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2019年8月

2019年8月24日 (土)

落花生の”豆”知識 なぜ土の中で結実するか?

 

今日は令和元年8月24日。

  

午前中に床屋さんに行ってきました。

以前はちょくちょく自転車で行っていましたが、

最近は自動車ばかりでした。

午前中は久々涼しかったので、自転車で行きました。

片道25分ほどのサイクリングです。

  

その時に気がついたことです。

道の両脇の畑には、ズラッと同じ作物が植えてありました。

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落花生かなと思ったけど、

どうも写真をよく見たら、葉っぱが違うようです。

近いうちにまた出向いて確認したいです。

花が咲いたらわかります。

落花生なら、マメ科らしい形の黄色い花が咲きます。

Image_jpeg 暇人主婦の家庭菜園 落花生栽培

  

現在半信半疑です。

  

  

落花生で最近興味深い文章を読みました。

落花生は地中で結実します。

マメ科の植物の中では珍しいです。

ここからは引用。

引用:「『緑』雑学辞典」(北嶋廣敏著/グラフ社)

  

植物はそれぞれ種子を遠くへ散布して、

分布を広げるためのよい方法を考え出している。

ラッカセイの種子は土のなかでつくられる。

地中だと、それを遠くへ散布することが

できないではないか・・・。

では、ラッカセイが考えだした方法とは?

ラッカセイの莢(さや)は網状の凹凸(おうとつ)があり、

熟すると乾燥して堅くなって軽くなる。

そしてなかが空洞なので、水に浮くことができる。

雨が降って川となり、川が土を削り流し、

土のなかのラッカセイの種子を遠くへ運んでいく。

ラッカセイは野生の状態ではそうやって

繁殖してきたのだろうと考えられている。

(56p)

  

なるほどです。

アスファルトに囲まれた生活をしていると、

雨が土を削るという現象を忘れがちです。

でも、実際は土は削られているだろうから、

野生の落花生がそれを利用したと考えられます。

2019年8月23日 (金)

日めくりより/「A.D.」は何の略? 日本は明治5年から

 

今日は令和元年8月23日。

  

日めくり「雑学王」(TRY-X)より。

紀元を表す「A.D.」はそもそも何の略か?

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いつかは調べようと思っていたけど、

思っただけで調べなかったこと。

  

 

日本が西暦(太陽暦)を採用したのは、明治5年。

明治5年12月3日が、

突如明治6年(1873年)1月1日となりました。

この年の年末は大変ですよね。

12月3日が1月1日になったということは、

師走の12月は2日だけ。

どんな年末年始だったのでしょう?

  

そこで思い出すのが、次の番組。

2015年1月1日放映の

タイムスクープハンター お正月パニック 改暦大騒動」です。

録画してあって手元にあります。

確か見たと思うけど・・・あまり覚えていない。

見たとしても、もう一度見てみよう。

今晩の楽しみ。

北海道開拓 平成・昭和期の開拓物語

 

今日は令和元年8月23日。

  

前投稿の続きで、6月15日放映の

ETV特集  希望の大地 ~北海道 厚真町 ふたりの開拓物語~」より。

  

石川県の二俣からきた移住者の様子を、

厚真町町長の宮坂さんと、ナレーターの説明を聞き書きします。

 

宮坂:私も厚真町で言えば、三代目になります。

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  先祖は、石川県の二俣というところから出てきています。

  (中略)

ナレーター:明治28年。肥沃な土壌と清流に恵まれた土地に

  4軒の家族が、その翌年には35軒が二俣から入植。

  人々は、巨大な木を1本1本切り倒し、道をつけ、

  新天地に希望を託しました。

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宮坂:当時は河川の改修も進んでいませんので、

  堤防もない時代ですからね、ちょっと雨が降ると、

  (川が氾濫して)開墾した耕地が台なしになっていく。

  それにもめげず、もう一度整備をし直す。作づけをする。

  その繰り返しでした。

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  それが厚真町の歴史でしたので、共同意識も共同作業と

  いうことも、経験的に当たり前だったということを、

  繰り返したんだと思います。

ナレーター:入植の3年後には、北海道全域で大洪水が発生。

  厚真でも28人が命を奪われます。

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  川の水を治めようと、開拓者たちは用水路を掘削(くっさく)。

