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2018年11月

2018年11月13日 (火)

JICAの活動「Dream~みんなの学校が開く未来」その2

 

今日は11月13日。

  

ドラマ「僕らは奇跡でできている」を見ました。

私には元気が出るドラマです。

寝ちゃおうかなと思ったけど、

道草してから寝ようと思いました。

昨日の続きです。

私の好奇心は、アフリカの教育に注目しています。

  

次の動画の読み物化です。

  

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村の大人A:子どもたちは村の宝だ。

村の大人B:男も女も関係ない!子どもたちには勉強が必要だ!

村の大人C:だから学校に協力したんだ!

村の大人D:俺たちみんなでね!

村の大人E:僕は机や椅子の修理をしたんだ!

村の大人F:お金を集めて文房具を揃えたり

村の大人G:村のみんなで考えたのよ!

村の大人B:子どもたちのための、みんなの学校だ!

  

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ハリマトゥ・ハディ(25歳):そう!みんなの学校が

  私に勉強する機会を与えてくれたんです!

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  そして、諦めかけていた未来が、夢が

  手の届くところに・・・・

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ここまでで約2分。

10年前に比べて、ハリマトゥ・ハディさんも、

そして周囲の大人たちの考え方が変わったことが、

よくわかる映像です。

 

ハリマトゥ・ハディさんの住む国は、

ニジェール。

Photo_32 Yahoo!地図

 

JICAはニジェールの教育にどうかかわったのでしょうか?

JICAのHPにも説明があります。

JICA HP みんなの学校:住民参加による教育開発プロジェクト

↑ ここを見ると、「みんなの学校」プロジェクト

説明を読むことができます。

このプロジェクトの期間は2012年5月~2016年5月でした。

したがって、今回紹介している動画ができた年までのプロジェクトでした。

  

この説明でもいいが、動画がやはりわかりやすい。

また明日以降、読み物化していきたい。

今晩はおやすみです。

「合計特殊出生率 国別ランキング」(2016年)を載せます

 

今日は11月13日。

  

地理の教科書に「出生率」という言葉が出てきます。

現在どのような状態なのか、調べました。

グローバルノート 世界の合計特殊出生率 国別ランキング・推移

  

このサイトの写真を載せます。

ここで言う「出生率」は「合計特殊出生率」です。

女性1人が一生で出産する子どもの平均数。

 

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地理の教科書に次のような記述がありました。

 

インドの人口は約13億人(2016年)で、

出生率が高いため、2022年ごろには

中国をぬいて人口が世界一になると予想されています。

「新編新しい地理」東京書籍 54p 

  

これについて検証してみます。

インドの出生率は95位で、2,33。

中国の出生率は163位で、1、62。

ここからも、インドがいずれ中国の人口をぬくことが

予想されます。

  

日本の出生率は184位で、1,44。

2より少ないということは、

人口が減っていくということ。

そういうことです。

 

  

JICAの活動「Dream~みんなの学校が開く未来」その1

今日は11月13日。

  

アフリカのことを調べていると、

「JICA」がよく出てきます。

「JICA」とは?

  

「JICA」のHPを見てみました。

JICA 独立行政法人 国際協力機構

  

「JICA」について次のように説明していました。

  

独立行政法人国際協力機構(JICA/ジャイカ(注))は、

日本の政府開発援助(ODA)を一元的に行う実施機関として、

開発途上国への国際協力を行っています。

(注)JICA/ジャイカは

Japan International Cooperation Agencyの略称です。

   

そして今回は次の動画に注目。


YouTube: 【1/6】【JICAの教育協力】Dream ~みんなの学校が開く未来~(12:12)

  

読み物化していきます。

  

下のような2006年の少女の訴えから始まります。

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ハリマトゥ・ハディ(15歳):私は、みんなに訴えたい。

  お父さん、お母さんに訴えたい。

  あなたたちは、私を学校に行かせなかった。

  あななたちは、私から勉強する機会を奪った。

  私も国のため、社会のために働きたかったのに・・・

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ここで場面は、15歳のハリマトゥ・ハディさんの

映像の前にいる現在(2016年)の

ハリマトゥ・ハディさんにクローズアップします。

 

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ハリマトゥ・ハディ(25歳):あの頃の私は、

  全く将来の夢を描けませんでした。

  毎日、家の手伝いに明け暮れ、

  行きたくても、学校に行けない日も多く、

  授業についていけませんでした。

  当時は村の誰しもが、

  女の子には勉強は必要ないと考えていて、

  私はもっと勉強したかったけど

  仕方なく受け入れていたのです。

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  でも、少しずつ変わった!

