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2020年2月

2020年2月24日 (月)

「歴史の愉しみ方」④ 愛知県に向かう新幹線の中で500年ごとの大地震のことを読みました

  

今日は令和2年2月24日。

  

前記事に引き続き、

歴史の愉しみ方 忍者・合戦・幕末史に学ぶ

(磯田道史著/中公新書)より引用します。

   

(岡山県)番町(ばんちょう)というところまできて、ふと小

早川秀秋のことを思い出した。そういえば、小早川秀秋の遺体

は、この番町の瑞雲寺(ずいうんじ)に埋められている。ひさ

しぶりに、見に行こうと考えた。

小早川秀秋は、岡山での人気がなかった。(磯田さんが)小学

生の頃、歴史少年だったわたしは、小早川の遺体埋葬地うぃ確

かめようと、その寺に一人で行ってみたことがある。愕然とし

た。荒れ放題。寺の屋根には草が生え、雨が漏れ、穴が開き始

めていた。とくに岡山は西軍の大将格の宇喜多秀家の地元。宇

喜多家の敗残浪人が「小早川さえ裏切らなければ」と歯嚙(は

が)みしているところへ、秀秋は入ってきた。だから、ひどい

話だが、秀秋が21歳で死んだときには、小気味がいい、と、

皆が思ったらしい。

秀秋を葬った寺についた。意外なことに、あれほど荒れていた

寺の屋根はすっかり修理されていた。「岡山城主小早川秀秋公

菩提寺」の真新しい標柱も立っていた。

時がたてば、秀秋への恨みさえ浄化され癒されるものらしい。

(124p)

   

最近の瑞雲寺の様子が、ここでわかりました。☟

ロードスターと戦国史跡ツーリング 瑞雲寺 『小早川秀秋の墓所』

磯田さんが、小学生の時に見た瑞雲寺と、

写真で比較したかったですね。

寺の住所は、岡山県岡山市北区番町2丁目6−22 

岡山市に行くことがあった時には、ぜひ訪れたいです。

  

  

太平洋の沿岸には、だいたい500年に1回ほどの周期で、超

巨大大津波がきている。

この500年に1度の「強いほうの東海大地震」が、最後にこ

の国を襲ったのは、室町時代で、明応大地震・明応大津波(1

498年)とよばれる。この地震津波の超絶した大きさは、鎌

倉の大仏の大仏殿を押し流し、大仏殿を裸にした可能性が高い。

さらには砂丘を破壊し淡水湖の浜名湖を海とつなげた。京に近

い湖が琵琶湖で近江(ちかつうみ)、京に遠い湖が浜名湖で遠

江(とおとうみ)だったのを変えたすごい地震である。

運の悪いことに、われわれは、この明応地震からちょうど500

年後の世界に生きている。次は強いほうの東海大地震、人口集中

地に15メートルの巨大津波がきても不思議ではない時期にさし

かかっているといっていい。

(150~151p)

  

前記事に書いたように、薩摩人の詮議のように、

巨大地震が来たらどうするか、どんな準備をしたらいいのかを

考えないといけないと思います。

先日、保険については確認しました。

一安心。次は・・・・・

  

  

さらに困ったことがある。新幹線のことである。2012年2月

2日付の『産経新聞』の記事で96歳の旧国鉄総裁の仁杉巌(に

すぎいわお)さんが重要な証言をされていた。国鉄は新幹線ルー

トを決める時、津波のことを全く考えなかった。大津波がくると

新幹線は、浜名湖付近と焼津付近の二か所で津波にやられる。迂

回ルートを作って対策したほうがいい、と、いっておられた。仁

杉元総裁は技術系出身の総裁で土木の専門家である。現在、新幹

線は10分どころか過密時には3分間隔で発車している。しかも

浜名湖付近では高架も低く海面に近いところを走行している。震

度6~7では新幹線は脱線に耐えるのがせいいっぱい。地震後、

曲がった線路を走るのは絶望的で、かりに15メートル近い津波

がくれば、新幹線の架線は5キロ、10キロと、水没する可能性

がある。上下線で悪くすると四編成が被害をうけることも考えら

れる。新幹線は一編成の定員が1300人。四編成やられた場合、

さらに東海道線もあるから、阪神大震災に相当する死者をここだ

けで生じさせるかもしれない。

(155~156p)

