は粘着性の物質を含む燃料にて長時間高温を保った状態で

焼かれた。まぎれもなくこの遺体は、それを物語っている。

私たちは日航123便の乗客がなぜ戦場同様のこのような凄惨な姿

にさせられたのかという意味を直視しなければならず、決して目を

そらしてはいけないのだ。この事実を、なぜ520人もの犠牲者が

出た上に、さらに焼かれる必要性があったのか、という視点で見て

いかなければ彼らは決して浮かばれず、「安らかにお眠りください」

と言われても納得できないだろう。

(149p)

   

ここなのです。

青山さんの推測通りなら、

なぜ自衛隊は二度焼きをする必要があったのか。

この点が、この本を読んでも、理解できない所です。

  

  

日航123便が墜落したきっかけは過失であったかもしれないが、

その後の対応で早急な救助ができたにもかかわらず、意図的にし

なかったのは重大な不作為の犯罪である。さらにベンゼンと硫黄

の含まれたタール系の燃料を使って現場を燃やしたとなれば、少

なくとも死体損壊罪ともなる。もしも殺人事件であれば、時効は

成立していない。

中曽根康弘氏が「官邸は関与していない。命じていない」と語っ

ているのであれば、その責任の所在は免れないが、防衛庁の当時

の関係者と制服組が独断で実行したというのならば、当時命令を

下した責任者も起訴しなければならない。運輸省が後から日本航

空に圧力をかけて隠蔽に加担させ続けたのであれば、その事実を

炙り出さなければならない。


(151p) 

    

自衛隊が日航機を墜落させ、墜落した場所を不明にして、

何かを隠すために、火炎放射器を使って焼きはらった。

この青山さんの説は、

こうやって本が出版されて世に出回っていますが、

テレビ番組が取り上げないのはなぜだろうか。

  

先日見たNHKの「アナザーストーリーズ」では、

5~6年前の番組の焼き直しでした。

ここでも道草 番画〈361〉:日航機墜落事故(2021年8月15日投稿)

   

社会科の教師は、こういうことに関心を持つべきだと思います。

真実を教えることが大事だと思うのです。

今の段階では、日航機墜落事故のことを

生徒に教えることはできないと思います。

教えるとしたら、青山さんの立証したことを挙げて、

推測を話すことでしょう。

  

これからも青山透子さんの本は読んでいきます。

その上で思ったことを手紙に(メールに)して

青山さんに送りたいと思っています。

「遺物は真相を語る」③ 事故現場でガソリンが使われた痕跡

    

今日は令和3年8月25日。

   

前記事に引き続き、

「日航123便墜落 遺物は真相を語る」(青山透子著/河出書房新社)

より引用します。

   

当時、検死にあたった医師たちが「筋肉や骨まで炭化し、二度焼き

した形跡がある」という資料を残した。連日の夕立で湿度が75%

以上の夏山で、なぜ骨まで炭になってしまった遺体があったのかと

いう疑問、二度焼かれた痕跡があるという鋭い棘のような記述は、

読んだ人間の目をそこに釘づけにする。山頂では一晩中狼煙のよう

な煙が立ち上がり、多数のヘリコプターがぐるぐると旋回していた。

その直下で、いつまでも燃える炎が死体を焼き尽くし、墜落場所不

明の報道にもかかわらず、自衛隊や機動隊の多数の車が上野村に集

結していた。

(49p)

   

それにしても最大の疑問は、連日夕立があるような多湿状態の夏山

に放り出された人たちがなぜ真っ黒になるまで炭化したのかである。

それを指摘したのは私以外にはいないとのことであるが、これは警

察医が長年持っていた疑問を一つずつ聞き取った結果である。

万が一、偽りの事故原因が刻まれるとするならば、それが未来永劫

人々の心に残るとするならば、当時を知り、今を生きている私たち

は、なすべきことをしてこなかったことになる。それならば、今こ

そなすべきことをしなければならない。

(64p)

    

事故当時新任だった私が、現在退職の年を迎えています。

36年間。月日は充分に経ちました。

真実が表に出てもいい月日が経っているのではないでしょうか。

   

炭化した遺体についての記述を引用していきます。

  

