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2011年11月

2011年11月26日 (土)

図工の授業2・・・「エプソムの競馬」

   

今日は11月26日。

前投稿のつづき。

「建帛社」の「小学校図画工作科の指導」の143pから高学年の鑑賞の授業について書いてあります。

冒頭にこう書いてありました。

   

学習指導要領では、「我が国や諸外国の親しみのある美術作品」や

「暮らしの中の作品」などが加わり、さらに鑑賞の対象が拡大する。

この時期の子どもたちは、ものごとを客観的にとらえられるようになり、

相手の立場に立って考えたり、想像したりすることができるようになる。

したがって、この時期の鑑賞では、自分たちが直接かかわる身近な作品や事物だけでなく、

時代や文化の異なる作品についても、広く目を開かせたい。

特に、ものごとを分析的にとらえられるようになっているこの時期の特性を生かし、

作品を比較したり、分析したりして、より深く理解し、味わう楽しさを味わわせたい。(143p)

   

現在6年生の担任。

6年生にとっては、「我が国の諸外国の親しみある美術作品」を比較分析させて味わわせたいわけです。

   

そこで、題材。

2つの絵画を題材として提案してあって、指導案が載せられていました。

   

絵画の1枚目を紹介します。

   

エプソムの競馬7
   

エプソムの競馬」(1821年 テオドール・ジェリコー作)

絵のサイズは、92 cm×122.5 cm

ジェリコーはフランス人。フランスロマン主義の先駆者と言われています。

彼がイギリス・ロンドンに出向いた時に見た

エプソム競馬場で行われたレースを描いたもの。

ただこの絵には、有り得ないことが描かれています。

馬の脚です。

前脚、後ろ脚が伸びきっている状態はありえません。

ジェリコーは、馬や動物を描くことを得意とした人で、

こんな走り方をしないことは重々承知で描きました。

フライング・ギャロップ」と呼ばれる手法だそうです。

なぜこのような描き方をしたのか。

馬の疾走感を出すために描いたのです。

前脚、後ろ脚が伸ばし、さらに胴体も伸ばしたのです。

このあたりのことを子どもたちにつかませたいです。  

   

ジェリコーのこの作品は知りませんでしたが、

次の作品は知っていました。

    

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「メデュース号の筏」(1819~1820年)です。

そのサイズに驚きます。

491 cm × 716 cm!

「エプソムの競馬」「メデュース号の筏」とともに、ルーブル美術館にあるそうです。

この絵画にまつわる話も注目です。

このサイトを是非。※「賢者の石ころ 徒然にフランス・ロマン派の先魁『テオドール・ジェリコー』」html

   

上記サイトに、ジェリコーの死について書いてありました。

「エプソムの競馬」制作から3年後の1824年1月に32歳で亡くなっています。

   

乗馬の好きだったジェリコーは2度落馬し、それがもとで32歳の短い人生を、

まるで好きだった馬で疾走したようにこの世を去って行きました。

死の床で彼は叫んだといいます。 「まだ何も、していない!

    

この一言は共感します。私もまだやっていることが途中です。(つづく)
 

図工の授業1・・・建帛社(けんぱくしゃ)

  

今日は11月26日。

24日は指導員訪問というのがありました。

地区の指導員の先生が来校して、授業の指導をしてもらいました。

今回は図工の授業。

図工の授業を見てもらうなんて、きっと初めて。

   

どんな授業をするか悩み、鑑賞の授業をしようと決めました。

初めて見てもらう図工の授業で、

あまりやったことがない芸術作品の鑑賞の授業をやることにしました。

    

参考文献を探し、いい本に出会えました。

「小学校 図画工作科の指導」(新井哲夫 天形健 山口喜雄編著/建帛社)

2010年発行の本です。

「建帛」は「けんぱく」と読むそうです。

「帛」は「絹」を意味するそうです。

「建帛社」のHPに社名の由来を次のように書いていました。

   

昭和49年、中国で2100年前の馬王堆古墳が発掘されました。

その折、易経、左伝、道徳経を書いた帛書が出土致しました。

単にものを包む絹ではなく、単にものを飾る絹ではなく、

人の心を何百年、何千年、いや永久に、人から人へ伝える帛です。

私ども建帛社は、常にこのことを念じ、社名に恥じない出版を続けてまいります。

http://www.kenpakusha.co.jp/company_profile.html

       

ここで、今まで聞きなれたこととつながりました。

儀式の時にお金などを包む布を「ふくさ」と言います。

これを漢字で書くと、「袱紗」「服紗」とも書きますが、

「帛紗」とも書くそうです。確かにあれは絹だ。

   

脱線してしまった。次は授業内容のことを書きます。

    

 

 

2011年11月23日 (水)

11月22日 ボタンの日

   

今日は11月23日。

交差点にセンダンの木が生えてきて、

大きくなったのを、だれかが切断してくれたことを以前書きました。

「交差点のセンダンが折られていた」html

   

その後、なにも気がつかず日々を過ごしていましたが、

11月初めにビックリ。切断した場所から、再び新センダンが生えてきていました。

しぶとい!

