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2017年11月

2017年11月23日 (木)

二川宿本陣資料館その2/参勤交代

  

今日は11月23日。

  

11月15日の投稿の続き。

ここでも道草 二川宿本陣資料館/「末広五十三次 二川」(歌川貞秀 作)

  

11月11日に豊橋市二川宿本陣資料館に行ってきました。

その時に勉強になったことをここに書き留めます。

  

入館してすぐにあるのは、参勤交代のコーナー。

そこにあった説明のフリップは勉強になりました。

 

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この中の一文。

 

江戸に出て幕府に仕えることを参勤、

国元に帰ることを交代と言い、

合わせて参勤交代と言いました。

  

そうだったっけ?

ハッとさせられた一文でした。

フリップの写真を並べます。

いつかの授業の教材研究に役立つでしょうか?

  

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「津山藩主松平斉孝津山入国行列図」については、

とても長大なものでした。

ぜひ資料館に行って見てください。

  

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少しこだわってみます。

 

殿様が乗った籠の後ろに馬が引かれていきます。

Rimg1131a_2  

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この馬は「牽馬(ひきうま)」と呼ばれて、

大名(殿様)が駕籠に飽きたとき乗馬するためのものだそうです。

参考:大名行列の歴史

  

長柄傘(ながえがさ)は、

長柄の唐傘で羅紗地に家紋縫い付けであるそうです。(参考:上記サイト)

  

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合羽籠の形が気になりました。

これは何?

 

文字通り、カッパが入っていたようです。

紙合羽(赤合羽)と呼ばれるカッパが入っていました。

道中のにわか雨に備えたそうです。

※参考:コトバンク 雨具

紙合羽についてはここな説明あり↓

※きもの用語大全 紙合羽とは

引用します。

 

ラシャ製の合羽に対し、和紙を張り合わせて桐油や柿渋をひいたものを

「紙合羽」と称しました。

江戸時代初期から参勤交代の武士や中間の間で多く用いられました。

「赤合羽」、「桐油合羽」ともいいます。

  

紙合羽の画像はないかと探しました。

なかなか見つからず。

これらはどうかな?

Photo_5 百々江戸絵展どどえどえてん 江戸イラストレーターブログ

Img_9 葵区のこと、知ってるつもり!? ~ 静岡市葵区自治会連合会ブログ郷島 和紙漉き体験 

  

つづく

珍味の日/「チーズ鱈」はなとりの商品名

今日は11月23日。

  

勤労感謝の日。

「珍味の日」だそうです。

今日は何の日~毎日が記念日~11月23日から引用。

  

全国珍味商工業協同組合連合会が制定。

この日に皇居や伊勢神宮などで行われる新嘗祭で山海の珍味が供えられることと、

「い(1)い(1)つ(2)まみ(3)」の語呂合せ。

  

そもそも「珍味」とは?

  

コトバンクには次のように書いてありました。

  

めったにない、珍しくおいしいもの。

さきいかやいかのくんせい、チーズたら、ビーフジャーキー、

ナッツなど、乾き物を主とした酒の肴に向く加工食品を

いうこともある。

  

珍味にも2種類あるということです。

何となく使い分けていましたが、

こうやって調べてみて納得しました。

 

「チーズたら」が気になりました。

「チーズたら」ってあのことか?

  

このCMがわかりやすかったです。


YouTube: 【和久井映見】一度は食べていただきたい熟成チーズ鱈TVCM「とびきりの味わい」篇30秒(なとり)

  

Photo

Photo_2 

これこれ、おなじみのこの食べ物が「チーズたら」だったのですね。

名前を意識したのは初めてかな?

