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2016年12月

2016年12月25日 (日)

12月24日の風越山登山その4 乙女の滝

  

今日は12月25日。

  

24日の登山報告もラストです。

  

虚空蔵山からの下山。午後0時44分でした。

  

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↑「乙女の滝」をめざしました。

  

乙女の滝が見えてきました↓ 午後1時29分。

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近づいて撮影しました↓ いい滝でした。予想以上!

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↑虹が写ってほしいと思って撮影した1枚。

写っているのがわかりますか?

  

もう1枚↓

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これを撮って、乙女の滝を後にしました。

午後1時35分でした。

  

ここからが悪路でした。

川沿いの道でしたが、歩きづらかった。

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崩れた場所があったり、水がしみ出していたり、

橋が老朽化していたりと、症状はさまざま。

このコースの終点に次のように書いてありました。

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読みにくいです。

次のように書いてあったと思います。

  

風越山に登山する皆さんへ

ここから先、円悟沢・今庫の泉ルートは、

崩落個所等があり十分な登山道の整備

ができていません。危険ですので、

このルートでの登山経験者以外は、

このルートからの登山はご遠慮ください。

飯田市

  

確かに、楽な道ではありません。

これから登る人にはお勧めできませんね。

天気のいい日に登りましょう。それも午前中の登りがいいです。

下山だと、滑りそうです。

  

  

戻ってきました猿庫の泉。

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下山完了は午後2時17分でした。

ここで水を汲んで帰路につきました。

以上で報告終了です。

  

  

久々に信州の登山道の絵を描いている人のサイトに行ってみました。

登った後だと、ふり返りができていいです。

しかし、すごい取材力、観察力、さらには筆力です。

傘山、風越山関連の登山道を見てみませんか。

信州山歩きマップ 風越山(高鳥屋山コース)

信州山歩きマップ 風越山(円悟沢コース)

信州山歩きマップ 傘山(町民の森コース)

今度、信州の山を登る時には、参考にしたい絵地図です。

次の本を注文しました↓

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12月24日の風越山登山その3 今回は南アルプスを見ることができた

  

今日は12月25日。

  

前投稿に引き続き、24日の登山の報告をします。

  

風越山の頂上を通過して、進みます。

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↑今回のコースで最も難所の下り坂。

木の根っこがはりめぐらされた坂でした。

雪があるため滑りそうで、ヒヤヒヤしました。

下った後にふり返って撮影しました↓

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↑2人写っているのは、すれ違った地元登山者です。

  

  

白山社奥の院↓

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風越山の頂上を過ぎたほうが、雪が多い。

でもササがないのがありがたい↓

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↑鳥居がありました。

  

その鳥居を過ぎたところに・・・

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↑「駐馬休ミ」(ちゅうまやすみ)

右のサイトから引用します→カレーの大原屋 風越山

  

飯田の領主が、風越山祭神を参拝する時に

この場所に馬を停めたそうです。

現代では「駐車」ですが、昔は「駐馬」だった訳ですね。

飯田地方は荷を運ぶ「馬の産地」でもあったそうなので、

サラブレッドの様な馬ではなく

胴長短足で足腰の強い「木曽馬」に乗って登って来たのでしょう。

   

想像しました。

穏やかな時が流れていたと勝手に思っています。

  

  

そしてメインイベント。展望台に着きました。

午前11時38分。午後0時5分まで過ごしました。

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1週間前の傘山では、南アルプスが十分見えませんでしたが、

今回はしっかり見えました。

できなかったことが、1週間後にできるなんて、

贅沢させてもらっています。

見えない時もあれば、こうやって見えるときもある。

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↑写真をつなげてみました。

でもやっぱり生がいいです。

写真では良さが伝わりません。

  

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白峰三山↓

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この展望台で昼食をとりました。

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展望台のすぐ下に分岐があります↓

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「矢立木・太田方面」を行きました。虚空蔵山をめざします。

  

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↑「矢立木(やたてぎ)」

どういう場所かは不明です。

大きな矢が2本ありました。

  

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↑虚空蔵山への分岐に、この看板。

ベニマンサクとはどのような花が咲くのかな?