  

  

この部分は、東京から愛知県に戻る新幹線の中で読みました。

切実な内容でした。

もしかしたら偶然が起こるかも?と思っていました。

  

う~ん、ここまでにします。

「歴史の愉しみ方」からの引用を終えます。

磯田さんはとても歴史を愉しんでいました。

気になったことをほっておかないで追及することで、

おもしろい展開になり、愉しめることを

実践で証明してくれました。 

「歴史の愉しみ方」③ 詮議/変通

  

今日は令和2年2月24日。

  

昨日の記事に引き続き、

歴史の愉しみ方 忍者・合戦・幕末史に学ぶ

(磯田道史著/中公新書)より引用します。

  

司馬(遼太郎)さんは、明治人のリアリズム、とりわけ、薩人

(さつじん)(幕末の薩摩人)の的確な判断力について書いて

いる。薩人が、幕末政局をあやまたず、新政府を樹立するまで

の道のりを鮮やかに描いた。倒幕は薩長土肥の共同作業のよう

に語られるが、その実は違う。薩摩の、それも西郷や大久保な

どのごく一部の薩摩人が、恐るべき才覚でもって、まわりを巻

き込み、彼らが絵を描いて、革命にもっていったものである。

近年の幕末政治史の研究が、次第に、その実状を明らかにしつ

つある。

薩摩は、あるいは、日本のなかの例外かもしれない。薩人には、

「もし、こうなったら」とあらかじめ考えておく「反実仮想」

の習慣があった。(中略)薩人は、これから起きうる事態を事

前に想定し、対処のすべてを用意することに長けていた。薩人

の判断力の正体は高い反実仮想力であったといってよい。これ

を鍛えたのは、薩摩の郷中(ごじゅう)教育の「詮議(せんぎ)

」であった。薩摩では詮議と称し、子どもに色々と仮定の質問

をなげかけて教育した。「殿様に急用で呼ばれた。早馬でも間

に合わないときは、どうするか」「道を歩いていて脇の塀の上

から唾(つば)を吐きかけられたら、どうするか」など、仮定

の質問を子どもに問い、考えさせる訓練が繰り返された。

(67p)  

  

ついつい考えたり準備したりすることを後回しにしてしまい、

その時になってあわててしまうことは多々あります。

「詮議」大事です。

自分に問いを課して、自分の考えを出しておいたり、

準備をしておくことは大事だと思います。

「新型コロナウィルスに自分が罹患したらどうするか」

「家族が新型コロナウィルスに罹患したらどうするか」

など、今は考えておくといいかもしれません。

  

  

この国では1800年前後、寛政期あたりから、学校化が始ま

った。まず、武士からこの流れにまき込まれ、江戸前期には、

藩校はあっても自由登校であったのに、幕末までに、かなりの

藩で出席が義務化された。明治以降になると、学校への出席義

務は拡大、庶民までのみこまれ、現在に至っている。メリトク

ラシーとよばれる能力選抜主義に、下級武士から順次のみこま

れていったが、近代になっても、皇族・華族は学校化に対して

割合に超然主義を貫いていた。

(111~112p)

 

今の学校教育は、過去からずっと行われてきたものではなく、

まだまだ新しい制度なのです。

それなのに、こうでなくてはならないという面がたくさんあります。

まだまだ変化していくものだと思います。

みんな一斉にの教育から、個々に合わせた教育に移行中と思います。

ICTを利用した教育に、あと2年間、取り組んでいきたいです。

変化していくのが当たり前。

  

19世紀の日本人の強みは「世の中は変わる。人智と機械は進

歩する」と信じ「過去にとらわれず自らを変える」のに躊躇し

なかったことである。当時、これを「変通」といった。変化に

通ずるという意味である。

(89p)

2020年2月23日 (日)

「歴史の愉しみ方」② 福島県に向かう新幹線の中で福島第一原発のことを読みました

  

今日は令和2年2月23日。

  

前記事に引き続き、

歴史の愉しみ方 忍者・合戦・幕末史に学ぶ

(磯田道史著/中公新書)より引用します。

  