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何が変わったか?

また今晩、この続きをうっていきたいです。  

  

 

  

 

話は変わって・・・・

サイドバーに掲載しているブログのうち、

「楽餓鬼」の次の記事に注目。

楽餓鬼 鬼室神社,白村江の戦い後・その1 (11月12日記事)

また行ってみたい場所が増えそうです。

その2以降が掲載されてから、このブログでも特集したい。

2018年11月11日 (日)

先週の雲もよかった/11月7日、9日の雲

今日は11月11日。

  

前投稿で雲のことを書きました。

今回は、先週撮った雲の写真を並べます。

秋の雲はいいです。

 

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以上、11月7日朝の撮影。

この雲は、生徒たちと一緒に見ました。

次は同じ日の夕方撮影。

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11月9日。雨が止んだ直後の空です。↓

午後3時20分頃の西の空です。

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出張先で仕事をしている間に、西の空は変わりました。↓

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こんな雲もありました。↓

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雲を撮った場所の近くで見かけました。↓

カメラの汚れが悔しいですね。

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これの動力って、風ですよね。

  

柿畑も見事でした。↓

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雨があがって、いい天気になりました。

  

  

 

 

雲に関する動画2つ/TED LSD

今日は11月11日。

  

雲に関する番組を見たことがあります。

ちょうど5年前の

2013年11月11日放映の

「スーパープレゼンテーション」です。

雲を愛(め)でる会」の創始者ギャヴィン・プレイター=ピニーさんが

雲を語っていました。

この番組については、当時ブログで書いています。

ここでも道草 雲はいいな・・・いろいろな形の雲/巻雲(けんうん)(2013年11月13日投稿)

ここでも道草 雲はいいな・・・雲ウォッチング/雲を愛でる会(2018年11月18日投稿)

この番組は、TEDと呼ばれる講演会の内容を無料で

ネット上で紹介してくれている団体の映像。

したがって、ネット上で見ることができました。


YouTube: Gavin Pretor-Pinney: Cloudy with a chance of joy

字幕も簡単につけることができます。

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「設定」のボタンを押して、「字幕」を押せば、

いろいろな国の言語の字幕を選べます。

先日話題にしたミャンマー語文字があるといいなと

思いましたが、残念ながらありませんでした。

  

これでいつでもこの番組を見ることができます。

  

  

雲をふんだんに使ったこんな動画を見つけました。


YouTube: LSD - Thunderclouds (Official Video) ft. Sia, Diplo, Labrinth

 

1980年代の洋楽は少しは詳しいのですが、

最近の洋楽は疎い。

この曲に参加している3人のことは全く知らず。

でもネット上には、参考になる情報を

アップしてくれている方がいました。

オンガクガトマラナイ 【Thunderclouds】の和訳:LSD(エル・エス・ディー)

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心地よい曲です。

今朝はこの曲をループ再生して聴き込もうと思います。

MVの写真です。

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この曲に、「雲」から検索して行き着きましたが、

LSDというグループを形成する3人って、

すごい人たちみたいです。

次のサイトも参考になりました。

FRONTROW ディプロ(Diplo)のヤバすぎる武勇伝9選、こんなにスゴい人だった!

  

2018年11月10日 (土)

8年ぶりの「1812年」/私にとって縁のある曲

今日は11月10日。

  

昨日の午前中は雨でした。

けっこう降っていました。

そしたら、ドン、ドンという音が聞こえてきました。

雷かと思いましたが、音がするわりには、

外が光りません。

おかしいなと思ったら、すぐに真相がわかりました。

空砲の発射音でした。

地元には自衛隊駐屯地があります。

今日行われる記念行事に撃つ祝砲の練習のようです。

   

  

空砲の発射音を聞くと、

すぐに思い出すのが「1812年」(チャイコフスキー作曲)です。

昨日も、ちょうど授業のあった学級では、

Youtubeで見つけた「1812年」の演奏を見せてしまいました。

大砲も楽器の一つとした曲として紹介しました。

  

今まで、「1812年」について何回も書いてきました。

ここでも道草 「英雄」から「1812年」に(2010年2月22日投稿)

ここでも道草 「1812年」から「のだめカンタービレ 最終章 前編」へ(2010年2月22日投稿)

ここでも道草 映画「のだめカンタービレ」の中の「1812年」(2010年2月28日投稿)

ここでも道草 ニールセン「不滅」を聴いてみたい(2010年4月17日投稿)

※ここでも道草 「英雄」に始まって、今はヒトラー(2010年5月3日投稿)