燃料に持続性や粘着性があって、薄着の肉体に炎がついたとしても、

服に引火したとしても、付着してそこまで焼け落ちるまで燃え続け

るものと言えば、武器燃料しかない、というのが前著の結論であっ

た。

(80p)

  

「武器燃料」

なぜ、事故現場で「武器燃料」を使う必要があったのか。

  

  

山頂付近では、遺体が落下したところに沿って焼損が著しい。逆に

言えば、山頂付近でも遺体がないところは燃えていない。そして一

晩中、ヘリコプターが山頂付近にて旋回し、物の上げ下げをしてい

る様子が村民に目撃されている。一方、山から下って沢の山林の中

深くに落ちた遺体は焼けておらず、そこに生存者がいた。早朝川沿

いを歩き、生存者がいた沢から現場に入った消防団、警察関係者は

すでに山頂から降りてくる自衛隊員を目撃している。

(107p)

   

なぜかスチュワーデスの服装は燃えていなかった。

それについても、青山さんは次のように考えています。

  

もしも二度目の火災が何者かの意図によって発生したのであれば、

制服が不燃布ではない以上、何らかの心理的な作用によるものでは

ないだろうかとも考えられる。つまり、ミッキーマウスが燃えてい

なかったという事実とスチュワーデスの制服が燃えなかったことに、

なんらかのつながりが見えてくるように思われる。

(113p)

   

  

現場に残っていた遺物を化学検査した結果次のようなことがわかりました。

   

今回いぜれにしてもあきらかになったことは、ジェット燃料に含ま

れていない大量のベンゼンがジュラルミンに付着していたことであ

る。そしてその「ベンゼン環」はガソリンに含まれているというこ

とである。

(139~140p)

あの日、上野村の墜落現場の山奥で、ジェット燃料ではなく、ベン

ゼンが含まれる大量のガソリンが用いられ、航空機の構造物である

ジュラルミンが融解してドロドロになって固まり、その中に硫黄成

分を含むゴムのような粘着性の高い物質が含まれていた、という事

実は、武器使用の可能性を最大に高めた結果となったのはまちがい

ないと考える。本来、ありもしないはずの物質があったことは、誰

かがそれを持ち込んだ、ということになる。山頂で自衛隊ヘリコプ

ターが物を上げ下げしていたという目撃情報、現場から近い陸上自

衛隊相馬原の部隊も所有していたM2型改良型火炎放射器燃料、機体

の融解、炭化遺体と一本の線がつながる。

1985年時、群馬県相馬原部隊は陸上自衛隊普通科(歩兵)で、

第12偵察隊と第13普通科連隊情報小隊(松本)から現地確認の

ためと称し、計12名が21:35に派遣された記録は残っている。

偵察して何が行われていたのか、それは生存者救助ではなかった、

これだけは確かである。

(145p)

  

  

なぜ?なぜ自衛隊がそんなことをしたのか。

そんなことを思いながらここまで読み進めました。

  

  

「遺物は真相を語る」② ボイスレコーダー、フライトレコーダーの開示

    

今日は令和3年8月25日。

   

前記事に引き続き、

「日航123便墜落 遺物は真相を語る」(青山透子著/河出書房新社)

より引用します。

   

もし、ボイスレコーダーの会話が一部だけ抜粋されて都合よく編集さ

れていたら・・・。

もし、書面では空白となっている部分に、実際は会話を妨害するため

のノイズを後から入れ、聞きにくい状態にしてあったとしたら・・・。

こうやって簡単に録音テープで再編集したものがオリジナルと錯覚さ

れてマスコミに流れていたとしたら・・・。

乗員たちによれば「前後関係の意味がつながらないコックピット内の

会話やなぜか突然の無音状態、音が異なる警報音が聞こえる」との指

摘がある。乗員組合からも自動操縦装置解除の警報音が確認できない

という指摘、ノイズ状態で聞き取れない部分が出てくる不可思議さ等

などが指摘されてきた。

おそらく操縦に関しての素人が、慌てて不都合な部分を消したり、ノ

イズを入れたり、前後関係をわからずに切り取って再録音した結果、

こうなった、ということのほうが、筋が通る。なお、コックピット内

での会話が成り立っていないことを「機長らが低酸素状態に陥ったこ

とで言葉が出なかったのであるから、急減圧はあった」と言い切る御

用テレビのコメンテーターもいるが、その根拠は何もない。

なぜならば「真正で生のボイスレコーダー」を聞いて確かめない限り、

無音の状況を記載した空欄が本当に無言状態か、それとも後付けのノ

イズで聞き取れないのかどうか、わからないからである。さらに、そ

こにあったいくつかの会話や言葉が削除されていた可能性も否定でき

ない。

フライトレコーダーも改ざんできる代物ではないが、その内容を一字

一句確実に正確に事故調査報告書に転記しているかどうか、これも第

三者が誰も確かめていない。

(40~41p)