昭和15(1940)年2月2日、兵庫県出石(いずし)出身

の衆議院議員議員斎藤隆夫は歴史に残る国会演説をした。政府

軍部のすすめる大陸政策はおかしい。そもそも中国全土を日本

は占領できない。泥沼化した日中戦争の目的もはっきりしない。

聖戦の美名に隠れて「国家百年の大計を誤るようなことがあり

ましたならば現在の政治家は死しても其の罪を滅ぼすことは出

来ない」。そう斎藤は叫んだ。本当のことだった。彼のいう通

りにしていれば日本の運命も変わっていただろう。5年後のみ

じめな日本の破滅を予見するような演説であった。しかし時の

国会は誤った。斎藤を国会から除名。賛成296、棄権144。

反対はわずか7。斎藤の演説も議事録から削除された。さらに

斎藤には脅迫がつづいた。自決用の短刀が送りつけられ、斎藤

は暗殺を覚悟した。せめて殺される前に自分の思いを記そうと

思ったらしい。色紙に漢詩をしたためた。私が見つけたのはそ

のなかの一枚であった。

  

吾が言は即(すなわ)ち是(こ)れ万人の声

褒貶毀誉(ほうへんきよ)は世評に委(まか)す

請う百年青史の上を看(み)る事を

正邪曲直おのずから分明

  第七十五帝国議会去感  齋藤隆夫

  

読んで涙が出てきた。斎藤は「百年後の歴史の上」をみて国を

誤らぬよう命懸けで自説を述べたのだ。

(53~55p)

  

  

この話は、以前テレビ番組で再現ドラマをやっていました。

印象に残っていました。

調べた限りでは、録画はしていなかったようです。

でも文献に当たれてよかったです。

  

  

2011年3月11日に始まる東日本大震災。

福島第一原発の大事故。磯田さんは次のように書いています。

  

わたくしは怒りをおぼえる。電力会社の幹部や原発の権威者に、

ではない。平成の今になって、わたくしたちが目にしたのは、

「立派な現場・駄目な指揮・とんでもない兵站(へいたん)」

であり、「想定は外、情報は内」という、あいも変わらぬ、こ

の国の姿であった。「これこそが司馬(遼太郎)さんが生涯か

けて、筆の力で、日本人に更改をせまったものではなかったか。

昭和のあの戦争の失敗の時から、われわれは、なんにも変わっ

ちゃいないじゃないか」。(中略)

そもそも、今回の事態は、行きがかりの現状を自然に受け容れ

すぎる日本人の心性が「あだ」になった面がある。とくに、安

全基準の扱いがそうだった。原発でも建物でも新しい安全基準

ができると、それをクリアするまで稼働・使用しない、という

ことができない。それで新しい原発はさすがに高台に作ってあ

ったが、古い原発は5.7メートルという恐ろしい甘い想定の

ままで稼働を続けていて、破滅的事故に至ってしまった。日本

における安全の考え方は「これまでの物は仕方がない。これか

ら作る物は安全に」というものであった。優しい自然に育まれ

た日本人には環境への甘えがあって、最悪の事態は考えないこ

とにしがちである。

日本人は、現状を追認するものではなく改善すべきものだ、と

肝に銘じねばなるまい。

(65~66p)

  

私は先日福島県に行ってきました。

原発のある大熊町にも行ってきました。

この文章は、行きの新幹線の中で読みました。

大熊町をしっかり見てこようと思わせたものでした。

  

「歴史の愉しみ方」① 映画「武士の家計簿」を見始めました

  

今日は令和2年2月23日。

  

また次の本の引用をしたいと思います。

最近のブログ記事は、

本の引用ばかりと言われちゃいますね。

最近はよく本を読みます。

ほとんど図書館から借りる本です。

いいなと思った文章を、ここに書き留めておかないと、

そのいい文章に一生出合わないかと思ったら、

止められません。

  

でも「パラアスリート」のように、

記事が15本にもなってしまうと、

時間がかかってしまいます。

それだったらもっと読書すべきかなとも思います。

  

絞って絞って引用しようと思います。

できるかな?

