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2020年2月

2020年2月27日 (木)

2020福島報告(6)大熊町新庁舎へ イチゴとお米の話を聞く

  

今日は令和2年2月27日。

  

廃炉情報誌「はいろみち」第14号(2019年6月10日発行)で、

大熊町役場新庁舎の開庁が紹介されていました。☟

Epson261  

大熊食堂の後に、この大熊町役場新庁舎に出向きました。☟

Rimg2128

Rimg2129   

新庁舎を訪れた目的は、2022年に大熊町に開校予定の

学校について教えてもらうことです。

ここでも道草 ゼロ歳児から百歳までを対象とした教育施設(2019年12月17日投稿)

 

新庁舎に入って、右へ。教育総務課に行きました。

対応してくれた方に、さっそく学校について尋ねました。

そしたら、その学校についてはここでは説明できないとのこと。

会津若松市にある大熊町役場支所へ行ってほしいと言われました。

それでは明日にでも行ってみますと言ったら、

それでは事前に連絡しておきますと言ってくれました。

感謝。

それではついでにと、大熊町のイチゴとお米は購入できるか尋ねました。

17_2 おおくま通信 2019年10月発行

イチゴについては、生産は始まったが加工用のみのため、

購入することはできないと教えてくれました。

    

  

19  おおくま通信 2019年10月発行

 

お米については、年々含有放射線量は減ってきているけれど、

まだ販売していないので購入できないとのこと。

福島県のお米は、どこのお米もおいしいので、

ぜひ味わってくださいと、その方は胸をはって、

自信満々で勧めてくれました。

こりゃあ、福島のお米を買って食べてみないと思っています。

きっと実行します。

   

最後に、次に行く中間貯蔵工事情報センターへの行き方を、

地図に書いてもらいました。

ありがたい地図でした。

お世話になりました。

  

 

2020福島報告(5)廃炉情報誌「はいろみち」を知った

  

今日は令和2年2月27日。

    

大熊食堂で、「Hairo Michi」という冊子が

置いてありました。

13号、14号、15号をもらってきました。

☟ これは15号の表紙です。

Epson259  

Epson260 このタイトルについて次のような説明が書いてありました。

  

本誌の名前「はいろみち」には、

はいろ(廃炉)へのみちのり」にあたり、

はいろ(廃炉)というみち(未知)なるものへの挑戦」を

なさまのからをいただきながら」成し遂げていく、といった

意味を込めています。

ロゴのMは手を取り合って協力している「人」を表現しています。

  

頭をひねっていますね。

ネット上で、創刊号から最新号まで見ることができました。

廃炉情報誌「はいろみち」

創刊は2017年4月1日でした。

最新号は2月10日発刊の18号でした。

大熊食堂にはなかったなあ。

  

廃炉という後始末のたいへんな仕事。

このような冊子を発行することで、

世間への広報にもなるし、

作業する人たちのモチベーションも上がるだろうなと

思いました。

  

世界中にある原子力発電所は、

いつかは廃炉することになるわけで、

その作業が貴重な財産になるといいです。

  

  

「はいろみち」で紹介されている動画を2本見ました。

ほぼ1年前の映像ですが、2018年3月から2019年2月まで

どのような廃炉作業が行われたのかわかります。

わかりやすいです。ほぼ5分。


YouTube: 2019/03/07 福島第一原子力発電所~事故後8年目の歩み~(2018.3~2019.2)

  

これは、最新の動画。

2020年1月23日のものです。

2011年3月11日にどのような事故が起こり、

現在はどうなっているかを教えてくれます。

7分47秒。


YouTube: 2020/1/23(木) 「福島第一原子力発電所は、今」 ~あの日から、明日へ~ (ver. 2020.1)

動画の写真です。

 

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☝ 排気塔の上半分を解体中です。これはニュースで見たなあ。

  

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☝ 次なる津波に備えて造られた防潮堤。  

  

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☝ 汚染水を処理した水は、このタンクで保管されています。

この処理水をどうするかが、問題になっています。

  

15  

動画の最後は、次の決意が語られます。

私たちは今後も30~40年を要する廃炉作業を

国内外の叡智を結集し、多くの皆さまのご協力をいただきながら、

安全かつ着実に遂行してまいります。

  

  

30~40年。

長い!