   

ボイスレコーダーとフライトレコーダーは、現在日本航空が保管してます。

でも再三の請求でも、開示はされていないようです。

なぜ開示しないのか。

 

今度はご遺族の手前もあって公開するする訳にはいかないという返事

であった。

(45p)

「日航の修理見逃しミス」という整備ミスが墜落の原因なのに、「遺

族への配慮」という理由で、あの日のコックピット内の機長、副操縦

士、航空機関士と管制塔とのやりとりや会話を公開しないのはなぜだ

ろうか。

(46p)  

   

不思議です。

ボイスレコーダーの声や音はすべて公開されていたものと

思っていました。

公開すべきです。

  

   

2021年8月24日 (火)

「遺物は真相を語る」① 青山さんに手紙を書きたくなりました

    

今日は令和3年8月24日。

    

本を読んで、著者に手紙を書きたいと思ったのは、

絵本「もっとおおきなたいほうを」を読んだ時でした。

著者の二見正直さんに感想を送り、

幸いにも今でもメールや年賀状のやり取りをさせてもらっています。

ここでも道草 巧みなお話「もっとおおきなたいほうを」(2014年3月12日投稿)

  

その時以来です。

著者に手紙を送りたくなりました。

送りたい人は青山透子さんです。

   

「天空の星たちへ」に引き続き、この本を読みました。

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「日航123便墜落 遺物は真相を語る」(青山透子著/河出書房新社)

   

「天空の星たちへ」で青山透子さんが疑問に思ったことを

追及した本の一冊です。

1985年の日航機墜落には隠されていることが、

実はたくさんあったようなのです。

    

引用していきます。

   

何年経っても衝撃的な記憶はずっと心に深く残り続ける。

なぜ、ファントム二機は墜落前の日航機を追尾していた事実を自衛

隊は隠すのか。

なぜ、日航機の機体腹部付近に、赤い物体がくっついていたのか。

なぜ、上野村住民たちが真っ赤な飛行物体を目撃したことに注目し

ないのか。

墜落場所が不明という報道にもかかわらず、その日の夜のうちに自

衛隊車輛や機動隊車輛が上野村に集結したのはなぜか。

これらの鮮明な記憶は唐突な発言でも曖昧なものでもなく、当事者

が実際に見聞きしたことを記憶が生々しいうちに書き記したもので

ある。

(9p)

  

この本の前著「日航123便 墜落の新事実」(河出書房新社)の

内容と思われます。

「天空の星たちへ」以後も疑問が増えたことを感じます。

そしてどれもがおかしいことです。

   

  

いずれにしても防衛庁の発表によれば、日航123便の墜落四日前

から、中曽根康弘首相の意向に沿った形で、防衛庁自らが開発して

いた国産の巡航ミサイルの洋上実験での成功を称賛し、世界初の射

程距離を自慢していたのは事実である。

このような状況下、通常の感覚で誰もが推定できるとすれば、国産

巡航ミサイルの洋上飛行実験中に突発的事故が起きて、日航123

便の飛行中、伊豆稲取沖で垂直尾翼周辺に異変を発生させた。即座

にファントム二機が追尾してその状況を確認した。自衛隊はそのミ

スを隠すために一晩中墜落場所不明としていた、と考えると筋が通

る。

(24p)

    

面食らいました。

まだ読み始めたばかりなのに、

青山さんはすごい可能性を示してきました。

ドキドキしました。

こんなことが本当にあったのか。

  

この本では、遺物から、自衛隊がミスを隠すために何をしたか

推論していきます。

その部分は、明日引用します。


   

  

番画〈377〉〈379〉:フィッシャーズ 32台の自販機 ホテルでサバゲ― 再放送を見逃すな「逆転人生 車いすラグビー」

     

今日は令和3年8月24日。

   

番画です。

   

〈377〉フィッシャーズ

【大食い】ラーメンすら出てくる自販機スポット端から全部食べきれるのか!?
YouTube: 【大食い】ラーメンすら出てくる自販機スポット端から全部食べきれるのか!?

