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2016年12月

2016年12月31日 (土)

さだまさしさんの「大晦日」

 

今日は12月31日。

  

サイドバーに表示しているブログ「教材・教具のネタ帳」で

また面白い曲が紹介されていました。

教材・教具の倉庫 大晦日 さだまさし

さだまさしさんの「大晦日(おおつごもり)」です。

    

歌詞を転載します↓

  

大晦日

歌:さだまさし 作詞:さだまさし 作曲:さだまさし

  

クリスマスが過ぎたなら 今年を振り返る季節

だってもうすぐ誰にでも 新しい年が来る

クリスマスが過ぎたなら 心を入れ替える季節

ちゃんと反省した人には 素晴らしい年が来る

どんなに辛い年でも どれ程苦しい年でも

全て今年に詰め込んで 悲しみにさよなら

大晦日の夜には ゆく年に心からありがとう

みんなで一眠りしたなら

幸せになろう

  

クリスマスが過ぎたなら やさしい人になる準備

来年こそ今年こそは 新しい人になろう

クリスマスが過ぎたなら あったかい人になる準備

笑顔で過ごせるような 素晴らしい年が来る

新しいカレンダーと 新しい今年の生命

涙拭い笑って歌おう 悲しみにさよなら

クリスマスが過ぎたなら 全ての生命にありがとう

みんなで一眠りしたなら

幸せになろう

  

大晦日の夜には ゆく年に心からありがとう

みんなで一眠りしたなら

幸せになろう

 

クリスマスが過ぎたなら (涙拭い)

全ての生命にありがとう (笑って歌おう)

みんなで一眠りしたなら (悲しみにさよなら)

幸せになろう

大晦日の夜には (大晦日の夜には)

ゆく年に心からありがとう (ありがとう)

みんなで一眠りしたなら (素晴らしい年)

幸せになろう (ハッピーニューイヤー)

  

  

いいこといいますね。

大晦日から元日への移行は、大きな区切りですよね。

昨年のことは横に置いといて、

今年から頑張る、今年からそうする、今年からそうしよう!

そんな気にさせてくれる区切りが、

もう目の前です。

 


YouTube: 年の初めはさだまさし 「大晦日」

  

これが2016年最後の投稿。5115本目。

豊橋市で見かけた景色 ソーキそば/サイン色紙/ゴミ回収箱

  

今日は12月31日。

 

これが通算5114本目の投稿。

予定ノートの今日(12月31日)の欄を見ると、

今年(平成28年)の正月に書いたと思われる記述がありました。

  

「できたら2016年のこの日までに5241本まで到達したい。

つまり600本です」

  

これはブログの投稿数のことです。

127本足りない。目標までほど遠くて残念。 

特に今年は4~7月、9月が忙しかったもんな。

でも、学校HPやポータルサイト「毎日タブレット」への

投稿数を足したら、きっと600本にはなると思います。

投稿するエネルギーは減少していなくて、

分散してしまった結果でしょう。

でも来年はめざしたいなあ、600本。

2か月に100本ペースが、

自分が書きとめたいと思ったことの量と釣り合うと思っています。 

  

  

前投稿で豊川駅前の様子を伝えました。

今回は豊橋市の街の様子を少々載せます。  

  

12月23日は、昼にサークルの皆さんと小宴会。

その時の料理の写真↓

Rimg1966

「ソーキそば」です。

沖縄の料理を出してくれるお店でした。

このそばは、本場沖縄で食べたことがあります。

2001年?3月に仲間と沖縄を自転車で走った時でした。

そのことを思い出しながら食べました。

おそらくその時以来の「ソーキそば」です。

  

Rimg1967

↑豊橋市には有名な山のお店があります。

「モンタニア」と言います。

2015年の12月に番組「鶴瓶の家族に乾杯」の取材で、

笑福亭鶴瓶さんと加藤茶さんが「モンタニア」を訪ねています。

放映されたのは今年の2月1日。

その時に2人が「モンタニア」に豊橋の筆で書き残したサインを

写真に撮りたいと思っていました。

12月23日に実行しました。

やりたいと思っていたことを、

こうやって一つ一つ実現していきたい。来年も。

  