  

今度読んだのはこの本。

歴史の愉しみ方 忍者・合戦・幕末史に学ぶ

(磯田道史著/中公新書)

ハマコウさんに教えてもらって読むことにした本です。

※参考:いま ここ 浜松  江戸時代の「津波避難タワー」 磯田道史(『歴史の愉しみ方』中公新書 2012年より)

  

引用します。

  

昨今の歴史小説には、物足りないところを感じている。

というのも、やはり小説は小説、漫画は漫画なのであって、本

物の歴史とは違う。歴史物の作品がたくさん書かれて、世の中

の歴史知識は明らかにふえているのだけれども、どうも実体験

に基づかない架空の物語がふえていて、わたしが知りたいと思

っている「本物の歴史像」から離れていってしまっている感が

ある。

(ip)

  

生の古文書や漢文体の資料を読んで、

それに基づいた物語ではないということです。

 

誰かがすでに書いて活字になった本をもとに想像をふくらませ

て」歴史を書くようになってしまっている。これでは現物・現

場・実体験の歴史から離れていってしまうのはあたりまえであ

ろう。

わたしが知りたいのは「歴史のほんとう」である。歴史のほん

とうが、隠されていれば隠されているほど、探り出すことに興

味を感じる。

(iip)

  

磯田さんのような人だと、想像をふくらませただけの小説では

物足りないんだ。なるほど。

 

歴史には出会いがある。かつて、私は『武士の家計簿』(新潮

新書)という本を書いた。古本屋で、猪山(いのやま)という

加賀藩士がつけた家計簿をみつけ、幕末から明治の武士家族の

生き方を描いた。そしたらもう亡くなってしまった森田芳光さ

んが映画に撮ってくれた。

(28p)

  

映画「武士の家計簿」を録画したことがあるぞと思って調べたら、

何と3回も録画していました。

2010年の映画です。

今回、この本を読んだのを出会いと考えて、

映画を見始めました。

  

坂本龍馬がすごいと思われているのはいわゆる「船中八策」や

「新政府綱領八策」で二院制議会や陸海軍局の設置など新国家

のデザインを描いたとされるからだ。実は龍馬のこれらの構想

はすべて横井(小楠)の受け売り。本当にすごいのは横井であ

ろう。

勝海舟は「おれは今までに天下で恐ろしいものを二人見た。そ

れは横井小楠と西郷南洲とだ」といっている(『氷川清話』)。

横井はわずかな情報から国の行くべき道を洞察する天才。

(40p)

  

「わずかな情報」から洞察する力はあこがれます。

  

   

つづく

 

  

パラリンピック〈28〉 「パラアスリート」⑮ マセソンさんの考える「インクルーシブ」

  

今日は令和2年2月23日。

  

前記事に引き続き、

パラアスリート」(山田清機著/PHP研究所)

より引用します。

   

【IPC教育委員 マセソン美季/ませそん・みき】

  

著者は、マセソン美季さんと対談しています。

マセソンさんの発言を引用します。

  

国際パラリンピック委員会が掲げているパラリンピック競技大

会開催の究極の目的は、パラリンピックムーブメントを通じて

インクルーシブな社会を創出することです。

(271p)

  

「インクルーシブ」に反応しました。

マセソン美季さんの言う「インクルーシブ」とは。

  

 

インクルーシブな考え方とは、世の中には多様な人が存在して、

しかも工夫すれば誰もが活躍できるようになるということが最

初から頭にある、ということだと私は思います。そうした考え

の持ち主がつくるモノは、当然、多様な人の存在を前提として

いる。成人男性だけでなく、女性や子どもも、お年寄りも障が

いのある人も、外国人もそれを使うことを前提としている。モ

ノだけでなく、サービスや法律も多様な人の存在を前提として

つくられるようになるので、誰も排除されない社会になるでし

ょう。

(277p)

  

(著者)そもそもの発想がインクルーシブならば、わざわざバ

リアフリー化をする必要はないということですね。

(マセソン)すべてのモノやサービスがそういった考え方でつ

くられることが当たり前になれば、みんなにとって居心地の良

い社会ができあがると思うのです。環境が整えば、誰も排除さ

れないし、誰かを特別に配慮する必要もなくなる。それこそイ

ンクルーシブな社会だと私は考えています。

(279p)