  

Photo_3

この映像のように、チーズをたら(鱈)ではさんだ珍味です。

  

Photo_4 

「チーズ鱈」というのは、「なとり」という会社の商品名だそうです。

何にでも歴史あり。

「チーズ鱈」にも当然ながら歴史がありました。

 

なとりでは、最初チーズをはさむのはイカだったそうです。

  

その歴史はここに詳しい↓

ニッポン・ロングセラー考 チーズ鱈

なとりの前身、名取商会は、イカを使った製品を得意でした。

イカの和に対して、洋のチーズを組み合わせて和洋折衷おつまみの

開発に乗り出したのは、初代社長名取光男さん。

チーズを常温保存できるようにするために脱酸素剤を使用し、

チーズとイカを組み合わせた試作品を作りました。

しかし、脱酸素剤によってイカが赤く変色してしまうという問題が発生。

いろいろ試行錯誤したが、解決策はなく「チーズいか」開発は断念。

  

イカ・・・・以下、上記サイトから一部引用。

その志は2代目社長の小一が受け継いだ。

小一を中心とした開発陣は、チーズと組み合わせる別の材料を模索。

自社で鱈をシート状にした製品を作っていたこともあり、鱈を使うことに決めた。

この決断にあたっては、社内に反対の声が多数あったという。

なんといってもおつまみの王道はイカ。

イカなら新商品でも受け入れられるが、鱈では難しいと思われたのだ。

だが、試作品を口にした人々の評価は一変する。

チーズと鱈がマッチした想像以上の美味しさと、

チーズが手に直接付かないという利点。

「これならいける!」と、否定的だった声は絶賛に変わった。

スーパーや小売店の評価も高く、製品化は一挙に進んだ。

 

発売されたのは1982年2月。

まもなく36年ですね。

最初に発売された時のキャッチコピーは、

「北海の鱈が北欧の味を上品に包みます」

だったそうです。

今はいまいちのインパクトですが、

当時としては目をひいたものだったのでしょう。

  

  

以上、気楽な休日の朝、気楽な道草をしました。

  

  

  

2017年11月19日 (日)

「英雄たちの選択 歌川国芳」その2/浮世絵の大量生産の流れ

 

今日は11月19日。

  

前投稿に引き続き、10月5日放映の

英雄たちの選択 よっ!国芳~江戸っ子に愛された浮世絵師~」より。

  

浮世絵の基本的な説明を聞き書きします。

 

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ナレーター:浮世絵の人気を支えたのは、

   分業制による大量生産だった。

   出版社である版元が、ヒットするであろう題材を

   絵師に発注する。

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   絵師が描くのは浮世絵の下絵。

   題材をどう表現すれば買い手の心をつかめるか、

   腕の見せ所だ。

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   絵師が描いた下絵をもとに彫師が版木を彫る。

Rimg1234_2

   そして摺師(すりし)によって、色が何色も重ねられた。

Rimg1235_2

   こうして浮世絵は驚くべき速さで大量に生産された。

   その値段は、およそ掛けそば一杯分の16文。

   わずか350円程度で手にできるメディアだったのだ。

Rimg1236_2   

 

大量生産ができたおかげで350円程度となり、

庶民にも手に入れることができたのでしょう。

  

彫師の仕事に注目したい。

本当に色ごとに版木を作ったのでしょうか?

あんな細かい下絵を、正確にずれなく版木に写して

彫ることが本当にできたのでしょうか?

そこが多いに疑問であります。

カーボン紙のようなものがないとできないと思うのですが・・・。

下絵→彫るの中間の作業がもっと詳しく知りたいです。

  

  

番組の中で、色ごとに版木が作られた証拠の映像がありました。

千葉県佐倉市にある国立歴史民俗博物館に、

奇跡的に残された国芳の版木が保管されていました。

Rimg1237

その版木の画像写真です。

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Rimg1240  

この浮世絵の場合、13枚の版木で作品ができあがるそうです。

確かに色ごとに版木があります。

でももう少し具体的に見たいです。

欲を言えば、現物の版木を見て確かめたいです。

  

そんなことはできないのでしょうか?

