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2010年5月

2010年5月18日 (火)

国分寺・国分尼寺下見7/築地塀(つきじべい)・三和土(たたき)

豊川市の国分寺も国分尼寺も「築地塀」に囲まれていたそうです。

この築地塀とは?

Wikipediaによると、次のように書いてありました。

   

泥土をつき固めて作った塀。

(中略)石垣の基礎に柱を立てて貫を通した骨組みを木枠で挟み、

そこに練り土を入れて棒でつき固める「版築」という方法で作られることが多い。(後略)

    

出ました、版築。

礎石の基礎づくりだけでなく、

築地塀を作るためにも、「版築」が行われていました。

当時は重要な工法の一つだったのでしょう。

     

    

「版築」のようにつき固めることが共通している

「三和土(たたき)」という言葉も、

調べているうちによく見かけました。

これまたWikipediaより引用。  

   

叩き土に石灰や水を混ぜて練ったものを塗り、

叩き固めて仕上げた土間。

3種類の材料を混ぜ合わせることから「三和土」と書く。

「叩き土」とは花崗岩、安山岩などが風化して出来た土を言い、

その土に石灰と水を加えて練ると硬化する性質がある。

長崎の天川土、愛知県三河の三州土、京都深草の深草土などの叩き土に

石灰や水を加えて練ったものを塗り叩き固め、

一日二日おいた後に表面を水で洗い出して仕上げとする。

もともとはセメントがなかった時代に、

地面を固めるために使われたとされる。

現在では、コンクリート製やタイルを貼った土間なども三和土と呼ばれることがある。

   

Doma   

      

※「ほくざん日和」http://ogawayoichi.com/blog/?p=27   

   

    

      

「たたき」という言葉は今までも耳にしたことがある言葉でした。

今回認識。

地元の土「三州土」が気になったが、

今朝はここまで。お仕事、お仕事。

    

     

☐築地塀の読み方を間違えていました。次の投稿で。(18日午後8時29分記)

2010年5月17日 (月)

金星探査機「あかつき」/宇宙ヨット「イカロス」

15日晩は星空観望会がありました。

参加申し込みをしてありましたが、

他の用事が入り、参加できず。残念。

しかし昨晩(16日)は、西の空で、上に金星、下に三日月が並び、

なかなかの見ものでした。

     

その金星に関するニュース。

金星探査機「あかつき」を載せたH2Aロケット17号機が、

5月18日に打ち上げられる予定です。

打ち上げ予定時刻は、午前6時44分14秒。

何で14秒なんていう中途半端なのだろう?

でもちゃんと計算された最適な時刻なんでしょう。

中途半端な時刻だけに、そう感じます。

    

Planetc1   

   

   

     

地元豊川市の「ジオスペース館だより」386号には次のように書いてありました。

  

金星は、大きさ・重さともに地球とよく似た「ふたご星」として知られていますが、

その実態は、高温の二酸化炭素の厚い大気と硫酸の雲が浮かぶ”灼熱地獄”

なぜそんな気候になってしまったのでしょうか!?

あかつきは、世界初の「惑星気象衛星」として、そのナゾに迫ります!!

       

     

201002150136003      

    

    

   

    

   

右が「あかつき」

左が宇宙ヨット「イカロス」

昨晩のNHKのテレビによると、

太陽の光の力を使って動く宇宙ヨットだそうです。

折り紙の仕組みで、帆がひらくそうです。

その姿がこれ。

Pic_10_l    

   

    

    

    

いいじゃないですか!

明日の朝の打ち上げの成功を祈ります。

国分寺・国分尼寺下見6/版築で作られた壁

版築(はんちく)についてもう少し。

版築でできた美しい壁をあちこちのサイトで見ることができました。

   

C0112447_19203110    

   

   

    

※「Sanraku」http://gardenplan.exblog.jp/tags/%E7%89%88%E7%AF%89/

     

   

    

05   

   

     

    

※「社団法人日本建築材料協会」http://www.kenzai.or.jp/tanbou/216.html

     

   

     

005    

    

    

     

※「歴史と旅と少しのグルメ」http://match.blog.ocn.ne.jp/blog/cat6779210/index.html

     

      

     

C0112447_19373420    

    

    

    

法隆寺の版築塀です。

※「Sanraku」http://gardenplan.exblog.jp/11340249/

修学旅行で見てみたいものの一つになりました。    

    

    