調べました。

飯田市のHPに掲載されていました。

※飯田市HP 風越山のベニマンサクの自生地

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花と紅葉が同時に見られるのは、普通に考えたら珍しい。

  

虚空蔵山頂上です↓ 午後0時33分着。

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ここも南アルプスを眺めることができ、

飯田市街を見下ろすことができる場所でした。(つづく)

12月24日の風越山登山その2 風越山頂上へ

 

今日は12月25日。

  

前投稿に引き続き、24日の登山の報告をします。

  

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↑これから登る風越山です。

最も高い場所が頂上と思います。

  

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↑猿庫の泉の駐車場を出発したのは、午前8時5分でした。

  

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↑このような石仏が道端にいくつもありました。

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↑少し先にある腰をくねっとさせた木が魅力的でした。

 

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↑鳥居があるなと思ったら、その上には祠がありました。

高鳥屋神社の奥の宮です。

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ここが高鳥屋山の頂上。1160m。

到着は午前9時15分。

雪がうっすらとありました。

祠から鳥居を見下ろして撮影↓

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登山道はここまでは広く楽に歩ける道でしたが、

ここからがたいへんでした。

背の高いササに雪が載っているところを歩きました。

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↑このササの中に登山道があります。

一度道を見失ってしまい、間違ったコースを進んだこともありました。

ササについた雪で、首から下が濡れて、

たいへんだった同行者もいました。

自分はカッパを着ていたので、助かりました。

  

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↑樹間から見えた風越山頂上付近。

2つのこぶの右側が頂上。

  

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↑右に曲がりながら下っています。

この後、左に曲がり頂上めざして急登でした。

  

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↑写真だとわかりにくいけど、「↑5分」と書かれた岩。

この5分が長い5分でした。午前10時45分通過。

  

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↑同行者が霧氷に気がつきました。

青空をバックに、きれいだあ。

  

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↑いよいよ頂上近し。

  

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↑頂上到着は午前10時52分。

「↑5分」から5分でたどり着けませんでした。

1535.1m。どちらから読んでも同じ数字です。

※参考:飯田山歩きマップ 風越山 高鳥屋山コース

  

風越山の看板は、反対側には「権現山」とありました。

ササに囲まれて少し広場になっていた頂上。

雪があって、日が差して反射していて、いい雰囲気でした。

景色はダメですね。

一度下る道を間違えて、再び頂上に戻り、再出発が午前11時7分。

  

この続きは次の投稿で。

12月24日の風越山登山その1 「高鳥屋山」は何と読む?

  

今日は12月25日。

  

また山を登ってきました。

12月24日に長野県飯田市にある風越山を登ってきました。

同行者が作成した地図です。

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「猿庫の泉」に駐車。

「高鳥屋山」経由で「風越山」へ。

その後「虚空蔵山」を経て、「乙女の滝」を見て、

「猿庫の泉」に戻ってくるコース。

  

地名は難しい。

「猿庫の泉」は「さるくらのいずみ」と読みます。

  

「高鳥屋山」は難読。「たかどやさん」と読みます。読めないよ。

飯田市にはもう一つ「高鳥屋山」があります。

以前登った笠松山の近くです。

※参考:ここでも道草 12月23日笠松山登山報告1/予想以上の雪でした(2014年12月24日投稿)←ここに地図アリ。

こちらの「高鳥屋山」は「たかどやさん」と読みます。

「だ」「ど」の一文字違い。

※参考:信州山歩きマップ 風越山 高鳥屋山コース  

  

「風越山」は「かざこしやま」が正式な読み方。

しかし、「ふうえつざん」「ふうえつ」と呼ばれることがあるそうです。

その理由がWikipedia 風越山に書いてありました。

  

昭和24年、飯田西高等学校と飯田北高等学校が統合され、

飯田風越高等学校(いいだふうえつこうとうがっこう)が誕生し、

その後、「ふうえつざん」と呼ばれるようになった。

  

ちゃんと理由があるのですね。

「風越山」は、山中に白山妙理大権現が祀ってあることから

「権現山(ごんげんやま)」とも呼ばれています。

   

「虚空蔵山」は「こくぞうさん」

これも読むのが難しい。

「虚空蔵菩薩」という無限の知恵と慈悲の心を人々に与える菩薩が

語源かな?