「はいろみち」も200号を越えてしまう。

でも根気よくやってほしい。

「はいろみち」を読むと、

作業にかかわる人たちを応援したくなります。

2020福島報告(4)聖火リレーコース/黒い大きな袋は「フレコンバッグ」

  

今日は令和2年2月27日。

  

郡山市から国道288号線を通って大熊町に向かう時に

印象に残ったのは、除染で出た汚染土が入った

黒く大きな袋でした。

テレビのニュースなどではよく見ていましたが、

国道の脇にたくさん置かれた黒く大きな袋を

実際に見て、「現場に来たんだな」と思いました。

  

この大きな黒い袋には名前があったぞと思ったのですが、

思い出せずにいました。

そしたら、2月25日の朝日新聞朝刊で知ることができました。

  

「復興五輪 光と影」

「福島 聖火リレー出発地『挑戦続ける姿発信』」

「にぎわい演出 動員も ■ 汚染土 ルート外に 

 ■ 避難解除限定的」

という見出しの記事が載っていました。

  

政府は東日本大震災や原発事故からの復興を国内外に示す

「復興五輪」を掲げています。

3月26日から始まる聖火リレーの出発点は福島県です。

地元自治体も歩調を合わせ、復興と安全をアピールする

絶好の舞台と意気込んでいるそうです。

しかし、生活再建や帰還が進まない現実を前に、

被災した人々の受けとめとの落差は大きい。

  

この記事の一部写真を載せ、記憶に留めたい。

  

福島県の聖火リレールートです。☟

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今回行った、大熊町、田村市、会津若松市、下郷町、郡山市も

リレーコースになっています。

大熊町、福島市、双葉町のことなどが書かれています。  

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大熊町の写真です。☟

Epson258  

☝ この道路は自動車で走りました。

私が通った時がまさに2月18日でした。

この写真には写っていませんが、道路工事が行われていました。

その時には気づきませんでしたが、

聖火コースのための工事だったのですね。

大熊食堂は、社員寮の裏手にありました。

記事によると、町外に住む町民も合わせて500人を

集めて、聖火を迎えようと計画してるが難しいとのこと。

 

  

福島市の写真。☟

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黒く大きな袋の名前は「フレコンバッグ」でした。

しっかり覚えておこう。

福島あづま球場。

オリンピックの開会式がある2日前の7月22日に

ソフトボールの試合が始まります。

7月29日からは野球が行われます。

この球場も、フレコンバッグでいっぱいだったのですね。

 

  

双葉町の写真。☟

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大熊町よりも復興が遅れている双葉町。

福島県にいた2月19日の新聞で、次のような記事を見ました。

 

2022年の帰還開始に合わせて、

駅東側に新庁舎を建設するという記事でした。

 

  

記事を読んで、聖火リレーについてもいろいろな思いが

あるのだなと思いました。

つづく

2020福島報告(3)朝食・夕食は「大熊食堂」 昼食は?

  

今日は令和2年2月27日。

  

一昨日の記事の続きです。

  

閉店10分前の、13:50に大熊食堂に到着しました。

食堂の方から、「昨日電話してきた方ですね」との声。

「そうです、その電話した者です・

やっぱりぎりぎりになってしまいました」

  

予告通り、すでに定食はありませんでしたが、

今回の目標は、カツカレーでしたので、

迷いなくカツカレーを注文しました。

ここでも道草 大熊町の勉強「おおくま通信」「大熊食堂」(2020年2月18日投稿)

  

