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2010年10月

2010年10月23日 (土)

中溝裕子さんの生き方から学ぶ2

   

今日は10月23日。

(前投稿のつづき)

443 
中溝裕子さんの写真です。http://www.kouenirai.com/profile/443.htm

道徳の授業では、この写真を最初に提示して、

「この女の人の職業は何だと思いますか」と問いました。

弁護士、秘書などが出ました。

スポーツ選手まではなかなかいきつきませんでした。

 

本「リカバリー!」によると、

節目で中溝裕子さんに貴重なアドバイスをしてくれる人が登場します。

余命わずかの病気であると言われて、自暴自棄になっている時に、

初めて会った中年の女性が中溝さんに言います。

   

「あなた、本当に5年後に死んでいるの?」

「誰が決めたの?絶対に?100パーセントそうなっちゃうって、誰が決めたのーー」

「ひょっとして、何かのきっかけがあって、病気が治っちゃう可能性だってあるかもしれないじゃないの」

「もしかすると5年が6年、そしてまた1年・・・・。

それがずっと続くかもしれない。それは生きてみなければわからないじゃない」(48p)

    

中溝さんは、この言葉によって元気になり、前向きな生き方を始めます。

本の中で「初めて会った中年の女性」と表現された人、

具体的に誰だかわかったのかなと思って読みましたが、

どうも中溝さんにはわからなかった模様。

そのような女性の言葉を大切にして、前向きに生きることにした中溝さんは、

チャンスを生かせる人だと思いました。

    

     

何年かして、体に限界がきて、いよいよ骨髄移植をするか中溝さんは迷います。

    

「グリーンの上で死んでも構わない。それくらいゴルフをしたいです。」

と言う中溝さんに、その日初対面の阿武松(おおのまつ)親方(元関脇・益荒雄)が言います。

    

「ばかなことを言うもんじゃない。そんなことは誰も望んじゃいない。

家族をはじめ、みんな君が元気になってくれることを願っているはずだ。

そんなことは二度と思っちゃいけない」

「妹さんにお願いして、一日も早く移植をするべきだ。治るさ。

今、中溝君と話をしていたら、そう思えたんだ。俺が保証してやる。

医学を信じろ。骨髄移植を受けるべきだよ」(92-93p)

     

「グリーンの上で死んでも構わない」は恰好いい言葉です。

言いながら酔ってしまう言葉です。

それを見事に覚めさせる親方の言葉。

中溝さんは親方のこの言葉で、骨髄移植を決心します。

      

他の人の言葉を転機にして生き方を変えていく中溝さんが、

他の人へ言葉を発する作業を始めます。

(次の投稿につづく)

    

     

 

2010年10月22日 (金)

中溝裕子さんの生き方から学ぶ

 

今日は10月22日。

1週間頑張りました。ご褒美に今年最後の「秋味」を飲みました。

 今年も御馳走様でした。

 

9月の終わりにやった道徳の授業の話。

明治図書の「TOSS道徳発『命の授業』を創る」を参考にしました。

Cover_x 
    

この本の中の、「プロゴルファー『中溝裕子氏』の生き方から学ぶ命の大切さ」(河野好美先生実践)を追試しました。

次のように書いてありました。

   

中溝裕子氏は、念願のプロゴルファーになって3年。

これからというときに骨髄異形成症候群(MDS)お診断される。

MDSは、「前白血病」とも言われる。

ほとんどの場合、急性白血病に移行してしまい、このままだと、1年半から5年の命と宣告される。

唯一の治療法は骨髄移植しかない。

中溝氏は、骨髄提供者となる妹のことを考え、体の限界がくるまで骨髄移植をしなかった。

移植手術が成功したあとも、GVHDという拒絶反応に苦しめられる。

中溝氏がMDSを抱えながらもゴルフを続ける姿勢や病気自体と格闘し、

ついには再びクラブを手に取るまで自らの体を回復する気概は鬼気迫るものがある。

中溝氏の生き方を知ることで、

子どもたちが命の大切さを学び、力強く生きようという態度を身に付けられる。(140p)

 

太字の個所を目標にしました。

   

中溝裕子さんのことを全く知らなかったので、

著作を読みました。

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「リカバリー」(新潮社)

この本が良かったです。(次の投稿につづく)   

 

      

 

  

    

 

2010年10月21日 (木)

