北海道開拓と「お米」その2 立場の弱い者に、重い負担
今日は令和元年8月22日。
前投稿に引き続いて、2018年12月15日放映
「BS1スペシャル 北海道開拓 ~困難の果てに~」です。
聞き書きです。
ナレーター:当時の開墾の様子を、屯田兵の一人が
詳細に書き記した絵巻が残されています。
屯田兵たちが家族とともに入植したのは、
鬱蒼と繁る原生林の中。
開拓は人の力でこの大木を1本ずつ切り倒すことから
始まりました。
多くの人が命を落とす過酷な作業でした。
冬場は、厳しい寒さとの闘いでした。
氷点下41度の中、開墾の作業を続けたという記録も
残っています。
雪が解ければ、村にヒグマが出没。
開拓は自然との格闘の連続でした。
中谷:何とかここで頑張って、大きな土地を開拓して、
それが自分のものになるわけですので、
やはり(土地を自分のものにする)願いが
強かったのではないかと。
ナレーター:屯田兵の開拓にはさらに意外な事実もありました。
絵巻物をよく見ると、作業をしていたのは、
女性や子どもが多いのです。
農作業を主に担っていたのは、屯田兵ではなく、
その家族だったのです。
屯田兵本人は、朝から夕方まで軍事訓練。
開拓には、あまり手がまわらなかったのです。
この分業は、家族の側に重い負担となりました。
鈴木(功一)さんの祖父、伝治さんは、旭川で
屯田兵の家族として、子ども時代を過ごしました。
当初は尋常小学校に通いながら開拓にたずさわりましたが、
両立は難しく、中途退学したと聞かされています。
鈴木:厳しい時代だったらしいですよ。
大変、朝、暗いうちから行って、そして暗くなるまで、
それなりにやっぱり大変だったのではないかと。
ナレーター:さらに伝治さんが入植した年のある夜のことです。
屯田兵の妻たち3人が示し合わせ、村から逃げ出しました。
それを捕らえることになったのは、夫たち。
軍に知られれば、家族の脱走は、厳しく罰せられます。
国防と開拓。一石二鳥をねらった矛盾が、
立場が弱い者に、重い負担を強いる形となったのです。
立場が弱い妻や子に重い負担を強いたということでしょう。
そしてそういう人たちの歴史は残りにくい。
私は、この番組を見て初めて、妻子が開墾にたずさわっていたことを
知りました。
今までのイメージは、屯田兵が木を切り倒し、
土地を耕しているイメージでした。
つづく
コメント