   

ラストにもうひとネタ。

  

Rimg1968

↑豊橋市の街を歩くと、こういうゴミ箱を見かけます。

この日、このゴミがどのように回収されるのか目撃できました。

向こうに見えるのが回収車です。

ちょうど回収し終わった時で、写真が撮れませんでした。

悔しいなあと思っていたら、

回収車は道路の反対側で作業を始めました。

豊橋市の住民にとっては珍しい光景ではないと思いますが、

よそ者にとって、この回収方法は意外でした。

  

こんな感じです↓

Rimg1969

Rimg1970_2

↑クレーンで回収箱を吊り下げ、荷台の上へ運びます。

Rimg1971

Rimg1972

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↑回収箱の底が開いて、ゴミが荷台に落下します。

Rimg1974

↑回収箱の底は再び閉じられて、この後元の位置に戻されます。

  

こうやって回収されていたのですね。

よそ者には、驚きの光景でした。

不思議なのは、回収箱の底の蓋です。

どうやって開き、そして再び閉じるのか?

自動的に開閉しているように見えたのですが、

そのようなことができそうな回収箱には見えません。

Rimg1968_2

でしょう!

  

この点が解決できていませんが、いずれ解決したいです。

  

以上で、豊橋報告終了。

「駅まであと433歩」を確かめました/壺屋/参歩

  

今日は12月31日。

  

いよいよ平成28年も押し迫ってきました。

  

12月27日に見かけた「駅まであと433歩」の確認を実行しました。

ここでも道草 「駅まであと433歩」をいつか確かめたい(2016年12月28日投稿)

27日の晩の写真です↓

Rimg2026  

実行に移した12月29日の昼の写真です↓

Rimg2043  

あらためて、「駅まであと433歩」は、閉店しないと

見ることができなかった表示だと思いました。

 

ちょうど店の真ん前から歩き出しました。

  

途中でこの光景↓

Rimg2044

矢印の通り、ここで右折しました。

  

駅の前まで来ましたが、まだ433歩にならなかったので、

駅の階段を上がりました。

Rimg2045  

そして433歩。

何と駅の改札の前でした↓

Rimg2046   

もしお店の人が、目標地点をここにしていたなら、

私の歩幅はもくろみどおりということです。

「駅まであと433歩」を確認できました。

  

  

その後、駅前の小さなうどん屋「壺屋」でうどんを食べました↓

Rimg2047

おいしそうでしょ。

ここでも道草 壺屋(2015年3月28日投稿)

   

そして駅も撮りました↓

Rimg2048 

壺屋は向かって右隅に写っています。

  

駅前通りを歩いていて撮りました↓

Rimg2049

Rimg2049a

「初詣ご利益めぐり とよかわ参歩」

  

参拝して歩くことを意味していると思われる「参歩」

「散歩」と書かずに「参歩」

豊川稲荷前の場所にあるポスターとして、

面白いなあと思いました。

「さんぽ」とうって漢字変換しようとすると「参歩」は出てくるので、

少しは使われている言葉なのでしょう。

  

以上、報告終わり。

2016年12月29日 (木)

「さわる知り100体験」のCMに出会った

  

今日は12月29日。

  

今日見た、オロナイン軟膏のCMが印象に残りました。

  

インターネット上にないか調べました。

  


YouTube: オロナインCM | オロナインさわる知リ100「トナカイおもち霜柱」篇30秒改訂

  


YouTube: オロナインCM | さわる知リ100体験「プロレスのロープとしめ縄と白菜にさわる」篇 30秒

  


YouTube: オロナインCM | さわる知リ100体験「タケノコとハマチとバスケのリングにさわる」篇 30秒

  


YouTube: オロナインCM | さわる知リ100体験「アルマジロにさわる」篇

  


YouTube: オロナインCM | さわる知リ100体験「やり投げのやりにさわる」篇

  

YouTube: オロナインCM | さわる知リ100体験「ラーメンにさわる」篇

  

youtube映像の説明に次のように書いてありました。

 