人に親切にすればするほど・・・「シークレットサンタ」のお話

  

今日は10月21日。

昨晩は9時間寝ました。

よく寝ました。

仕事はさらにたまりましたが、頭は明らかにクリアになりました。

     

道徳の時間に、バスケットヒーローと内柴正人さんの映像を見せました。

※参考 http://mitikusa.typepad.jp/blog/2010/10/%E5%86%85%E6%9F%B4%E6%AD%A3%E4%BA%BA%E9%81%B8%E6%89%8B%E5%BC%95%E9%80%80.html

ともに「奇跡体験!アンビリバボー」の映像です。

    

その日の子どもの日記に、同じく「奇跡体験!アンビリバボー」のお話の中で、

「シークレットサンタ」の話が良かったこと。「道徳でやってほしい!」と書いてきました。

   

さっそくその映像を探しました。

ありました、ありました。

そして見ました。

無銭飲食をレストランの人の親切から救われたラリーさん。

人に親切にすればするほど、自分が幸福になっていくラリーさんの人生。

まずは小さな親切。

ああ、またいい映像に出会えました。

    

 

 

 

おそらく2009年の映像。

     

明日小さな親切をしよう。今晩はおやすみなさい。

2010年10月20日 (水)

10月18日ヒガンバナの定点観察

  

今日は10月20日。

今日は出張を休んで、早退。今晩は頭を休めます。

頭の使いすぎ。

   

ヒガンバナの定点観察。

RIMG0001ヒガンバナ18日 

RIMG000218日ヒガンバナ 
   

10月18日の朝撮影。花はもう終わり。

葉は前回より伸びてきました。

     

前回の撮影は10月11日でした。

※10月13日の投稿

http://mitikusa.typepad.jp/blog/2010/10/%E3%83%92%E3%82%AC%E3%83%B3%E3%83%90%E3%83%8A%E3%81%AE%E5%AE%9A%E7%82%B9%E8%A6%B3%E5%AF%9F%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%88.html     

   

今晩の道草はここまで。    

2010年10月19日 (火)

読み・書き・そろばん/麻酔手術

  

今日は10月19日。今日も頑張った。

このところ頭がお疲れ気味の模様。

うっかり忘れのミスが続く。いかんなあ。

どこかで休まないと、周りにもっと迷惑をかけてしまう。

会議をしていても、どうも言葉が頭に染みてきません。

要注意。金曜日はしっかり寝よう。     

      

     

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教頭先生が貸してくれた本です。

こんな文に興味を持ちました。

   

世界で最初といわれる紀元前3千年頃のシュメールの学校では、

もう「読む(Reading)・書く(wRiting)・計算(aRithmetic)」、

いわゆる3R'sの初歩教育が行われ、

古代ギリシア・ローマの学校でも同様のことが教えられていた記録が残っている。(8p)

      

昔から大事にされていたのは、読み・書き・そろばん(計算)だったわけです。

今も基本は変わりません。

いや、パソコンの登場は、将来変化をもたらすかもしれません。    

    

中国の国語の教科書には、偉人として華佗(かだ)という人が紹介されています。

偉人から生き方を学んでほしいというのは、万国共通でしょうか。

偉人が外国人でもいいのですが、同じ国の人の方が子どもには影響力がありそうです。

華佗は中国人。208年没。外科手術で初めて麻酔薬を使ったと言われる伝説の名医です。

 

   

ここで疑問?

麻酔を使った手術は、華岡青洲が最初だったのでは?

調べたところ、実例として証明されている麻酔手術は、華岡青洲が初めてだそうです。

    

さらに疑問。「麻酔」の語源は?

「麻」は麻薬(モルヒネ)、「酔」は意識を失う意味。そこから生まれたという説。

※参考 http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q148309684

    

なぜ「麻」?