  

   

  

放生会の「放し鰻」の浮世絵/「英雄たちの選択 歌川国芳」

  

今日は11月19日。

  
前投稿に引き続いて、放生会のこと。

「放し亀」の浮世絵はわかりましたが、

「放し鰻」の浮世絵はないのか探しました。

その結果、番組「にっぽん!歴史鑑定 江戸っ子の秋の楽しみ」(9月18日放映)

で紹介された絵ではないものがありました。

  

作品名は「山海愛度図会(さんかいめでたいずえ)にがしてやりたい)」

1 鰻雑学 

↑このサイトから引用。

  

右の絵は嘉永5年(1862)歌川国芳「山海愛度図会 

にがしてやりたい」という浮世絵です。

当時は神社仏閣で行われていた「放生会」という、

捕獲した小動物を放し、殺生を戒める宗教儀式が大衆でも大流行し、

橋の脇で「放し亀屋」などと呼ばれる露店で売られている

「亀」「鰻」「小鳥」などを買い求めて橋の上から逃がしてやっていました。

そこで逃がした亀などは再び橋のたもとの「放し亀屋」が回収し

再び売っていましたが

「ウナギ」はというと主に鰻屋では料理に使えない、

小さいウナギなどを鰻屋から安く買い使用していたそうです。

  

この浮世絵の作者、歌川国芳については以前「英雄たちの選択」で

紹介していました。

話をそらして、その番組について書きます。

  

10月5日放映の

英雄たちの選択 よっ!国芳~江戸っ子に愛された浮世絵師~」より。

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Rimg1223  

ここで疑問。

没年が1861年になっています。

ところが上記の「山海愛度図会 にがしてやりたい)」は

1862年の作品。

つまり、刷られたのは国芳死後のことだったのでしょうか。

またいつか解明したいことです。

    

  

番組中に随所で勉強になるシーンがありました。

できるだけ書き留めたいです。

  

番組冒頭の磯田道史さんの言ったこと。

参考までに、天保年間は西暦だと1831年から1845年のこと。

Rimg1224  

磯田:国芳が一番活躍したのは、天保(てんぽう)(年間)なんですね。

   「天保世代」 僕、「天保エイジ」とすごく言いたい。

   なぜかと言うと、幕末維新の志士たちとかは、

   実は天保時代に生まれて青少年期をそこでゆりかごのように

   育った人が多い。

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   だから本当は、天保はとっても大事な時代で、

   不穏な時代だったんだけれども、民の力も絶頂に上がってくる時代であって、

   天才も生まれるわけですよね。

   天保という時代はどんな時代なのかとわからないと、

   実は日本近代の出発点がわからない。

   それを(その時代を)象徴する核?として

   国芳をぜひ今日は紹介したいんです。 

 

天保時代と言えば浮かんでくるのが「天保の飢饉」「天保の改革」「水野忠邦」

といった言葉。

この時代に歌川国芳は活躍していました。

教科書には載っていなかった勉強ができた番組でした。

また後日の投稿で。

2017年11月18日 (土)

放生会の「放し亀」の浮世絵

今日は11月18日。

  

前投稿に引き続き、

9月18日放映の「にっぽん!歴史鑑定 江戸っ子の秋の楽しみ」より。

  

放生会(ほうじょうえ)についてやっていました。

Rimg1217

  

食べ物に対する感謝の念を表すために、

江戸時代には放生会というのが行われていました。

殺生(せっしょう)を戒めるための仏教由来の儀式、放生会です。

生き物を逃がすことで功徳を受ける会だそうです。

「功徳を受ける」とは、善行を行うことで報償を受ける権利をもらうこと?

う~ん、善い行いをして殺生を許してもらおうということかな。

 

新暦だと9月・10月の頃に当たる旧暦8月15日に

毎年行われていました。

この日、神社や寺の境内には逃がすための生き物、

「放し亀(がめ)」「放し鰻」「放し鳥(どり)」を売る露店が

軒を連ね、おおいににぎわったそうです。

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左上の絵に見覚えがあります。

 

安藤広重の浮世絵作品にありました。

 

名所江戸百景 第56景 深川万年橋」 

20100117173153908 広重 Hiroshige 「名所江戸百景」 時空map 

  

↑このサイトから引用

  