 

〇全部で32台の自動販売機が並ぶお店。

 その32台全部をフィッシャーズ4人が飲食する企画。

 3台あったうどんの自動販売機が懐かしかった。

 あの味は今でも覚えています。

  

  

〈378〉フィッシャーズ

【第1回】ホテル貸し切ってサバゲーしたら迫力やべぇwww
YouTube: 【第1回】ホテル貸し切ってサバゲーしたら迫力やべぇwww

  

〇きっと一生サバイバルゲームはやらないだろうなと思った。

 「慎治」で小説では読んだ。

 ※ここでも道草 「慎治」を読みました(2021年7月30日投稿)

 今回は動画で、どんなものなのか見学した感じ。

〇銃から緑色の弾が飛び出るのはリアルだった。

 実際の弾の速さもこれぐらいなのだろう。

〇現在、本物の銃で銃撃戦をやっている人たちに思いが馳せる。

 自分たちは幸せなんだと思う。

  

   

〈379〉「逆転人生 車いすラグビー日本代表 執念の逆転劇」

  (2021年8月23日放映)

  

〇ブログで見たよと報告した番画は、ほとんど録画してあるけど、

 この番組は、不覚にも録画せずに見て、録画しなかったことを後悔した。

 生徒に見せてもよかった。

〇車いすラグビーで活躍している選手には、

 車いすになった事情があることがわかった。

 筋肉が衰えていく難病と闘いながらトレーニングしている人。

 自動車事故で片脚を失い、大やけどをして生きのびたが、

 車に同乗していた友だち3人は亡くなってしまった人。

 トランポリンの有望選手だったが、練習中に首の骨を折った。

 持ち前の明るさで女性ながら車いすラグビーに挑む。

〇再放送を見逃したくない。

 パラリンピックがある関係で、通常の再放送の時間には放送されない。

 でもきっと再放送があると信じる。

 録画して、生徒に紹介したい。 

  

  

もし再放送情報を得たこのブログの読者様。コメントでおしえてください。

番画〈374〉〈376〉:”戦争神経症”隠して生きていた人たち 緊迫のアフガニスタン 小栗上野介の最期

    

今日は令和3年8月24日。

   

番画です。 

〈374〉クローズアップ現代+ 封印された心の傷

  戦争神経症 兵士の追跡調査 (2021年8月19日放映)

  

〇戦争中に辛い体験をしたことによって神経を病む 戦争神経症

〇軍は「恐怖で発症する兵士はいない」「皇軍の恥」ということで

 戦争中は戦争神経症の存在を否定。

〇その一方で、国府台陸軍病院に収容して治療・研究をしていた。

 1938~1945年 入院した人だけでも10453人。

 戦争神経症の発症者はもっと多いと予想される。

〇戦後、精神疾患元兵士・軍属は国が費用負担して療養した。

 今年1月島根県で療養していた方が亡くなって0人となる。

〇戦争神経症になった人たちは、上官から、戦争で体験したことは

 一切口外するな。50年間は沈黙していろと言われる。

〇病んだまま死んでいった人たち。

〇遺族からは「偏屈な人」「おかしな人」と思われていた。

 遺族は、祖父や叔父が戦争神経症と知って、ショックを受ける。

 戦争に被害者だったと知る。

〇家族にも、妻にも知られたくない。

  

   

〈375〉ニュース地球まるわかり

  (2021年8月22日放映)

 

〇特集:政権崩壊 現地は今 緊迫のアフガニスタン

〇中村哲さんが亡くなった時から関心が高かったアフガニスタン。

 中村哲さんの願うような戦争のない国になってほしい。

  

〇ハイチ 大地震。被災者多数。

 ハイチがどこにあるのか再々確認。

 ここで確認した→※ここでも道草(2021年7月11日投稿) 

  

〇旅する世界 ハワイ オアフ島の鉄道建設

  

  