華佗が作った麻酔薬の名前が、「麻沸散(まふつさん)」

そこから生まれた言葉とも言われています。

※参考 http://www011.upp.so-net.ne.jp/konita/rekisi2.html

そういえば、「まひ」も「麻痺」と書きます。

この「麻」も、「麻沸散」から来ているのでしょうか。

繊維としての「麻」ではない、他の意味の「麻」を実感できました。 

    

「麻酔」という漢字を造語したのは、杉田玄白の孫だと言われています。

1850年のことです。

華岡青洲(1835年没)も杉田玄白(1817年没)も、

「麻酔」という漢字は使用していないわけです。

 

    

    

 

2010年10月16日 (土)

内柴正人選手引退

  

今日は10月16日。

オリンピック2連覇の柔道選手、内柴正人さんが引退を表明されました。

Naitou1 ※北京オリンピック

今日そのニュースを見ました。

   

04年アテネ、08年北京の五輪2大会連続で

柔道男子66キロ級の金メダルを獲得した内柴正人(32)=旭化成=が、

国際大会など第一線から退くことが16日、分かった。

今春からコーチを務める九州看護福祉大女子柔道部(熊本)の指導を優先させるためで、

近く全日本柔道連盟に強化選手の辞退届を提出する。

内柴は熊本県出身。国士舘大から旭化成に進んだ。

当初は60キロ級だったが、減量に苦しみ、アテネ五輪直前に66キロ級に階級を上げた。

切れ味のいい技とパワーが持ち味で、アテネ五輪はすべて一本勝ちで優勝。

北京五輪で2連覇を達成した。

北京後も現役を続行したが、昨年の世界選手権ロッテルダム大会では3回戦で敗退。

今年4月の全日本選抜体重別選手権は1回戦負けした。

今年4月から道場に寝泊まりしながら、女子柔道部での指導をしている。【毎日新聞】  

 

     

2つのオリンピックの間で、内柴選手は不調になり、苦しみます。

その時の話の映像をかつてムッシュさんに教えてもらいました。

人は支え、支えられて生きているんだなとあらためて思った映像でした。

※2009年1月31日投稿 http://mitikusa.typepad.jp/blog/2009/01/post-15b0.html?cid=20233500#comment-20233500

上記の投稿に、映像の入口があります。

     

スポーツはいい。

下記の投稿にはバスケットボールの映像の入口あり。

※2010年1月28日投稿 http://mitikusa.typepad.jp/blog/2010/01/post-3d17.html

   

この2本の映像から学ぶこと多し。

道徳の授業で子どもたちに見せたい映像です。

 

    

スーパードライ発売以後のキリン

   

今日は10月16日。

ビールの話をもう少し。

6月30日の「シルシルミシル」より。

 

1907年に設立された現在の「キリンホールディングス」

業界1位のシェアを誇っていましたが、

その地位を脅かしたのが、アサヒの「スーパードライ」でした。

1987年のこと。

就職したのが1985年だったので、スーパードライの凄さは実体験で味わいました。

当時はスーパードライばかり飲んでいました。

    

キリンがスーパードライに対抗して発売したのが「一番搾り」

1990年のことでした。

これはあまり飲みませんでしたが、世間ではよく売れたようです。

もちろん今も売れています。

   

時代が発泡酒を求めるようになると、「麒麟淡麗<生>」を発売。

1998年のこと。これはおいしかった。

しかし、キリンは、2001年シェア1位の座を奪われます。

    

さらに第3のビール、新ジャンルと言われる区分ができると「のどごし<生>」を発売。

2005年のこと。これもよかった。

    

そしてキリンは2009年、シェア1位に復帰。

そして今年第3のビール「本格<辛口麦>」を発売。

けっこうキリンは、この飲料に気合を入れているようです。

霊獣「麒麟」の大きさが最大です。

数本飲みましたが、まだ「ストロングセブン」の方がいいなと思っています。

     

番組では、こんな「キリンホールディングス」の歴史をこんな感じで紹介してくれました。

スーパードライ発売に始まる大変な時期が、

私の就職・ビールを飲んできた時期と重なるため、

興味深く見ることができました。

「キリンホールディングス」が生き残るために工夫したことがわかります。

    

ちなみにキリン「秋味」の発売開始はは1991年。

キリン「良質素材」の発売開始は2007年。

おいしかったのに、もう売っていません。

6a0133f2a604a3970b013485ca1c89970c-800wi ※2007年8月9日の投稿から


キリン「ストロングセブン」は発売開始は2008年。

     

最後に私が最近お世話になっている4種類のビール・ビール風飲みモノ。

自分の記念で写真掲載。どれだけ生き残るかな。

RIMG0001ビール4 
    

今年の秋味もあと1本。

 

100年前に「麒麟麦酒株式会社」設立

  

今日は10月16日。

昨晩はビールのことをうとうと思いましたが、疲れのために寝てしまいました。

今晩頑張る。

前投稿のつづき。

6月30日放映の「シルシルミシル」より。

    