亀は万年。その名を冠する萬年橋で桶につるされた亀は、

今、売りに出されている亀である。

といっても、ペットとして売られているのではなく、

放すために売られている。

これは、放生会(ほうじょうえ)という儀式を

モチーフにした絵であるのだが、

これは、万物の生命をいつくしみ、殺生を戒め、

後生の安寧を願うために、生きた動物を自然に返す行事であり、

古くから全国の八幡宮を中心に行われてきた。

放たれるのは、鳥や魚であることが多く、

この行事のために、わざわざこうした小動物が売りに出されていたという。

描かれた亀は、深川八幡宮の放生会に供される亀であろう。

隅田川越しに富士山を望み、いま放たれんと鼻息も荒い。  

「放生会」「功徳を受ける」の説明も含んでいて

勉強になりました。

この絵が身近になりました。

さんまと大根おろしの組み合わせ

 

今日は11月18日。

  

今日は勤務校で学芸会のある日。

  

9月18日放映の「にっぽん!歴史鑑定 江戸っ子の秋の楽しみ」より。

秋刀魚(さんま)のお話。

  

秋の味覚として外せないさんま。

Rimg1205  

しかし、江戸時代は違ったようです。

「秋刀魚は下魚(げざかな)にて 食(しょく)する者なし」

Rimg1206  

このように書かれるように、さんまは不人気でした。

なぜか?

  

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江戸の歳時記に詳しい長沢さんの説明を聞き書きします。

 

長沢さん:江戸時代の食事というのはね、割合に淡白でして、

   脂を多く使った料理はあんまりありませんでした。

Rimg1208

   だから、江戸っ子の胃というのは、油が消化しにくくできていたんです。

   だから、さんまのように脂がギトギトの魚は

   どちらかというと嫌われていました。

Rimg1209  

そうだったのですね。

それではどんな魚が人気があったかというと、

次のような淡白な魚が人気だったそうです。

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脂ののったさんまは食用にはせずに、

行燈(あんどん)などに使う油を採っていました。

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ところが、そんなさんまを食べざるをえない事情がありました。

江戸の人口の急増、飢饉により、

深刻な食糧不足に陥ってしまったからです。

大量に獲れて値段が安く、

脂によって大きなエネルギー源にもなるさんまが

注目されるようになります。

苦手なさんまをどうやって食するか。

江戸の人たちは考えました。

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そのヒントをくれたのが、江戸時代に登場した天婦羅(てんぷら)。

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当時の天婦羅の屋台には、必ず大根おろしが置いてあったそうです。

これは、油で揚げた天婦羅をさっぱり食べようという

江戸っ子の知恵でした。

実際に大根には油を分解して消化を助ける酵素が含まれていて、

理にかなった組み合わせでした。

脂ののったさんまを食する時も、同じように食べればいいのではと

考えた江戸っ子は、実行。

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こうしてさんまは秋の味覚の代表になっていきました。

  

さんまに大根おろし。

このような歴史があったのですね。勉強になりました。

  

思い出します、「目黒のさんま」

いい機会です。

聞いてみました。

 

  

さあ道草終了。お仕事しよう。今日の準備。

2017年11月15日 (水)

二川宿本陣資料館/「末広五十三次 二川」(歌川貞秀 作)

今日は11月15日。

  

11月11日。

豊橋市にある二川宿本陣資料館に行ってきました。

  

そこで買ってきたクリアファイルです。

Rimg1196  

中に入れてある紙を抜くと、下のようになります。

Rimg1197

背景が合わさって作品になるという仕組みです。

面白いことを考えます。

  

でもこれって、「竹林の不二」に通じる発想だなと思います。

※参考:ここでも道草 「北斎インパクト」/「竹林の不二」の何がインパクトなのか(2017年11月12日投稿)

手前にあるものを描き、その向こう側に背景を描くことで、

遠近感を出そうとしているように思えます。

ただこの絵は遠近法が取り入れられていて、

十分遠近感は出ています。

  

  

さて、次のは私の版画作品。

Epson769  

これは二川宿本陣資料館の体験コーナーで作った版画(浮世絵)。

浮世絵の刷り疑似体験コーナーの写真。

Rimg1150  

最初に黒を刷ります。「黒色刷り」

Rimg1156  

できたのはこれ↓

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次は「赤色刷り」

Rimg1157 

先に「黒色刷り」でできあがった画面に、

「赤色刷り」のデザインをかぶせました。

出来上がったのはこれ↓

Rimg1152_2   

 

次の「緑色刷り」

Rimg1158  

出来上がったのがこれ↓

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ラストが「青色刷り」

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いよいよ完成↓

Rimg1154  

浮世絵はこうやって作るのでしょうか?