RIMG0143
   

     

     

昨日は11月22日。

この並びは、記念日がいろいろあるだろうなあと思って、調べました。

引用はここから→http://www.nnh.to/11/22.html

  

「いい夫婦の日」

余暇開発センター(現在の日本生産性本部余暇創研)が1988(昭和63)年に制定。

「いい(11)ふうふ(22)」の語呂合せと、11月の「ゆとり創造月間」の期間中であることから。

   

「長野県りんごの日」

JA長野県経済連(現在のJA全農長野)等が1999(平成11)年に制定。

長野県産林檎の主力品種が「ふじ」であることから「いい(11)ふじ(22)」の語呂合せと、

「いい(11)ふうふ(22)」(いい夫婦)→「アダムとイヴ」→「林檎」との連想から。

    

「ペットたちに感謝する日」(THANKS PETS DAY)

ペット関連の事業を行うピーツーアンドアソシエイツが制定。

犬の鳴き声「ワンワン」と猫の鳴き声「ニャーニャー」から。

   

などありました。

   

ちょっとこだわったのが次の「ボタンの日」

日本釦協会・全国ボタン工業連合会等が1987(昭和62)年に制定。

1870(明治3)年のこの日、金地に桜と錨の模様の国産のボタンが海軍の制服に採用された。

    

どんなボタンなのだろうと調べたら、

少し耳に残っていた予科練の歌「荒鷲の歌」の歌詞に、

「若い血潮の予科練の/七つ釦は、桜に錨」とありました。

  

ますますどんなボタンなのだろうと写真を探しました。

   

ありました。

ボタンの写真を載せているブログがいくつかありました。

たとえば、ここ。http://blogs.yahoo.co.jp/libret2005/folder/1455034.html

 Img_1455034_50853796_3
   

 

こういうデザインだったのですね。

なぜ桜が選ばれたのかという疑問がありますが、

解決できず。

2011年11月22日 (火)

「雪見だいふく」確かに「18」

  

今日は11月22日。

先日、11月18日が「いい雪見だいふくの日」だと書きました。

「バニラアイスの外側を求肥(ぎゅうひ)で包んだ・・・」html

なぜ11月18日かというと・・・・

11月は「いい」の語呂合せ、18はパッケージを開けたときに

附属のスティックと2つの雪見だいふくで18に見えることから。

でした。

イメージは浮かびますが、一度実物を見て、「18」を確認したくなりました。

昨晩、コンビニで購入。

雪見だいふくを久々に食べました。

バニラアイスを包む求肥の感触を味わいながら。

   

そして、アイスがなくなった入れ物を撮影しました。

雪見だいふくはないけど、18状態はよくわかります。

RIMG0187 発売30周年の「雪見だいふく」
 

RIMG0192 確かに「18」です。

日めくりより・・・点前/大場政夫/白眉

  

今日は11月22日。

日めくりより。

EPSON032

   

「おてまえ」は「お手前」という漢字を思い浮かべていました。

茶道では「点前」あるいは「立前」と書くのですね。

また認識を新たにした日めくりでした。

    

     

EPSON034

大場政夫さんの事故のことはうっすら記憶していました。

20100122org00m040033000p_size8
http://mainichi.jp/select/wadai/newsbox/box/etc/2010/01/20100122org00m040038000c.html   

23歳で歿。  

   

    

EPSON035
   

日々野球漬けで、勉強に関心がなかなか向かない息子も、

故事成句(故事成語)は好きらしい。

確かに面白い。

「白眉」には、こんなお話があるのですね。 

 

 

2011年11月20日 (日)

野球は2アウトから・・・敗戦

 

今日は11月20日。

先週の水曜日に咳のことで3度目の通院。

咳喘息(せきぜんそく)だと正式に言われました。

学校を休んだ11月9日をピークに、咳は出なくなりつつありますが、

お医者さんからは、喘息の場合、完全に治すには期間が必要。

少なくとも1月までは通院してもらうと言われました。

お金も時間もかかっての治療。しっかり治したいです。

ブログの読者の皆さん、体調には気をつけてください。

       