「知ったつもりにならないでリアルにさわってみたい日本の100」

さわるのは特別な体験です。肌でさわることには危険も伴います。

そう、さわるのはちょっとこわい。

でもこわいぶんだけ、未知の何かに出会ったうれしさがやってくる。

大げさに言うと、さわることには小さな「克服」があるのです。

ケガしないよう気をつけて、でも、一生に一度はさわってみたい、

そんなすてきな体験を収集し紹介していきます。

さわるって、冒険。

  

私はいきなりCMを見て、

「知ったつもりにならないでリアルにさわってみたい日本の100」 

(略して『さわる知り100』) 

という活動を知りましたが、とっくに始まっていた活動なんですよね。

AdGang 日本の様々な「さわる」体験を紹介するオロナイン『さわる知リ100』に込められたメッセージとは(2015年5月18日)

↑このサイトによると、2015年から始まった活動のようです。

その前身もあって、

「知ったつもりにならないでリアルに体験した方がいい日本の100」

(略して『知り100』)と言ったそうです。

  

オロナイン軟膏とどう繋がるのか?

  

上記のサイトで関係者が答えている内容がよかった。

 

企画を練っていた時によく話していたのが

「オロナインがお守りみたいになったらいいよね」ということです。

持っているだけでちょっと遠くに出かけたり、

ちょっと挑戦してみようという気持ちになったり。

もちろんケガはしないことが一番ですが、

無茶しても、万が一ケガしても、

オロナインさえ持っていれば、

守ってくれるような存在になれたらという話をしていました。

ただ、「お守りです」と言い切ってしまうことは

薬事上難しいですから、その姿勢自体を表現していったときに

どういうことが出来るだろうと考えた時に

「出かけてみよう」「やったことないことをやってみよう」、

そういった気持ちを作っていくことをオロナインが出来たらと考え、

「知リ100」を立ち上げました。

何でもネットで知ったつもりになってしまう時代だからこそ

やってみよう、と。

そして今年度の「さわる知リ100」へと続いていきます。

 

素晴らしい。

自分の会社が作っている商品を肯定的にとらえて

このような活動を始めた発想が素晴らしい。

ちょっとの挑戦を手助けするなんていいですね。

やりがいを自分でこさえて頑張っている姿が目に浮かびます。

こういうのを「ジョブ・クラフティング」って言ったっけ?

     

最後にもう1本。


YouTube: オロナイン|さわる知リ100体験「100体験を、100秒で。」

「真田丸」シリーズ30  里山は荒廃していた

  

今日は12月29日。

  

前投稿に引き続き

12月1日放映の「片岡愛之助の解明!歴史捜査 

真田丸 総決算!大坂の陣はいかにして起きたのか?

家康VS秀頼の真相に迫る!」より。

  

聞き書きしていきます。

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ナレーター:徳川対豊臣。

  材木をめぐる知られざる戦争を、歴史捜査。

  社寺造営のメリット②家康の天下普請を妨害。

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  実は豊臣家が社寺造営にいそしんでいた時期は、

  家康が天下普請で次々に築城していた時期に重なる。

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  築城も社寺造営も同じく大量の材木を必要とする。

  このため、両者が同時に行われれば、当然材木の供給が

  ひっ迫することは想像に難くない。

  実際、この2つにより、想定外の事態が起きていた。

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  徳川方と豊臣家で材木の争奪戦が起きていたというのである。

  

  豊かな森に恵まれているというイメージのある日本。

  材木の争奪戦が起きる状況とは、

  どのようなものだったのだろうか?