   

  

(著者)連載を通して常に私の念頭にあったのは、むしろ「障

がい者であるパラアスリートに、どのような配慮をすればいい

のか」ということでした。特に脳性麻痺や知的障がいの方には

どう接していいかがわからず、正直言って取材が辛い場面もあ

りました。

(マセソン)自覚はなくても、大きな偏見に邪魔されていたの

かもしれませんね。

(著者)そうかもしれません。

(マセソン)残念ながら、日本では街中で障がいのある人に出

会う機会がとてもすくないので慣れていない。だから、ぎこち

ない対応になるのではないかと考えることがあります。

  

そうかもしれませんね。

  

  

著者がマセソンさんの「インクルーシブ」をまとめています。

  

(著者)マセソンさんのお考えになるインクルーシブな社会と

は、障がい者に特別な対応をしなくても、障がいのある人が自

分のことを自分でできる仕組みがある社会なのですね。それが

「合理的な配慮」の本来の意味なのかもしれません。

  

これが理想であって、そこに向けてひとつひとつできる

「合理的な配慮」をしていきたいと思います。

  

  

  

以上で「パラアスリート」の引用を終えます。

15記事になってしまいました。

パラリンピック〈27〉 「パラアスリート」⑭ ゴールボールの深さ

  

今日は令和2年2月23日。

  

前記事に引き続き、

パラアスリート」(山田清機著/PHP研究所)

より引用します。

  

【ゴールボール選手 小宮正江/こみや・まさえ】その2  

  

著者は2019年2月3日、「天皇陛下御在位30年記念

2019ジャパンパラ ゴールボール競技会」を観戦しています。

  

この大会ではラジオの貸し出しが行われており、試合会場内の

ブースから放送される実況中継でリアルタイムで聴くことがで

きた。

(243p)

  

会場を静かにさせるくらいなので、このラジオはイヤホンで

聞くようになっているのだろうか。

興味を持ったので調べました。

ニッポン放送NEWS LINE 音を使った究極の心理戦「ゴールボール」ってどんな競技?

☝ ここで紹介されていました。

Gb08  

骨伝導イヤホンだそうです。

  

  

投球方法には、テイクバックしてボーリングのように投げる方

法と、選手自らが一回転して投げる回転投げの二種類があるが、

回転投げの場合は手からボールが離れるまで鈴の音がしにくく、

テイクバックして投げる場合はテイクバックの最中も鈴の音が

聞こえる。セブタ(トルコ)はテイクバックと回転投げの両方

を使いこなすことができるという。

(244~245p)

  

ここで驚きです。

ボールが転がった時の音・振動だけでなく、

手から離れる前の音も貴重な情報源だったのです。

  

  

ラジオで解説を聞きながらよくよく試合を観察していると、ゴ

ールボールが音をめぐる情報戦であることがわかってくる。攻

撃側は、左のウイングが投げる際にわざと右のウイングも足を

踏みならしてみたり、投球する選手にもうひとりの選手が寄り

添って一緒に助走をし、どちらが投げるかわからないようカム

フラージュをしたり、つまり、相手の耳を攪乱しようとする。

一方、防御する側は、センターの選手を中心にして、相手がど

こから球を投げてくるか、球筋は直球なのかクロスなのかを予

測し合って、その都度、ディフェンスの陣形を変えていく。

日本代表のディフェンスは、センターの浦田がかなり前寄りの

ポジションを取っている。これは、センターがなるべく前の位

置にいたほうが、相手の投球コースを狭めることができる(面

を殺せる)からだが、浦田が捕球に失敗すると、両ウイングの

選手が確実にカバーに入る。コートの中の様子が、見えている

ようにしか思えない。

(245p)

  

ゴールボールの深さがわかる文章です。

次の動画も参考になりました。☟


YouTube: ゴールボール観戦が100倍楽しくなる動画

    