「虚空蔵」は、宇宙のような

無限の知恵と慈悲が収まっている蔵(貯蔵庫)を意味し、

人々の願えを叶えるために蔵から取り出して知恵や記憶力、知識を

菩薩が与えてくれるとされているそうです。

引用:仏像ワールド 虚空蔵菩薩

  

  

以上、読みがわかったところで、出発をしたいと思います。

(つづく)

「真田丸」シリーズ28 天王寺・岡山の戦いその2

  

今日は12月25日。

  

前投稿に引き続いて、

12月15日放映の「片岡愛之助の解明!歴史捜査 

真田丸 総決算!第三弾~大坂の陣2時間スペシャル~

新説!もうひとつの真田丸 信繁の勝算と誤算」より。

  

この番組で、大河ドラマ「真田丸」の時代考証を担当した

歴史学者、平山優さんが説明をしています。

大坂夏の陣で豊臣方が敗れた理由の一つに、

戦いの最中に大野治長が、豊臣の馬印である

千成瓢箪(せんなりびょうたん)を大坂城に持ち帰ったことを

挙げていました。

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このシーンは大河ドラマ「真田丸」でも出てきました。

平山さんの助言があったのでしょうか。

旗印がどれほどの効果があったのかがわかる逸話です。

  

「真田丸」最終回の映像です。

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時代考証担当に平山優さんの名前があります。

その上にある黒田基樹さんの名前。

この黒田さんも、ウェブ上で説明をしていました。

大河ドラマ「真田丸」ワンポイント解説47

引用します。

 

羽柴(豊臣)方の敗戦の理由。

なんと羽柴秀頼の馬印の後退による、

味方兵の敗戦認識だったんですね。

兵士は大将の馬印・旗印をみて、

自軍の優勢・劣勢を判断していました。

馬印・旗印が前進していれば優勢、

後退していれば劣勢と認識したわけです。

合戦において、いかに馬印・旗印が大事であったかがわかります。

秀頼の馬印の後退は、大野治長のケアレスミスです。

しかしこれが戦況を大きく変えてしまったのです。

  

今まで、「真田丸」で戦国軍事考証担当の西股総生さんの

「裏解説」を読んできましたが、黒田さんのサイトを知ったのは、

つい最近です。

※ちなみに「裏解説」の最終回はここ→真田丸「最終回」裏解説

すでにドラマは終わってしまいましたが、

時間を見つけて読んでみようと思っています。

  

  

片岡愛之助さんの番組のラストです。

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「享年46」?

49歳だと思っていました。

生誕した年に2つの説があるために、こうなったようです。

  

   

前投稿で予告したように、大河ドラマ「真田丸」で信繁を演じた

堺雅人さんのインタビューからの引用をします。

 

幸村は大坂の陣という場で8カ月だけ輝き、有名になりましたが、

人生とはそんなものなのかもしれません。

  

積み重ねの上の輝き。

そんな人生を信じ、日々を大事にしていきたいです。共感。

  

最終回では、戦場を駆け巡る幸村を見た上杉景勝が、

「武士と生まれたからには、あのように生き、

あのように死にたいものだ」と評すセリフがありましたが、

幸村は図らずも、最期まで現場で生きることができた

男なのだと思います。

だから一線から離れてしまった武将たちが、

ちょっとうらやましいという気持ちを抱いたのかもしれません。

それは良かれ悪しかれ、真田幸村の人生の面白いところ

だったのではないかと思います。

  

面白い人生。

いつも心がけているつもりです。

どんなのが面白いのか?

今日も自問して実行していこう・・・・としています。

2016年12月23日 (金)

通算5100本目の投稿  「真田丸」シリーズ27 天王寺・岡山の戦い

  

今日は12月23日。

昨日が2学期終業式。

終業式が終わると、時間休をもらって

本宮山登山に行くのが恒例でした。

今年も準備をしていましたが、残念ながら雨天。断念。

冬休みのどこかで登りたいとは思っています。

  

明日は、仲間と登山が予定されています。

再び飯田方面の山に行きます。雪はないかなあ、あるといいなあ。

  

  

12月15日放映の「片岡愛之助の解明!歴史捜査 

真田丸 総決算!第三弾~大坂の陣2時間スペシャル~

新説!もうひとつの真田丸 信繁の勝算と誤算」を見ました。

  

その中で印象に残ったこと。

大坂夏の陣での「天王寺・岡山の戦い」(1615年5月7日)です。

  