今日は朝から、息子の入っている野球チームの手伝い・応援でした。

雨上がりのために練習グランドにできた水たまりの水を、スポンジで吸い取る仕事。

午後からは会場を移しての大会。

中1の大会の決勝戦。息子のチームは予選を勝ち抜いて決勝戦。

5-2でリードしての最終回、相手の攻撃も2死でランナーなし。

しかしここで悪夢。何とそこから3点差を追いつかれてしまい、

延長で5-6の逆転負け。

野球は2アウトからとは言いますが、しっかり思い知らされました。

子どもたちは悔しかったようです。そうでしょう、そうでしょう。

親も残念。しかし、まだ中1。今回をいい体験にして、強いチームになってほしいと思います。

    

今日は1日、咳は楽でした。応援がしっかりできました。

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※雨上がりで、予定されていたグランドはコンディションが悪く、

急きょ、ある高校のグランドを借りての大会でした。

2011年11月19日 (土)

野田城址へ

  

今日は11月19日。

前投稿のつづき。

信玄が撃たれた場所へ行った後、信玄が攻めた野田城址へ行きました。

  

野田城址入口には、看板が3つありました。

RIMG0099

      
撮影したものを下に載せます。

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野田城の様子、野田城の戦いのことが復習できます。

3つ目の看板には「笛の盆実行委員会」とあります。

「笛の盆」という幟もたくさん立っていました。

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新城市が町おこしのために、

2008年の夏から行われている行事が「笛の盆」だそうです。   

野田城をめぐる戦い、長篠・設楽が原の戦いが行われ、

信長、秀吉、家康、信玄、勝頼とこの地を踏んでいます。

その歴史を、今の町おこしにしようと企画されたもののようです。

   

いよいよ野田城址。

今は植林されてうっそうとした場所に足を踏み入れました。

RIMG0091
  

本丸をとり囲む堀の跡です。

    

   

本丸です。

植林された木々の間に、木のベンチが作られていました。

公園化するのでしょうか。

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本丸の傍らに石碑あり。「野田城址」と立派な字が彫られていました。

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向こうに見えるのが私の車。  

    

  

本丸の傍らには神社もありました。

RIMG0096RIMG0098

   

   

古戦場に行くとよく思いますが、

戦場が思ったより狭いこと。

目と鼻の先でにらみ合っていたんだと思います。

この野田城址に来て、やっぱり思いました。

城は小さく、信玄はすぐ近くまで来ていたんだと。

大軍で攻めたらひとたまりもないように思えますが、そうはいかないのですよね。

    

    

三の丸跡には、変わった姿の石仏がありました。

RIMG0100RIMG0102

この石仏のモデルはだれだ?

調べましたが・・・・青面金剛?わかりません。

誰か教えてください。

    

以上、野田城址と法性寺に行った報告終了。

 

※コメントが12月31日に届いて、青面金剛だと判明。コメントを見てください。

さらに12月31日の投稿も是非見てください。

「青面金剛でよかった/三尸虫の面白い話」html

 

信玄が撃たれた場所

   

今日は11月19日。

新城市の野田城址について以前書きました。

「信玄砲/野田城址」html

実際に行ってみたいと書きました。

    

行ったのは11月3日。文化の日。

学校での仕事の合間に行ってきました。

  

まずは武田信玄が撃たれたと言われる場所がある法性寺へ。

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境内に石碑がありました。

「野田城戦死病歿者慰霊供養塔」とありました。

”現場”に来たんだと思いました。

   

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以前他のサイトで見つけた看板を発見しました。

矢印の方向を見ると、登り階段。

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階段を登った狭い場所に撃たれた場所がありました。

   

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野田城址からだと少し下がった場所。

笛の音に誘われて出てきた信玄が撃たれたと言われています。

やっとこの場所に来ました。

   

信玄が撃たれなければ、戦国時代の登場人物も変わったかもしれません。

ある意味、大きな出来事があった場所です。(つづく)


    

 

バニラアイスの外側を求肥(ぎゅうひ)で包んだ・・・

  

今日は11月19日。

昨晩はよく寝ました。さすが気楽な金曜日の晩です。

   

またもやFM豊橋の渡辺欣生さん(よっちゃん)の話。

昨日は11月18日。

いい雪見だいふくの日」だそうです。

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なぜか?調べてみました。

11月は「いい」の語呂合せ、18はパッケージを開けたときに

附属のスティックと2つの雪見だいふくで18に見えることから。

なかなか面白い理由。

    