アソウ・ヒューマニーセンターは、福岡県中央区に拠点を置く

人材派遣会社である。小宮は同社のなかの「障がい者スポーツ

雇用センター シーズアスリート」に所属する社員であり、現

役引退後も社員として働くことを前提として同社に雇用されて

いる。東京パラリンピックを目前にして企業に雇用されるパラ

アスリートが増えているが、これまで取材したパラアスリート

の多くが「アスリート雇用」と呼ばれる契約を結んでいた。ア

スリート雇用とは、文字どおり「アスリートとして雇用してい

る/されている」という雇用形態であり、したがってアスリー

トとしての寿命が尽きてしまえば、それまでの雇用関係の見直

しを余儀なくされる可能性がある。

現在、パラスポーツの関係者の多くが”パラバブル”という言葉

を使うが、少なくとも東京パラリンピックが閉幕するまでは、

パラアスリートの存在は世間の耳目(じもく)を集め続けるこ

とが予想される。パラアスリートを雇用していることは企業の

イメージ向上につながるだろう。

では、東京パラ後はどうなるだろうか。パラスポーツが世間か

ら現在ほど注目されなくなったとき、パラアスリートを雇用し

続けることは企業にとってどのようなメリットがあるだろうか。

選手生命がつきてしまったパラアスリートは、実務経験の乏し

いひとりの障がい者にすぎないのだ。

(252~253p)

  

先日、東京パラリンピック後のパラスポーツの費用についての

対策会議があったことをニュースで見ました。

パラスポーツ関係者にとって、今はいいけど、

パラリンピック後は不安であるということでした。

文中に出てきた「シーズアスリート」については、

次の動画が参考になりました。

ゴールボールについても勉強になります。


YouTube: シーズアスリート

  

  

まだつづく。

パラリンピック〈26〉 「パラアスリート」⑬ ゴールボールの基礎知識

  

今日は令和2年2月23日。

  

前記事に引き続き、

パラアスリート」(山田清機著/PHP研究所)

より引用します。

  

【ゴールボール選手 小宮正江/こみや・まさえ】

  

小宮正江は、ゴールボールの世界で「レジェンド」と呼ばれる

存在である。小宮は日本の女子ゴールボールチームが初めて出

場した2004年のアテネオリンピックで銅メダルを獲得する

と、北京、ロンドン、リオと4大会連続でパラリンピックに出

場。2012年のロンドンパラではキャプテンを務め、チーム

を優勝に導いている。まさん、レジェンドと呼ぶにふさわしい

経歴の持ち主なのである。しかし、小宮正江の顔と名前を知っ

ている人は、ほとんどいないのではないか。いや、それ以前に、

ゴールボールという競技の存在自体を知っている人が、いった

い何人いるだろうか。

(237p)

  

競技の存在はうっすら知っていましたが、その深さについては

この本を読んで知りました。

いかに薄っぺらい知識であったと知らされました。

もちろん小宮さんの名前も知りませんでした。

この本を読んだ後だったので、2月17日に小宮さんが、

5年連続でパラリンピック代表に選ばれたニュースに

反応できました。

Cs_01 麻生看護大学校HP

☝ 右が小宮正江選手。左は同じく代表に選ばれた浦田理恵選手。

  

パラスポーツは、車いすバスケや車いすテニス、パラ陸上、パ

ラ水泳などのように、健常者スポーツに原型があって、それを

障がい者向けにアレンジしたものと、ボッチャのように最初か

ら障がい者のためにつくられたスポーツに大別できる。

ゴールボールは健常者のスポーツに原型をもっていないから後

者に属することになるが、ボッチャの試合はクラス別に行われ

るのに対し、ゴールボールの試合は全クラスが一緒に行われる。

障がいの程度によって選手を分けるのではなく、参加者全員が

最重度(全盲)に合わせることによって障がいを均一にしてし

まうのだ。

その結果、コートの中では完全に平等な状態が実現しており、

障がいの軽い・重いは意味をもたないのである。

(241p)

   

フムフムです。こうやって基礎知識を確認します。

次の基礎知識。

  

ボールはバスケットボールとほぼ同じサイズの7号球で、非常

に硬い素材でできている。重さは1.25キロとバスケットボ

ールのほぼ2倍。中が空洞になっていて鈴が入っているから、

動くと音がする。選手はこの音を頼りにボールの軌道を予測し、

ボールの来る方向に体を投げ出して捕球するのである。

プレーがはじまるときは、審判が必ず、

「Quiet Please!」

と観客に向けて注意を促す。ゴールボールは音と振動がすべて

のスポーツだから、プレー中に声援を送ることはご法度なので

ある。

(243p)  