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↑古地図には、真田幸村が陣をはった茶臼山と、

大野治房が陣をはった岡山口の間には

谷があることが記述されています。

実際にここには谷があり、南からの徳川軍をくいとめる

豊臣側の防衛ラインだったそうで、激戦がありました。

  

番組ではその谷を歩くシーンが出ました。

(こういうのは楽しい、やってみたい)

歴史捜査員と積山さんという方が歩いていました。

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↑谷を歩いていて、南側を見た時の写真です。

2人が立っている場所が、谷底です。

青いのぼりが気になりました。

アップ写真を撮りました↓

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「大坂夏の陣 天王寺口の戦い 激戦の谷筋」とあります。

ちゃんと地元では宣伝しているんだ、

それも「激戦の谷筋」という少し変わったネーミングで。

次の場所でもこののぼりはありました。

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積山さんによると、この谷筋は、

8世紀の終わり、桓武天皇の時代に造られた水路だと

考えられるとのこと。

当時、洪水が頻発したため、排水のために造られた水路のようです。

夏の陣の頃にも、この谷筋は明確に残っていて、

豊臣側は防衛ラインに利用したようです。

大坂城があった場所は上町台地の北部であり、

この谷筋は、台地の南部にあり、

台地で唯一東西につながる谷です↓

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城郭考古学者の千田嘉博さんが、

豊臣側の作戦を説明してくれました。

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↑豊臣側は、茶臼山と岡山を結ぶ谷筋で、徳川軍を待ち受けます。

先備え・中備えの軍をそのラインにとどめることが目的です。

そうなると、本陣前に隙が生じます↓

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そうなることを真田信繁は待っていたのです。

茶臼山から軍を率いて家康本陣をねらい、

岡山からも秀忠本陣をねらう軍を出す作戦でした。

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では実際はどうなったか。

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↑毛利勝永の軍が、防衛ラインを越えて攻めてしまったために、

戦線が混乱してしまい、本陣前に隙ができなくて、

本陣への突入はできなかったそうです。

  

ドラマ「真田丸」でも思いましたが、

豊臣側(信繁が中心?)は劣勢ながら次から次に作戦を考えて

実行に移していると思いました。

理不尽に籠城戦となっても、堀を埋められても、

秀頼が出陣しなくても、どうにかしようとしている姿を感じます。

夏の陣の最後の戦いでも上のようにそうでした。

負ければ命がない状況でも、状況だからからかな。

  

人間、もっともっと考えて実行したら、

いろいろなことは成し遂げられそうだと

大坂冬の陣、夏の陣の豊臣方の戦いっぷりを見て

勉強になりました。

  

番組のラストで、真田信繁最期の場所、

安居(やすい)神社が出ました。

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↑ここものぼりがたくさんあります。

「真田丸」が放映されたために多いのかな。

  

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聞き書きします。

ナレーター:記録によると、この地で徳川方の武士と対決した信繁は、

  名を名のらないまま勝負を受け、打ち取られたという。

  そして、徳川方の陣での首実検の際、

  真田家の旧臣によって、信繁の首と確認された。

  

主役の堺雅人さんのインタビューを思い出しました。

大河ドラマ「真田丸」HP

う~ん、今晩はもう遅い。明日は出発は早い。引用は明日にします。

「今川焼き」「大判焼き」・・・「大判」じゃないよなあ

  

今日は12月23日。

  

久々日めくり「雑学王」(TRY‐X)より。

  

「今川焼きの『今川』って何のこと?」

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17b5f5e89dba471299009a568e18678e614 FEELY なんて呼ぶ?今川焼き・二重焼・大判焼・回転焼…呼び方によって出身地がバレる和菓子

  

上のサイトもなかなか内容が面白かった。

「今川焼き」という名前は全国区ではないと知りました。

私の身近でも、「大判焼き」の名前が使われているかな。

  

でも「円形」であって「大判(型)」じゃないよなあとふと思いました。

  

そしたら、Wikipediaの「今川焼き」の説明に、

次のような文章を見つけました。※Wikipedia 今川焼き

  

円盤状の丸い今川焼は後に楕円の小判型(大判型)も広がったが、

平成になって元の円盤状の物に回帰しても大判焼きと呼ぶ店もある。

  

「大判焼き」の名前は、

かつての楕円形の今川焼きが”いわれ”なのでしょうか?