これがこれから食べようかと思った時に撮影した

カツカレーです。☟

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なかなかのボリュームでしょ。

店内の写真です。☟

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TBS系の「ひるおび」が終わるところでした。

 

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朝と晩は、東電社員がお客さんでやってくるそうです。

確かに社員食堂の雰囲気がありました。

大熊食堂のオープンは2017年4月17日。

まもなく3年なのですね。

  

 

東京電力の方の昼食はどうされているのかなと疑問に思いました

調べました。

EMIRA 「温かい食事」で福島の復興を支える福島復興給食センター株式会社

2015年に福島復興給食センターが大熊町大川原にできていて、

毎日、配送車で30分ほどかけて福島第一原子力発電所に

運ばれているそうです。

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一部引用します。

  

福島復興給食センター株式会社代表取締役社長の渋谷昌俊さんが、

設立の経緯を語る。

「福島第一原子力発電所で働く方々に温かい食事を

食べていただくことで職場環境を良くすることが

私たちの使命ですが、構内で大量の食事を作ることは難しい状況でした。

そこで、東京電力ホールディングス株式会社が

約9km離れた距離にある福島県双葉郡大熊町大川原地区に

給食センターを建設し、われわれが運営を担うことになったんです」

大量の調理を効率よく実現するべく、調理エリアには

最新のオール電化機器が並んでいる。

開業以来、最大で3000食もの食事を調理できることが

可能になったという。

「食事は保温・保冷容器を使用して、専用の車両で運搬しています。

福島第一原子力発電所構内にある3カ所の食堂で

1食税込み380円です。やっぱり、現地で働く方々からの

『温かくておいしかった』という声を聞くと励みになりますね」

  

これで3食大丈夫。

 

    

無事大熊食堂で食べることができましたが、

大熊食堂に来る前に「見たもの」について

次の記事で書いておこうと思います。

  

2020年2月26日 (水)

「はづ」は「HAZU」でもよかった

今日は令和2年2月26日。

  

一つ解決したことがあるので、ここに書き留めておきます。

 

ここでも道草 20200104報告 初詣で鳳来寺山/HAZUにした理由は?(2020年1月10日投稿)

☝ この記事で、「はづ」なのに「HAZU」なのは違って、

「HADU」だよなあと書きました。

 

解決しました。

  

ローマ字にもいろいろあるのです。

  

ヘボン式ローマ字 DA JI ZU DE DO

日本式ローマ字  DA DI DU DE DO

訓令式ローマ字  DA ZI ZU DE DO

  

なのだそうです。

厄介です。

日本式ローマ字を学校でも教えているので、

日本式ローマ字で日本国土では統一すればいいのに、

そうではありません。

 

鉄道駅名標や道路案内標識はヘボン式ローマ字を採用。

パスポートもヘボン式ローマ字です。

欧米の人たちの発音が、ヘボン式ローマ字に近いのでしょうか?

  

そう思って、このサイトを見ると納得します。☟

ヘボン式ローマ字について説明しています

一部引用。

  

ヘボン式の 特徴は つづりが 英語風に してある ことです。

ヘボン式は 英語の はなし手が 日本語を 読む ときの

ふりがなか 発音記号の ような ものだからです。

日本人が「英語」の 教科書に 書きこむ

「ディス イズ ア ペン」式の カタカナだと おもえば

わかりやすいでしょう。

英語を しらない 日本人でも カタカナ表記の 英語を 読めば

英語の 発音を ある程度 再現 できる ように,

日本語を しらない 外国人でも ヘボン式を 英語風に 読めば

日本語の 発音を それなりに 再現 できます。

  

勉強になった。

その他にも、このサイトには書いてあります。

ぜひご覧を。

    

  

「はづ」を外国人にも読んでもらうつもりなら

「HAZU」もありです。

「白村江」② 倭国は白村江の戦いでわざと敗北した?

