「真田丸」シリーズ29 北野天満宮の「秀頼公」
今日は12月29日。
12月1日放映の「片岡愛之助の解明!歴史捜査
真田丸 総決算!大坂の陣はいかにして起きたのか?
家康VS秀頼の真相に迫る!」を見ました。
特に印象に残ったシーンの聞き書きをします。
ナレーター:関ヶ原の戦いの後も、豊臣家は依然全国に
多くの直轄領を持っていた。
その莫大な財力を背景に、豊臣家は神社仏閣の建立や修繕を
数多く手掛けている。
そこには信心深かった淀殿の意向があったとされている。
通説では、この経済的な負担が、豊臣家を弱体化させる
一因になったと伝えられてきた。
しかし、捜査から社寺造営は豊臣家にとって大きなメリットが
あったことがわかってきたのである。
社寺造営のメリット①豊臣家威光のアピール。
この時期、豊臣家が造らせた社寺が、
どれも有名なものばかりであることに驚く。
東寺の金堂、法華寺、住吉大社など、
現在国宝や国の重要文化財に指定されているものばかり。
その一つ、京都の北野天満宮。
慶長14年に秀頼が造営した本殿は、
現在国宝に指定されている。
一流の職人たちが精魂を傾けた建物は、
当時も今も人々を魅了してきた。
社殿の擬宝珠(ぎぼし)に目をやると、「秀頼公」の文字が↓
そしてこちらにも名が刻まれている↓
参拝した人びとは、当然この威容を誇る社殿が、
豊臣家によって造営されたことを知っていた。
社寺造営は、豊臣家の威光が今なお健在であることを示す
絶好の機会となり、徳川とは違う形で、
存在感をアピールできたのである。
さらに、徳川に一矢報いるメリットが・・・・・
「秀頼公」の文字を見るために、北野天満宮に行きたくなりました。
400年前の書かれた字が、露天の場所にずっと残っているなんて
非常に興味をそそられます。
豊臣秀頼による寺社造営については、
以前「歴史秘話ヒストリア」でも扱っていました。
その番組にもこのブログに書きとめておきたいことが
いくつもありましたが、それはまたいずれ。
まだ続きます。
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