「雪見だいふく」のコンセプトは、

「バニラアイスの外側を薄い求肥(ぎゅうひ)で包んでいる冬のアイスクリーム」です。

よっちゃんの話はその「求肥」に。

求肥は、もち米の粉(もちこ)を練って、砂糖、水あめを入れたもの。

元々は唐から伝わったもので、平安時代の貴族は食べていたそうです。

昔は玄米のもち米を使っていたため、黒く、牛の皮のようであったため、

「牛皮」と書いていたと言われているそうです。

「牛皮」が「求肥」に変化したようです。

  

求肥を使ったお菓子として4つ紹介されました。

  

鮎菓子(あゆがし)/若鮎(わかあゆ)」

Nobriayu_00
http://item.rakuten.co.jp/hidamino/c/0000000163

どら焼きのような生地で求肥を包んだお菓子。

全国で販売され、有名らしいけど、私は知りませんでした。

「食べてみたいです」と書くんでしょと奥さんに言われてしまう。

う~ん、そりゃあ食べてみたい。

    

生八つ橋

Nama
http://www.otabe.jp/shop/c/cyatsu/

これはお馴染み。生八つ橋も求肥なんだ。

    

羽二重餅(はぶたえもち)

Iimon-ajisen_a20002010
http://store.shopping.yahoo.co.jp/iimon-ajisen/a20002010.html

これも名前は聞くけど、イメージが浮かばなかったお菓子。

    

ポンカン飴

このお菓子については、ムッシュさんのブログに写真がありました。

「目指せ幸せな生き方/ポンカンアメ?ボンタンアメ?」2008-10-27

求肥の作り方と同じですが、水あめを多く入れてポンカンの味つけをしたのがポンカン飴。

   

   

以上、「求肥」について朝のラジオで勉強しちゃいました。

いろいろな機会に、いろいろな勉強ができます。

そうそう、「雪見だいふく」は1881年誕生のアイスクリーム。

今年30周年だそうです。http://www.yukimidaifuku.jp/index.html

   

 

2011年11月17日 (木)

皇帝ダリア2011/11月11日配線器具の日

  

今日は11月17日。

やっぱりこの季節になると目につくのが皇帝ダリア。

今秋になって開花を確認。

昨日、ヒガンバナの定点観察をしている場所で、皇帝ダリアを撮影しました。

やっぱり植物がにぎやかな庭です。

RIMG0170皇帝だりあ
    

※昨年の皇帝ダリアの投稿「今年の皇帝ダリア」html

   

    

11月11日のFM豊橋の渡辺欣生さんの話。

11月11日はポッキー&プリッツの日として有名ですが、

この日はいろいろな記念日です。  

 

ピーナッツの日・・・新豆を使った落花生が市場に出始めるのがこの頃で、

ピーナッツは1つの殻に2粒の豆が同居する双子であることから、

11のぞろ目の日を記念日とする。

サッカーの日・・・サッカーが11人対11人で行うスポーツであることから。

西陣の日・・・1477(文明9)年のこの日、京都が戦場となった応仁の乱が治まった。

戦火を逃れて全国各地に散らばっていた織手達が京都に戻り、

西軍の本陣のあった辺りに住み附いたことから「西陣織」と呼ばれるようになった。

などなど。   

   

渡辺さんが話題にしたのは、「配線器具の日」

コンセントの差込口の形状を「1111」に見立て、

また、「秋の火災予防週間」の期間中であることから、

この日を記念日にしたそうです。

コンセントの差し込み口のサイズが違うと言っていました。

左の穴が少し長いらしい。

確かめてみました。

   

RIMG0155
  

けっこう違います。

次のサイトに、こんな説明がありました。

http://www.tohoku-epco.co.jp/kids/naruhodo/04haru10.html

  

右の小さい方は、電気が通ってくる穴です。「ホット」

左の大きい方の穴は「アース」です。

アースは日本語で接地(せっち)と言い、

電線を通して地面につながっています。

左の穴がアースになっているのは、

万一コンセントにいつもより高圧の電気が流れてきたとき、

電気を地面に逃(に)がすためです。

アースがあるおかげで電気を安全に使えるんですね。

穴の大きさは左右でちがうけれど、

普通電気製品のプラグはどの向きにさしこんでも使えます。

   

こりゃあいいことを知ったと、他の先生に話しました。

何と、穴の大きさの違いを皆さん、知っていました。

しかし、アースとホットについては知りませんでした。

 

 

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