  

今回の疑似体験コーナーの版木は

ゴム製のものでした。

4色だったので4枚でした。

本当の浮世絵も、

色ごとにそれぞれ版木がある?

それってすごいことではないでしょうか。

あれだけの細かい絵を、

ずれなく彫って、再現するのは

難しいことだと思います。

色ごとにそれぞれに版木があるのが

信じられません。

本物の浮世絵の版木を見たいと思いました。

  

ちなみにこの作品は「末広五十三次 二川」(歌川貞秀 作)

061c001034 https://ja.ukiyo-e.org/image/waseda/012-1526

  

ここにも「末広五十三次」の絵があります↓

WEB錦絵美術館 豊国、芳年、他「末広五十三次」2

2017年11月13日 (月)

松本で撮った写真/初めてのカプセルホテル

今日は11月13日。

  

11月13本目。1日1本。

最低限、このペースは守りたい。

  

11月3日・4日と長野県の松本市に行ってきました。

その時に撮った写真です。

  

11月3日の夕方。

塩尻から松本に向かう途中で撮影。

Rimg1101

豪華な夕焼けでした。

  

  

11月3日の晩は、松本駅前のカプセルホテルに泊まりました。

カプセルホテルに泊まったのは初めてかな?

ホテルの名前はHotel M Matsumoto(ホテルMマツモト)。

※参考:Hotel M Matsumoto HP

HPの写真を1枚載せます。

Dannsi こんな廊下を歩き、カーテンを開けると部屋でした。

  

今度は自分の撮影。

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こんな部屋でした。

私の部屋からは、上の段のベットに入ることができ、

そこに上がって寝ました。

隣の部屋は、下の段のベットに入ることができます。

つまり、2つの部屋の区切りは、

上下のベットの境の板というわけです。

うまくスペースを使っているなと思いました。

こういう工夫を見るのは楽しい。

トイレと大浴場は共同でした。それで十分。

ぐっすりと体を休めることができました。

   

 

長野県は紅葉がすでによかったです。

11月4日の撮影。

Img_0872  

どこのパーキングエリアだったけな。

小黒川PA?

いかん、どこだったか忘れてしまった?

2017年11月12日 (日)

「北斎インパクト」/バカラ 1878年ホイールの開発

 

今日は11月12日。

  

前投稿に引き続いて、

11月4日放映の「北斎インパクト~世界が愛した超絶アート~」より。 

  

聞き書きします。

  

ナレーター:新たなデザインへの挑戦は、ガラス加工の技術にも

   大きな変革をもたらしました。

   

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ナレーター:パリから東に300㎞。

   ロレーヌ地方、バカラ村の工房を訪ねました。

 

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ナレーター:バカラは今から250年あまり前、

   フランス王ルイ15世から製造を許されたことに始まる

   由緒あるガラス工房です。

  

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ナレーター:高く評価されてきたのが、カッティング。

   表面を削り取って、形を整えていく技術です。

   

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ナレーター:北斎と出会うまでは、

   直線と曲線によるシンプルな造形が特徴でした。

   一方、北斎の影響を受けた新たなデザインには

   繊細な自然な描写が欠かせません。

   しかし、それをガラスの表面に施すことは、

   当時の技術では不可能でした。

  

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ミカエル・レルシュさん:北斎の装飾性のある生き生きとした

   線描を何とか表現したいと思いました。

   そのために私たちはこれまでにない、

   新しい技術を特別に開発する必要があったのです。

  

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ナレーター:試行錯誤を繰り返した職人たち。

   1878年。ついに「ホイール」と言われる

   ガラスを研磨する道具を開発します。

  

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ガラス職人:丸い形や角張ったものなどがあってね、

   15種類ものホイールを使い分けるんだ。

  

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ナレーター:ホイールを使い分けることで、

   部分ごとに削り取る深さを変えることができます。

   無色透明なガラスでも表現の幅が一気に広がったのです。

  