     

Img_001   

   

    

    

※「土・どろんこ館」HPhttp://www.inax.co.jp/clayworks/viewpoint/

     

この「土・どろんこ館」は、愛知県にある面白そうな施設です。

昨年夢中になった土だんご作りの体験ができる施設。

建物は版築で作られています。

HPのトップはここ。http://www.inax.co.jp/clayworks/

夏休みに行ってみたい場所です。    

国分寺・国分尼寺下見5/根石(ねいし)と版築(はんちく)

下の写真は、国分尼寺の回廊の発掘現場写真。

Rimg0109_3    

    

       

写真の上から下へ3列の柱の礎石(そせき)の跡がわかると思います。

ここの回廊は、中央に壁があった「複廊(ふくろう)」と呼ばれる作りでした。

礎石の場所を見ると、穴があってそこに石がごろごろしているのがわかります。

この石について調べてみました。

     

根石(ねいし)」と呼ばれる石です。

礎石の下に礎石を安定させるために、敷いた栗石(くりいし/ぐりいし)。

栗石は?

直径が15センチ内外の河原で取れる、丸みをもった石。

現在でも地盤固めのために、

栗石や、栗石を割った割栗石(わりぐしいし)が使われるそうです。

※参考http://www.kenchikuyogo.com/911-wa/010-wariguriishi.htm

      

さらに礎石を安定させるために、版築(はんちく)という工法が行われるそうです。

これは勤務校の校長先生から教えてもらったことです。

版築とは、地面を突き固める工法です。

礎石の下の基盤を固めるために、

一度穴を掘って、土を入れて突き固め、土を入れて突き固めて、

また土を入れて・・・・・

その繰り返しで強固な基盤を作り、礎石が傾かないようにしました。

     

「版築」を調べていくと、これまた面白い。

版築は土壁を作る時にも行われていた方法。

CMで、トミー・リー・ジョーンズがやっていました。

万里の長城で。

    

版築についてはもっと書きたい。

2010年5月16日 (日)

国分寺・国分尼寺下見4/垂木の黄色

復元された連子窓の緑、柱の赤、壁の白。

そして垂木(たるき)の黄色。

Rimg0120

    

    

     

     

古代は「五色(ごしき)」と呼ばれる色がよく使われていました。

「五色」とは、青、朱(赤)、白、黒、黄で、

当時は黄色を除く四色が主に使われていたそうです。

黄色を除く四色には、季節と方角の意味があります。

青・・・・・方角は東。季節は春。青春。

朱(赤)・・方角は南。季節は夏。朱夏。

白・・・・・方角は西。季節は秋。白秋。

黒(玄)・・方角は北。季節は冬。玄冬。

黄色は方角を示すさず、中心を表しました。

したがって、中国では、中心にいる皇帝を象徴する色でした。

    

相撲でも、この考え方。

P7260123   

    

     

    

4つの房は「四色」が使われています。

土俵の土が、黄色なのです。

       

日本では、なぜかこの黄色はあまり使われなかったそうです。

その中で使われていた例として、

建物の垂木の木口に塗られた黄色というわけです。

     

以上の話は、次のサイトを主に参考にして書きました。

「五色」について勉強になります。

http://www.eonet.ne.jp/~kotonara/iroirono-2.htm

国分寺・国分尼寺下見3/青丹(あおに)よし

国分尼寺の復元された中門にある連子窓。

それは鮮やかな緑色でした。

   

次の歌は有名です。

青丹(あおに)よし 奈良の都は咲く花の

薫(にお)うがごとく いま盛りなり

800pxheijokyo_05    

    

※平城宮跡にある歌碑   

   

奈良時代の歌人、小野老朝臣(おののおゆあそみ)は、

大宰府にあって都の春をこのように詠いました。

「青丹よし」は、「奈良」にかかる枕詞。

「青丹」は孔雀石の粉末を岩絵具として使う

「岩緑青(いわろくしょう)/マラカイトグリーン」の古名。

当時の奈良の土から多く産出されたことから、

奈良を表す枕詞になったようです。

連子窓の緑は、この「青丹」の色だったのでしょうか。

   

孔雀石の緑は鮮やかです。

Malachite    

    

    

    

     

「青丹」にはもう一つの説があります。

「青」と「丹」に分けて、

「青」は建物の青瓦。「丹」は建物の赤い柱を表すとのこと。

これはこれでわかる。

    

「丹」は赤色を表すのですね。

「丹頂鶴」の「丹」は、頭のいただきの赤い鶴。

「丹花(たんか)」は赤い花。

※参考http://homepage2.nifty.com/ToDo/cate1/suigin1.htm

   

     

中門の連子窓からの発展学習でした。

「明く」について/「埒が明く」「埒が明かない」

前投稿で「開く」「空く」について書きました。

ついでに調べた「明く」について。

   

「明く」の使い方は、

「目が明く」「襟が明く」(開いて見えるといった感じ)

   

「埒(らち)が明く」「埒が明かない」という使い方があります。

」とは何だ?