 

バスケットボールの重さの2倍というのは、

振動を生じさせるための重さなのでしょう。

   

つづく。

  

パラリンピック〈25〉 「パラアスリート」⑫ 車いすに向いた身体と操作

  

今日は令和2年2月23日。

  

前日の記事に引き続き、

パラアスリート」(山田清機著/PHP研究所)

より引用します。

パラスポーツに対して理解が深まる本です。

  

【パラ陸上選手 鈴木朋樹/すずき・ともき】その2

  

鈴木の上体は文字どおりの逆三角形をしていて胸板も厚い。脚

ではなく車輪で漕ぐのだから当然と言えば当然なのだが、鈴木

の体には、競技力に直結するある秘密があった。

「僕は身長が167センチなのですが、両手を広げた幅が190

センチあるんです」

一般的に両手を広げた幅(ウイング・スパン)は、身長とほぼ

イコールだと言われている。しかし、鈴木のウイング・スパン

は、身長よりも20センチ以上も長い。つまり、腕が桁外れに

長いのである。

「腕が長いと、車輪の一番高い位置から低い位置まで手が届き

ますよね。その間ずっと車輪に力を加え続けることができるの

で、強いパワーを出せるんです」

腕が長いだけでなく、鈴木の肩の動きも車いすを漕ぐのに適し

た動き方をするという。

「最近になってわかってきたのですが、健常者の人の車いすの

漕ぎ方と僕の漕ぎ方はぜんぜん違う。僕の体の構造は、車いす

を濃くために特化していたんですね」

(220p)

  

鈴木は乳児の時代に大怪我を負ったことで、車いすの操作に適

した身体を発達させてきた。それが現在、アスリートとしての

鈴木の大きな武器になっている。そして、鈴木には障がい者で

あるという意識がない。

(222p)

  

鈴木さんは生後8か月の時に、交通事故に巻き込まれて

脊髄を損傷しています。

ほぼ生まれた時からの車いす生活が、

車いすに向いた身体をつくり、操作も長けたものとなったようです。

見てみたくなりました。


YouTube: 【公式】PARA☆DO!<#95鈴木朋樹選手>

6  

う~ん、私にはどう操作が違うのかはわかりませんでした。

2020年2月22日 (土)

パラリンピック〈24〉 「パラアスリート」⑪ 車いすの陸上競技の醍醐味を知ったのは・・・

  

今は令和2年2月22日22時22分22秒

の2時間ほど前です。

  

前記事に続いて

パラアスリート」(山田清機著/PHP研究所)

より引用します。この本からの引用は大量になってきました。

  

【パラ陸上選手 鈴木朋樹/すずき・ともき】

  

鈴木は言う。

「車いすの陸上競技は、健常者の陸上競技よりもむしろツール

・ド・フランスのような自転車レースに似ていると思います。

前を走る選手の後ろにピタリとつけて風をよけながら、どのタ

イミングで勝負に出るかを考える。勝負をかけるために、最適

なポジションを奪い合う。そうしたひとりひとりの選手の思惑

が絡み合って、レースが展開していきます。それがわかってく

ると、見ていて面白い競技だと思います。」

(219p)

  

この車いすの陸上競技の醍醐味は、

だいぶ前に味わったことがあります。

その番組は、ビデオテープに収まっていて、

生徒たちにも見せた覚えがあります。

道徳の時間だったと思います。

どの番組だったか調べました。

  

すぐに見つかりました。

番組名は

「プライム11 その腕で走れ 車いすランナーの熱き闘い

放映されたのは、1995年の11月25日。

25年前の番組でした。

車いすマラソンを扱っていました。

    

少し再生して、番組で登場していた選手名を思い出しました。

ハインツ・フレイ(フライ)(1958年生まれ)

絶対王者でした。

その王者に迫ろうとしていた日本人選手が

室塚一也(むろづかかずや/1964年生まれ)