  それが水田づくりの礎となりました。

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  今も厚真の田んぼでは、当時の木の根が出土します。

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  開拓者たちの歴史は自然との闘いの歴史でした。

  そして昭和のはじめ、当時の厚真村は、北海道でいち早く、

  地元産の米をブランド化。

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  本州に出荷するまでになりました。

  当時から変わらず作り続けている厚真最高級の米「さくら米」

  町の誇りです。

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宮坂:(厚真町の)北部山間地の皆さんが元どおり、

  プライドをかけて守ってきたお米作りを、

  今後も再開できるように、継承できるように、

  一丸となっていくことが大切ではないかなと。

  北部山間地を復旧させる意味は、

  厚真町が復興していくための大切な要素だと思っています。

  

     

番組のラストは、昨年の地震で土砂崩れや地割れが起こり、

被害を受けた用水路が復旧して、水が流れるシーンでした。

ことし、厚真町ではお米が作られていると思います。

  

今回の災害で、厚真町では35人の命が奪われました。

でも厚真町ではお米づくりがはじまり、

厚真町の歴史は途絶えることなく動き出しました。

今は明治期の開拓について注目して調べていますが、

今、厚真町の北部山間部で行われていることは、

平成・令和期の開拓に思えます。

番組のタイトルに「開拓」が入っている意味がわかった気がしました。

  

以上で「ETV特集  希望の大地 ~北海道 厚真町 ふたりの開拓物語~」の

読み物化完了。

北海道開拓 厚真町に残る開拓記念碑

今日は令和元年8月23日。

  

「北海道」「開拓」関連の番組を見てきました。

これが最後の1本。

今年の6月15日放映の「ETV特集  希望の大地~

北海道 厚真町 ふたりの開拓物語~」です。

  

昨年の9月27日に、北海道胆振東部地震の被害を受けた厚真町で、

自宅に戻り農業を再開した夫婦、

松平功さん(77)と信子さん(72)。

番組はこの2人の、地震直後から今年の5月までの姿を中心に

紹介していました。

番組の中で、厚真町の開拓の歴史に触れたところがありました。

そこの部分だけ書き留めておこうと思います。

  

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☝ 松平さんの自宅から10分ほどのところにあった

開拓記念碑が、地震で倒れていました。

そこに石川県加賀国河北郡二俣の地名がありました。☟

 

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現在もある金沢市二俣町。☟

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ここからの移住者によって開拓されたのが厚真町でした。

  

開拓記念碑には、当時の移住者の名前が並びます。☟

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最初に書いてある「亀井三四郎」さんが開拓団団長でした。

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北海道への移住を決意した出来事について、

2番目に名前のある「亀井喜久太郎」さんが書き残していました。

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この「覚書」によると、、明治14年に記録的な大雪があり、

紙すきの原料である楮(コウゾ)に甚大な被害が及びました。

やがて窮地に追い込まれていった住民たちは、

村を離れる決断をしたそうです。

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二俣からの移住者の開拓の様子は、次の記事で書きます。

  

つづく 

2019年8月22日 (木)

病院の待合室で「チコちゃん」の本に出合う/森のニオイ

  

今日は令和元年8月22日。

  

以前、運慶の本と出合った病院の待合室。

ここでも道草 病院の待合室で「運慶」の作品に出会う(2017年11月8日投稿) 

今回はこの本と出合いました。

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面白い本だったので、さっそく購入しました。

番組「チコちゃんに叱られる」は、

今年の1月くらいから見始めました。

この本の内容は、私が見始める前の内容でした。

 

印象に残った文章を引用します。

引用するぞ!

  

疑問:森のニオイって、なんの匂い?