これについては次のブログが参考になりました。

引用の引用をします。

※「みずがめさんの1日」http://yugao.at.webry.info/200906/article_18.html

  

先日、生活情報誌「リビング京都」に載っていた、

(京都生まれの言葉たち)という見出し。

京都検定一級を持つ、小嶋一郎さんの記事です。

「埒(らち)は馬場の周囲に設けた柵のこと。

賀茂競馬(くらべうま)が終わると 埒があけられ(撤去され)ます。

その日以降、賀茂祭(葵祭)を迎える神事が次々に始まっていくことから、

『埒があく』を道理良く物事が進むさまとして使いました。

今は『埒があかない』、

つまり物事が進まないという表現の方をよく使いますね」(小嶋さん)

    

京都生まれのことわざなんだなと思いました。

「競馬」は「けいば」ではなく「くらべうま」と読むのにもびっくり。

賀茂競馬については次のサイトが参考になりました

※http://homepage3.nifty.com/a_coral/2005ToBiRaSite/KamoKurabeuma/index.html

Dscn9933

   
※競馬の様子。「埒」もうつっています。

     

    

      

「明ける」の形で次のような使い方があります。

「夜が明ける」「年が明ける」「梅雨が明ける」「喪が明ける」

この使い方が、「明ける」らしい使い方だと勝手に思います。

意味は「あるひと続きの時間・期間・状態が終わって、次の時間・期間・状態になる」です。

「開く」「空く」のどちらか?/「手が空けば、口が開く」

ああ、忙しい1週間でした。

投稿間隔がこんなにあいたのは久々です。

今日は、書きたいと思っていたことを少しでも書こう。

     

と、3行うっていたら疑問点。

の「あいた」は、「開いた」「空いた」のどれだろう?

    

「開く(あく)」「空く(あく)」の使い方を見ていきます。

「開く」・・・「窓が開く」「鍵が開く」「店が開く」(反対語として”閉まる”)

「空く」・・・「席が空く」「部屋が空く」「行間が空く」「瓶が空く」「課長のポストが空く」

      「体が空く」「手が空く」(”からっぽになる”イメージ/”閉まる”ものではない)

     

    

「間隔があく」の場合、「間隔」が”詰まる”ことはあっても”閉まる”ことはないから、

「空く」が適切だと思いました。

そうなると、「間隔が開く(ひらく)」という言い方をつい普段使っている気がしますが、

「間隔が閉まる」ことはないから、使い方が誤りなのだろうか?

あくまでも、「間隔」には「空く」をセットにして覚えたほうがいいのだろうか?

さあ、困った。

     

今回いろいろ調べていて、次のことわざに出会いました。

「空く」「開く」の2つの漢字が登場します。

「手が空けば、口が開く」

「開く」は「あく」「ひらく」のどちらの読み方でもいいともいます。

「あく」と読んだ方が、「あく」が2回出てきて楽しいと個人的には思います。

   

学校の教師をやっていると、このことわざは、

やることをちゃんと指示しておかないと、

やることがなくなって子どもたちは無駄口を始める

という意味だと思ってしまいます。

確かにこう意味もあるそうですが本来の意味は次の通り。

    

仕事がなく、苦しい暮らし向きのことを言う。

(説明) 仕事が無くなって手が空けば、収入が閉ざされて食うものも食えなくなり、

口が開くということから。

※引用http://book.geocities.jp/tukitoryuu/440-te/te-03-kotowaza.html

      

本来の意味を忘れないようにしたい。

2010年5月11日 (火)

1863年(文久3年)5月10日/「龍馬伝」

昨晩は月曜日にもかかわらず、

社会科の先生たちとの飲み会ありbeer

いい会でした。

お久しぶりの人と会って、昔のことを話しました。

若い先生を前にして、私の教え方を演説ぶってしまいましたcoldsweats01

気持ちよく過ごせた晩でした。

そしてつぶれた・・・・・・・catface

       