 

こうやって見ると、2010年に偏っていますね。

8年ぶりに「1812年」を聴いたのかもしれません。

  

授業で見せたのはこの映像と同じく、

自衛隊の演奏と空砲の発射音です。↓


YouTube: 吹奏楽 チャイコフスキー1812年(大砲射撃M101 105ミリ榴弾砲)平成28年度自衛隊観閲式(方面統一訓練) Tchaikovsky 1812 Overture with Cannons

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もし大音響で曲を楽しむならこちら。↓


YouTube: チャイコフスキー 1812年(序曲)ボストン・ポップス Boston Pops Fireworks Spectacular 2015

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社会科教師としては、やっぱり授業で聴かせたい曲です。

新任の年に出合った私にとって縁のある曲です。

2018年11月 9日 (金)

ミャンマーの首都の名前を聞いてビックリ/ネーピードー(ネピドー)

今日は11月9日。

  

「社会科の先生って、調べることが好きなんですね」

と、同僚の音楽の先生に言われました。

そうだろうなあ。

社会科や理科は好奇心の教科だと思っています。

どうなんなだろうと思って、ついつい調べています。

好奇心に従って動いていると、

その先が社会科や理科になっていきます。

社会科と理科の境界なんて、形だけ。

そう思っています。

  

実際、私のブログは結果的にある時は社会科、

ある時は理科になっています、きっと。

  

今回は社会科ですね、きっと。

  

ミャンマーの首都の名前を聞いてビックリです。

ネーピードー(ネピドー)です。

皆さん、知っていましたか?

私は初耳でした。

18年ぶりに中学校の社会科教師になって

地理を教えるようになったので知ったのでしょう。

調べたら、2006年に前首都のヤンゴンから

遷都していました。

当時、小学校教師だった私のアンテナには、

ネーピードーへの遷都は引っかかりませんでした。

地図で示します。

Photo_4Yahoo!地図

「ネーピードー」と聞いても、初めて聞く都市名だったので、

何のイメージも浮かびませんでした。

その他の東南アジアの都市名、たとえば「バンコク」「ハノイ」

「プノンペン」「クアラルンプール」などと聞くと、

今まで得た知識などから、何らかのイメージが浮かびます。

それなのに「ネーピードー」は浮かびません。

思えば、社会科を教えている生徒たちは、

「ネーピードー」だけでなく、ほとんどの都市の名前を聞いても、

イメージが浮かばないと思います。

生徒たちの気持ちが、「ネーピードー」のおかげで

少しは理解できたかな。

 

ミャンマーで使われているミャンマー語文字で

「ネーピードー」を書くと、次のようになります。

 Naypyidaw.svg です。

知恵の輪のような文字です。

ミャンマー語文字については次のサイトが参考になりました。

ミャンマー語ネット ミャンマー語文字(ビルマ語文字)を学ぼう!

ミャンマー語文字の「あいうえお」は次の表。

Photo このサイトには、それぞれの文字の書き順まで書いてあります。

 

ミャンマーの有名人といえば、

アウンサンスーチーさん。

Photo_2 外務省

ミャンマーにおける非暴力民主化運動の指導者、政治家です。

勤務校の英語の教科書にも載っています。

3年「NEW HORISON」(東京書籍)です。

  

自伝的映画が作られています。


YouTube: The Lady アウンサンスーチー ひき裂かれた愛

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また見たい映画が加わりました。 

最近ではロヒンギャ問題が報じられます。

「ロヒンギャ問題」も今まで私の関心に引っかからなかったこと。

こんな動画(Youtube)を見て勉強中です。↓

ロヒンギャ危機 “スー・チーのミャンマー”で何が(2017年10月)

  

こうやって調べていくと、生徒たちに伝えたいことが増えます。

でも与えれた授業時間は少ないです。

ジレンマですね。

授業は所詮、知識への入口「きっかけ」と割り切りたい。

2018年11月 8日 (木)

「佐々木」の「々」を使っているのは日本だけ/湯湯婆

 

今日は11月8日。

  

昨日、「海ゆかば」の作曲者であり、

勤務校の校歌の作曲者でもある信時潔さんのことを

書きました。

昨日は証拠写真を撮ってきました。

体育館に壁面に掲げてある校歌の歌詞が書かれた掲示物を

撮影してきました。

Rimg0718  

ここでまた興味深いことを知りました。

作詞家の佐々木信綱さんについて調べていたら、

Wikipediaに次のように書いてありました。

苗字は本来「佐々木」と記したが、信綱が訪中の折、

中国には「々」の字が存在しないことを知ったため、

それ以後は「佐佐木」と改めた。

  