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ガラス職人:深く削ると前に見え、浅く削ると奥にあるように見えます。

   輪郭は浅く削り立体感をつけます。

  

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ナレーター:よっく見てください。

   深く彫った葉っぱの部分は手前に見え、

   浅く彫った木の枝は奥に見えます。

 

Rimg1192_2    

Rimg1193 (上の写真:手前のガラス面にピントが合っています。

 下の写真:向こう側のガラスにピントが合うことで、魚が浮かび上がってきます。

 「竹林の不二」と同じような手前の景色の向こうに見える景色という構図)

Rimg1194

ナレーター:北斎に触発され、北斎をも超えようとめざしたガラス職人たち。

   その情熱が生み出した技術革新は、

   ヨーロッパにおけるガラス工芸を飛躍的に進化させたのです。

  

ミカエル・レルシュさん:北斎の芸術性と

   私たちの開発した技術とが融合することによって、

   自然界にあるものを生き生きと表現できるようになりました。

   日本とフランスの文化的な架け橋ができたのです。

   

   

ホイールの開発、そしてそのホイールを使った技法。

深く削れば手前にあるように見え、

浅く削れば奥にあるように見える。

確かにそうでした。

こういう一つ一つの発見が、

きっとうれしかっただろうなと共感できます。

こういう視点で「バカラ」のガラス製品を

生で見てみたいと思うようになりました。

  

  

社会科の教科書では、

北斎の絵がヨーロッパの芸術家に影響を与えたとありましたが、

芸術家にはガラス職人・ガラスデザイナーも

含まれていたのですね。いい勉強になった番組でした。

「北斎インパクト」/「竹林の不二」の何がインパクトなのか

今日は11月12日。

  

11月4日放映の「北斎インパクト~世界が愛した超絶アート~」より。 

  

番組の一部を聞き書きします。

   

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ナレーター:ここはイギリスを代表するクリスタルブランド

   「バカラ」の作品を集めた美術館です。

   北斎の作品は、ガラス工芸の世界にも大きな変革を

   もたらしました。

   

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ナレーター:複雑な装飾が施されているこの花瓶。

   それまでのガラスの器とは全く異なる作風で

   人々をあっと言わせました。

  

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ナレーター:ガラスに彫られているのは、富士山。

   

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ナレーター:反対側から見ると、

   竹林越しに富士の山を眺めることができます。

  

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ナレーター:デザインの元となったのが、北斎のこの作品。

※「竹林の不二」(富嶽百景)

  

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ナレーター:主人公の富士山の手前にあえて竹林を描き、

   遠近感を出しています。

   北斎の斬新な絵に、バカラの職人たちは大きな衝撃を受けます。

        

  

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馬渕明子さん:あれは手前に竹が

   非常にリズムよく並んでいるんですけど、

   ふっと気がつくと、その後ろに線だけで富士山が描かれている。

   そういう何か手前のものを見ていながら、

   視点をちょっとずらすことで、

   奥にあるものに気がつくっていう経験は

   誰にでもあるはずなんですけど、それを描くという方法を

   ヨーロッパの人たちはもっていなかったんですね。

   それを風景画で見事にやったのが、

   北斎の「富嶽百景」の「竹林の不二」で、

   バカラのデザイナーにとって、あの竹のリズム、形というのは、

   装飾デザインの上で非常に斬新で新しくて

   面白かったんだろうと思います。

  

国立西洋美術館の馬渕明子さんの説明は魅力的でした。

「竹林の不二」のような手前の向こうに何か見えるという表現方法が

ヨーロッパ人はもっていなかった!

そうなんですね。

北斎の、もっと広くいえば

浮世絵の何がヨーロッパ人に影響を与えたのか、

もっと具体的に知りたいと思っていましたが、

その一つを知りました。

  

さらに「竹林の不二」の竹を「リズムよく並んでいる」

と言っています。なるほどと思いました。

この絵の竹林がいいなと思えるのは、

「リズム」(そして形)なのですね。

 

バカラの職人たちが、

北斎の絵に衝撃(インパクト)を受けて、

その絵をガラスで表現しようとしました。

そのことについては、次の投稿で。

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