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2019年8月22日 (木)

北海道開拓と「お米」その1 屯田兵の配備

  

今日は令和元年8月22日。

  

昨晩の夕食は焼き魚。ビールはもちろん「秋味

焼き魚と秋味は合うんです。幸せでした。

 

前投稿に引き続いて「北海道」「開拓」関連の番組を見ました。

2018年12月15日放映「BS1スペシャル 北海道開拓

~困難の果てに~」です。

  

大きく分けて4つの内容でした。

旭川における屯田兵の開拓と米作り。

十勝における実業家依田勉三さんの挑戦。

東京世田谷の人たちによる戦後開拓。

そして最後は、災害にあってもなお厚真町で農業をする夫婦。

  

その中で特に印象に残った屯田兵による開拓について、

聞き書きして、書き留めておこうと思います。

  

ナレーター:初夏。日本有数の米どころ、

  北海道中部にある旭川で、少し変わったお祭りが開かれます。

  地元の神社が執り行うお田植え祭。

  一見、全国各地で行われている豊作祈願の祭りと同じですが、

  この田植え歌の詞に特徴があります。

  ♪ 屯田兵に はじまれる

    あさひの 川の稲作り ♪

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  屯田兵とは、北海道開拓を担った特殊な軍隊です。

  国防と開拓、2つの目的のために、明治初期に創設。

  明治半ばに道内各地に広がりました。

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  かつて蝦夷地と呼ばれていた北海道。

  その開拓は、明治政府の指導で行われてきました。

  明治元年。政府は、蝦夷地開拓条項を制定。

  禄を失った侍、土地を失った農民など、

  全国各地から北海道へと人が送り込まれました。

  北海道の人口は、明治からの100年で、

  およそ6万人から520万人にまで増えました。

  この北海道開拓の初期に、拠点づくりを担ったのが、

  屯田兵です。

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  当時、北海道の開拓が急がれた背景には、

  ある、国際情勢がありました。

  この頃、ロシアでは、シベリア鉄道の建設、

  そして、軍隊の強化が進められていました。

  日本にも、これに対抗する兵力が求められたのです。

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  この旭川に屯田兵が設置されたのは、明治25年のこと。

  最もロシアに近い場所に駐留する部隊として、

  400人が配備されました。

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この番組を見て、久しぶりに「屯田兵」という言葉に触れました。

以前、社会科の授業で教えた以来かな。

それがいつのことだったかも忘れました。

  

この屯田兵と、北海道の米作りがつながっていきます。

 

つづく

    

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