〈376〉大河ドラマ「青天を衝け 25 篤太夫、帰国する」

  (2021年8月22日放映)

  

〇渋沢栄一がフランスから帰国。

 フランスに行っている間に、日本で起こったことを聞く回。

〇小栗上野介の最期のシーンはイメージとは違った。

 ネジを舌ベラの上に載せて見せるというのは突飛に思えた。

 そのような人だったのか。確かめたくなった。 

2021年8月23日 (月)

今年は「秋味30本計画」/大切な繋ぎ

      

今日は令和3年8月23日。

   

「秋味」期間ですが、先のことを考えます。

今年は「秋味」を何本飲もうか?

昨年は25本ほどだったようです。

今年はもう少し増やして30本としましょう。

理由は何とでも・・・退職の年だからね。

「秋味30本計画」です。

  

しかし、毎日「秋味」を飲んでいたら、

30日で終了してしまいます。

9月中旬で最後の1本を飲むのは、少し早すぎます。

毎日「秋味」では、値段的に贅沢すぎます。

 

そこで、繋ぎの第3のビールが必要になってきます。

「秋味」を飲む日もあれば、

それ以外の第3のビールを飲む日も間に入れていくのです。

 

そうすることで、「秋味30本計画」は延長され、

最後の1本を飲むのは、10月下旬。

もうじき11月の声を聞くころになると考えるのです。

   

最適な繋ぎの第3のビールがありました。

これです。☟

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「金麦 琥珀の秋 ロースト麦芽仕込」です。

   

また「金麦」!?と言われそうです。

夏は「金麦」と宣言していました。

ここでも道草 しばらくはこの金麦で(2021年7月6日投稿)

でもおいしいものはおいしいし、

色と味が秋を感じさせてくれるのです。

缶のデザインもいい。

  

  

「金麦 琥珀の秋」を繋ぎで飲みつつ、

「秋味」ももちろん楽しむ。

「秋味30本計画」の始まりです。

 

「秋味」最後の1本を飲んだ時は、

このブログで報告させていただきます。

2021年8月22日 (日)

「天空の星たちへ」⑤ 川上慶子さん 黒澤丈夫さん

    

今日は令和3年8月22日。

   

前記事に引き続き、

「天空の星たちへ」(青山透子著/マガジンランド)

より引用していきます。

  

  

奇跡的に助かった川上慶子さん(当時12歳)の新証言を書いた記事。

  

そのタイトルは、「死の直前の妹を励ます」というものだった。

「墜落後に気がつくと、真っ暗で油のにおいがした。子供の泣き声な

どざわざわしていた。自分の体中さわってみて、みんな付いていて生

きているって思った。みんなはどうしたのかと思って呼ぶと、お父さ

んと妹が答えて、お母さんは答えなかった。

手足を動かしてみい、とお父さんに言われて動かした。お父さんに助

けてというと、お父さんも挟まれて動けない、助けてやりたいけどど

うしようもない。と言われた。

そのうち父は動かなくなってしまった。妹の咲子に聞くと、お母さん

は冷たい、死んでる、という。咲子は、苦しい、苦しいと言った。

そして、みんな、助けに来てくれるかなあ、というので、大丈夫、大

丈夫、お父ちゃんもお母ちゃんも死んだけれど、島根に帰ったらおば

あちゃんとお兄ちゃんと4人で頑張って暮らそうなあ、と答えた。そ

のうち、妹は、ゲボゲボと吐くような音がして、しゃべらなくなった。

一人になってしまったと思った・・・日頃父から、慶子は中学に入っ

てから根気がなくなったといわれていたのを思い出して、頑張った」

(1985年8月24日付上毛新聞)

(304p)

   

辛い記事です。

事故直後に生存者が多くいたことがわかる記事です。

どうにかならなかったのでしょうか。

  

  

墜落現場の群馬県上野村の当時の村長黒澤丈夫さんが、

事故の翌年の慰霊祭で式辞を読みました。その内容です。

  

今後この上野村は、世界に向かって航空機事故を起こさないように

訴えることが仕事であり、使命だと思っている。それは、原爆の広

島や長崎と同じ立場で、突然の飛行機の墜落事故で燃えた上野村が

やらなければならないと、そういう気持ちです、と話された。

(385p)