    

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  太田猛彦先生。

  森林をさまざまな角度から研究。

  国土の歴史的な変化にもくわしい。

  その時代、森林には大きな変化が起きていたと言う。

  

太田:まあ、木はですね、用具の材料だとか、

  また炭や薪などの燃料としても使われてますので、

  本当にもう、なくてはならない資源だったと思います。

  そのために、木はどんどん伐採されてですね、

  もうこの頃にはですね、日本の森はもう荒廃しきっており、

  特に里山ははげ山になっていたというふうに思います。

  

ナレーター:そういう危機的な状況が浮世絵に描かれていた。

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太田:この浮世絵は、皆さん誰もが知っている歌川広重の

  「東海道五十三次」の中の1枚。「平塚」の絵です。

  後ろに山が描かれていますけど、遠くの方の山だから

  あんな風に書いてあると皆さん思っていたじゃないでしょうか。

  背後の山ははげ山です。

  もちろん京都の北山も東山もほとんど木がありませんでした。

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ナレーター:現在、燃料だった里山の木は、

  石炭・石油が出てくるまで、徹底的に伐採され、

  山が荒廃した状態が明治・大正になっても続いていた。

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  そんな貴重な材木の奪い合いが、

  徳川・豊臣の間で発生したことが、

  徳川方の文書に残されている。

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  文書によると、徳川方と豊臣家で紛争が起こり、

  検使の派遣を要するほど、問題がこじれたことがわかる。

  大坂の陣にはるか前から、すでに徳川と豊臣は、

  経済などで冷たい戦争と言える状態になっていたのである。

  

以上で聞き書き終了。

日本の里山は荒廃していたという説は驚きです。

地元の愛知県の資料も出てきました。

里山の登山をしている身としては、写真のはげ山は意外でした。

浮世絵のはげ山も、今まで意識していなかったので、

いい視点を与えてくれたと思っています。

  

  

「真田丸」シリーズ29 北野天満宮の「秀頼公」

 

今日は12月29日。

  

12月1日放映の「片岡愛之助の解明!歴史捜査 

真田丸 総決算!大坂の陣はいかにして起きたのか?

家康VS秀頼の真相に迫る!」を見ました。

特に印象に残ったシーンの聞き書きをします。

  

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ナレーター:関ヶ原の戦いの後も、豊臣家は依然全国に

  多くの直轄領を持っていた。

  その莫大な財力を背景に、豊臣家は神社仏閣の建立や修繕を

  数多く手掛けている。

  そこには信心深かった淀殿の意向があったとされている。

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  通説では、この経済的な負担が、豊臣家を弱体化させる

  一因になったと伝えられてきた。

  しかし、捜査から社寺造営は豊臣家にとって大きなメリットが 

  あったことがわかってきたのである。

  社寺造営のメリット①豊臣家威光のアピール。

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  この時期、豊臣家が造らせた社寺が、

  どれも有名なものばかりであることに驚く。

  東寺の金堂、法華寺、住吉大社など、

  現在国宝や国の重要文化財に指定されているものばかり。

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  その一つ、京都の北野天満宮。

  慶長14年に秀頼が造営した本殿は、

  現在国宝に指定されている。

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  一流の職人たちが精魂を傾けた建物は、

  当時も今も人々を魅了してきた。

  社殿の擬宝珠(ぎぼし)に目をやると、「秀頼公」の文字が↓

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  そしてこちらにも名が刻まれている↓

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  参拝した人びとは、当然この威容を誇る社殿が、

  豊臣家によって造営されたことを知っていた。

  社寺造営は、豊臣家の威光が今なお健在であることを示す

  絶好の機会となり、徳川とは違う形で、

  存在感をアピールできたのである。

  さらに、徳川に一矢報いるメリットが・・・・・

  

「秀頼公」の文字を見るために、北野天満宮に行きたくなりました。

400年前の書かれた字が、露天の場所にずっと残っているなんて

非常に興味をそそられます。

  

豊臣秀頼による寺社造営については、

以前「歴史秘話ヒストリア」でも扱っていました。

その番組にもこのブログに書きとめておきたいことが

いくつもありましたが、それはまたいずれ。

  

まだ続きます。

2016年12月28日 (水)

朝から上陸シーン/「駅まであと433歩」をいつか確かめたい

  

今日は12月28日。

今年もあと4日間だ。

やりたいことがたくさんある。動くぞ。

  

今朝4時過ぎに起きて、テレビのスイッチを入れたら、

見慣れた映像。

ペリリュー島での戦いを描いたドラマ「ザ・パシフィック」の

ペリリュー島上陸のシーンでした↓

ここでも道草 「ペリリュー」その9/アメリカ軍側からの上陸シーン(2014年8月20日投稿)