楕円形の今川焼きの画像はないか探しました。

そしたらこの画像↓

O0800060012894064310  

この画像はこのサイトにありました。

ひめぴょんのブログ 岩国西郵便局近くの大判焼きやさん

そこにはこう書いてありました。

 

家の近くの大判焼きやさんに行ってみました。

楕円形は日本でここだけとか、

無添加だとかクリームや餡は上等のを使っているだとか

いろいろ自慢話を聞かされましたが、

本当においしかったです。

ちなみにいわくに西郵便局のロータリーに面しているところ。

小さなお店なので気がつきにくいかもしれませんが、よかったですよ。

  

「楕円形はここだけ」

本当かな?

でも、この形なら「大判焼き」っぽいなあ。
 

  

2016年12月20日 (火)

私の教室での景色/光の筋・鳥

  

今日は12月20日。

  

12月16日。

朝、教室に入ろうとしたら、床に1本の光の筋を見つけました。

教室の窓から朝日が入り、廊下に光があふれ、壁に当たりました。

朝日が壁から少しずれたことで、光の筋ができました。

これは面白いと、写真に撮りましたが、わかりにくいです↓

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↑写真をクリックして、大きくして見てください。

  

この写真を見て、今度は反対側から撮ってみようと思いました。

12月19日に実行しました。

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この写真の方が、何が起こっているかはわかりやすいですよね。

そういえば、少し前に教室のすぐ横にある階段で、

↓このような光の模様を発見して、写真に撮っています。

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窓から入った日光が、階段の手すりの金属に当たったことで

生み出された模様です。

その時は、子どもを呼んで一緒に見ました。

太陽は常に動いているので、少し時間が経てば、

この模様は消えます。

日光の作る模様は偶然に左右されます。そこが面白い。

  

  

  

  

今朝は、教室に入ったとたんに鳥がいることに気がつきました。

いつの間にか鳥が入り込んでいました。

窓に何度かぶつかっているので、

窓を開けて逃がそうとしました。

そのついでに写真撮影。

 

子どものイスの上や教卓に立つ姿は実にかわいい。

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見慣れた景色に鳥がいることが楽しい。

  

  

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↑学級文庫上の鳥。何という種類の鳥でしょうか?

この後、向こうにある窓から外に出ました。

  

「何で飛び出していく姿を撮らなかったの?」

と子どもたちに言われました。

シャッターチャンスを逃してしまったのですよ。

自分だって悔しい。

真田丸シリーズ26 55歳

  

今日は12月20日。

  

12月18日に、ドラマ「真田丸」の最終回が放映されました。

終わっちゃいました。

  

印象に残ったシーンです↓

 

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徳川方武将:豊臣方か?

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幸村     :真田左衛門佐(さえもんのすけ)幸村。

   その後、頭を垂れて、まるで「首をとれ」とうながしている姿勢↓

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↑武将が、幸村に歩み寄り、切りかかった瞬間!

  

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幸村は、右手に隠し持った剣によって、

相手を倒しました。

これは父昌幸の教えです。(第38話)

やってくれます、三谷幸喜さん。

このようなシーンを用意していました。

  

  

  

武将を撃退した幸村ですが、いよいよ切腹を覚悟します。

横に控える佐助に語りかけます。  

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幸村:長い間よう仕えてくれた。

佐助:はあ。

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幸村:いくつになった?

佐助:55でございます。

  幸村は意外だった顔をする。間が開く。

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  幸村は49歳だったそうで、佐助の方が年上でした。

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幸村:疲れたろう?

佐助:全身が痛うございます。

幸村:だろうな。

  

  

55歳は三谷幸喜さんの現年齢。

三谷さんは、自分の年齢を使って笑いをとりに来ました。

ちょっと自虐的なネタです。

疲れたろう?と言われる年なんだよなあ。

私も55歳。

 

2016年12月18日の大イチョウ

 

 

今日は12月20日。

  

覚えていますか?

「占い師のおばあさん」の言葉。

「12月10日の前後10日間に大きな地震があるよ。

気をつけりんね。」

※参考:ここでも道草 はずれてほしい予言(2016年12月3日投稿)

よく当たるおばあさんですが、今回の予言は外れてほしい。

あともう少し。

  

  

12月18日(日)に、お墓参りの後に父親と、

「大和の大イチョウ」を見に行ってきました。

1週間、遅かったあ!

  

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↑本宮山と大イチョウ。

この位置も好きな撮影位置です。

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