北海道開拓と「お米」その1 屯田兵の配備
今日は令和元年8月22日。
昨晩の夕食は焼き魚。ビールはもちろん「秋味」
焼き魚と秋味は合うんです。幸せでした。
前投稿に引き続いて「北海道」「開拓」関連の番組を見ました。
2018年12月15日放映「BS1スペシャル 北海道開拓
~困難の果てに~」です。
大きく分けて4つの内容でした。
旭川における屯田兵の開拓と米作り。
十勝における実業家依田勉三さんの挑戦。
東京世田谷の人たちによる戦後開拓。
そして最後は、災害にあってもなお厚真町で農業をする夫婦。
その中で特に印象に残った屯田兵による開拓について、
聞き書きして、書き留めておこうと思います。
ナレーター:初夏。日本有数の米どころ、
北海道中部にある旭川で、少し変わったお祭りが開かれます。
地元の神社が執り行うお田植え祭。
一見、全国各地で行われている豊作祈願の祭りと同じですが、
この田植え歌の詞に特徴があります。
♪ 屯田兵に はじまれる
あさひの 川の稲作り ♪
屯田兵とは、北海道開拓を担った特殊な軍隊です。
国防と開拓、2つの目的のために、明治初期に創設。
明治半ばに道内各地に広がりました。
かつて蝦夷地と呼ばれていた北海道。
その開拓は、明治政府の指導で行われてきました。
明治元年。政府は、蝦夷地開拓条項を制定。
禄を失った侍、土地を失った農民など、
全国各地から北海道へと人が送り込まれました。
北海道の人口は、明治からの100年で、
およそ6万人から520万人にまで増えました。
この北海道開拓の初期に、拠点づくりを担ったのが、
屯田兵です。
当時、北海道の開拓が急がれた背景には、
ある、国際情勢がありました。
この頃、ロシアでは、シベリア鉄道の建設、
そして、軍隊の強化が進められていました。
日本にも、これに対抗する兵力が求められたのです。
この旭川に屯田兵が設置されたのは、明治25年のこと。
最もロシアに近い場所に駐留する部隊として、
400人が配備されました。
この番組を見て、久しぶりに「屯田兵」という言葉に触れました。
以前、社会科の授業で教えた以来かな。
それがいつのことだったかも忘れました。
この屯田兵と、北海道の米作りがつながっていきます。
つづく
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