※参考:Wikipedia ハインツ・フライ Wikipedia 室塚一也

お二人とも、その後も輝かしい戦績を残されていました。

 

本の文章から、ずっと過去に見た番組を思い出せたのは

大きな収穫でした。

その番組が今も手元にあって再生できました。

過去が現在になりました。

   

この番組で私は、車いすの陸上競技の醍醐味を知りました。

パラリンピック〈23〉 「パラアスリート」⑩ 断端 足の切断面の名前 

  

今日は令和2年2月22日。

  

前記事に続いて

パラアスリート」(山田清機著/PHP研究所)

より引用します。

  

【パラ陸上選手 佐藤圭太/さとう・けいた】

  

足の切断面を「断端(だんたん)」と呼ぶ。義足を装着すると

きには、断端を覆う靴下のようなシリコン製のライナーを履い

てから、ソケットと呼ばれる筒状の部分に断端を入れる。こう

した緩衝材を使わないとソケットにピタリとジョイントしない

し、断端に傷ができてしまうという。

(佐藤)「特に足を切った当初は断端が薄い皮膚で巻いている

だけで、足の裏のように皮が厚くなかったので、簡単に傷がで

きてしまいました。だんだん皮が厚くなってはきますが、断端

にすべての荷重を受けるので、ちょっとしたことで傷ができや

すいですね。」

(198p)

   

足の裏の皮は厚くなっていて、保護されていることを知りました。

足の裏に感謝です。

  

ちなみに、佐藤が初めて使った義足は「今仙(いません/今仙

技術研究所)」という日本のメーカーの義足だったが、世界的

にはドイツの「オットーボック」とアイスランドの「オズール」

というメーカーが二大勢力だという。モノづくり大国日本の製

品が、義足に関してはこの二社の後塵を拝しているというのも

意外なことである。

(200p)

  

佐藤の(現在の)義足を手がけているのは、このランニングス

タジアムのラボに入っている「Xiborg(サイボーグ)」である。

Xiborgは2014年にソニーコンピュータサイエンス研究所研

究員の遠藤謙が為末大らとともに設立したベンチャー企業だ。

競技用義足だけでなく、ロボット義足や途上国向けの低価格義

足の開発なども行っている。

(205p)

  

佐藤は、義足がフィットしていないと断端に荷重がかかってい

るように感じるが、フィットしているときはつま先に荷重がか

かっているように感じると言う。つまり、無い足があるように

感じられるというのだ。裏返して言えば、足が無いことを忘れ

させてくれる義足こそ、ベストな義足ということになるだろう。

(207p)

   

遠藤は、”義足のメガネ化”を目指しているということかもしれ

ない。それが実現されれば、足が無いことを忘れさせてくれる

だけなく、「その義足おしゃれだね」などという会話が自然に

交わされる世の中になるのかもしれない。

(207p)

  

だが、現在の義足はまだ過渡期にある。そして、過渡期である

ことを象徴する存在が、義足の走り幅跳びジャンパー、マルク

ス・レームと、義足のランナー、オスカー・ピストリウスだと

いう。

(遠藤)「ふたりとも義足のアスリートでありながら、レーム

はオリンピックへ参加が認められず、ピストリウスは認められ

ました。では、いったいふたりのどこが違ったのかといえば、

レームがオリンピックに出ると金メダルをとってしまう可能性

があり、ピストリウスにはその可能性はほぼなかったというこ

とに尽きます。健常者は無意識のうちに義足の人の運動能力は

自分たちよりも劣ると思っており、その認識が脅かされない範

囲では『義足なのに頑張っているんだから(オリンピックに)

出してあげよう』と考える。しかし、義足のアスリートが健常

者に勝ってしまった瞬間、義足はズルいとなってしまうのです。」

(208p)

  

義足に関する勉強ができる章です。

マルクス・レームが8m50cmを跳んだ時の映像です。☟


YouTube: 【パラ陸上】マルクス・レーム 8m50‼︎ 東京2020 1 Year to Go 世界記録チャレンジ

 

次の映像は2012年ロンドンオリンピックでのオスカー・

ピストリウス。400m準決勝。8位であったため決勝進出ならず。☟


YouTube: Oscar Pistorius runs 400M London Summer Olympics 2012

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