 

今日は令和2年2月26日。

  

前投稿に引き続いて、

白村江」(荒山徹著/PHP研究所)

より引用していきます。

  

  

仲夏六月に入ってまもなく、最上級班に属する子供たち30人

余りは、残留組の子供たちの羨望の目に見送られ、夜明けとと

もに河内に向かった。針麻呂(はりまろ)ら数人が引率した。

胆駒山(いこまやま)から望む河内湖の全容は、豊璋たちを驚

かせるに充分だった。昔はもっと大きかったが、今では干拓が

急速に進んでいるのだという。大地に大きな鏡を嵌(は)めこ

んだように燦然(さんぜん)と光る湖には、大小数十本の河が

平野をくねりながら流れ込み、それらが描く文様は複雑で、遠

目には銀蛇、あるいは光龍(こうりゅう)が群れをなして自在

にうねくっているかと映じた。

(189p) 

  

「河内湖」について以前書いたことがなかったか検索しましたが、

見つかりませんでした。

以前から関心はあった河内湖。

この小説に登場しました。

※参考:水都大阪 古代大阪の変遷

☝ ここに載っていた地図の転載です。

History_2_2  

こんな大きな湖があったのですね。

  

  

蘇我入鹿が豊璋と田来津に語ったところ。

 

「人間は強運でなければならない」

入鹿は二人に等分に目を呉れながら言葉を継いだ。

「何事かを成し遂げる人間には努力、才覚が必要であるのはも

ちろんだが、最終的には運がものを云う。それがなければ、淘

汰されてしまうんだ。虚(むな)しいことにね。おまえたちは

二人は稀に見る強運の持ち主だ。嵐の海で死ななかったことが

一つ。二つ目には、四里の海は泳ぎ切ったーーー」

(212p)

   

歴史書に残った入鹿、豊璋、田来津は3人とも

強運だと思います。

  

 

小説のラストで、葛城皇子が豊璋らに”策略”を言う場面。

この”策略”は葛城皇子(中大兄皇子)と、

新羅の金春秋との間で結ばれた約束を含む”策略”でした。

  

「考えてもみよ、百済王。倭国が支援せぬとなれば、鬼室福信

は百済だけの力で頑張り抜こうとしただろう。他に頼る者もな

いからには団結力も強くなる道理だ。だが、なまじ倭国の軍事

的支援を期待したがために、心に緩みが生じた。それが内紛に

つながった。そして肝腎要(かんじんかなめ)のところで倭国

水軍が唐水軍に敗れて逃げ帰ったとなれば、その結果はどうな

るか。頼みの綱である倭国にそれ以上は期待することができず、

ここ周留城だけではなく、百済旧領の各地で戦っている復興軍

の将兵誰もが落胆し、再興の望みを失い、抵抗を止めてゆくだ

ろう。唐、新羅のほうでは大勝利と喧伝(せんでん)するはず

だ。その実、大した勝利でもないのだが、皆が皆、自分の目で

見たわけではない。結局は宣伝がものをいう。我らとしても、

でき得る限り敗北感を演出してみせるつもりだ」

(豊璋)「それが?そんなことが、あなたの狙いだったという

のですか?さっぱりわけがわからない。倭国に唐が敗北したと

いう汚名を内外の歴史に残し、それで何が得られるというので

す」

(葛城)「人だ」

(豊璋)「何ですって」

(葛城)「唐の制度に学んだ百済の百官百僚たち。わたしは彼

らが咽喉(のど)から手が出るほどに欲しいのだ。彼らを手中

におさめる。それがわたしの狙いだ。福信らが百済復興運動に

邁進(まんしん)し続ける限り、彼らはその指揮下で働かなく

てはならぬ。復興させる価値などない祖国のため、徒(いたず

ら)に命を捧げることになるのだ。何と虚しいことか、何とも

ったいないことか。律令の実務に通じた彼らが、そのようなこ

とであたら落命してゆくなど。・・・・・(後略)」

(429~430p)

    

葛城皇子が本当にここまで考えて、

白村江の戦いで敗北したのでしょうか?