  

  

川上慶子さんの証言も、黒澤丈夫さんの話も、

語り継いでいかないといけないことだと思います。

このブログに書き留めました。

このブログを読んだ人にバトンパスです。

  

   

以上で「天空の星たちへ」からの引用を終えます。

「天空の星たちへ」④ 時効後に出てきた写真・証言

    

今日は令和3年8月22日。

   

前記事に引き続き、

「天空の星たちへ」(青山透子著/マガジンランド)

より引用していきます。

  

 

しかし、1989年11月22日午後、前橋地検は群馬県警から業

務上過失致死傷容疑で書類送検された日航12名、運輸省4名、ボ

ーイング社4名の計20名と、さらに遺族側から告訴、告発された

3者の首脳ら12名(うち1人重複)の合計31名を全員不起訴と

した。

不起訴かーーー。全員が罪を問われなくなったのだ。

それから、幾度も再調査を望む数々の声はかき消され、誰ひとりも

起訴されることなく、罪を問われることもなかった。

520名の命(衝撃で胎児が母体から外に出たことで521名とい

う場合もある)が失われた大事故は1990年に時効となり、誰も

刑事責任を問われず、事故そのものが封印され、重い蓋がされたの

である。

(224p)

  

大事故なのに、たった5年で時効になってしまうのですね。

解明するのにはもっと時間が必要だと考えます。 

  

写真が出たのは、1990年ーーー。不起訴が決まり、公訴時効と

なった年である。

私も知らなかった事故直後の機内写真を、学生Bが大きく引き伸ば

して発表した。

それは1990年10月13日に遺族から各新聞社に公開された一

枚の写真で、なんと墜落直前の機内を撮ったものであった。

墜落直前の日航ジャンボ機の中で酸素マスクが落下している中、半

そで姿の乗客一人ひとりが落ち着いているように見える。全員が座

りながら、酸素マスクを口に当てている様子を確実にしっかりと写

している。

(246p)

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(4p)

 

この写真は見た覚えがあります。

圧力隔壁が破壊されて、爆風が乗客席に突き抜けたら、

このような状態にはならないと、今回は見ることができます。

誰でもそう思います。

  

それにしても残念なのは、事故原因の最終報告書が提出される前や、

時効成立の前にこの写真が一枚、一般に公開されていたならば、結論

は違う方向に向かっていったかもしれないことだ。

(253p)  

   

でも新たな事実として、結論が変わってもいいのではないかと思います。

 

さらに新しい事実が加わりました。

  

1995年の8月29日の新聞は、学生たちにもうひとつの衝撃と疑

問を与える記事だった。(中略)

米軍の準機関紙であるパシフィック・スターズ・アンド・ストライプ

ス(星条旗新聞)の8月27日付号が報道した内容は次の通りである。

証言をしたのは、当時、米空軍第345戦術空輸団に所属していた元

中尉のマイケル・アントヌッチ氏だ。

「1985年8月12日に発生した日航ジャンボ機墜落事故直後の当

日夜、6時40分ごろ、C130輸送機で沖縄の嘉手納基地から横田

基地に戻る途中の大島上空にて、日航機の機長が緊急事態発生を告げ

る無線を傍受した。墜落の20分後には群馬県の上野村にある御巣鷹

の尾根の墜落地点に到着して、煙が上がるのを目撃した」

この報告を受けて、同日午後9時5分に米海兵隊救難チームのヘリが

厚木基地から現場に到着して、隊員がロープで現場に降りようとした

のだが、在日米軍司令部がある横田基地に連絡すると担当将校が「日

本側が現在現場に向かっているので帰還せよ」という帰還命令を出し

たという。

事故の生存者のひとりで日航アシスタントパーサーだった落合由美さ

んの証言では、「救助ヘリコプターが上空で回っているのがわかった。

手を振ったが気付いてくれなかった。自分の周りでは数人の子どもた

ちの声が聞こえたがそのうち聞こえなくなった」と言っている。これ

についてアントヌッチ氏は、落合さんが見たのは海兵隊のヘリだった、

と証言しているのである。

このことを伝える日本の各新聞記事をまとめると、在日米軍ヘリコプ

ターが自衛隊より約12時間も早く墜落現場上空に到着しつつも、上

官の指示で現場に降りなかったということである。

最後にこの元軍人は、「在日米軍は事故直後にすでに現場を発見して

おり、もっと多くの命を救えたはずだ」と述べている。

(268~269p) 