答え:森のニオイは殺しの香り

 

「森のニオイは、植物が出している毒のニオイなんです」

こう語るのは、森について30年以上研究している

森林総合研究所の森林博士こと香川隆英さん。

「森のニオイは、木や草やコケ、そして土の匂いなどで

構成されていますが、人間が嗅いでホッとする成分のひとつが、

植物が出しているフィトンチッドと呼ばれるものです」

フィトンチッドとは、1930年ごろにロシア人研究者の

ポリス・トーキン博士によって発見された、

樹木などが発する化学物質のこと。

ロシア語のフィトンは日本語で植物、

チッドは殺すという意味になります。

「つまり植物が出している毒なんですね。

この毒を出すことによって、

植物は自分自身を守っているんです」

植物にとっての天敵のひとつが、カビや細菌といった微生物。

感染すると、光合成を邪魔されるなど、枯れる原因となります。

そこで植物は、フィトンチッドという毒を出して、

微生物を攻撃しているのです。(中略)

「ものすごく高い濃度のフィトンチッドを吸えば、

ヒトにも毒ですが、森の中に漂っているフィトンチッドは

とても微量です。むしろ人間にとっては、

すごく良い作用をもたらすのです」

香川さんによると、ヒトがフィトンチッドを吸引すると、

脳の活動が沈静化し、コルチゾールと呼ばれる

ストレスホルモンの分泌が抑えられることが分かっています。

「ストレスが減るのでリラックスするといわれています」

(中略)

フィトンチッドはさらに、こんなメリットもあると香川さん。

「がん細胞やウィルスを攻撃する細胞の量が、

飛躍的に増えることが最近の研究で分かってきたのです」

フィトンチッドが増やすといわれているのは、

ナチュラルキラー細胞と呼ばれるリンパ球。

病原体から体を守る免疫細胞の一種で、

この細胞の量が増えることでがんなどの病気に対する

免疫力が上がるのです。(中略)

というわけで、ぜひ森へ森林浴に出かけて、思う存分、

植物が放出しているフィトンチッドを吸い込んできましょう。

(80~84p)

これを読むと、ますます山に行きたくなります。

登山靴を買ったのに、まだ行くことができていません。

でもそろそろ行ける。行くぞう。

北海道開拓の小説「石狩平野」「石狩川」

今日は令和元年8月22日。

  

 「北海道」「開拓」に関する小説を以前・・・高校生くらいに

読んだ覚えがあります。

筋は覚えていませんが、とても辛い小説でした。

読んでいて北海道の開拓がいかに大変だったか、

苦しかったかが伝わってきた小説でした。

読後も暗い気持ちになった覚えがあります。

黒田清隆に対して悪いイメージを持ちました。

なぜだろうか?

  

何という本の名前だったか?

「石狩」が本名に含まれていて、作者には「船」の字があったと

覚えていました。

今の世の中、これだけ覚えていたらどうにかなります。

調べました。「石狩」を含む小説は2つありました。

  

 

石狩川」(本庄陸男)

石川平野」(船山薫)

    

もう決まりです。「石狩平野」です。

その本はなぜ家にあったのかわかりませんが、

現在はありません。

いい機会なので、また読んでみようと思いました。

地元の図書館にはありませんでした。

amazonで注文しました。

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20日に発送されたと連絡があったので、

今日ぐらいに届くかな?

40年ぶりの対面です。

  

3つの小説のうち「石狩川」も北海道開拓の話です。

石狩川」を原作にした映画があります。

Cimg1092野村淳一の流氷の街から

映画「大地の侍」(1956年)

  

いい映画のようです。

映画も小説も読んでみたいですね。

  

北海道開拓と「お米」その3 屯田兵(夫)もやった米づくり

  

今日は令和元年8月22日。

  

前投稿に引き続いて、2018年12月15日放映

BS1スペシャル 北海道開拓 ~困難の果てに~」です。

  

聞き書きです。

  

ナレーター:さらに、屯田兵の暮らしには、もう一つ、

  耐え難い決まりがありました。

  問題となったのは、作物の栽培に関わる軍の指導です。

鈴木功一さん:イモだとか、トウキビだとかね、

  中隊からくれるのは、そういう種。

  畑の種しかくれない。

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ナレーター:実は屯田兵には、米作りが許されていませんでした。

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  水が冷たい北海道には不向きだというのが、理由でした。