なるほど、なるほど。

「々」は日本独自のものなのですね。

でも中国にも、同じ漢字が続く時に、

2文字を省略する記号がありました。

Wikioediaに、次のように書いてありました。

 

早くも殷の時代から、同じ字が続くときに一字だけ書き、

繰り返しを表す記号を付け足すことが行われていた。

これを重文号という

殷の金文では、小さい「=」を用いて

「子子孫孫」を「子==」と書いた。

青銅器の表面に鋳込まれた、あるいは刻まれた文字

   

ないわけではないのです。

でも、今は日本だけのようです。

上記サイトから再び引用します。

  

漢字文化圏ではその後も重文号が使われ続けたが、

現在公式に用いているのは日本語だけである。

 

やっぱり日本だけなのです。省略するのは。

他の国もやればいいのにと思います。

 

Yutanpo これは「湯たんぽ」です。

「湯たんぽ」を全て漢字で書くと「湯湯婆」だそうです。

「湯」が続くのですが、最初の「湯」が「ゆ」と読み、

次の「湯」が「たん」と読み、読み方が違います。

その場合は、「湯々婆」とは書かないそうです。

「湯たんぽ」の語源については、次のサイトが勉強になります。

語源由来辞典 湯たんぽ

  

今朝もささやかに「佐々木」から道草しました。

2018年11月 7日 (水)

「海ゆかば」の作曲者が、校歌の作曲をしていた

今日は11月7日。

  

同僚の先生と、軍歌のことが話題になりました。

軍歌の中では「海ゆかば」がいいと言ったら、

同僚の先生が、「海ゆかば」の作曲者が、

勤務校の校歌の作曲も手がけたと驚きのニュースを

教えてくれました。

俄然、作曲者に関心を持ちました。

  

調べました。

  

信時潔(のぶとききよし)さんでした。

大阪市出身で、1887年生まれ。没年は1965年。

 Wikipedia 信時潔には、

校歌を作曲した学校の名前一覧が載っていました。

勤務校の名前を探しましたが、見つかりませんでした。

Wikipediaには全部は載らないようです。

地元にある豊川工業高校の校歌も、信時潔さん作曲。

豊川工業高等学校HP 学校概要 校歌

このサイトを見ると、信時潔さんが、

豊川工業高校の校歌にかかわったいきさつが

書かれていました。

でも、勤務校同様、豊川工業高校は、

名前一覧には載っていませんでした。

  

  

今回、「海ゆかば」の歌詞が気になりました。

さんざん聴いてきたけど、歌詞に注目は初めてですね。


YouTube: 海行かば(コロムビア男聲合唱團)

 

海ゆかば 水漬く屍(みずつくかばね)

山ゆかば 草生す屍(くさむすかばね)

大君の辺(へ)にこそ死なめ

かえり見はせじ

 

このような歌詞だったのですね。

そしてこの歌詞は万葉歌人の一人、

大伴家持の長歌の一部でした。

  

Wikipedia 海ゆかばより、この長歌の現代語訳を

一部引用します。

太字が、「海ゆかば」の歌詞です。

  

(前略)

我ら大伴氏は 遠い祖先の神 その名は 大久米主という 

誉れを身に仕えしてきた役柄 

「海を行けば、水に漬かった屍となり、

山を行けば、草の生す屍となって、

大君のお足元にこそ死のう。

後ろを振り返ることはしない」と誓って、

ますらおの汚れないその名を、

遥かな過去より今現在にまで伝えて来た、

そのような祖先の末裔であるぞ。

大伴と佐伯の氏は、祖先の立てた誓い、

子孫は祖先の名を絶やさず、

大君にお仕えするものである と言い継いできた

誓言を持つ職掌の氏族であるぞ

(後略)

 

当時、大伴氏の家長であった大伴家持が、

家訓を引用しながら、いかに大伴氏が

天皇のために働いてきた家柄であることを

訴えている長歌と思われます。

時代は聖武天皇の時。

大仏建立が始まる直前の時。

世の中は不安定な状況でしたが、

大伴氏は天皇を助けて頑張りますという感じです。

そんな時代の言葉を歌詞をしたのが「海ゆかば」

初めて知りました。

  

次のサイトに注目しました。

CHUNICHI Web 【音楽】「海ゆかば」の実像(上) 大伴氏の家訓時代に翻弄

CHUNICHI Web 【音楽】「海ゆかば」の実像(下) 信時の業績 近年見直し

  