もし本当なら、恐ろしい”策略”です。

百済という国を捨て駒にして、皇子が利を得るのです。

深謀遠慮な”策略”です。

新羅の金春秋と約束を交わし、春秋が亡くなっても、

約束は息子に受け継がれました。

16年間かけての”策略”でした。

  

  

この本を読んだことで、

白村江の戦いを生徒に教える時の心構えが変わったと思います。

葛城皇子は、わざと敗北した可能性もあると迷いながら

教えることになりそうです。

「白村江」① 高句麗の戦いの歴史

 

今日は令和2年2月26日。

  

また400p越えの本を読破しました。

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白村江」(荒山徹著/PHP研究所)

  

小説に登場した人物は、実際にいた人たちであり、

その人たちがそれぞれ意思を持って行動し、

絡み合い、一つの大きな歴史的な事件を

かたちづくっていきました。

白村江の戦いの直後は、

日本はあたふたしているイメージでしたが、

この小説そのイメージが覆されました。

白村江の戦いの理解が深まって良かったです。

  

気になった文章を、いくつか引用します。

  

新羅(漢族)の金春秋が高句麗に援助を求めに侵入。

高句麗の宰相の泉蓋蘇文(せんがいそぶん)の

息子泉男産(せんだんさん)が高句麗の歴史を語る場面です。

  

「あなたがた漢族の目には、扶餘族の国である我が高句麗など

半島の侵略者として映じることでしょう。しかし高句麗もまた、

血みどろの被侵略の歴史を負っているのです。初代王は王莽(

おうもう)の新を対手に奮戦し討死を遂げ、後漢とはしばしば

干戈(かんか)を交えました。曹魏に王都を攻め落とされ、前

燕(ぜんえん)には王宮を焼かれたのみか前王の墓を暴かれて

屍を奪われた。そして隋帝の親征を迎え撃ったの僅か30年前

のことです。そのようにして我が国は、周辺諸民族を未開野蛮

と夷狄視(いてきし)する尊大な中華王朝の侵略を受け続け、

手傷を負いつつ、これを敢然と撥ねつけてきました。中華の矢

面に立って、半島を防衛する守護者としての役割を果たしてき

たのです。」

(89~90p)

   

蘇我蝦夷が息子の入鹿に、

建設中の巨大な2人の墓を見せた時の会話です。

(入鹿)「正直申し上げて、わたしともあろう者が、今はひた

すら圧倒されております」

「莫迦(ばか)め」叱るように云いながら、蝦夷は嬉しそうだ

った。「墓の主が気後れしてどうする。ともかく、これが我ら

の力だ。力というものは、誰の目にも見えるよう可視化してお

かねばならぬ。蘇我には迚(とて)も敵(かな)わぬーーーー

常にそう思わせておくのが肝要だ」

「統治の第一条というやつですか」

「もちろん、力をひけらかすだけが能ではない。目に見えぬか

ら恐ろしい、という力もある」

「第二条、と」

「要するに車の両輪だ。可視と不可視、その二つの力を併用し

てこそ支配というものは上手くゆく。覚えておけ」

(116~117p)

  

  

今も、蝦夷と入鹿の墓と思われる墳墓が2つ並んでいます。

その墳墓の前で語られたと思われるセリフです。

  

蝦夷が、入鹿がかくまっている百済の王子、豊璋(ほうしょう)

について語る場面。

    

「奢侈華美な百済の王宮で、乳母日傘(おんぼひがさ)で育て

られたひ弱な幼子だぞ、死んでしまうのではないか」

(126p)

  

「奢侈(しゃし)」が登場!