2年前はレンタルで借りてきて見たけど、

テレビで午前4時から放映されていました。

上記の投稿で、私はこう書いています。

  

上陸艇を迎え撃つ日本軍側に立つことが多かったのですが、

上陸艇が船から出てくるシーンを克明に撮って、

アメリカ軍側の兵士の気持ちを感じたのは初めてだったかも。

アメリカ軍側には余裕があると勝手に思っていましたが、そうではなし。

生きるも死ぬも運しだいの戦場では、だれも余裕は持てないでしょう。

  

あらためて見て、そう思います。

戦争なんてするものではない。

この上陸シーンを見ただけでそう思います。

    

   

   

昨晩は自分が幹事の飲み会がありました。

豊川稲荷の門前でした。

少し早めに着いたので、会場付近を散策しました。

  

今晩の会場は11月始めには予約した店。

まだまだ先のことと思っていましたが、

その日を迎えました。

予約した12月27日晩は、

こんな晩なんだと思いながら散策しました。

  

  

平日の門前の通りの店は、午後5時半前でしたが、

閉まっている店が多かったです。

通りににぎやかさがなく、寂しい雰囲気でした。

しかし、閉まっているからこそ見ることができた光景もありました。

これです↓

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閉まっていて、シャッターが下りているからこそ

見ることができました。

   

「稲荷まで152歩」「駅まで433歩」

このセリフがいい。

「稲荷まで〇m」「駅まで◇m」と書いてあるより、

面白い。

昨晩は、宴会が終わった時には、すっかり忘れていました。

次の機会には、実際に歩数を数えて

駅(JR豊川駅)や豊川稲荷に行ってみたいです。

  

さあ1日の本格スタート!

2016年12月27日 (火)

10年後はどんな生活をしているだろうか?/山に囲まれて週3日の休日

  

今日は12月27日。

  

昨日のニュースにビックリ!

ワム!のジョージ・マイケルさん死去。53歳。

それもクリスマスの12月25日に亡くなったとのこと。

1980年代の洋楽に夢中だった頃に聴いたワム!

永遠はないんだなあとあらためて思います。


YouTube: WHAM! - LAST CHRISTMAS

  

  

10月22日に放映された「人生の楽園 山梨・北杜市

~ アルプス望むパン屋さん ~」を見ました。

  

この番組の副題は「新しい生き方の提案」です。

退職まで5年3か月の今、それ以後を考える歳になりました。

この放送は参考になりました。

  

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↑こんせいあきおさん ゆみこさんです。

 

舞台は山梨県北杜市。北は八ヶ岳連峰。西は南アルプス。

晴れた日には富士山も見ることができる街です。 

紺清由美子さんは、東京都出身。

短大卒業後、損害保険会社に就職。

26歳の時に結婚。翌年悠人さんが誕生。

夫婦共通の趣味の登山を楽しんでいましたが、

50歳の時に大病。

この事がきっかけとなり「自然に囲まれた暮らしをしたい」と

思うようになりました。

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パン作り教室に通っていた由美子さんは都会を離れ

大好きなパンの店を開く夢を抱きます。

そして55歳で会社を退職。

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山々に囲まれた北杜市に土地を購入しました。

由美子さんは言います。

「毎日パンを作っていても、飽きなかったんです。

お客さんが来てくれたら、そこで話もできる」

パン屋をオープンすることを、実行に移します。

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当時、自営業を営んでいた朗生さんは

二地域居住を考えていましたが、

北杜市の家が完成すると、気候と眺めが気に入り、

一緒に移住することを決めました。

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2013年1月14日に「ろくぶんぎ」オープン。

悠人さんも加わり、家族三人でのスタートでした。

  

自分たちが楽しむ時間も大切にしたいと、

営業は金曜日から月曜日までの週4日!