このサイトの書き出しはこれです。↓

 

今年は万葉歌人の大伴家持が誕生して

千三百年(数え年)にあたる。

第二次大戦中、ほとんどの日本人が耳にした

「海ゆかば」の歌詞は、家持が越中国守在任中に詠んだ長歌の一節。

作曲した信時潔は戦後、軍国主義に同調したとして冷遇された。

時代に翻弄(ほんろう)され、忘れ去られつつある名曲の実像を

二回にわたり探る。 (名古屋出版部・小松泰静)

 

大伴家持が長歌を歌った理由について書いたところを引用。↓

  

この歌詞が、万葉歌人大伴家持が越中国守時代に作った

長歌の一節であり、大伴氏の言立て(誓い)であることは

あまり知られていない。大伴氏の家訓と言えるだろう。

長歌は「陸奥の国より金を出せる詔書を賀く歌」

(天平感宝元年五月十二日)。

大仏造営に必要な金が産出されたことに喜んだ聖武天皇が、

詔書の中で大伴氏の家訓を取り上げ、

氏の先祖代々の功績をたたえたことに家持が感激し詠んだ。

長歌の中で家持も遠い祖先に思いをはせ、家訓を取り上げ歌う。

「大伴氏は勇敢な男の清らかな名を今に伝える一族だ。

家訓を守り天皇に仕えるのが役目だ。

手に弓を、腰に剣を帯びて朝夕に天皇をお守りするのは

大伴氏をおいて他にいない」

 

  

そりゃあ、太平洋戦争中の日本の雰囲気に

合致してしまう歌詞ですよね。

 

でも「海ゆかば」は軍歌とされる前は、

学校で歌われる唱歌でした。

大伴家持が詠んだ大伴氏の家訓「海ゆかば」に

メロディーを付けたのが東京音楽学校(現東京芸術大音楽学部)

元教授の信時潔。

ラジオ放送用にNHKの委嘱を受け

1937(昭和12)年に作曲。

製薬会社がスポンサーとなり、

唱歌として楽譜が全国の小学校に配られた。 

 

  

まさか戦意高揚に利用されるとは、

信時潔さんも思わなかったことでしょう。 

以下、戦後、そして現在のことです。 

  

 

信時は戦後、校歌や社歌などを除き、

ほとんど曲を作らなかった。

亡くなるまでに歌曲、合唱曲などわずか数曲である。

「海ゆかば」が軍国主義に利用されたことを

恥じたからだといわれる。

(中略)  

 

近年、ようやく信時の業績が見直され始めている。

没後50年にあたる2015年以降は各地で演奏会が開かれ、

交声曲「海道東征」を中心に、歌曲集「沙羅」、

ピアノ組曲「木の葉集」などが演奏されている。

「海ゆかば」についても合唱、弦楽四重奏、

パイプオルガンなど、戦前から戦後の様々な

録音を集めたCD「海ゆかばのすべて」が販売された。

時代に翻弄(ほんろう)された信時と「海ゆかば」。

音楽家の戦争責任を問う声は今もある。

しかし歌の歌詞と曲の成立過程を見る時、

時代の呪縛から解き放ち、信時の音楽そのものとして

聴いてもよいのではないだろうか。

「海ゆかば」が唱歌(日本歌曲)の名作として、

家持を生んだ古代の名門大伴氏の歌として

愛唱されることを願いたい。

Pk2017072202100102_size0 日本のクラシック音楽の草分けとして文化功労者となり

笑顔を見せる信時潔=1963年、東京都国分寺市の自宅で

 

 

社会科教師として、大伴家持の長歌の一部に曲をつけ、

昭和時代初期の雰囲気を象徴した「海ゆかば」を

貴重な資料として、生徒たちに紹介したいですね。

何と言っても、生徒たちが歌っている

校歌の作曲者なのですから。

2018年11月 5日 (月)

映画「バットマンリターンズ」をさっそく見ました

今日は11月5日。

  

前投稿で書いたことを実行しました。

レンタル店で映画「バットマンリターンズ」(1992年アメリカ)を

借りてきて、2時間余りの映画を見てしまいました。

注目はコウモリの群れと、ペンギン軍団。

映画の写真を白黒にして少々ぼかして載せます。

  

まずはコウモリの群れ。3枚。

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そしてペンギン軍団。

Rimg0706a  

味わった。

26年前の映画。

26年も見逃していた映画ですが、

11月1日に鳥の群れを目撃したことで、

鑑賞しました。

  

  

仕事は明朝。

最近の写真

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