ここでも道草 難読漢字「紙垂」「奢侈」(2020年1月16日投稿)

☝ ここで話題にしました。

こうやって頻繁に目にすることで、記憶に残ります。

 

「乳母日傘」は漢字四字熟語。昔の参考書にはなかったなあ。

意味は「子供、特に幼児が必要以上に過保護に育てられること。

乳母に抱かれ、日傘をさしかけられるなどして、

ちやほやされながら大切に育てられる意から。 引用:goo辞書  

 つづく

2020年2月25日 (火)

2020福島報告(2)すれ違うのはトラックばかり/自動二輪車等走ることができない道

  

今日は令和2年2月25日。

  

今日からお試し毎日出勤のスタートです。

今週は2時間勤務、来週は半日勤務というように、

慣らし運転をしていきます。いよいよ復職です。

それほどドキドキしないのはいい傾向でしょう。

  

では昨日の記事の続きで、福島報告を書いていきます。

国道288号線を東進しました。

田村市の2つの市街を抜けると、

道の両脇にある家の数はぐっと減ります。

山道になり、パッソではしんどい坂もありました。

これが阿武隈高地と呼ばれる山間部なのでしょう。

  

東進する自動車はほとんど見かけなくなりました。

対向車はときどきありますが、その多くがトラックでした。

フロントの窓のところには「環境省」と

書かれたカードが示されていて、

中には、フロントの中央に「環境省 除去土壌等 運搬車」という

幕が張られたトラックともすれ違いました。

いよいよ最前線に来たんだなと思いました。

しばらくはトラックと工事関係者の車しか出合わなくて、

たまに一般の人らしい乗用車に出合うとホッとしました。

大熊町に入ったら、

新しい道路の建設や道路の修繕も行われていて、

時々片側通行規制がありました。

  

「注意

自動二輪車

原動機付自転車

軽車両 歩行者

通行できません

と書かれた標識を見ました。

驚きました。こんな内容の標識を見たのは初めてです。

帰還困難地域を走っていることを

この標識で実感しました。

  

右折して県道35号を走りました。

左折すれば大熊町役場とか大野駅とか示す標識がありましたが、

その道は通行止めになっていました。

10252_2 大熊町HP

☝ 県道35号を南下すれば、

大熊町大川原地区にある新庁舎が見えるはずと思って進みました。

思ったよりも南下して、新庁舎を見つけました。

大熊食堂は近くにあるはずだ。

でも見つからない。

道路工事の警備員の人に尋ねました。

「すぐそこの道を入っていくとあるよ」

「住宅街の中にあるけど、ちょっと見つけにくいかな」

と教えてくれました。

大熊食堂を建物外観は、事前に写真を見て覚えていたので、

すぐにわかりました。

「ここだあ」

時刻は13:50

間に合いました。

  

つづく

  

2020年2月24日 (月)

「新婚さんいらっしゃい」50年目

今日は令和2年2月24日。

  

2月21日の朝日新聞朝刊より。

Epson250  

「新婚さんいらっしゃい」は50年目!

でもそうだよなあ。

私も将来結婚したら、この番組に出てのろけたいなあと

思ったことがあります。

気づいたら結婚してもう31年。

今頃行っても、参加させてくれません。

  

そうか昨年が結婚30年だったのですね。

何にも特別なことをせずにスルーしてました。

  

それでも50年も続いていたのは驚きです。

おそらく番組が始まった頃は、

愛知県での放送がなかったのではないでしょうか?

そう思ったら調べます。

  

Wikipedia 新婚さんいらっしゃいを見ましたが

よくわかりませんでした。

わかったのは、次のこと。

 

結婚(再婚も含む)してから6ヶ月以上3年以内の夫妻を

自薦あるいは他薦の形で募集

  

「6カ月以上」というのが何か面白い。

 

2020福島報告(1)国道288号線を東進/田村市

  

今日は2月24日。

   

2月18日~20日に福島県に行ってきました。

奥さんとの2人旅行です。

夜行列車等で福島県を通過することはあっても、

滞在したのは初めてです。

福島県で見聞したことを書き留めておこうと思います。

もう今年中に福島県を再訪することはないと思い、

「2020福島報告」としました。

  