昨日うちたかったネタ。

先の日曜日の大河ドラマ「龍馬伝⑲攘夷決行」は良かったです。

1863年(文久3年)5月10日(旧暦)はとても重要な日だったのですね。

幕府は朝廷に対して、この日に一斉に攘夷を行うと約束しますが、

幕府は反古(ほご)。長州藩のみ決行しました。

武市半平太は藩主山内容堂の出陣命令を待つが、

結局出ず。そんな日でした。    

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昨日は2010年の5月10日。

授業の空いた時間で、

子どもたちに「龍馬伝」の5月10日の部分を見せました。

   

毎週事前に番組解説をしてきました。

次の「龍馬伝」はこんなことをやるよ、この言葉を知っておくとわかるよ。

そんな話をし、通信にも書いてきました。

始めは誰も見ていなかった「龍馬伝」ですが、

しだいに視聴率が上がってきていますup(28人中7人)

ついに授業でも見せてしまいました。

来週は平井収二郎中心のストーリーのようです。

しっかり解説をしておこう。

平井収二郎を知っている小学6年生も魅力あり。

2010年5月 9日 (日)

次は「ファイブ」を読んでいます

「のだめカンタービレ」を23巻まで読んで一段落。

次は「ファイブ」を読み始めました。

全5巻のうち、4巻まで読みました。

     

日本バスケを牽引した「ミスターバスケットボール」佐古賢一さんのお話。

しかし実力日本一のチームも親会社「いすゞ自動車」のリストラの一環で休部に。

その高すぎる実績と、そして年齢がネックになり、

佐古選手に引き抜きの声がかからない。

移籍期限も迫ったところで、弱小チーム「アイシン」からスカウトの電話が。

うちみたいな弱いチームに来てくれるか、と事情を知らない相手は弱気も、

またバスケが出来るということで主人公は即答。

引っ越していくが、弱小とはいえ一部所属なのに地元ではその存在も知られていないチームという状況。

ベテランで構成されたロートル集団で見知った顔も多いなか、

自分が入ることで弾き出してしまうひとへの遠慮。

一方結果を出さなければと焦る気持ちとチームの現状とのズレも生じ・・・

実話をもとにした原作を漫画化したもの。

※以上の文は次のブログをベースにしました。http://manga-1.com/?eid=1460

     

     

ファイブ―The story of the men who don’t give up their dreams. (2) (ビッグコミックス) ファイブ―The story of the men who don’t give up their dreams. (2) (ビッグコミックス)

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1・2巻が良かった。

佐古選手と他のメンバーとの交流が感動的。

実話をもとにしたマンガということで、

こういうことがあったんだと興味をもって読みました。

ずっと他の人にさげすまれないように、

あるいは責任感の強さから、他の人の期待にこたえようとバスケをやってきた主人公が、

自分のためにバスケをやることに目覚めていくところは深かった。

2巻のラストは涙なくしては・・・・、これはあくまでも自分の感想。

3巻からは内容がガラッと変わり、

フィクションの色が濃くなりました。

バスケのマンガとしては十分面白いのですが、ジーンとはならない展開。

ちょっと今の自分にはフィットせず。5巻はしばらく様子を見て手に取ろうと思う。

     

佐古選手は今もアイシンで現役。今年で40歳。

02b   

   

   

   

    

    

   

4月に日本リーグで「リンク栃木」が

田臥勇太選手の活躍で優勝したとニュースで報じられていました。

その時に敗れたのが、

3連覇を狙っていた佐古選手の所属する「アイシン」でした。

マンガは8年ほど前の話。

日本一を目指す話でしたが、

アイシンは今確固たる強さを誇っているようです。

   

      

「ファイブ」について調べていて、

「JUNK BOX」というブログに次のような文章を見つけました。

http://saheki.blog98.fc2.com/blog-entry-133.html

        

あ,余談になりますが,

特に佐古の妻や娘の(小さめの)絵が「岳」の石塚真一の絵を思い起こさせます.

アシスタントが同一とか師匠の系統が一緒とかの繋がりがあるのでしょうか?

それとも単なる気のせい?

     

私も大賛成。よく似ています。

地元愛知県のチーム。

機会があったら本物を見に行きたい。

    

      

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