  そんな中、ある屯田兵の家で、命令に背く者が現れます。

  米どころ、青森県出身の藤田貞元(ていげん)。

  ひそかに種もみを取り寄せ、自宅の片隅で、栽培を始めました。

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  この命令違反は、早々に露見し、隊長が激怒。

  水田は、丸太で埋められてしまいました。

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  それでも藤田は、残った苗を栽培。

  秋には収穫を得ます。

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  そして、この稲穂を手にあらためて稲作の許しを請うたところ、

  隊長は黙ってうなずいたと、伝えられています。

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  この後、旭川の屯田兵の間では、

  少し変わった軍事訓練が行われることになりました。

  土木工事の訓練として実施されるようになったのが、

  こちらの水路を掘ること。

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  軍は、負担が大きい灌漑用水路の建設を、

  自ら行うことにしたのです。

  出来上がったのが。総延長33km、今も使われる水路網です。

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  今や日本の有数の米どころ旭川。

  その礎には、米と暮らしてきた人々の執念がありました。

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旭川が米の大産地という話も、授業でしたことがあります。

大産地になるきっかけを知りました。

きれいごとではなかったかもしれませんが、

屯田兵である夫たちも開墾に協力して成し遂げた

米づくりだったんだなあと思いました。

やっぱり、みんなでやらなくては!

それぞれが、できることをやって成し遂げたら、

喜びもひとしおです。

  

これで「BS1スペシャル 北海道開拓 ~困難の果てに~」の

読み物化は終了。

次は、この番組でも紹介されていた厚真町にかんする番組を見ます。

   

北海道開拓と「お米」その2 立場の弱い者に、重い負担

  

今日は令和元年8月22日。

  

前投稿に引き続いて、2018年12月15日放映

BS1スペシャル 北海道開拓 ~困難の果てに~」です。

  

聞き書きです。

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ナレーター:当時の開墾の様子を、屯田兵の一人が

  詳細に書き記した絵巻が残されています。

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  屯田兵たちが家族とともに入植したのは、

  鬱蒼と繁る原生林の中。

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  開拓は人の力でこの大木を1本ずつ切り倒すことから

  始まりました。

  多くの人が命を落とす過酷な作業でした。

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  冬場は、厳しい寒さとの闘いでした。

  氷点下41度の中、開墾の作業を続けたという記録も

  残っています。

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  雪が解ければ、村にヒグマが出没。

  開拓は自然との格闘の連続でした。

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中谷:何とかここで頑張って、大きな土地を開拓して、

  それが自分のものになるわけですので、

  やはり(土地を自分のものにする)願いが

  強かったのではないかと。

ナレーター:屯田兵の開拓にはさらに意外な事実もありました。

  絵巻物をよく見ると、作業をしていたのは、

  女性や子どもが多いのです。

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  農作業を主に担っていたのは、屯田兵ではなく、

  その家族だったのです。

  屯田兵本人は、朝から夕方まで軍事訓練。

  開拓には、あまり手がまわらなかったのです。

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  この分業は、家族の側に重い負担となりました。

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  鈴木(功一)さんの祖父、伝治さんは、旭川で

  屯田兵の家族として、子ども時代を過ごしました。

  当初は尋常小学校に通いながら開拓にたずさわりましたが、

  両立は難しく、中途退学したと聞かされています。

鈴木:厳しい時代だったらしいですよ。

  大変、朝、暗いうちから行って、そして暗くなるまで、

  それなりにやっぱり大変だったのではないかと。

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ナレーター:さらに伝治さんが入植した年のある夜のことです。

  屯田兵の妻たち3人が示し合わせ、村から逃げ出しました。  

  それを捕らえることになったのは、夫たち。

  軍に知られれば、家族の脱走は、厳しく罰せられます。

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  国防と開拓。一石二鳥をねらった矛盾が、

  立場が弱い者に、重い負担を強いる形となったのです。

  

立場が弱い妻や子に重い負担を強いたということでしょう。

そしてそういう人たちの歴史は残りにくい。

私は、この番組を見て初めて、妻子が開墾にたずさわっていたことを

知りました。

今までのイメージは、屯田兵が木を切り倒し、

土地を耕しているイメージでした。

  

つづく

北海道開拓と「お米」その1 屯田兵の配備

  

今日は令和元年8月22日。

  

