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2016年12月25日 (日)

「真田丸」シリーズ28 天王寺・岡山の戦いその2

  

今日は12月25日。

  

前投稿に引き続いて、

12月15日放映の「片岡愛之助の解明!歴史捜査 

真田丸 総決算!第三弾~大坂の陣2時間スペシャル~

新説!もうひとつの真田丸 信繁の勝算と誤算」より。

  

この番組で、大河ドラマ「真田丸」の時代考証を担当した

歴史学者、平山優さんが説明をしています。

大坂夏の陣で豊臣方が敗れた理由の一つに、

戦いの最中に大野治長が、豊臣の馬印である

千成瓢箪(せんなりびょうたん)を大坂城に持ち帰ったことを

挙げていました。

Rimg1995  

このシーンは大河ドラマ「真田丸」でも出てきました。

平山さんの助言があったのでしょうか。

旗印がどれほどの効果があったのかがわかる逸話です。

  

「真田丸」最終回の映像です。

Rimg2004  

時代考証担当に平山優さんの名前があります。

その上にある黒田基樹さんの名前。

この黒田さんも、ウェブ上で説明をしていました。

大河ドラマ「真田丸」ワンポイント解説47

引用します。

 

羽柴(豊臣)方の敗戦の理由。

なんと羽柴秀頼の馬印の後退による、

味方兵の敗戦認識だったんですね。

兵士は大将の馬印・旗印をみて、

自軍の優勢・劣勢を判断していました。

馬印・旗印が前進していれば優勢、

後退していれば劣勢と認識したわけです。

合戦において、いかに馬印・旗印が大事であったかがわかります。

秀頼の馬印の後退は、大野治長のケアレスミスです。

しかしこれが戦況を大きく変えてしまったのです。

  

今まで、「真田丸」で戦国軍事考証担当の西股総生さんの

「裏解説」を読んできましたが、黒田さんのサイトを知ったのは、

つい最近です。

※ちなみに「裏解説」の最終回はここ→真田丸「最終回」裏解説

すでにドラマは終わってしまいましたが、

時間を見つけて読んでみようと思っています。

  

  

片岡愛之助さんの番組のラストです。

Rimg2003

「享年46」?

49歳だと思っていました。

生誕した年に2つの説があるために、こうなったようです。

  

   

前投稿で予告したように、大河ドラマ「真田丸」で信繁を演じた

堺雅人さんのインタビューからの引用をします。

 

幸村は大坂の陣という場で8カ月だけ輝き、有名になりましたが、

人生とはそんなものなのかもしれません。

  

積み重ねの上の輝き。

そんな人生を信じ、日々を大事にしていきたいです。共感。

  

最終回では、戦場を駆け巡る幸村を見た上杉景勝が、

「武士と生まれたからには、あのように生き、

あのように死にたいものだ」と評すセリフがありましたが、

幸村は図らずも、最期まで現場で生きることができた

男なのだと思います。

だから一線から離れてしまった武将たちが、

ちょっとうらやましいという気持ちを抱いたのかもしれません。

それは良かれ悪しかれ、真田幸村の人生の面白いところ

だったのではないかと思います。

  

面白い人生。

いつも心がけているつもりです。

どんなのが面白いのか?

今日も自問して実行していこう・・・・としています。

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