放生会の「放し鰻」の浮世絵/「英雄たちの選択 歌川国芳」
今日は11月19日。
前投稿に引き続いて、放生会のこと。
「放し亀」の浮世絵はわかりましたが、
「放し鰻」の浮世絵はないのか探しました。
その結果、番組「にっぽん!歴史鑑定 江戸っ子の秋の楽しみ」(9月18日放映)
で紹介された絵ではないものがありました。
作品名は「山海愛度図会(さんかいめでたいずえ)にがしてやりたい)」
↑このサイトから引用。
右の絵は嘉永5年(1862)歌川国芳「山海愛度図会
にがしてやりたい」という浮世絵です。
当時は神社仏閣で行われていた「放生会」という、
捕獲した小動物を放し、殺生を戒める宗教儀式が大衆でも大流行し、
橋の脇で「放し亀屋」などと呼ばれる露店で売られている
「亀」「鰻」「小鳥」などを買い求めて橋の上から逃がしてやっていました。
そこで逃がした亀などは再び橋のたもとの「放し亀屋」が回収し
再び売っていましたが
「ウナギ」はというと主に鰻屋では料理に使えない、
小さいウナギなどを鰻屋から安く買い使用していたそうです。
この浮世絵の作者、歌川国芳については以前「英雄たちの選択」で
紹介していました。
話をそらして、その番組について書きます。
10月5日放映の
「英雄たちの選択 よっ!国芳~江戸っ子に愛された浮世絵師~」より。
ここで疑問。
没年が1861年になっています。
ところが上記の「山海愛度図会 にがしてやりたい)」は
1862年の作品。
つまり、刷られたのは国芳死後のことだったのでしょうか。
またいつか解明したいことです。
番組中に随所で勉強になるシーンがありました。
できるだけ書き留めたいです。
番組冒頭の磯田道史さんの言ったこと。
参考までに、天保年間は西暦だと1831年から1845年のこと。
磯田:国芳が一番活躍したのは、天保(てんぽう)(年間)なんですね。
「天保世代」 僕、「天保エイジ」とすごく言いたい。
なぜかと言うと、幕末維新の志士たちとかは、
実は天保時代に生まれて青少年期をそこでゆりかごのように
育った人が多い。
だから本当は、天保はとっても大事な時代で、
不穏な時代だったんだけれども、民の力も絶頂に上がってくる時代であって、
天才も生まれるわけですよね。
天保という時代はどんな時代なのかとわからないと、
実は日本近代の出発点がわからない。
それを(その時代を)象徴する核?として
国芳をぜひ今日は紹介したいんです。
天保時代と言えば浮かんでくるのが「天保の飢饉」「天保の改革」「水野忠邦」
といった言葉。
この時代に歌川国芳は活躍していました。
教科書には載っていなかった勉強ができた番組でした。
また後日の投稿で。
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