私の大きな目標は2つです。

大熊町郡山市の柏屋です。

この2か所で教材研究です。

それ以外の観光で行く場所は奥さんがほぼ決めました。

  

福島県に向かう新幹線の中で、「歴史の愉しみ方」を読み、

あらためて東日本大震災と、

それに伴う福島第一原発の大事故によって、

多大な被災をした大熊町の今を少しでも見てこようと思いました。

※参考:ここでも道草 「歴史の愉しみ方」② 福島県に向かう新幹線の中で福島第一原発のことを読みました(2020年2月23日投稿)

社会科教師として、被災地を実際に見ることは大事であり、

昨年12月に長野市にボランティアに行ったのと同じ趣旨です。

ここでも道草 2019年冬長野(12)プリント「ボランティア活動をはじめる前に」(2019年12月12日投稿)

  

大熊食堂については、大熊町について調べていて、

何度か目にしていました。

でも営業時間を見たのは、旅行出発2日前でした。

11:30~14:00

  

待てよ?

確か新幹線が郡山駅に到着するのは昼だったぞ。

正確には11:59

レンタカーを借りて向かったとして間に合うかな?

調べました。

郡山駅から大熊町までの所要時間を調べました。

67km、1時間30分でした。

ぎりぎりでした。

  

閉店間際に到着する可能性があります。

それでもいいのか?

出発の前日に大熊食堂に電話してみました。

名のった後に、「明日そちらで食事をしたいのですが、

午後2時ぎりぎりに着くと思います。

それでも食事ができますでしょうか」と聞きました。

大熊食堂さんの返事。

「いいですよ。ただ定食はなくなっているかもしれません。

カレーだったら大丈夫です。」

よかったです。

とにかく午後2時までにたどり着くことに専念することにしました。

  

郡山駅を下車。

トヨタレンタカー店はあらかじめ位置を確認しておいたので

迷わずに向かいました。思ったより距離がありました。

手続きをしました。

車はパッソ。

いざ出発。東進しました。

ほとんどが国道288号線でした。

   

田村市に入ってにぎやかな街並みが2か所ありました。

なぜだろう、どちらが田村市の中心街なのだろうと思いました。

調べました。

田村市の歴史に関係しました。

Wikipedia 田村市

☝ Wikipediaによると、田村市は5町村が合併して誕生した市でした。

私がにぎやかな街並みだと思ったのは、

旧船引町と旧常葉町の市街でした。

国土地理院の地図で示します。☟ 

9 郡山市→→→→→→→→→→→→→→→→→→→→大熊町

  

7 田村市船引町(旧船引町)

  

8 田村市常葉町(旧常葉町)

  

田村市市役所は船引町にありました。

ちなみに田村市の名前の由来は、

上記のWikipediaには次のように書いてありました。

  

市名は坂上田村麻呂による蝦夷征討後、その子孫である田村氏が

この地を田村郡として代々支配してきたことに由来し、

公募により決定された。(中略)そのような歴史的経緯から

坂上田村麻呂に関する伝承が数多くあり、

市内には坂上田村麻呂伝説に由来する地名が複数存在する。

  

なるほど、坂上田村麻呂由来の市名なのですね。

どうも、田村市という市名を見た時には、

ラグビー日本代表の田村優選手が浮かんでいました。

もしかしたら、田村選手は田村市出身?

でもすぐに思い出しました。

田村選手は、私の地元の愛知県出身(岡崎市出身)でした。

  

   

 

「2020福島報告」をスタートさせました。

こうやって、少しずつ見聞したことを、

調べたことも含めて報告を作成していこうと思います。

連休中にやろうと思いましたが、とても無理です。

ゆっくり着実に仕上げていこうと思います。

  

  

つづく

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楽餓鬼

今日はにゃんの日

いま ここ 浜松

がん治療で悩むあなたに贈る言葉