つまり毎週3連休があるわけです。

なぜ週4日なのかと聞かれて、

由美子さんが言います。

「あんまりすごく頑張っちゃうと、

途中で息切れしたりとか、あると思うんです。

仕事よりも趣味くらいでやろうというのが、

第二の人生の目標だったんで」

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お休みの日には夫婦二人で大好きな山登りに出かけ、

北杜市の自然を満喫しています。

この日は自動車で20分の「美しの森」にやってきました↓

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由美子さんは言います。

「ほぼ毎週(山に)行くので、周りの人たちは呆れていますね」

うらやましい生活です。

さらに移住仲間と一緒に畑で作物を育てるなど、

充実した毎日を送っています。

 

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↑由美子さんが35年前に刺繍して、

旦那さんにプレゼントしたもの。

北杜市の風景に似ています↓

Rimg2018

この都市との出会いは運命?

  

  

山に囲まれて暮らし、週の半分を趣味みたいに働いて、

休日は山登り。地域の人たちとも触れ合う生活。

いいと思うなあ。

それを実際に行っている人の話は参考になりました。

しっかり働いて、その後は人生を楽しみたい。

10年後はどんな生活をしているだろうか?

「木々が色づくたびに あたりは暖かさを増し」?

 

今日は12月27日。

   

12月3日放映の「今森光彦の絵手紙 オーレリアンの庭 

四季を楽しむ里山の暮らし」を見ました。

その中に、最近の体験を思い出させてくれる場面がありました。

Rimg1904  

それは「秋の日」というタイトルの短文でした。

 

秋の日

秋は終わりではなく、

春への準備が始まる季節 

 

Rimg1905  

木々が色づくたびに

あたりは暖かさを増し

  

なぜ暖かさをますの?

そう疑問に思いましたが、

次の文章で納得です。

   

Rimg1906   

そして葉が一枚落ちるごとに

太陽の光が

地面を明るく照らしていきます

          今森光彦

   

 

なるほどです。

これは最近歩いた傘山や風越山の登山道で感じたことでした。

夏ならば、樹木によって日陰になっていたであろう登山道が、

葉が落ちてしまったために、太陽の光にさらされて、

明るく暖かい登山道になっていました。

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↑傘山にて

  

  

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↑風越山にて

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今森光彦さん。

この人の写真で作られたカレンダーを、

オーストラリアのお世話になった人に送っていました。

今森さんの撮る日本の自然は、

日本人として自慢したくなるものです。

ちなみに今年はこれを送りました↓

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2016年12月26日 (月)

12月24日の風越山登山 番外編/マツの鱗片?・杜松

  

今日は12月26日。

  

24日に登った虚空蔵山への道で、

このようなものを見つけました↓

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赤紫色がきれいです。

これは何だ?

近くに松葉がたくさん落ちているのがヒント。

調べてみました。

  

どうやらマツの雌花の鱗片(りんぺん)かな?

マツの種類は何だろう?

次のサイトが参考になりそう。

樹の散歩道 針葉樹の雌花にも美しいものがある

でも同定できない。

これは一緒のものだと思える写真がないのです。

  

やっぱり「みんなの花図鑑」に頼ろうかな。

みんなの花図鑑

わかったら、この下に追記します。

  

  

植物ネタをもう一つ。

今回の登山の同行者さんの中に盆栽にくわしい方がいました。

傘山で「ネズミサシ」という木を見た話をしたら、

それは盆栽に使われる木だと教えてもらいました。

※参考:ここでも道草 12月17日の傘山登山その4/ネズミサシ他(2016年12月18日投稿)

  

ネズミサシの盆栽が見たくて探しました。

このサイトがよかった↓

一无(いちむ)大蓉園  ネズ。

ここにネズミサシの盆栽が紹介されています。

ネズとはネズミサシのことであり、

杜松(としょう)と呼ばれる盆栽でもあります。

上のサイトに載っていた写真です↓

Photo  

キーワードは「ジン」

説明の中に何度か出てくる「ジン」

調べたら、幹や枝の木質部が朽ち果て、

白骨化したものを指すそうです。

盆栽の面白さを少しだけ、ほんの少しだけ垣間見ました。

ネズミサシのおかげです。

最近の写真

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