昨晩の夕食は焼き魚。ビールはもちろん「秋味

焼き魚と秋味は合うんです。幸せでした。

 

前投稿に引き続いて「北海道」「開拓」関連の番組を見ました。

2018年12月15日放映「BS1スペシャル 北海道開拓

~困難の果てに~」です。

  

大きく分けて4つの内容でした。

旭川における屯田兵の開拓と米作り。

十勝における実業家依田勉三さんの挑戦。

東京世田谷の人たちによる戦後開拓。

そして最後は、災害にあってもなお厚真町で農業をする夫婦。

  

その中で特に印象に残った屯田兵による開拓について、

聞き書きして、書き留めておこうと思います。

  

ナレーター:初夏。日本有数の米どころ、

  北海道中部にある旭川で、少し変わったお祭りが開かれます。

  地元の神社が執り行うお田植え祭。

  一見、全国各地で行われている豊作祈願の祭りと同じですが、

  この田植え歌の詞に特徴があります。

  ♪ 屯田兵に はじまれる

    あさひの 川の稲作り ♪

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  屯田兵とは、北海道開拓を担った特殊な軍隊です。

  国防と開拓、2つの目的のために、明治初期に創設。

  明治半ばに道内各地に広がりました。

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  かつて蝦夷地と呼ばれていた北海道。

  その開拓は、明治政府の指導で行われてきました。

  明治元年。政府は、蝦夷地開拓条項を制定。

  禄を失った侍、土地を失った農民など、

  全国各地から北海道へと人が送り込まれました。

  北海道の人口は、明治からの100年で、

  およそ6万人から520万人にまで増えました。

  この北海道開拓の初期に、拠点づくりを担ったのが、

  屯田兵です。

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  当時、北海道の開拓が急がれた背景には、

  ある、国際情勢がありました。

  この頃、ロシアでは、シベリア鉄道の建設、

  そして、軍隊の強化が進められていました。

  日本にも、これに対抗する兵力が求められたのです。

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  この旭川に屯田兵が設置されたのは、明治25年のこと。

  最もロシアに近い場所に駐留する部隊として、

  400人が配備されました。

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この番組を見て、久しぶりに「屯田兵」という言葉に触れました。

以前、社会科の授業で教えた以来かな。

それがいつのことだったかも忘れました。

  

この屯田兵と、北海道の米作りがつながっていきます。

 

つづく

    

2019年8月21日 (水)

北海道開拓を決めた先祖伝来の前飾り

今日は令和元年8月21日。

  

前投稿に引き続き、 2017年12月8日放映の

歴史秘話ヒストリア北の大地に夢をひらけ!

お殿様の北海道開拓使」より。

  

印象深かったシーンを、読み物化します。  

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ナレーター:宮城県亘理(わたり)町。伊達邦成(くにしげ)の

  領地だった場所です。仙台伊達家の一門として、

  2万4000石もの石高がありました。

  その亘理伊達家に代々伝えられた黒い甲冑(かっちゅう)。

  あの伊達政宗の腹心で邦成の先祖、伊達成実(しげざね)の

  ものです。

  印象的な兜の前飾り。何だかふさふさしています。

  実は、この飾りに、邦成や代々の当主が大切にした

  ある決意が込められていました。

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この前飾りが何を模したもので、どのような意味(決意)が

込められていると思いますか。

私は何か動物の尻尾なのかなと予想しましたが、

皆さんはどう思いますか。

真実は、私の予想外なものでした。

  

  

北海道に家臣ともども移住することを決断した邦成。

そのシーンで、前飾りの真実が語られました。

  

ナレーター:大きな決断をした邦成。

  後押ししたのは、何と先祖伝来の兜。ふさふさも前飾りです。

  実はこれ、毛虫を模したもの。

  当時毛虫は、前進しても決して退かないことの象徴でした。

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  ピンチの時こそ、前進あるのみ。

  邦成は、先祖から受け継ぐ心構えを胸に刻み、

  北海道開拓を決意しました。

驚きでした。

当時は、毛虫をそう見ていたんだ!

以上で「歴史秘話ヒストリア北の大地に夢をひらけ!

お殿様の北海道開拓使」の読み物化完了。

  

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