「龍馬伝」でもお馴染みのグラバーが、日本国産ビールに貢献します。

ウィリアム・コープランドの会社は倒産しますが、

グラバーは、ビール産業は日本で成功すると考え、

岩崎彌太郎の弟彌之助に声をかけ、会社を作ります。

RIMG0043ビールとグラバー RIMG0044ビールと岩崎彌之助

    

◇会社の名前はジャパン・ブルワリー・カンパニー。

 1885年設立です。

RIMG0045ジャパンブルワリーカンパニー 

   

ここで気になったのが「ブルワリー」の意味。

調べました。

breweryと書き、

「醸造所の意味で、特にビール醸造所をいう。醸造だけでなく販売およびパブを兼ねたものもある」とありました。

    

◇日本人にはイギリスビールの味は合わないので、

この会社はドイツビールの味を採用しました。

RIMG0046ドイツビール日本人好みの味RIMG0047ドイツから最新設備 

    

◇ジャパン・ブルワリー・カンパニーが東洋の霊獣「麒麟」をラベルに描いた「キリンビール」を発売しました。

1888年のことでした。

RIMG0049キリンビール誕生 
   

◇1889年、グラバーの提案で、霊獣「麒麟」のデザインが変更されます。

RIMG00501889年ラベル変更 
     

◇お馴染みのデザインですが、2010年と比較すると変わってきていることがわかります。

RIMG00532010年のラベル比較 
   

◇1907年、ジャパン・ブルワリー・カンパニーは、

新会社「麒麟麦酒株式会社」として生まれ変わります。

会社「キリンホールディングス」は2007年で誕生100年だったわけです。    

    

グラバーに岩崎彌太郎の弟彌之助がキリンビール誕生にかかわったのが面白い。

さらに、霊獣「麒麟」は、頭が竜、体は馬であることから、

坂本龍馬が関係するという都市伝説があるそうです。

心躍る話でした。

幕末・明治始めの大きな時代のうねりの中で生まれたビール。

そう思うと、毎日ビールを飲むことが楽しくなります。

 

 

2010年10月15日 (金)

日本ビール産業の祖

   

今日は10日15日。

金曜日の晩。とっと気楽な晩です。ビールのこと書いていきます。

    

6月30日の番組「シルシルミシル」が良かったです。

キリンビールの特集でした。

   

新しいことをいろいろ知りました。

◇日本人が初めてビールを飲んだのは江戸時代。

◇日本でビールを製造することを初めて挑戦したのが、

 ウィリアム・コープランド。日本ビール産業の祖と呼ばれています。

RIMG00382日本ビール産業の祖
  

◇彼の作ったビールはイギリスビール系のビールでした。

 日本に来ていた外国人には好評でしたが、

 日本人には合いませんでした。

RIMG00404イギリスビールは日本人には合わない 

  

◇何より、値段が高かったです。

 大瓶1本8000円!これは無理。

RIMG0041大瓶1本8000円 

  

◇ウィリアム・コープランドの会社は倒産してしまいます。

 しかし彼のもとでビールづくりを修業した日本人は、

 ビール国産化の流れを形作っていったそうです。

   

さらに話は続きますが、次の投稿へ。   

 

給料日/ストロングセブン購入

  

今日は10月15日。

給料日。ストロングセブンを12本買ってきました。

ストロングセブンの種類は、「リキュール(発泡性)①」とあります。

面倒くさいので、ビールと呼びたい。

0422b_01_b 

ほぼ1年前の投稿。

※「ストロングセブン1周年」http://mitikusa.typepad.jp/blog/2009/10/post-5163.html

によると、平成20年10月23日にストロングセブンの初めて飲んでいます。

そして次のように書いています。

新製品が泡のようにいつの間にか消えていってしまうビール関係商品にあって、

1年間生き残った発泡酒です。

来年の10月23日にはまだ生き残っているかな。(平成21年10月24日)

    

今日12本買ってきたため、2年目の10月23日は、

ストロングセブンは飲めそうです。来年はどうかな?

もう売っている店も限られてきています。不安です。

お気に入りのビールなので、飲み続けたいです。

2009年、このビールを作っているキリンの工場は次の5か所だそうです。

頑張ってください。

仙台工場、取手工場、横浜工場、名古屋工場、岡山工場、福岡工場。(つづく)

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