国分寺・国分尼寺下見7/築地塀(つきじべい)・三和土(たたき)
豊川市の国分寺も国分尼寺も「築地塀」に囲まれていたそうです。
この築地塀とは?
Wikipediaによると、次のように書いてありました。
泥土をつき固めて作った塀。
(中略)石垣の基礎に柱を立てて貫を通した骨組みを木枠で挟み、
そこに練り土を入れて棒でつき固める「版築」という方法で作られることが多い。(後略)
出ました、版築。
礎石の基礎づくりだけでなく、
築地塀を作るためにも、「版築」が行われていました。
当時は重要な工法の一つだったのでしょう。
「版築」のようにつき固めることが共通している
「三和土(たたき)」という言葉も、
調べているうちによく見かけました。
これまたWikipediaより引用。
叩き土に石灰や水を混ぜて練ったものを塗り、
叩き固めて仕上げた土間。
3種類の材料を混ぜ合わせることから「三和土」と書く。
「叩き土」とは花崗岩、安山岩などが風化して出来た土を言い、
その土に石灰と水を加えて練ると硬化する性質がある。
長崎の天川土、愛知県三河の三州土、京都深草の深草土などの叩き土に
石灰や水を加えて練ったものを塗り叩き固め、
一日二日おいた後に表面を水で洗い出して仕上げとする。
もともとはセメントがなかった時代に、
地面を固めるために使われたとされる。
現在では、コンクリート製やタイルを貼った土間なども三和土と呼ばれることがある。
※「ほくざん日和」http://ogawayoichi.com/blog/?p=27
「たたき」という言葉は今までも耳にしたことがある言葉でした。
今回認識。
地元の土「三州土」が気になったが、
今朝はここまで。お仕事、お仕事。
☐築地塀の読み方を間違えていました。次の投稿で。(18日午後8時29分記)
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