北海道開拓 厚真町に残る開拓記念碑
今日は令和元年8月23日。
「北海道」「開拓」関連の番組を見てきました。
これが最後の1本。
今年の6月15日放映の「ETV特集 希望の大地~
北海道 厚真町 ふたりの開拓物語~」です。
昨年の9月27日に、北海道胆振東部地震の被害を受けた厚真町で、
自宅に戻り農業を再開した夫婦、
松平功さん(77)と信子さん(72)。
番組はこの2人の、地震直後から今年の5月までの姿を中心に
紹介していました。
番組の中で、厚真町の開拓の歴史に触れたところがありました。
そこの部分だけ書き留めておこうと思います。
☝ 松平さんの自宅から10分ほどのところにあった
開拓記念碑が、地震で倒れていました。
そこに石川県加賀国河北郡二俣の地名がありました。☟
現在もある金沢市二俣町。☟
ここからの移住者によって開拓されたのが厚真町でした。
開拓記念碑には、当時の移住者の名前が並びます。☟
最初に書いてある「亀井三四郎」さんが開拓団団長でした。
北海道への移住を決意した出来事について、
2番目に名前のある「亀井喜久太郎」さんが書き残していました。
この「覚書」によると、、明治14年に記録的な大雪があり、
紙すきの原料である楮(コウゾ)に甚大な被害が及びました。
やがて窮地に追い込まれていった住民たちは、
村を離れる決断をしたそうです。
二俣からの移住者の開拓の様子は、次の記事で書きます。
つづく
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