   

これはどういうことなんだと思います。

何があったのか説明が欲しいところです。

  

つづく

  

  

「天空の星たちへ」③ 最終事故調査報告書に対する疑問

    

今日は令和3年8月22日。

   

前記事に引き続き、

「天空の星たちへ」(青山透子著/マガジンランド)

より引用していきます。

  

  

アッパーデッキ(二階席)の担当者は、何もなく無事なフライトの

時はコックピットケアをする役割もある。乗客へのサービスが一段

落したら、コックピットの人たちへ飲み物を持っていき、リクエス

トに応じてクルーミールを持って行く担当だ。ちなみに食事は機長、

副操縦士はそれぞれ違うもので、時間をずらして食べるのがルール

である。万が一、食中毒になった場合などを想定してのことだが、

飛行機の運航にはそういった細部にわたってすべてに気を使ってい

る。着陸後、一段落したところで熱いおしぼりを持って行くのも役

目である。

(184~185p)

  

食事に対してそこまで気を使うのかと思って驚きました。

  

  

不思議だ。このフライトレコーダーが出るまで、隔壁破壊による突

風で急減圧が発生したと全紙が報道していた。だが、この客観的な

フライトレコーダーの記録によると急減圧が起きたとすると、機内

の酸素が薄くなるため、それを回避するために不可欠な緊急降下が

まったく行われていない。時系列に見てみるとすぐ分かる。高度計

は下がらず、むしろ緊急発生時は上昇している。

(203p)

  

あらたにわかったことから、青山さんはまた疑問に思っています。

  

1987年6月19日最終事故調査報告書ーー。

橋本竜太郎運輸大臣に提出した内容は、やはり、事故機が1978

年6月2日に大阪空港で胴体後尾部を滑走路にこすった際にボーイ

ング社が修理し、その修理ミスを起因とした後部圧力隔壁が、疲労

亀裂となって破壊されて急減圧が生じ、垂直尾翼を突風が吹き飛ば

したというものであった。

日航側もその修理ミスを見逃したということで責任を指摘された。

報告書のほとんどは修理の際にミスをした断面図や隔壁の状況説明

である。

乗客、乗員の死傷についての解析では、機体前方部は即死状態、後

方胴体のさらに後方にいた生存者は奇跡であるとした。

また、運航乗務員は急減圧による低酸素状態で操縦したことにより、

知的作業能力、行動能力がある程度低下してものと考えられるとし

た。

さらに捜索活動については、登山道がなく落石危険の多い山岳地帯

であり、夜間ということで機体の発見及び墜落地点確認まで時間を

要したことはやむを得なかったとしている。

 

即死ばかりではないはずだ。墜落後生き残った人たちの声がしたと

いうことが生存者の落合さんや川上さんの証言であった。でもあれ

はすべて奇跡として想定外ということなのだろうか。

高浜機長、佐々木副操縦士、福田航空機関士は、意識がもうろうと

しながらあの神業的なエンジン出力操作を30分も行ったというこ

とか。減圧があったとしても、不思議なのは高度が下がらず、むし

ろ上昇していたではないか。

そして自衛隊が墜落地点確認までに時間を要したのは、夜間のせい

と山のせいということなのか。

(214~215p)  

  

最終事故調査報告書に対しても、青山さんは疑問を持ちます。

この本をここまで読んだ私も同様の疑問を持ちます。

  

  

父親が整備士である、夫が整備士であるという人は私の周りにもた

くさんいる。

もし妻が客室乗務員で、あの事故で死んだとしたら・・・。

もし息子が、自ら整備した自社機に乗っていて事故に遭ったとした

ら・・・。

本気で仕事をしていたはずのプロたちは一体どう思ったのであろう

か。

本当に整備のミスだったのか・・・。

自分の心にもう一度、問いかけてほしい。それほどいい加減に整備

をしていたのか。

本当に見抜けなかったのか・・・。

(223p)

  

整備ミスと言われて、整備不良を見逃していたと言われて、

整備士はどう思ったのだろうか。

  

  

つづく

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