「真田丸」シリーズ28 天王寺・岡山の戦いその2
今日は12月25日。
前投稿に引き続いて、
12月15日放映の「片岡愛之助の解明!歴史捜査
真田丸 総決算!第三弾~大坂の陣2時間スペシャル~
新説!もうひとつの真田丸 信繁の勝算と誤算」より。
この番組で、大河ドラマ「真田丸」の時代考証を担当した
歴史学者、平山優さんが説明をしています。
大坂夏の陣で豊臣方が敗れた理由の一つに、
戦いの最中に大野治長が、豊臣の馬印である
千成瓢箪(せんなりびょうたん)を大坂城に持ち帰ったことを
挙げていました。
このシーンは大河ドラマ「真田丸」でも出てきました。
平山さんの助言があったのでしょうか。
旗印がどれほどの効果があったのかがわかる逸話です。
「真田丸」最終回の映像です。
時代考証担当に平山優さんの名前があります。
その上にある黒田基樹さんの名前。
この黒田さんも、ウェブ上で説明をしていました。
引用します。
羽柴(豊臣)方の敗戦の理由。
なんと羽柴秀頼の馬印の後退による、
味方兵の敗戦認識だったんですね。
兵士は大将の馬印・旗印をみて、
自軍の優勢・劣勢を判断していました。
馬印・旗印が前進していれば優勢、
後退していれば劣勢と認識したわけです。
合戦において、いかに馬印・旗印が大事であったかがわかります。
秀頼の馬印の後退は、大野治長のケアレスミスです。
しかしこれが戦況を大きく変えてしまったのです。
今まで、「真田丸」で戦国軍事考証担当の西股総生さんの
「裏解説」を読んできましたが、黒田さんのサイトを知ったのは、
つい最近です。
※ちなみに「裏解説」の最終回はここ→真田丸「最終回」裏解説
すでにドラマは終わってしまいましたが、
時間を見つけて読んでみようと思っています。
片岡愛之助さんの番組のラストです。
「享年46」?
49歳だと思っていました。
生誕した年に2つの説があるために、こうなったようです。
前投稿で予告したように、大河ドラマ「真田丸」で信繁を演じた
堺雅人さんのインタビューからの引用をします。
幸村は大坂の陣という場で8カ月だけ輝き、有名になりましたが、
人生とはそんなものなのかもしれません。
積み重ねの上の輝き。
そんな人生を信じ、日々を大事にしていきたいです。共感。
最終回では、戦場を駆け巡る幸村を見た上杉景勝が、
「武士と生まれたからには、あのように生き、
あのように死にたいものだ」と評すセリフがありましたが、
幸村は図らずも、最期まで現場で生きることができた
男なのだと思います。
だから一線から離れてしまった武将たちが、
ちょっとうらやましいという気持ちを抱いたのかもしれません。
それは良かれ悪しかれ、真田幸村の人生の面白いところ
だったのではないかと思います。
面白い人生。
いつも心がけているつもりです。
どんなのが面白いのか?
今日も自問して実行していこう・・・・としています。
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